5.天国でも何かできる
不慮の事故で死んでしまった俺、高ヶ坂拝人は天国に送られ、新しい生活を始める。駅前のコンビニにバイトの面接を受けに行った俺は、店長の川島さんに内面を評価され即採用となった。意気揚々とバイト三昧の日々を送り始めるのだが……。
5.天国でも何かできる
初出勤から2週間ほどが経過した。今日も1日ガッツリ働いた。「お先に失礼しまーす」と笑顔で夕方からのスタッフに声をかけながら店を出る。そして、「はぁ」と小さなため息をひとつ。空は薄暗くなっており、絶妙な白と黒のグラデーションがどこか物悲しかった。
新人で不慣れな俺に先輩たちは優しくいろいろと教えてくれる。おかげでだいたいの仕事は早いうちに覚えられた。忙しい時も多いし楽な仕事じゃないが、それでも楽しかった。
だけど、この頃ようやく実感が湧いてきた。自分が本当に死んでしまって、天国という名の違う世界に来てしまったことに。天国での生活というイベント的な行為が単なる日常に変わっていくうちに、両親や友達などの大切な人がこの世界には一人もいないことがじわじわと心に染み始めた。
もちろん、新しい友人もいないわけじゃないし別にとんでもなく寂しいなんてことも思ってない。もう二度と会えないのは辛いけど、死んでしまった以上仕方のないことでもある。
それ以上に辛いのは、目標を失ってしまったことだ。高校に入ってから、俺はようやく一生懸命打ち込めるものを見つけた。けど、どうやらこの世界ではボクシングというものはなかなか繁栄していないらしい。もともとボクシングは選手としての寿命が短い競技だ。その期間に死亡する人がまず少ないし、そもそもろくに指導者もいないのが現状だ。
そして、急な環境の変化の中でいつの間にか俺自身もボクシングに対する情熱を失い始めていた。死の直前、ジムに向かって走っていたあの時が最高潮だったかもしれない。それまで途切れずに灯り続けていた炎が、一台のトラックによって吹き消されたのだ。
別に嫌なことはないし、毎日楽しい。だけど、今の俺はただ生きているだけで、向かうべき道も何もわからなかった。
面接の時には全く意識していなかったペダルの重さを感じながら自宅アパートにたどり着いた。家に入ると薄闇の空間が広がっている。大人がビールを飲み干した後のようなため息をついて、電気もつけずに床に突っ伏した。数秒後にすぐそばに幽霊がいることに気づいて飛び起きた。初めはうずくまってばかりだった彼女も徐々にアクティブになってきて、今では帰宅すると住処だったはずのテレビを見ていることもある。……電源はつけられないから俺がつけっぱなしにしてから出てるんだけど。
「はぁ……あんたも毎日大変だよね、社会の歯車になって。私は社会に何の役にも立ってないしどうせ誰にも必要とされてないんだよ、ああもうやだ、消えたい」
あまり深く考えないように心がけても、幽霊の主張が激しい独り言に俺もネガティブな気持ちが蒸し返される。最初は軽く流していたが、最近はそれなりにストレスになったきた。
「本当、お前は良いよなぁ。生きてること自体が悩みなんだもんな」
何があったか全く知らないが、この幽霊は自分が生きていること自体に悩みを感じている。しかし、俺は生きていくためだけに生きている現状に悩みを感じていた。
「あんたの言う通り、なんで生きてるのか私にもわからないよ……」
幽霊はどこか諦めたようにそう呟き、俺の隣に寝そべった。答えが出ない悩みほど厄介なものって他にあるんだろうか。
「はぁ……」
俺たちは同時に大きなため息を漏らす。ま、ずっと考えてても仕方ないよな。明日もバイトだし、晩飯食べて寝よう。
ひとまずごちゃごちゃ考えるのをやめた俺はカーテンを閉めて電気をつけた。幽霊は眩しいのは嫌いなようで、「消えよ……」と呟きながらスーッと透明になり姿を消した。……飯も食べられないし、俺の悩みなんかよりあいつの方が深刻なのかもな。
パパっと入浴を済ませ、早々に寝床についた。無機質な天井を見つめていると、その距離感が曖昧に感じられて自分がどこにいるのかよくわからなくなる。旅行先のホテルと同じように変な違和感を感じたこの天井にもすっかり慣れた。
あと450年……俺は何をして生きていくんだろう。何か……何かできることはないのだろうか。
「ありがとうございましたー」
客足のピークを越えた昼過ぎ頃、俺はカウンターで無気力に決まり文句を口にしていた。何のために生きていくかみたいな重大な悩みというのは早急に解決する必要は必ずしもないので、少し忘れてからふとした瞬間にまた思い出してしまう。
決して小さな悩みではないし、かと言って誰かに相談しようにもなんて言えばいいのかわからない。そんなこと考えずに生きられたら楽なのになぁ、と高尚な悩みでも抱えているように考えてみても何がどうなるわけでもなかった。
俺が何を考えていようが時間と人は関係なく流れるのはきっとどこの世界でも変わらない。黒いキャップに黒いパーカー、黒いパンツと全身ブラックの男性が入店して、ハッと現実に戻ったように「いらっしゃいませー」と返す。
ダメだダメだ、集中しなきゃ。悩むことは悪いことじゃないんだし、また帰ってから思う存分考えよう。そう思い気を引き締め直した、その時だった。
「おい、金を出せ!」
さっきの黒ずくめの男性が俺に銃を突きつけてきた。これって、ご、強盗……!!?キラリと光る銃口が俺の背筋を凍らせる。
「けっ、警察……」
隣のレジに立っていた小本さんが警察に通報しようとすると男は小本さんの方に銃を向けた。小本さんは顔を引きつらせて完全に硬直してしまった。男はそれを確認するとすぐに俺の方に銃を戻した。
「何してんだ、早くしろよ!」
焦りと怒りが混ざったような表情で激昴する男を前に、俺は金を渡すことも抵抗することもできずただ手を上げているだけだった。どうしよう、てかどうすればいいんだよ!何だよこれ!なんで天国でコンビニ強盗に襲われなきゃいけないんだよ!もう嫌だよ!
「聞いてんのか!ぶっ殺すぞ!」
男が何か騒いでいるが俺はもう聞こえないふりをして目を閉じた。また死ぬかもしれない恐怖に身体を震わせながらも、どうにでもなれと諦めていた。俺の人生、短かったな……。
カァーーーンッ!
その瞬間、福音が俺の耳に届いた。驚いて目を見開くと床に1本の缶コーヒーが転がっていた。男は側頭部を抑えて痛がっている。な、何が起きた?
「強盗さん、こっちだよ」
店の奥から男を挑発するような声が聞こえる。男は咄嗟に振り返り、俺も覗き込むように目線を奥へ向けた。
「おいガキ、てめえの仕業か」
店の奥に位置する缶コーヒー売り場の近くに立っていたのは俺とそう変わらないくらいの可憐な少女だった。どこかの学校の制服のようなものを着ている。まさか、あの子が……?
「そうだよ。ちょっとうるさかったからつい」
全く物怖じするような様子はなく友達と会話しているような彼女に俺や小本さんはともかく、店内にいた他のお客さんも驚きを隠せなかった。そうだ、今のうちに通報を!俺はこっそり携帯を取り出して警察に繋いだ。
「もしもし警察ですか!南センター駅前のコンビニで強盗です!」
史上最速記録を更新できるほどの早口でそう告げたが、気づいた頃には銃口はこちらに向いていた。うわあああああああっ!すいませんすいませんすいません!!
「お前から死ね!」
男は構わず引き金を引こうとする。怖すぎて目に涙を浮かべながら情けない悲鳴を上げてしまう。いやだああああああっ!!
「おとなしくしないなら、こちょこちょの刑だよ!」
だが、男の真後ろで彼女の声がした。……えっ、ええええええっ!!?いつそこに……さっきまで遠くにいたはずじゃ……。もはや外の野次馬まで驚いている中、彼女は宣言通り男の身体を慣れた手つきでくすぐり始めた。
「てめっ、あっ、あひゃひゃひゃひゃひゃ!!!やっ、やめてっ!!横腹はっ、横腹は弱いの、ひいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!!!」
男は絶望的な表情で泣きながら笑い悶えていた。うわぁ、感情が渋滞してる……並の拷問よりよっぽどキツイぞこれ。脇から腰まで何往復もした後、仕上げとばかりに彼女は男の股間を蹴り飛ばした!現場にいた男性陣全員が同情の声を上げる!
「あうぅ……も、ダメ……」
男は悶絶しながらへなへなと力なく横たわった。す、すごい……体格差もあるのにくすぐりと金的だけで完封した……。いや、それ以上に驚いたのはいつの間にか男のそばに近づいていたことだ。どんだけ身のこなしが良くても店の奥からここまで3秒はかかるぞ。何者なんだこの人……。
呆気にとられていた周囲の人達はハッと我に帰って、彼女に盛大な拍手を送った。俺も遅れてあとに続く。
「ふぅ、ケガしてない?」
彼女は状況に困惑している俺に目を合わせてそう聞いてきた。なんて綺麗で純粋な瞳なんだ……。なんだかさっきまで悩んでいたのがバカらしくなってくるぜ……。おまけにちょっとかわいい……。
「は、はい、おかげで無傷です。あの、あなたは……」
見た目は同世代でも天国にいる年数は遥かに上かもしれないと思い、咄嗟に敬語で返した。
「私はただの通りすがりの大学生だよ。転生目指して頑張ってます!じゃあね!」
彼女は笑顔で俺に敬礼して店から出ようとしたが、床に落ちている自分が投げた缶コーヒーに気づいて隣のレジで購入してから出ていった。小本さんも呆然としながら対応していた。
……大学……転生。話は聞いたことがある。天国には唯一の教育機関として大学が存在していて、そこでは転生を学ぶところもあるとか……。
生まれ変わるってどんな感じなんだろう。今まで生きてきた中で良い意味でも悪い意味でも培ってきた常識を壊すことになるんだろうか。けど、今の何の目標もない生活から抜け出すことができるなら……この薄暗い森の中から脱出できるなら……。
それに、大学に行けばあの人に会える。俺はまだあの人にお礼を言っていない。あの人にもう一度会いたい。……よし、とりあえずの目標が出来た。受験だ。
知り合いが一人もいないこの世界で自分が死んだこともまだ完全には受け入れられないまま、まだまだ続いていたはずの進むべき道がいきなり消滅しよくわからない場所で迷子になっていた。けど、一筋の光が差して、階段の1段目が見えた。
何もできないなんてことはない。どんな世界にいたって、何かできることはあるんだ。
こんにちは、天日干しです。
ついにメインヒロインが登場しましたが、彼女は一体何者なんでしょうか。そして、大学で転生とは一体……。
次回からは大学入試に向けて勉強を始めます。果たしてどうなることやら。
見てくださった方々、ありがとうございます!次回も早めに投稿したいと思います。それでは。