2 スタートダッシュ
颯志はずるずると引き摺られていた。
道の上を引き摺られているのだが、動物に荷車を引かせるぐらいの文明レベルしかない世界の道が舗装されているわけもなく、アスファルトはないにしてもアッピア街道ぐらいの道は...と思ってもこんな辺境がローマに通じているわけもなく、草がちびちび生えている土の道に颯志は二本の線を引く形になっていた。
「ほら...あの神の使いのねーちゃん、まだ手振ってくれてるぜ」
颯志がずっと見ているせいで彼女は立ち去れないでいることを本人は知らない。ついでに颯志は手まで振っているので手を振るのも止めることができない。止めないのではなく止められないのだ。
「そろそろ自分で歩いてくんないかな...」
幸博も兄を引き摺るなんてギャグ漫画のようなアクションを持続させられるほどフザケ体質ではない。
「うーん、この角度で引き摺られてると靴に土がモリモリ入ってくるんだよな...」
「じゃあ普通に歩けば!?」
「いやでもこの土が結構ひんやりしてて気持ちいブゴハッ!!」
「あ、ごめん。普通に疲れた」
「だからって兄をポイ捨てしなくてもよくない!?」
ポイ捨ては犯罪なんですよ!と颯志は訴えるがこの世界でも果たして犯罪なのか定かではない。というよりこの場合、ポイ捨てより育児放棄という言葉が当てはまってしまうのがこの兄弟、いや藤村颯志の残念なところだ。
ポイ捨ての話題が移り変わりもしない内に街の入口のような半月型の門の前に着いた。
門前には銀色の鎧を身につけた戦士のような格好の人間(顔が見えないので確実に人間だとは言いきれない)が二人立っていた。二人で会話をしている様子が見て取れるので単なる置き物ではないのだろう。
「ねぇ兄さん」
「んー」
「あの鎧の人って普通に見張ってるだけだよね...旅中盤に出てくる強めの敵モブとかじゃないよね」
「人里に昼間っから敵なんかいるわけねぇだろー。さっさと通してもらおうぜ」
後頭部についた土を払いきれていない颯志は頭から砂を降らせながらスタスタ歩いていった。警戒していた幸博もそれに着いていく。
少し近づくとおしゃべりしていた防人も歩いてくる二人に気づいたようで堂々とした直立不動のお仕事モードに切り替えていた。
「こんにちは、旅の方ですか」
フルフェイスの銀鎧の中から声が聞こえた。特別若いわけでもなく、かと言って老いているようでもない大人な男性の声だ。
「はい、ここにしばらく滞在しようかと考えてます」
鎧の男に答えたのは幸博だ。
警戒していた幸博だったが相手が人間だと分かれば、あとはNPCとの会話と何ら変わりないのだろう。
「身分証はありますか」
こんな質問でも幸博にとっては、はいといいえの二つのコマンドが見えているのだ。
そのまま幸博と颯志は鎧の男に身分証を渡した。
二人の身分証をみた鎧の男が口を開く。
「あぁ...ノーシュ村の出身ですか。先月は大丈夫でしたか」
幸博は硬直した。
先月は大丈夫でしたか?
そんな質問を僕達にするのは反則じゃないか!?
書類上、藤村兄弟は「ノーシュ村」の出身になっているらしい。それ自体に問題はないのだが、件の「ノーシュ村」ではなにかしらの大事が起きたというのだ。
そんなことは異世界に来たばかりの人間が下手に答えていい質問ではない。はい、いいえの選択肢で答え続けてもいずれボロが出る。ボロが出て、偽装した身分証だと思われてしまうと最悪街に入れないかもしれない。
そのとき、幸博はある一言を思い出した。
「こちらで三〇〇ゴールドとメルド用の経歴を作らせていただきました」
こちらでメルド用の経歴を作った...。
つまりこの出身地を指定したのは神とその一派。あえてこんなことをするのはあの自称神しかいないだろう。
またもや面白そうだから、と高校生みたいなノリで小さな窮地に追い込まれた。
(くっそおおおおおお!!あの自称神いいいいいい!!)
温厚な幸博も軽いノリで他人の異世界人生をこねくり回す『神様』に敵意を抱いた。このムカつき方はソシャゲのゲーム性に文句を言っているときと似ていた。
(屈するわけにはいかない...!神様に遊ばれるわけには絶対にいかないんだ!)
そう決意した幸博はぺぺぺっと迫真の表情を形成し、鎧の男の頭部を見据えた。
「えっ...!ぼ、僕の村になにか起こったんですか!?」
次の一瞬、静寂が訪れた。
幸博の毛が逆立った。
(さ、さすがに厳しいか...?だって生まれ故郷のことを全く知らないなんて絶対おかしいもんなぁ...!くそ...こんなイベントいらないんだよあの自称神の白髪が...ッ!)
この二人のフルフェイス銀鎧を掻い潜らなければ、異世界生活のスタートはモンスターまみれの野宿になる。文面からわかる通りGAME OVERやらYOU DIEDは不可避である。
開始一日目の夜で食い散らかされあの自称神の元に蜻蛉返りをかました暁には彼女の鉄仮面もたちまち緩んで耐え難い嘲笑を浴びせられることになる。そんなことになっては天国に行く前に地獄を見る。もはや幸博はモンスターより自称神から受ける恥辱を恐れていた。
幸博が勝手に戦慄していると、軽く除け者にされていた颯志が話し出した。
「なぁ幸博、俺ら異世界に今日初めて来たよな...?お前なんでそのなんとか村に食いつい
「あああああああああ!!そうだね!!アリュナには今日初めて来たよね!!」
「あれ...今そこの君のお兄さん?がなんとか村って...。本当にノーシュ村の出身なのか...?」
「ああああっ!えっと!僕と兄さんは生き別れの兄弟で!生まれはノーシュだけど兄さんだけ違うところで育ちました!そして最近、再会しました!!」
「幸博お前なに言って
「兄さんは黙ってて!!」
幸博は鬼の形相をしていた。ああ、これは本気と書いてマジと読むやつなんだなと颯志は思った。
「おいダンゲル大丈夫か?手こずってるようだが」
幸博が声を荒らげたのが気にかかったのかもう一人の兵士も呼び寄せてしまった。
そのことに一番驚いたのは幸博だ。
(やばいやばいやばいやばい!どんどん警戒レベルが上がってくよ...!もう強行突入しちゃうか?いやいやそんなことしたら警戒どころじゃない、手配度が上がっちゃうよおおおお!)
そんなときパニック状態の幸博を救ったのは兄である颯志...ではなくもう一人の方の鎧の男だった。
「ボウズ、一旦落ち着け。俺らも悪魔じゃねぇからさ、ちょっと身分証違うぐらいで丸腰のあんたらを追い払ったりしねぇよ」
「まぁバルムはそう言ってるがもし身分証を偽ってたら泊まるのは宿じゃなくて檻の中だがなぁ。はっはっはっはっ!」
幸博はモンスターの餌になる心配が消え胸を撫で下ろしたが疑いが晴れない限り社会的に死ぬことに気がついた。この世界では罪人がどういった扱いを受けるのかわからない。現代社会のような仕組みが魔法とか魔獣とか魔法生物とか言っちゃってる世界にあるとは思えない。「罪人は一生奴隷です」なんて言われてしまうかもしれないのだ。
「あー、しゃあねぇな」
そう一言呟き、幸博の肩に手を置いたのが今度こそ兄、藤村 颯志だった。
「ちょっ、兄さんは引っ込んでて。僕に任せてよ」
「アホか。俺は野宿もお縄も嫌なんだよ。お前に任せてもディナーとベッドが見えてこねぇ」
そう言うと幸博に代わって颯志が前に出た。
「弟がゴタゴタうるさかったな、すまねぇ。俺ら長旅で疲れてんだ。さっさと通してほしいんだが」
颯志はギロリと鎧の男の片方、バルムと呼ばれていた方を睨んだ。
「あ、あぁそうだな。別に君達の邪魔をするつもりはなかったんだがノーシュ村のことが気になってな」
「俺も弟も育ちはノーシュじゃねぇ、親もとっくに死んでんだ。ノーシュの話はよく知らない」
颯志はこれまでに得た情報を整理し利用した。幸博の話、両親は死んだことになっていること、多くを語らずともメルド人っぽさを演じた。
「そうか...悪いことを聞いたな」
「もう何年も前のことだ。気にすることないっての」
颯志は笑顔で返した。颯志が意図していたことではないが睨まれた鎧の男バルムはその笑顔にほっとしていた。ベテランの彼が颯志に慄いていたわけではない。若者に剣を抜きたくなかったのだろう。
「通してくれてありがとな」
「それが俺らの仕事さ。ところでこれから君達はどうするつもりなんだ?」
「あー...」
「住民希望か?それとも冒険者?」
「あぁそうそう!冒険者だ冒険者!今からギルドに行くんだよ場所教えてくんねぇー?」
ギリギリの返答だがなんとか食い繋げたらしく、
「ギルドなら街の中心に噴水のある広場があるんだが、そこから教会の方へ向かうと見えてくる」
とギルドの場所まで知ることができた。
颯志と幸博はギルドまで向かうことにした。
アリュナの街並みはヨーロッパのどこかにありそうなレンガ造りの建物ばかりだった。海外に行ったことのない二人は西洋っぽいと感じるだけだったがそのレンガは幸博達がいた世界で言うフランス積みになっていた。
「ねぇ兄さん」
「どうしたー」
「さっきはありがと。やっぱここはゲームとは違うよ」
幸博が少し俯いて話した。
「それは困るなぁ」
颯志のその一言に幸博は疑問を持ったらしく
「どういうこと?」
と返した。
颯志はすぐ返答した。
「俺はこの世界がどうとかよく知らねぇけど幸博はゲームとか本とかで知ってんだろ?俺はそういうお前を信用してる、頼ってる。だからゲームと違ったら、俺は何を頼ればいいかわかんねーだろうが」
「兄さん...」
俯いていた幸博は顔を上げ、その表情は晴れやかだった。
「ったく...。街に入れたぐらいで喜んでんじゃねぇーよ。魔王倒すんだろー」
「そうだね!そして早く元の世界に帰ろー!」