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無能な弟でも冒険できるらしい。  作者: サテライトステロイド
2章 最初の街
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5 黒い風

 目の前に現れたのは憎き盗人。二人を恐怖に陥れ、金まで奪った極悪人。裏路地だから仕方ない、丸腰だから仕方ない、それがここのルールだ、警戒していない奴が悪い。そう言われても二人は、少なくとも颯志はその男を許せる訳がなかった。

 その男の服装は最初に襲ってきた頃とは違っていた。薄汚れていないし、穴もない。さしずめ、奪った金で新調したと言ったところだろう。

 くすんだ金髪にフード。そのスタイルは変わらないが逆に言うとそれ以外ははっきり変わっていた。

 上着に着ている暗い紺のコートをボタンを止めずに開け放ち、中の黒いVネックのような服が見えている。首には紫紺のネックレスが掛かっていて、妖しく光を散らしていた。

 ズボンは膝下辺りの丈で裾は絞られている。腰の辺りからY字のベルトが二本垂れていて、そこには幾本かナイフが。絞られた裾の下からブーツまでを包んでいるのは黒いソックス。太さに少し違和感があり、もしかすると脛に防具でも仕込んであるのかもしれない。

「おいてめぇ...」

 颯志は話しかけるのと同時に相手の肩を掴んでいた。

 男の動きが止まる。

「俺の顔に見覚えはねぇか...?」

 男が振り向こうとしたとき、颯志の拳が飛んだ。顔面直撃コースだ。

 スパンッと颯志が拳を振り抜いた。その感覚はあまりにも軽い。拳は空を搔いていた。

「正面から、しかも声をかけて殴る。攻撃を当てる気があるのか?」

 背中からの声。颯志は動けない。

(回り込んだのか...!?あの一瞬で!?)

 影すら掴めなかった。直撃を確信していたのに、当たるすぐ直前で消えた。気づけば背後を取られていた。

「そう驚くな。密着した相手を回り込むのは難しいことではない。お前でもできるぞ、やってみるか?」

 颯志は不意を突くため体制を低くする。そして振り向き、下から突き上げるように拳を出した。

 対する男は反応を示さない。無反応で棒立ち。颯志は迷いなく拳に力を込める。

 颯志が拳を突き出したときパンッと乾いた音が響いた。男は避けもせず、手の平で拳を受け止めていた。躱すことなど容易いはずなのにだ。

 男は受け止めた拳を引き込み、顔と顔を近づけた。

「遅く、軽い。もっと体の全てを意識に入れろ。そして体の外まで我が物として扱え」

 受け止められた拳が突き飛ばされる。颯志の体制が崩れる。怯む颯志の顔面に男は肘鉄を一発打ち込んだ。

 颯志の体が浮き、吹っ飛んだ。木の板の上を勢いよく転がっていく。

「兄さん!!」

 幸博の声が響いた。遠くからは物音を聞いた人々が様子を伺おうとしている声が聴こえる。賑やかとは違う騒音に気づいたのだろう。

「おお、ただの阿呆かと思えば先程狩った兄弟ではないか。なるほど復讐か。戦う理由があるのだな」

 男がそう話すと颯志はゆっくりと立ち上がった。手を着き、膝を着き、痛みを庇いながら。立ち上がる颯志は男を睨んでいた。その鋭い目には眼光と呼べるものが宿っていた。

 颯志はただ一直線に駆け出す。獲物はない。ただの拳一つで男を狙う。

「理由があろうと阿呆は阿呆か」

 男は先程と同様に身を翻し攻撃を躱す。

 颯志は拳を振るうがやはり感覚はない。

 しかしその次の瞬間、ミヂィ!と鈍い音が場を一瞬凍らせた。颯志の''左拳''には肉を捉えた確かな感触が。

 男は仰け反り、数歩後方へ下がる。確実にダメージが入っている。

「なん...!?偶然か!?」

 驚きを隠せない男。しかし颯志は否定する。

「偶然なんかじゃねぇよ。しっかり狙ってお前を殴ったんだ。''左''でな」

 颯志が振り抜いたのは右拳だった。しかし当たったのは左。

「飲み込めねぇお前に解説してやるよ。気分が良いんでな。まず俺は全力で右の拳を打ち込もうとした。でも俺は見えたんだ。お前が右から回り込むのが」

「ッ!?」

「だから俺は振り抜く勢いを利用して体を捻って回り込んだお前に裏拳をブチ込んだ。後ろ回ってまたドヤろうとしてただろ?余裕カマしてたくせに鼻血が出てるぜ、コソドロ」

 颯志の口の端が釣り上がる。最高のニヤケ顔だ。下克上を決め込む快感がその表情から滲み出ている。

 少し距離を取った男は鼻血を親指で拭う。

「俺を目で追うとはなかなか見所のある男だ。その身成には似合わぬ力を秘めているようだ。やはりあの時の勘は正しかった」

「今更評価してんなよな。凡人すら置いていけないお前の技量が悪いんだぜ」

 颯志は男を容赦なく煽る。この場の主導権が明らかに移っていた。

 対する男はナイフを抜く。目付きも切り替わり獲物を狙うような鋭い目になっていた。

「ただの食い物ではないのだな。...名を名乗ろう。我が名はクロー・ベルナール。さてお前は?」

「こっからが本気ってことかよ。いいぜ。俺は藤村颯志。幸博の兄だ!!」

 その声で再び戦いが始まった。

 同時に駆け出すがやはり金髪にフードの男、クローは速い。颯志の一歩目ですでに目の前。一息の間もない。

 颯志は横凪のナイフをしゃがんで躱す。そのまま左前に転がり立て直す。クローはナイフの勢いのまま振り向き後方に回った颯志と再度、顔を合わせる。

(刃物と拳じゃ明らかに不利だ...攻めるにも守るにも武器が必要かよ...!)

 武器が必要と判断した颯志はひとまずクローと間合いを取る。クローも深追いはして来ない。颯志を甘く見ていないということだろう。

(武器を買ってからエンカウントしたかったぜ.....なにか武器になる物はないか...?)

 クローに注意しつつ周囲に武器のような物がないか目を凝らす颯志。しかしここには棒切れすら落ちていない。間合いを取りながら武器屋に駆け込むことも考えたが、拳じゃどうしようもないことが割れてしまうのと周囲に武器がある環境に入ると相手の手段を増やすことになるので断念した。

 颯志は辺りを見渡して考える。今できる最善手とは一体何なのか。

 そんなとき颯志は幸博を見た。不安そうな顔をしながら杖を強く握っている。

(.....!杖!あれだ!あれなら少し重いが少なくともガードはできる!)

 お互い間合いを測りながらじりじりと円を描くように歩いていた。その影響で颯志は偶然、幸博の近くに来ていた。

「幸博、その杖貸してくれ。それがねぇとまずいんだ」

 颯志は幸博の顔を見ることができなかった。目を逸らすとクローが攻めてくるかもしれないからだ。颯志は顔も見ないまま左手を伸ばした。

 幸博の不安そうな顔から少し覚悟が感じられた。その真っ直ぐな髪の毛が揺れる。

「分かった!兄さんに託すよ!」

「よっしゃ!任せろ!」

 幸博は颯志に杖を投げる。重いその杖を颯志は左手で受け取った。

 颯志は杖を両手でしっかり握ると正面に構えた。先端に嵌め込まれた青い宝石が応えるように光る。

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 颯志が駆け出す。応じてクローも床を蹴った。

 恐ろしく速いその黒い風が颯志の正面に現れる。颯志は反射的に杖を立てる。ガァッ!と杖がナイフを捉えた。

 ナイフを受け止めた颯志は右手を杖から離し殴る。しかし当然のようにそれは空振った。それでも颯志は動じない。目の端で影が移動していた。それはすぐにこちらを狙う。

「クソッ!」

 颯志は体を捻り、再びガードを合わせる。またナイフを受け止めるが体制が悪く殴れない。それならと颯志は右足で影を凪ぐ。しかし今回はガードされた後に掴まれた。

 自由を封じられた颯志にクローは畳み掛ける。右足を捉えたままクローが次に狙ったのは左足だ。自らの足で横凪ぎに颯志を狙う。

 颯志は蹴りを察する。狙われた左足を逃がすため颯志はバック転をした。左の足はオーバーヘッドキックのようにクローの顎を捉える。掴まれた右足はその勢いで解放され颯志は綺麗に回転し着地した。

「体が馬鹿みたいに軽い...!バック転なんて一回もしたことねぇのに成功しやがった!」

 颯志は元々運動神経が良い方だが特別スポーツをやっているわけではないので秀でてはいなかった。なんとなくできるぐらいでだいたいは中の上程度。そんな颯志がぶっつけ本番でバック転を成功させた。偶然でできるものではない。

 颯志が驚いているとき、クローもまた驚いていた。

(あの体制から正確に顎を捉える蹴りを飛ばしたのか...。やはり舐めてはかかれない相手のようだ)

 クローは混乱していた目線を再度、颯志に集中させる。目線に気がついた颯志も気持ちを入れ直す。

 そのとき、颯志は気づいただろうか。クローの右手に緑色の靄がかかっていたことに。

「いくぞッ!」

 杖を横持ちして突進する颯志。魔法でも防御でもなくその杖で相手に物理攻撃を仕掛けるようだ。颯志が強く握ると同時に先端の宝石が淡く光る。

 走り来る颯志をクローは待ち構えていた。なにか小さく呟きながら右の拳に力を込める。やはり緑色の靄が拳を包んでいる。

 クローの目の前で強く踏み込んだ颯志は杖を大振りする。鎌で切り裂くように横に一閃する。しかしやはり当たらない。杖を振ると同時にその影が消える。切り裂いたのは緑の靄だけ。

 それでは肝心のクローはどこへ行ったのか。

 それは宙にあった。

 杖に全力を込めた颯志には対応できない。

「凡人に使うものではないのだがな」

 その位置からクローは颯志の顔面に拳を叩き込んだ。その瞬間、拳を中心に突風が吹き荒れる。颯志は殴られた衝撃と正体不明の突風により吹き抜けへ体が飛び出した。しかし落ちることはない。颯志は高度を変えることなく物凄いスピードで対岸へ突き刺さった。

「兄さん!!」

 轟音と共に埃が舞う。

 幸博は急いで対岸へ向かう。しかし道は複雑で難解。足止めは免れない。

 クローは颯志が突っ込んだポイントへ飛ぶ。足にも緑色の靄が確認できた。影が飛び、もはや風にも見えない超速で着弾点に到着する。

「魔法を使うとは...俺もなかなか大人気ない。良き敵が潰れたな」

 その顔は冷たく鋭い。無よりも痛い。

 恐らくそこは店であった。店といっても客が出入りする場ではなく仕入れた物を保管しておくスペースのようだ。破壊された壁の破片と粉々になった木箱や散乱する光沢のある石。そしてその奥に埋もれる颯志。

「お前は潰すには惜しいが...生かすには危険すぎる...」

 そのブーツで床に散らばる有象無象を踏み、壊しながら颯志に近づくクロー。

「死に急ぐなら殺してやろう。死に気付かぬほどの一閃にて」


「兄さん!!」

 幸博は入り組んだ道を奔走していた。

 対岸へ向かうだけが恐ろしく遠い。目が後から追いかけるほどのスピードで吹き飛んだ颯志は物理的に遠い場所で沈んでいる。そしてここではその距離と共に迷路が立ちはだかる。

「あの、すみません!」

 そこで幸博は自分では埒が明かないと判断し周囲の人を頼ることにした。

 一番近くにいた金髪の女性に声をかける。

「僕!あの場所に行きたいんです!」

 幸博が指を指すと、

「分かった!着いてきて!」

 あまりにも簡単に協力してくれた。

 どうやらこの女性は颯志とクローの戦いに様子を見に来た野次馬のようだ。状況を理解しているので幸博の要望を汲み取ってくれたらしい。

 女性は幸博の手を取り駆け出す。少し走ると一分もしない内に到着した。

 女性に軽く頭を下げた幸博は埃が舞う店の中へ入った。

 どうやらカウンターの奥から埃は舞って来ているようだ。普段ならスタッフオンリーであるカウンターの奥へ幸博は足を踏み入れる。

 中に入ると三メートルほど前に颯志が倒れているのが見えた。潰れた木箱にもたれかかっている。

「死に急ぐなら殺してやろう。死に気付かぬほどの一閃にて」

 ナイフを構えたクローが颯志に接近していた。ブーツの音が部屋に反芻する。

「兄さん!!逃げて!!」

 幸博には声を出すことしか出来なかった。一石を投じることすら体が許さない。足が進もうとしない。目が他所に向かない。その声は幸博の最善手だった。

 クローは叫ぶ幸博を完全に無視していた。幸博を脅威だと感じていないからだろう。ただ淡々と颯志を睨み、歩を進める。

 幸博が叫んだ後には静寂が場を満たした。気を凝らす空気が部屋を支配する。

 その時、コンッと床が鳴った。


「.....うるせぇな」


 瞬間、床から壁を伝って天井までその場のあらゆる物が凍結した。

「なにッ!?」

 クローの足元、その立派なブーツが分厚い氷で包まれていた。ブーツだけではない。徐々に氷が伸びていき、膝辺りまでを飲み込んだ。

「氷ッ!?なぜ!!なにが起こった!!」

 クローはナイフを氷に突き立てる。しかし、膝下までを丸々捕らえているその氷は異常なほどに硬い。傷は付かない。精々、塵が飛ぶ程度だ。

「詠唱なしの魔法.....ッ!まさか『精霊の寵愛(エレメンタル)』か!?」

 クローが氷と格闘していると前方から木材が崩れる音が。

「おぉ...?なんだこれ...」

 本来なら今頃、殺しているはずの男が杖を頼りに立ち上がっていた。不思議なことに颯志の周りは凍っていない。

「誰かに...助けられた...?」

 この世界に魔法があることを颯志は知っている。しかし颯志は魔法についての知識を一切持ち得ていない。つまり、この状態は颯志によるものではない。

 颯志は体重を預けている杖に目を向けた。

 その先端は蒼い光を放っている。

「こんなに光ってたか...?」

 颯志は恐る恐る宝石へ手を伸ばす。その手が触れたとき光はより一層強くなり部屋の全てを飲み込んだ。

 余りにも強い光に思わず目を閉じる。瞼の内側ですら薄く青色を感じられた。

 その時、トントンと頭を叩かれた。颯志はゆっくりと目を開く。目が眩んで視界が安定しない。颯志は誰に叩かれたのかすら確認できない。

「やっほー少年!少年の熱い魔力で目を覚ましたよー。久しぶりの感覚だー」

 女性の声が聴こえた。爽やかで軽やかな聴きやすい声。

 徐々に視界が戻ってくる。目の前には白い足がワンセット。

「いやぁやる気になっちゃったなぁー。あそこまで揺さぶられたら我慢できないって」

 颯志は目線を上げていく。胸、肩と見上げていくと一番上には空色の髪を短く切ったネコ目の女性の顔があった。なんとなく彼女から冷気のようなものを感じる。

「やはりッ...!精霊...!しかしなぜ!どうして力のない男がこれほどの精霊を呼び出せる!?」

 彼女の後ろで氷に食われているクローが叫ぶ。

 その言葉が颯志には引っかかった。

「精霊...?」

 知っている単語だ。詳しくは知らなくてもどういったものか多少のイメージはつく。羽根が生えていて辺りを飛び回る。それでいて妖精より生物感が薄い伝説上の存在ぐらいのイメージ。

「そう、私は精霊。氷の精霊のシューク!よろしくー」

「あ、あぁ俺は藤村颯志。よろしく...」

 シュークが颯志に手を差し出す。颯志も応えるように手を握った。その手は驚くほど冷たい。しかし不思議と生を感じる冷たさだった。

「お前は一体なんなんだ...?」

 自己紹介された今でも颯志は彼女のことをよく理解していない。聞き慣れた単語とはいえ素人でも分かる魔法とは違う。我慢できなくて凍らせちゃいました私は氷の精霊ですと言われても颯志の現実とかけ離れすぎていてピンと来ない。

「んー...今はとりあえずあっちに集中した方がいいんじゃなーい?」

 シュークが親指で後方を指した。颯志が目を向けると緑色の靄を発生させるクローがいた。緑色の靄は魔力がそこにあるという証拠だ。足が動かない状態とはいえどんな魔法攻撃を仕掛けてくるか分からない。

「地元最強ぐらいでいきがっちゃってさぁ。しかも精霊に楯突こうなんて無謀としか言い様がないねえ」

 シュークはクローの方を向いてニヤリと口端を釣り上げる。シュークの手からは冷気が漏れていた。

 場の雰囲気が緊張する。

「颯志はちょっと下がっててー」

「颯志ってお前呼び捨てかよッ!」

 瞬間、二つの光が激突した。激しい閃光と共に衝突の中心点から突風が吹き荒れる。しかしその状態は長くは続かなかった。

 力の差は火を見るより明らかだ。

 クローが放った魔法はシュークの魔法に為す術もなく押されあっという間にクローへ魔法が叩き込まれた。

「があああああっ!!」

 余りにも激しい衝撃でクローを捕らえていた氷が弾け、その体は後ろへ吹き飛ぶ。氷の拘束から解放されたクローだがそれを良しとするシュークではなかった。

 床、壁、天井に新たな氷の波が走る。その波は吹き飛ぶクローを追い越し、そして回り込む。きっとクローは意識することもできなかっただろう。

 氷の波がクローの背後に壁を作る。次の瞬間、クローはその壁に激突した。肺の空気が全て吐き出される。後頭部を強く打つ。そうやって朦朧としていく意識の中でまたも氷が体を這い上がるのを感じた。今度は足だけではない。指先から肘へ、脇腹から胸へ、肩から首へ。あらゆる方向から体が拘束されていく。クローは霞む視界の中で絶望を感じていた。

「ゲットかんりょー。この子どうしますぅご主人サマ?」

 わざとらしい甘い声でシュークは颯志に尋ねた。どうする?は生かすか殺すかは任せた、という意味だろう。

「殺すわけにはいかねぇだろ。犯罪者になって逃亡生活できるほど余裕はねぇんだ」

 荒っぽい颯志だが殺人は選択できなかった。

「甘いんじゃないのー?自分を殺そうとした相手だよ?リスクは潰すべきでしょ」

「仕返しはお前にしてもらった。それで十分だ。あとは金取り返せばもう用事はねぇよ」

 颯志は首まで氷に拘束されたクローの前に立つ。クローは意識を失い目を閉じていた。

「おい、目ぇ覚ませ。まだ用事は終わってねぇぞ」

 クローは返事をしない。目を閉じたままぐったりと頭を垂れている。

「起きるまで待つわけにもいかねぇしな...」

 颯志は少し考えると、クローの頭を正面に向かせ頬にビンタを打ち込んだ。乾いた音が気持ちよく響く。しかしそれでもクローは目を覚まさない。

「...これは仕方ないよな」

 颯志は反対の頬にもう一発手の平を打ち込む。またもクリーンヒット。いい音が響く。しかしまだ起きる気配はない。

「なんか楽しくなってきたぞ...」

 颯志は遠慮なくビンタを連続で叩き込んだ。リズム良く音が鳴る。なんとなく、すっきりする。復讐したといってもそのほとんどはシュークの魔法によるものだった。そのモヤモヤには見て見ぬふりをしていたが、チャンスを目の前にぶら下げられて飛びつかないわけにはいかない。

「ははははははははははは!!身動きできまい!やっぱ仕返しは自分でやるもんだよなァ!!」

 颯志の中で何かが吹っ切れた。ビシバシとクローの顔を強襲していく。クローの頬は見るからに痛そうな赤色に染まっていた。少し腫れている気もする。

「うわぁ...潰せとか言っといてこういうこと言うのはあれなんだけど、あんたクズだね...」

「ストレスは発散できるときにしとかねぇと爆発してからじゃ遅いんだ!だから今はやらせてもらうぜ!」

 往復ビンタがクローを襲う。少し可哀想に見えてきた。

 ノリに乗った颯志が次の一発を打ち込もうとしたとき、クローがカッ!と目を開く。そして今にも頬を捉えようとする右手に思いっきり噛み付いた!

「あああああああああああああああ!!」

 予想外の攻撃。激怒したクローは颯志の手を離そうとしない。颯志はどうにか逃れようとするが手を動かすほど歯が擦れて余計に痛い。

 次の手に出た颯志は左の手でクローの頭をポカポカ殴り始めた。それでもクローは動じない。それどころか噛む力が更に強くなる。

「痛い痛い痛い痛い痛い!!離せッ!この野郎!バカ!アホ!」

 離すわけがない。このまま噛み千切らんとする勢いである。ギリギリと歯を立て颯志に一矢報いようとするクローだが、そこであるものに気づく。

 颯志の背後にそれはそれはおぞましいものがクローを睨んでいた。ドス黒いオーラが見えてしまいそうなほど覇気のある形相だ。

 その空色短髪は指をパキパキ鳴らし、両の手に冷気を集め始める。辺りの気温が徐々に下がってきた頃、青ざめたクローは颯志の手を渋々離した。

「あああー!やっと離したー!...うわ、くっきり歯型残ってる...」

 右手を労る颯志。自業自得、とも言い難いなんとも微妙な状態である。捕まえたからと油断したのが今回の原因ではあるが、ビンタはもしかしたら噛まれるかもしれない!と予測できる人間はいないだろう。

 そんな中シュークはまだクローに圧をかけていた。ビームでも出そうなほど鋭い眼光で「次は殺す!」と念を押した。さすがのクローも頷きまくっている。

「それで、あんたしなきゃいけないことがあるんでしょ」

 赤黒くなった指先に息を吹きかけていた颯志は思い出したようにクローを見る。

「そうだったな.....。とりあえず復讐って程でもないけどやり返しはもう済んだからもうこれ以上はやらねぇ。だからお前も突っかかってくんなよ!あとは奪った金を二倍にして返せ。それで俺は十分だ」

「なんか良い奴っぽく言ってるけどボコボコにしたあげく金を二倍にして返せってそこそこクズだよね」

「俺に手を出した奴が悪い!」

 ドン!と胸を張る颯志だがシュークがいなければ今頃は死んでいるのだ。とんだ薮をつついてしまったクローが気の毒だ。

「.....わかった。奪った分と合わせて六〇〇ゴールドをお前に渡そう...」

 危害を加えないことと金を返すことを誓ったクローは氷から解放された。シュークが指を鳴らすと魔法で作られた氷は全て弾け、空気に消えていった。

「よし一件落着!ってことで私は杖に戻るからー」

「ちょっと待ってくれ!」

 手を振って杖に戻ろうとするシュークを颯志は引き止めた。

「なんで、お前は俺を助けてくれたんだ...?」

 この杖の持ち主は幸博だ。持ち主だから助けた、というのは当てはまらない。かと言って颯志が助けてくれと頼んだわけでもない。

「言ったでしょー?颯志の熱い魔力が私を呼び覚ましたの。そのとんでもない魔力が気に入っちゃってさ!」

 じゃそーゆーことで、と手を振るとビュルンと杖の中に吸い込まれるように入ってしまった。

「とんでもない魔力...?俺は一体.....」

「颯志、着いて来てほしい。金はこっちだ」

 シュークが言った言葉。「とんでもない魔力」について考える間もなくクローに呼ばれてしまった。クローの服はところどころ破れていたり傷が入っていたりしたが体は無事らしい。そこで颯志は自分の体を思い出した。吹き飛ばされ、あちこちが折れていたはずだ。しかし、

「傷が...消えてる...?」

 颯志の体には怪我の後すらなかった。まるで先程までの戦いが夢であったかのようだ。

「言いにくいのだが、俺はこれから用事があってな。少し急いでもらわないと金を渡せなくなるんだ」

「あ、あぁすまねぇ...」

 部屋を出ると幸博が固まっていた。「兄さん!」と呼んだっきり声がしないと思ったら目の前で起きる超現象に腰を抜かしていたようだ。

「立てよ幸博。ほら、杖返すからさ」

 青い宝石がついた杖を幸博に手渡す。今回のMVPと言っても過言ではない代物だ。幸博は大事そうに受け取り、その杖を頼りに立ち上がった。

「...ありがとう!」

 その「ありがとう」には様々な意味が込められていたのだが、さて颯志は気づいただろうか。

 二人はクローの案内に着いていく。もし、またクローが襲ってきたとしても杖の中のシュークが助けてくれるだろう。幸博が高い金を払って杖を買ったのは結果的に大正解の選択だった。

「随分と寄り道しちまったな。次はちゃんと冒険者ギルドに行こうぜ」

「遠いって言ってたけど寄り道せずゆっくりね!」

 二人は拳を突き合わせた。

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