4 裏路地ダンジョン
藤村颯志は簡単に言うとブチ切れていた。理由は単純に自分と弟に危害を加えられたこと。颯志はあの圧倒的な戦力差を見てもブチ切れられる程には馬鹿だった。
一方、幸博はビビりまくっていた。幸博は襲撃者の影すら掴めていなかった。幸博が敵を見たのはあの男が石畳に着地してからだ。そんな見えない相手に喧嘩を売りたくはなかった。金が盗まれたとはいえ、幸博も金を握っている。取り返さなくてもまだまだ生きていけるのだ。
颯志は散らばった自分の荷物を余裕のある幸博の袋に詰め込んだ。さすがに二人分の荷物を詰め込まれた布の袋はサンドバッグのように張っていたがなんとか収まっていた。
「行くぞ!幸博!」
「いやいやあの人がどこに行ったかわからないでしょ!?」
「消えるとき、また黒い影が一瞬見えた。その影が行った方に行けば絶対いる!走るぞ!」
幸博の話なんて聞いていなかった。颯志は黒い影が走った方へ向かった。幸博は猛ダッシュする颯志を追いかける。
颯志が向かった道は軽い登り坂になっていた。先を見上げると、明るい。建物が密集していて薄暗かったこの裏路地で明るい場所が先にあるようだった。
「ちょっと!兄さん待ってー!」
「早くしねぇーとあの野郎が遠くに行っちまうだろ!」
颯志は登り坂を駆け上がり光を潜った。
そこは広場だった。
広場と言ってもそこまで広くはなかった。サイズ感で言うと野球場のダイヤモンドより少し大きいぐらいだ。
その広場の中心には枯れた噴水があり、更にその奥には広場を取り囲むように寂れた聖堂があった。
本来なら豪勢なゴシック建築の美しい聖堂なのだろうが古い建物だというのに管理が行き届いていない。というより管理されていない。聖堂の至る所に女性の像が立っているが、どれも雨の影響か灰色の汚れがこびりついていた。
「兄さっ...速いって...!」
ようやく幸博が追いついた。
「お前が遅いんだろ」
「いきなり走らないでよ...運動苦手なの知ってるでしょ!?」
「だって追いかけなきゃだろ!」
「まぁ追いつけたからいいけどさぁ...ってあれ?」
幸博はなにかに気がついた。
目の前に広がる広場には中心に枯れているとはいえ噴水があり、奥には聖堂。門番は教会と言っていたが、言い方の違いだと解釈すれば条件は充たされる。
「この近くにギルドがあるかもよ!」
「そういや噴水に教会...あるかもな...。でもあいつに一発入れねぇと気がすまねぇ...!ここで足踏みしてらんねぇ!」
「ちょっと冷静になってよ!あの速さじゃ僕達がどれだけ走っても足は掴めないよ...僕も兄さんも怪我はないんだし、お金だって僕の分があるしさ、これから気をつけるってことにしない...?」
幸博は颯志が激怒していることがよくわかっていた。それが幸博が危険に晒されたことによることも。しかし、幸博は心配を振り切った。ここで深追いしてもきっとなにも得られない。そう判断していた。
「俺はお前を心配してんだ...!あんなのに絡まれて、やられっぱなしじゃきっとまた狙われるぞ!またあれに出会したら...俺じゃお前を守ってやれねぇ!」
「じゃあ...追いかけたところで兄さんはあれに勝てるの...?仕返しして盗まれたものを取り返せかえせるの!?」
「ッ...!」
「危険を排除する方が危険だよ。今は危険にならないようにしようよ...」
その言葉に颯志はゆっくり頷いた。怒りを無理矢理鎮めて丸め込んだ。颯志は人の言葉を飲み込める程には大人だった。
少し経ち、ひとまず落ち着いた二人はギルド探しを再開することにした。しかし、幸博が気になっていたのは、
「この聖堂かっこいいなぁ...。ちょっと中に入ってみない?」
広場を囲うように建つ聖堂だった。
「観光に来てんじゃねぇんだぞ...浮かれてる場合かよ」
「でも、もしかしたらこの聖堂はアンデッド殺しの聖水とか配ってるかも!絶対行き得でしょ!」
颯志は幸博が行きたい理由がそれではないと分かっていたが、ギルドは近くにあるだろうし、スルーしたとしてもいつか行くことになるので幸博の希望を渋々飲んだ。
二人は枯れた噴水の横を通り過ぎ、この広場を取り囲むように聳え立つ聖堂の前に来た。
正面に立つと迫力が違う。寂れているとはいえ、細かい装飾や高い壁は威厳を放っていた。むしろその寂れ具合が不気味な雰囲気を匂わせており、より幸博の目を輝かせた。素材が良ければ腐っても味になるものだ。
二人は聖堂の大きな扉を押した。
中の空気が漏れだし、二人を包んだ。意外だったのはその匂いだ。
「っ...なにか焼いてるの?」
中から匂ったのは焦げ臭い匂い。その他には酒や汗、香辛料の匂いなどなどエトセトラエトセトラ。とにかく生活感を感じられる匂いだった。
原因は扉を開け放ったときすぐに分かった。
「なん...だこれ...」
「すごい...迷路なんてもんじゃない...」
目の前に広がっていたのは木材で無理矢理作られた居住空間や店だった。
縦にも奥にも広いこの聖堂は雨風を凌げる上に管理者はいない。それならと、住み始めた者がいたのだろう。そうやって住処にしていった結果、多くの人が住み着きいつの間にか一つのダンジョンのようになっていたということだと思う。
颯志が上を見上げると縦横無尽に駆け巡る木の通路が店と店、部屋と部屋を繋ぎ、一つの異空間を演出していた。柔らかな火の灯りと話し声に笑い声、食器が擦れる音や炒める音。賑やかで下品で、それでいて不快でない亜空間。薄暗い裏路地の救済地。
二人が入口で圧倒されているときもこの聖堂にたくさんの人が出入りしていた。屈強な男から小さな子ども、中には痩せた小型の獣までありとあらゆる住人や客がこの聖堂を利用していた。
そんな中、二人は誰かに話しかけられた。
「おっ、見ない顔だな。夜逃げでもしてきたか?」
話しかけてきたのは男だった。痩せているとも太っているとも言えないが腕や足が筋肉によって盛り上がっていた。髪はかなり短く、色は赤茶。顎には短い髭が生えていて、その髭がよく似合っていた。
「今日、この街に来ました。ギルドを探してたんですけど迷ってお金盗られてってしてたらここに着いてました」
「うわぁ...ロクな目に合ってねぇな...。可哀想だが俺も金はねぇから助けてやれねーぜ、すまんな。ところで探してるギルドってなんのギルドだ?」
「なんの...?」
幸博の中でのギルドはゲームそのままのイメージで、冒険者やハンターが依頼を受けて働いたり、ギルド内の酒場で盛り上がったりといったものだった。だからギルドはギルドであり、それ以外のなにものでもないのだ。
しかし本来はそうではないようで。
「ギルドって一言で言っても色々だ。職業の数だけそのギルドがあるからな。お前らが行きたいのはなんの職業のギルドなんだ?」
「あっ.....僕達、冒険者志望だから...多分冒険者ギルド...?だと思います」
「冒険者ギルド!?...冒険者ギルドって俺も行ったことはないんだがここからじゃかなり遠いぜ...。表通りに出てから馬車で一時間ってとこかな」
この世界にも馬っているのか...と颯志は思ったが変なやつと思われても嫌なので言わないことにした。
「一時間ですか...でも、そこまで急いでるわけじゃないのでゆっくり行ってみます!ありがとうございます!」
「おう!頑張れよ!じゃあな!」
幸博が聖堂を後にしようとしたとき、
「あぁ...。幸博、腹減った」
颯志がそんなことを宣った。
とんでもなく唐突だが歩き回って坂を駆け上がって、いい匂いを浴びて。今の颯志は人参を吊るされた馬のようなものだ。食うしかない。
「兄さん...状況わかってる?今はとにかく宿とギルド探さなきゃなんだよ!」
お前が言うか。
「でも急いでるわけじゃないんだろ?」
颯志は先程の発言を引っ張ってぶつける。幸博は怯む。
「...うっ.......それはちょっとずるい」
言ったことには責任を持たなければならない。急いでないと言ってしまったからには寄り道も許されなければならない。
ということで、聖堂ダンジョンで昼食(?)となった。
頭上には四方八方に伸び、絡み合う道と店。
「さっきのおっさんに案内してもらった方がよかったんじゃね...?」
「僕も思った...」
元は聖堂だったとは思えないほど、増築されまくった部屋や店が縦にも横にも上にも下にも広がっていた。利用する人々が自分が使いやすいように部屋も道も伸ばしていったからだろう。初見殺しにも程がある。
とりあえず二人はダンジョンに挑むことにした。一番近くにあったスロープのようになっている木の板から上に上がる。
登ってみるとここにははっきりとした階層がないことが分かる。足場と天井の間に別の足場が入り込んでいたり、足場と店の位置がズレていたりする。その関係でトラブルが起きているのか途中で道が撤去されていたり、撤去された上でまた道を作っていたりもする。秩序なんて存在しないのだ。
「おっ、テキトーに歩いてたらなんか飯屋の前に出たぞ!」
流れ着いたのは小さな店の前。その店は屋根がそのままどこかに繋がる道になっていた。
「なんか肉を焼いてるけど...何肉...?」
美味しそうな音と共に鉄板の上でコマ肉が焼かれていた。見た目は牛肉。先程話したマッチョな男性が「馬車」という単語を使っていたことからこの世界にも馬はいるのだろうがさて、牛はいるのだろうか。
「あのーすみません」
売ってるものなら食えるだろう、と幸博は体当たり的に話しかけてみた。
「おっ、食ってくかい?」
店主はヘラ...とはどこか違う道具で鉄板の上のコマ肉を行ったり来たり。使用用途はあまり変わらないようだ。
「二つでいくらですか?」
「一シルバーだよ」
「すみません、これしかなくて...」
幸博は袋から金貨を一枚取り出した。正直、幸博はこの世界の貨幣の価値を知らない。しかし、お金関係でもたつくと変に怪しまれかねない。
「はーい、毎度あり」
店主は金貨を受け取ると後ろにある入れ物からジャラジャラと銀貨を数え始めた。
「はい、お釣り九九シルバー」
どうやら一ゴールドは一〇〇シルバーと同じ価値を持つようだ。袋に銀貨を入れてもらったが、先程よりかなり重くなってしまった。
この様子だとおそらく紙幣はない。硬貨も小型とはいえなかなかかさばるので紙幣慣れしている二人には少々不便に感じた。
「じゃあ、アツアツを用意するからちょっと座っててねー」
幸博と颯志は料理をしている場所の横にある飲食スペースに通された。なかなかに繁盛しているようで奥の方にしか空席がなかった。
周囲を見渡すと外はまだ明るいというのに酒を飲み交わす男、男、男。この聖堂はあまり光を取り込む設計にはなっていないようなので灯りがなければ薄暗い。昼も夜も変わらないこの場所は住民の体内時計を狂わせているのかもしれない。
「路地裏の奴らは痩せてて行動力もなさそうだったけどさ、ここの奴らはゴツいし酒飲めるぐらいの金はあるんだな...」
「路地裏の中にも差はあるってことなのかな。この街って意外と闇深い...?」
「これだけデカい聖堂が宗教的に使われてねぇってのもちょっと怪しいな...。革命でも起こったのか?」
そんなことを話していると料理が到着した。
焼かれた肉がひたすら盛られただけの皿。しかし男は茶色が好きなのだ。二人はその甘辛い匂いと盛られた肉に目を輝かせていた。
颯志は用意されたフォークを掴むとさっそく食らいついた。
「いただきまーす!」
颯志も幸博も肉をフォークで刺し、次々に口に運んだ。
味を表現するなら牛丼のネタに近い。白米が恋しいがここでは食べられないようだ。
食感は明らかに牛肉なのだが、果たしてこの肉は何肉なのだろうか。店員が近くに来たので幸博は聞いてみることにした。
「あのー、すみませーん」
「はーい」
パタパタパタと足音をたてて店員が来た。
「この肉ってなんの肉ですか?」
「モルの頭の肉ですよー」
「モル...?」
どうやら牛ではなかったようだ。「モル」という生物がいるのだろう。それよりも少し気になったのは部位だ。頭の肉と言われてもいまいちピンと来ない。食感的にタンではないし頭のどこなのだろうか。
「モルをご存知じゃないんですか!...あっ、見てみます?」
「ちょっと気になる...じゃあお願いします!」
店員がちょっと待っててくださいーと、肉を焼いているキッチン(?)の方へ向かった。
「変なモンスターとかじゃねぇよな...」
「食べ終わってから見るべきだったかも...?」
もしグロテスクなモンスターだったら美味しいとはいえ食欲を失うかもしれない。リスクを考えて颯志は''モル肉''をかき込んだ。
店員が台車のようなものを押してこちらに来た。
「これですよー」
店員が近づいてからようやく見えた。
「おぉ...これは...なかなか...」
出てきたのはモルと呼ばれる生物の、皮を剥いだ状態の頭。シルエットは牛だ。しかし見た目は少し違う。角が耳の横にそれぞれ一本ずつと額の中央にもう一本。そしてなによりも衝撃的なのは目が一つしかないこと。二人は牛というよりモンスターというイメージを持った。
「うちでは加工場なんかでよく余るモルの頭部を安く買い取って肉を仕入れてるんです。肉を全部剥ぎ取ったら外にしばらく置いて細かい肉を小さな妖精に食べてもらって骨は洗ってから魔道具店や呪術道具店に売っています。無駄なものなんてなにもないんですよ!」
小さな妖精は魔力だけではなくちゃんと肉も食べるようだ。もしかしたら魔力を分解できるように進化した微生物なの類なのかもしれない。
「へぇ...」
ゴミも再利用する姿勢は素晴らしいが再利用先が呪術というのはいかにも裏路地らしい。サタン様を呼び出すときに使いますとか言われなかっただけマシだ。
モルの正体を知った幸博はモル肉をちびちび食べていた。やっぱり食欲を失ったのだろう。タコを知らない人間に実はタコってこんな見た目なんです、と紹介したら同じような反応をするだろうか。
「早く食べろよー」
「僕は今...モンスターを食べてるんだ...」
「これは重症だな...」
颯志は幸博が完食するまでスケジュールを考えることにした。
(ここは裏路地とはいえ生活に必要なものを売ってるはずだよな...。それならここで旅の準備をした方がいいかもしれねぇな。武器とか地図とか...新しくリュックも用意したいよなぁ)
ゲームのような世界とは言え現実だ。冒険や散策も言ってみればアウトドアなのだ。そこら辺の要領の良さは颯志の方が上だった。
(着替えとかもここで買うべきか?...でもここの服は安いだけな気がするんだよな。表通りに出れば服ぐらいは買えるか)
「兄さーん...」
考え事をしていると幸博が泣きついてきた。皿の上にはまだ肉が残っている。
「あー...わかったわかった...俺が食ってやるからちょっと離れてくんね?」
無理矢理幸博を引き剥がすと残った肉をさっさと片付けた。颯志はモルを見てもなんとも思わなかったようだ。
颯志が皿を空にすると二人は店を出た。後ろから店員が、ありがとうございましたーと言っているのが聞こえた。
こんな場所だが味もサービスも悪くなかった。繁盛するのもよくわかる。微妙にクリーンじゃなかったのはご愛嬌だ。
「これからどうしよっか」
「とりあえず俺とお前のリュックを買おう!そんなサンドバッグみたいなのじゃかっこ悪いだろ?」
「確かに、これじゃ冒険者っぽくないね」
二人はリュックサックっぽいものを探すため出発した。
街に入ったとき、リュックサックのようなものを背負っている人を二人は見たことがあった。ポケットがたくさんついていたがそれは確かにリュックサックだった。リュックサックの概念があるならどこかに売っているはずだ。
橋を渡ってハシゴを登り、ぐるぐると散策しているとバスケットやトートバッグが店頭に並ぶ店を発見した。
「ここで探してみようよ」
二人は店に入り、商品を見て回ると奥の方に大きめのリュックサックがあった。
本体は茶色の丈夫な生地でできている。側面にたくさんつけられているポケットは生地が違うようでベージュだったり濃い橙色だったりした。
店には同じものがちょうど二つ並んでいたので二人は顔を見合わせて、そのリュックサックをカウンターまで持って行った。
「いらっしゃい、そのリュックサックを欲しがるなんて冒険者志望かな?」
頬に目の刺青を入れた女性が対応してくれた。
「はい。とにかくデカいのがよくて、置いててよかったです」
「そうだよねーとにかくデカいよね。いやあ大きく作りすぎちゃってさぁ、半年ぐらいずっとそこにあったんだけどさぁ買い手がついてその子もよかったよ」
そんな会話を済ませ、お金を払うと二人は次の準備をすることにした。しっかり背中には大きなリュックサックを背負っている。さすがにこのサイズだと少し高い買い物になるようだが、金の価値が未だよく分かっていない二人はなんの躊躇いもなく金貨を渡していた。
「兄さん次は?」
「正直、ここに長居する気はないんだけど武器とかは多分表通りよりここらの方が凶悪そうだし買っていこう」
「凶悪さで武器選ぶの趣味悪いよ...」
呆れる幸博だがここは元いた世界とは違い身を守るためではなく殺すために武器を振るう。護身用のスタンガンレベルでは街の外で生きていけない。魔王討伐なんて夢のまた夢だ。
二人はこの店を見つけるためにかなり登ったため、次は降りて武器屋を探す。
登ってきたときとは別のルートで降りようと道を探していたら下に降りる階段を見つけた。聖堂の壁に階段の足場が直接固定されていた。
二人が階段を降りると不思議な雰囲気の店があった。雑貨屋と言ったところだろうか。よく分からない置物や色鮮やかなアクセサリーが置いてある他、ストールや瓶詰めされた葉っぱが並べられていた。
「こういうとこってちょっと面白そうじゃない?」
「そうか?」
「もしかしたらヤバいアイテムとかあるかも!高くても今の僕達なら買えるし!」
「まぁ...雑貨屋ならなんかあるかもな」
補足しておくと颯志の言う''なんか''はトンデモアイテムではない。とりあえずランプとか食器とかそういうキャンプに使えそうな物を指している。
二人は雑貨屋に入るとひとまず別行動することにした。颯志は冒険に必要なものを、幸博は封印されしなんやかんやを探す。
颯志がまず気になったのは店頭に並ぶ瓶詰めの葉っぱだ。
「気になってたんだがこの瓶詰めされてる草はなんなんだ...?」
「やぁお兄さん。それ買っちゃう?」
いつの間にかそこには女性がいた。服装を見るに店員のようだ。
「いや、別に買う気はないんだけどなんなのかなって思って...」
気配もなく現れた女性に少し驚きながらも颯志は質問に答えた。この女性、少しやつれているように見える。
「これはね、幻術の薬草だよ。砕いて吸ったり炙って吸ったりすると幻が見えるんだ...珍しいでしょう?」
店員の説明に、あっこれヤバいアイテムだ、と颯志は瞬時に理解した。目の前のおねいさんも乱用しちゃってるのだろうか。こんなものは異世界にあってほしくなかった。
「幻術はまだ早いかなーなんて、あははは...。俺は食器とかランプとか旅に使えそうなもんを探してんだけど置いてる?」
ブツを乱用していらっしゃるおねいさんは少し考えると颯志を案内してくれた。キメているだけで症状は出ていないようだ。
「こんなのはどう?」
案内されたのは縁に細かい装飾が施された銀の皿や黒い鍋が置いてある料理器具や食器のコーナーだった。こんな場所には似合わない美しい食器が多く並べてあり、周りと比べると少々浮いていた。
「これ、やけに綺麗でしょう。ここからかなり北の方にある『ミラトリア』っていう魔術大国から取り寄せてるんだ。だから食器一つ一つが魔道具だって可能性も否定できない。私はそういうの分かんないからとりあえず食器として売ってるけどね。それでも買ってみる...?」
颯志は悩んだ。食器としては当然使える。しかし、まだ魔術についてよく分かっていないのに魔道具かもしれないものなんて買っていいのだろうか。変な魔法が飛び出したりしないだろうか。
「うーん...まぁでも所詮食器は食器だし使えるよな...」
正直、颯志は面倒だった。目の前に使える食器が揃っているのにわざわざ別のところまで買いに行くことが。まだ魔道具と決まったわけじゃない。それなら別にいいんじゃないか、と考えた。
「買うわ、ここ一式」
「はい、まいどー」
そんなとき幸博はアクセサリーを見ていた。ネックレスやブレスレットの中に物凄い魔道具があるかもしれないと思ったからだ。
「いらっしゃい、君はアクセサリーが好きなの?」
店の奥から店員がやってきた。ストールを手に持っていたので商品を整理している途中だったのだろう。
「いやっ...そういうわけじゃないんですけど、なんか凄いものないかなあって思って...」
ネックレスに何か封印されてないか見てました!とはさすがに言えない。返答は曖昧なものになってしまった。
「凄いものって言われてもなぁ...この店の物って基本輸入してるから私もよく分かってないんだ...ごめんね」
「あぁそうなんですか...。そうだ、ここって魔道具とかありますか?」
颯志はゲームに明るくないのでとにかく旅をすることを重視するが、幸博はゲームを知っているのでこういう世界がどういうものか理解したつもりでいる。だから、形から入ろうとする。
「魔道具か...そういえばどこから輸入したのか分からない杖があるんだけど見てみる?」
「はい!」
幸博は店の奥へと連れられた。
案内された先には大事そうに壁に飾ってある杖があった。
二本の親指より少し太いぐらいの太さの木が捻れ合い、一本になっている。先端には菱形の青い宝石が木に絡まれるようについていた。
「すごい...」
「これが魔道具なのかは分からないけど、この宝石だけでも一〇ゴールドはするから壁に飾ってるの」
「一〇ゴールド...!?やっぱ高いですね...どうしよう...」
いかにもな杖に目を輝かせていた幸博だったが一〇ゴールドという値段には驚いた。金の価値が分からないとはいえ、渡された金額と比較すれば高い買い物になることは分かる。
「私には分からないけど、レアもの好きの店長が大喜びで飾っていたからきっとなにか凄いものなんだと思うよ。この宝石、暗くすると分かるんだけどほんのり光ってるの。自然石じゃこうならない。なにかしらの力が宿ってるのかもね。どうする?」
店員が話せば話すほど幸博は惹かれていく。買えない金額じゃないし買ってもまだお金はたくさんあるし...と幸博を悩ませる。
そして幸博はこんな結論を出す。
(あっ!この杖で強い魔法使いまくってモンスター狩ればお金になる!高い買い物だけどその分効率が上がるなら損はないよね!)
幸博の気持ちは固まった。
「この杖買います!」
「はい、まいどー」
店員が飾ってある杖を降ろすと杖は幸博に手渡された。持ってみるとその重さが伝わってくる。ちょうど幸博ぐらいの長さの杖なので振り回すのは少し厳しそうだ。
「いやーそれに買い手がつく日が来るとは思ってなかったよー。こんな場所だし、お金持ってる人なんてほとんどいないから。あ、でもさっきめちゃめちゃお金持ってるお客さんが来たなぁ」
他の客の情報をあっさり話してしまう辺り、少し店員としてまずい気がするがそれをいちいち気にする人も周りにいないのだろう。
「どこかで見たことあるなって思ってたら、その人はなんと.....!有名人のクロー・ベルナールさんだったの!」
店員は興奮気味に話しているが幸博にはピンと来ない。
「あれっ知らない!?盗人界のスペシャリストだよ!?」
盗人界だなんてはた迷惑な界隈もあるらしい。盗人ギルドとかもしかしたらあるかもしれない。
「いや.....僕、今日ここに来たので全然知らないんです、ごめんなさい」
「あ、そうなの!?じゃあ仕方ないかー。話に付き合わせてごめんね、カウンターまで案内するね」
店の奥から連れられてカウンターまで来た。大きなリュックサックが商品棚を掻き分けた。
カウンターの前で颯志と幸博は顔を合わせた。お互いがお互いの持っているものに釘付けになった。
「兄さんそんな高そうなやついっぱい買うの!?言っとくけど僕のお金だからね!」
「いやいやお前だってなんだよそれ!魔法使いの杖みたいじゃねぇか!」
「その通りだよ!」
颯志が何を言っても使うのは幸博の金なので制止はできない。
結局、料理器具や食器は旅に必要ということで購入。そして魔法の杖も幸博が欲しい物なので購入。合計で三二ゴールドになった。
「は!?お前その杖三〇ゴールドもすんのかよ!?アホか!?」
「こういうのは序盤から持ってる方がいいんだよ!兄さんには分かんないだろうけど!」
幸博は魔法使いのように右手で杖を掲げると一人、悦に入っていた。
何を買って、何を成して、そうやってどう転んでも仕方ない。これは幸博の物語なのだから。
「.....じゃあ次行くか」
「うん!なにかあったらこれで兄さんを守ってあげるよ!」
「お前まだ魔法とか使えないだろ、ただの鈍器じゃん。撲殺しかできないじゃん」
いまいち納得のいっていない颯志。しかし、弟に色々と奢ってもらってしまったので今は刃向かえない。
二人は次こそ武器屋に行くことにした。行き当たりばったりではなく、さっきの店員に武器屋までの道を聞いている。
ちょうど店の裏にあるはしごを降りたらすぐ目の前にある一本橋を渡って対岸へ。二人は対岸に足をつけると次は右に向かう。大小様々な蝋燭が立つ回廊を抜け、カーテンを潜る。その先には白い馬のタペストリーが飾られていた。そこを左に曲がる。すると目の前には上に上がる階段が。
「店員によるとこの上が武器屋らしい」
「僕も武器買った方がいいかな」
幸博は杖を眺める。
「杖があるとはいえ、どこでも振り回せるわけじゃねぇし一応ナイフみたいな軽いやつ買っとけよ」
「まぁそうだね」
幸博はまだ魔法を身につけていないので杖だけでは身を守れない。なんなら幸博には杖を振り回せるほどの筋肉がない。ナイフでもあれば気休めにはなるだろう。
二人が話しているとコンコンコンとブーツの音が聴こえてきた。他の客が階段から降りてくるようだ。狭い階段なので二人は客が降りてくるのを待つことにした。
コン、コン、コン。ゆっくりと降りてくる。階段の周りは不親切に灯りが少なく薄暗い。すぐ横の吹き抜けからほんのり刺す光がありがたい。
颯志はその人間を見た。軽く覗いたつもりがいつしか凝視していた。
「あいつ...!」
知っている。その人間を颯志は知っている。
くすんだ金髪にフード。痩身のその男を。