1 救済処置
手を伸ばした。
しかし、伸ばした手はなにも掴むことはなかった。
後頭部から落ちていく。電車だって来ている。
近づく死の実感が信じられなかった。ゲームでなら、何回も死んだことがある。死はどういうものかすらだいたいの感覚は分かったつもりでいた。
―それなのに。
「兄...さん?」
まさか自分が死ぬなんて。
世界から音が消えた。あるとするなら耳鳴りのような突き刺す音。
電車がすぐそこまで来ているのが分かった。人生で走っている電車を正面から見る日が来るなんて。とはいえ、その人生も今この瞬間に終えようとしているのだが。
幸博が線路上に落ちるより先に電車が幸博を襲った。
―遠くから声がする。
未だ浮遊感に包まれている体はなんとも言えない吐き気を煽る。走馬灯がついに時間停止の域にまで達してしまったのだろうか。
それならこの声は?
幸博は目を覚ます。それと同時に浮遊感が消え、落ちるような錯覚に一瞬陥った。
「ここは...?」
声が出る。そして寝転がっている。なによりも意識がある。
「さっきのは…夢...?」
ゲームを買いに行って、帰りに電車に轢かれる。平凡な生活をしていた幸博には非日常すぎる。
「僕は...死んだはずじゃ...」
体を起こし少し考える。
そして、幸博は思い出したように脈を確認した。手首を親指で圧迫する。
「...」
普段なら脈があるはずの場所を圧迫しても脈を感じられない。脈が見つからない。
それならと、幸博は直接心音を確認することにした。胸に手を当て、心臓の鼓動の有無を確認する。もっとも、鼓動がないのに意識があるはずがないのだが。
しかし。
「心臓が動いてない...!?」
矛盾が生じていた。普通の世界なら初期設定として心臓の鼓動=生なのだ。そのはずの鼓動が、ない。それならなぜ、幸博は意識を持ち、声も出せているのか。
「お目覚めになりましたか」
居眠りのように気がつくとそこに人がいた。
「こちらでございます」
その人間は幸博に頭を下げるとそのまま手で進行方向を示した。その人間は金髪で黒のタキシードを着ていた。
よくよく見るとこの場所にも見覚えがない。
自分は極黒の飲み込まれてしまいそうな大理石の上にいた。ひんやりとした大理石は心を不安にさせた。
ここは広い部屋のようになっているらしく幸博を中心に円形の床が広がっていた。しかし、壁は確認できなかった。壁の代わりとしてあるのは柱。一定の間隔を開けて柱が立っていた。その向こうは暗くてよく見えない。「その向こう」が存在しているかすら定かではない。
柱に沿って上を見上げていくと天井はそこになかった。
霧のような黒い靄が幸博の頭上を漂っていた。
「...こ、ここはどこなんですか」
幸博はいつの間にか立っていた人間に聞く。顔を見たところ男のようだ。
男はわざとらしい笑顔を浮かべていた。
「ここは死後の世界です」
抑揚のない平坦な声で答えられた。
その男の異常性に少し気を取られてしまったが男は確かに「死後の世界」と答えた。
「し、死後の世界...」
やはり幸博は死んでいたということになる。
「えぇ。死後の世界です。天国だとか地獄だとかはこれから決めます。あなたは今から神様とお話しなければなりません」
「...お話というのは具体的にどんな...?」
「対話にはならないかと思われます。天国行きか地獄行きかそれについて神様が軽くお話しされます」
エンマ大王的なことをするのか、と幸博はテキトーに結論づけた。
「立てますか?」
金髪の男は手を差し出してきたが、幸博はそれを制し、床に手をつきゆっくりと立ち上がった。
足もしっかりしているし、背筋も伸びている。死んだという感覚はやはり一切なかった。
「それでは案内します。着いていらしてください」
わざとらしい丁寧語が鼻につく。幸博は飲み込めない現状に困惑しながらも着いていくことにした。
奥が見えなかった柱の向こうへと歩いていく。近づいてみても、奥は見えず暗い霧が立ち込めていた。足元すら見えない中、男は容赦なく進んでいくので幸博は単純な不安に苛まれていた。
「ここ大丈夫なんですか…?先とか見えないんですけど…」
「安心してください。神様はこの先に居られます」
男は後ろも見ずに答えた。
「そ、そうですか…」
それ以上は聞いても無駄な気がした。
しばらく歩くと光が見えてきた。
男は急に立ち止まり指を差した。
「あそこですよ」
幸博は男の背中に激突していた。原因は男の急ストップ。
「あぁ、そうですか…」
「あと少しです。着いてきてください」
男は再び歩きだした。幸博もその後ろを歩く。
五〇メートルは離れているように見えたがその光は幸博の想像よりも早く近づいてきた。周囲が暗いせいで距離感覚が狂っていたらしい。
幸博は光の中に入った。
「うっ...眩し...」
「ようこそ」
幸博はゆっくりと目を開く。
「キミが藤村幸博君だね?...と、言っても私がキミを招待したのだから確認なんて必要ないのだけれど」
眩んでいた視界が徐々に本来の明るさに戻っていく。それと同時に声の主の姿も見えてきた。
「あなたが神様...ですか?」
「その通り」
『神様』はこの部屋の中心にある大きな椅子に腰掛けていた。RPGなどでよく見かける王座のようなものだ。
そんな『神様』は女性だった。少なくともそう見える。灰色の髪がところどころに混ざった白髪をそのままおろしていて、横髪が組んだ足に垂れていた。目はくっきりと大きく色はヘーゼル。
椅子の肘置きに肘をつきながら頬杖をしている。ひらひらとしたレースの髪飾りが手の甲を撫でていた。
彼女の潤った唇が開く。
「キミは本当に不幸だったね」
「...はい」
「キミが死んだとき周りでなにが起こっていたのかキミは知っているのかな?」
「いえ、全く...」
「わけも分からず巻き込まれて死んだわけだ。それじゃあ気持ち悪いだろう。私としても霊体として残ってもらっては困るのだ。この際だ、あのときの状況を話そう」
『神様』は足を組み直し、頬杖をやめ両手を膝の上に重ねた。
「私ばかり座っていてはキミに失礼だな。椅子を出そう」
彼女は人差し指を出した。そして、それをフッと軽く上に動かす。
すると、幸博のすぐ後ろにソファが現れた。三人掛けのグレーのソファだ。
幸博がその現象に身を固めていると彼女がまた喋りだす。
「私は神様だからな。ここの空間なら自由にする権限があるのだ。まぁ、どこでもこんなことはできるのだが、神様なんてものは大体の奴がこんな力を持っているもんでね。一種のルールみたいなものさ」
彼女は人差し指を引っ込め、膝の上にまた置く。
「それでは本題に入ろうか」
幸博はソファに座ってはいたが、深くは座れていなかった。くつろげる雰囲気ではない。
「あのとき、あの街に通り魔がいたのはキミも知っていただろう?大きくニュースになっていたからね。キミが巻き込まれたパニックの原因はその通り魔だ。駅のホームに刃物を持った通り魔が現れて、周囲の人間はパニックを起こしたというわけさ」
真実を知り、幸博は俯く。膝に肘を置き、両手を組んだ。
「不幸な死と言うやつだね。キミは電車に轢かれ、頭はぐちゃぐちゃ。腕は十メートルぐらい吹っ飛んだそうだ。お兄さんも悲しんでいたよ」
幸博は「お兄さん」という言葉に顔を上げる。
「兄さんは...今どうなってるんですか」
手を伸ばす颯志が幸博の脳裏に浮かぶ。
『神様』は表情を変えず言葉を返す。
「お兄さんかい?キミのお兄さんはホームに蹲っているよ。魂が抜けたみたいにひとつも動かずにね」
「そんな...」
颯志がそんな状態になっていることを知った幸博は罪悪感に包まれていた。兄の手を掴めず、死に、兄の精神を壊した。全て自分のせいだと幸博は頭を抱えた。
「よく似た兄弟だ。絶望する姿まで同じとはね」
彼女の言葉は決して死者を慰めるような言葉ではない。淡々と気持ちを汲むことなく話しているだけ。
「とりあえずそのことは置いてくれないか。話が進まないんだ」
迷惑とでも言うように彼女は再び頬杖をつく。
「...」
頭を抱えたままの幸博を尻目に彼女は話を続ける。幸博が話を聞いているかすら、彼女にとってはどうでもいいことらしい。
「キミは生きている間、大した罪を犯していない。つまり天国に行くことができる」
幸博はゆっくりと顔を上げる。
「キミは天国行きを望むか?もし希望するなら地獄に送ってやることもできるが」
幸博はブンブンと頭を振った。自分から地獄を選ぶようなことは誰だってしないだろう。
「まぁ、そうだろうな。...しかし、人によっては天国こそ地獄だと言う者もいる」
幸博には全く意味のわからない言葉だった。天国は地獄だとすると死者に救いはないことになる。
「それは...どういうことですか?」
「簡単に言えば天国は暇なのさ。スマートフォンもないし、ゲームなんてあるはずもない。本ぐらいはあるが漫画はないし、キミ達がよく読む...あのーなんだったか…ラ...ラなんとか」
「…ライトノベルですか?」
「あぁそうそれだ。そんなのもない。そして天国ってのは善人の楽園だ。つまり天国で悪事を働けば追放、地獄行きさ。要するに天国は決められたルールを永遠に守り続けなければならない暇な楽園。どうだ?ある意味地獄だと思わないか?」
『神様』は頬杖をついていた手で笑みを隠す。皮肉が好きなのだろうか。
幸博は天国の実情に衝撃を受けていた。そんな場所に行ったところで毎日寝るだけの生活になってしまいそうだ。
「どうにかならないんですか…もう死ねないのにずっと暇だなんて嫌です」
『神様』はさらにニヤける。嫌な顔だ。
「だから地獄に行くかと聞いたんだ。血の池とか針山とかアトラクションばかりで意外と楽しいかもしれないぞ?」
そんなはずはないと幸博は思っていた。苦しみも痛みもなるべく欲しくはない。
「地獄は...嫌です」
すると『神様』は口元を隠していた手を膝に置くと、
「それでは第三の選択だ」
少し前屈みになって幸博にそう言った。
「第三の選択...ですか?」
幸博は予想していなかった提案に驚く。天国、地獄、そしてそれとも違うなにか。幸博の曲がっていた背中が伸びる。
「あぁ、第三の選択だ。それは...」
幸博が唾を飲む。救いのない生活はしたくない。全てはこの提案にかかっている。
『神様』のニヤけ顔も最高潮に達していた。狂気すら感じるほどだ。
そして、もったいぶった言葉がその薄桃色の唇から発せられる。
「―異世界転移だ」
辺りに張り詰めた空気が流れる。
しばらくの静寂のあと、幸博が口を開いた。
「...異世界転移...ですか」
聞き慣れない言葉に幸博は首を傾げる。
「あぁ、そうだ。異世界転移だ。キミがいた世界とはまた違う世界で生活するんだ。どうだ?なかなか面白そうだと思わないか?」
「は、はあ...」
「私の元々の管轄がその世界でね。今ならキミをその世界に飛ばすことができる。他の神にはできない。私だからできるのだ。キミは実に運がいいなぁ」
まるで悪質な勧誘だ。幸博は揺れていた。
そこにさらに彼女が追い討ちをかける。
「今、その世界は滅亡の危機に瀕しているんだ。強力な魔王たる存在が出現していてね」
幸博はその話に引き込まれる。
「私の世界が滅亡したとなっては恥ずかしくて他の神に合わせる顔がない。だから、だ」
『神様』はひとつ間を開ける。幸博は再度、唾を飲む。
「魔王を倒してくれたらひとつ願いを叶えようじゃないか」
「願いを叶える」。幸博には魔法のように聞こえた。
「その願いは...生き返るとかでも大丈夫なんですか」
「あぁ、問題ない。と言っても「キミが死ぬ数時間前に戻す」という形になると思うがな」
幸博には破格の内容だった。数時間前も戻れば死なないように誘導することは簡単だ。
しかし、幸博にはひとつ、不安な点があった。
「魔王...なんて僕に倒せるとは思えません...。当然、生き返るというのは一番欲しい願いなんですけど運動とか苦手だし、ゲームみたいに簡単に倒せるわけじゃないんでしょうから…」
そんな返答も彼女にとっては予想していたことらしく、すぐに言葉を返す。
「もし、異世界転移してくれるというのなら、異世界へ転移するキミに神様からささやかなプレゼントだ。好きなものをなんでも一つだけキミと一緒に異世界に送ってあげよう」
「...それってどんなものでもいいんですか…?」
「あぁ問題ないが?」
「なんでも倒せる剣とか絶対に守ってくれる盾とか超強力な魔法とか、そんなのでも大丈夫なんですか」
「よく分かっているじゃないか。そういうものを注文しろと言っているんだ」
幸博は魔王討伐に可能性を感じ始める。天国でも地獄でもない異世界に飛ぶ。そんなふざけた提案に幸博は乗り気になっていく。
「分かりました。僕、異世界転移します!」
『神様』はその王座のような椅子から立ち上がると、
「よく言ってくれた!」
と、大声で言った。
「よし、それではキミの注文を聞こうか」
『神様』は幸博に問いかける。
幸博は迷っていた。
(一つだけしか持っていけない...最強の剣...それでも不意打ちには負ける...。なら最強の防具...負けはしないが勝てるのか...?最強の...最強の...何にすれば魔王を倒せる...?)
無数の案が浮かぶが、どこかに欠点を見つけてしまい候補から消えていく。その繰り返しだった。
(最強の...最強の味方なんてどうだろう...。曖昧かな…。あれ...最強の...味方...?)
幸博は気づく。自分が今、最も欲しいもの。
人生の最後に一番迷惑をかけた存在。
もし、そんな人間に今すぐに会えるとするなら。
「神様、それは人間でも問題ありませんか」
幸博には今、その人間と顔を合わせる義務がある。時間を戻して生き返ったあとでは、それは全く意味を成さないことなのだ。
「あぁ、問題ない」
「...それなら、」
「僕の兄、藤村颯志をお願いします」
『神様』は驚いたようだった。そんな注文をされるとは思っていなかったのだろう。
しかし、そんな驚く顔もすぐにニヤけ顔に変わった。
「面白い。藤村颯志をキミと共に異世界に送ろう」
『神様』は目を閉じ、大きく息を吸う。そして、指揮者のように構えると口を開け歌を歌い始めた。
すると、床の大理石にコバルトブルーの光る文字が浮かび上がった。幸博には読めない、日本語でも英語でもない文字がスラスラと並べられていく。
『神様』は最後にこう言った。
「藤村颯志を此処に召喚せん」
弟が引きちぎられる姿を目の当たりにした颯志はホームの丁度黄色い線で蹲っていた。
何かに取り憑かれたかのようにぶつぶつと呟く颯志は逃げ惑う人間にも異常だと感知できたらしく、人の波がモーセのように颯志を中心に割れていた。
そのとき、
「やばい!こっちに来たぞ!」
誰かが叫んだ。
それに応じるように悲鳴が連鎖する。周囲の人間があっという間に引いていく。
刃物を持った例の通り魔が颯志がいる方向へ向かってきていた。しかし、颯志はそんなことを気にしていられる精神状態ではない。やはり蹲っていた。
通り魔は明らかに人間としておかしな挙動を取っていた。まるで何かに無理矢理操られているような、そんな違和感のある挙動。
白い生地にベッタリと血をつけたスニーカーでこちらへ近づいてくる。不安定な足取りのせいか、不規則なザッザッという足音が辺りに響いていた。
歪んだような笑っているのか怒っているのかよく分からない表情をしている。その姿が彼の異常性をさらに引き上げる。
そして通り魔は颯志の手前まで歩き、足を止めた。
腰をギチギチと曲げ、刃物を持っていない方の手で颯志の背中のつつく。
「藤村颯志ぃ...藤村颯志ぃ...」
颯志は反応しない。
「おい、藤村ぁ颯志ぃ...顔を上げろ…」
蹲ったままで動かない。
通り魔は強めにつついてみたり、つつく回数を増やしてみたりするが颯志には響かない。
そこで、
「...藤村颯志ぃ...お前は弟に会いたくないのか?」
颯志がピクっと反応する。「弟」という単語が颯志を刺激する。
丸まっていた背中が徐々に伸びていく。体制が起き上がっていく。人間らしさは少し取り戻してはいるが、やはり目の前を見てない。視線は正面に向けているはずなのに颯志は明らかに違うものを見ている。
「顔を上げろ...。そして振り向け...弟に合わせてやるぞ…」
通り魔はさらに揺さぶりをかける。
颯志は当然、反応した。
「ゆ、幸博...幸博、幸博、幸博ォ!!」
颯志の呟きが大きくなり、絶叫になる。
大方の自我を取り戻した颯志はバッと後ろを向いた。
幸博に会わせてくれると話す人物。その人間を確認するため。
しかし、
「幸博に会わせ.........ッ!?」
通り魔からそれ以上の言葉はなかった。
ドスッという鈍い音。返事代わりの刺突。
通り魔がクククと笑った。
「あっ...ぐ...うっ.....」
溢れ出る血。
颯志は首を貫かれていた。
蛇口を捻ったように流れ出る血液が服、地面を染めていく。もはや痛みなど飛んでいた。
体温が下がっていくのを感じる。手が痺れてきた。
霞んでいく視界の中、颯志を刺した通り魔が後ろに倒れていくのが見えた。通り魔が『神様』に操られていたことなど颯志は知る由もない。
たちまち、颯志も倒れた。
口、鼻から出る赤黒い液体に溺れていく。
周囲で悲鳴が起こるが今の颯志には届かない。音を聞けるほど余裕のある状態ではない。
颯志はほとんど動かない手を握る。そして、最期に願う。
(幸博に...会わせてくれ...!)
颯志の視界は徐々にフェードアウトしていき、あっという間にその体から魂は消えた。
「...さん...さん...!」
遠くで声が聞こえる。
深く沈んだような意識が徐々に覚醒していく。
「に.....ん!...いさん!」
どうやら体を揺すられているらしい。触れている指の一本一本が颯志に伝わる。
ゆっくりと目を開ける。薄い視界に光が射し込んでくる。目が眩む。
徐々に意識が戻ってくる。それと同時に得体の知れない吐き気が込み上げる。しかし、それは表に出ることはなく『そんな気分』のまま颯志に残る。
「兄さん!」
颯志は初めて自分が呼ばれていることに気づく。
「はっ!?」
ガバッと勢いよく起き上がる。大理石の冷たい感覚が尻や太股から伝わってくる。
「兄さああああん!!」
そんな声と共に颯志の背中に何かがのしかかる。
「そ、その声は...幸博!?」
「そうだよ!また兄さんに会えるなんて...!」
「お、お前死んだんじゃ...」
幽霊でも見たような顔をする颯志。この状況においては比喩でもないのかもしれない。
「うん死んだよ。でもそれは兄さんもでしょ?」
ケロッと幸博はものすごい返答をする。死者トークでは笑ってしまうほど軽いテンションで死を扱うのだろうか。
「あっ...俺は...あの変な奴に刺されて...!く、首が...!」
颯志は慌てて首をさする。
「首が...刺されて...ない?」
「お前は死んだんだ。傷云々の話じゃないだろう」
『神様』が口を挟む。颯志はそちらに振り向く。
「誰だよお前」
颯志は見慣れない人間(と思っている)に警戒する。
そんな颯志にも彼女は顔色変えずに話を続ける。
「私は神だ。キミ達の世界の死者を裁く者さ」
「神?てか死者?キミ達の世界?全部分かんねぇんだけど」
颯志は首を傾げる。未だ死んだ感覚のない颯志には理解しにくい話だ。
「...また一から話すべきだろうか」
『神様』は幸博に問いかける。かなり面倒臭そうな顔を向ける。
「あぁいや、こっちで説明しますので…」
「助かる」
いえいえーなどと幸博は返事しつつ、颯志に視線を戻す。
「おい幸博、どういう状況なんだ?説明してくれ」
「うん。まずね、兄さんは死んだってことを理解してほしいんだけど」
そう言われると颯志は立ち上がり、手の骨をパキパキ鳴らしてみたり軽いストレッチをする。
そしてまた座り、
「何言ってんだお前」
と平然とした顔で言った。
「んんー、まぁそうだよね。気持ち悪いぐらい体に異常がないから実感ないよね…」
颯志の中では生前の出来事は『夢的ななにか』として早くも処理されていた。
それなら、と幸博は切り返す。
「ここはどこか分かる?見覚えないでしょ?」
颯志は辺りを見渡す。目が覚めてからここがどこなのかなんてことはよく考えていなかったらしい。
「確かにこの場所は知らない...。なんでこんなところで俺は寝てたんだ...?」
「ここは死後の世界なんだよ。兄さんも僕も死んだからここに来た。僕が電車に轢かれたのは事実なんだよ」
颯志は呆然としていた。何かのドッキリなんじゃないかと今も疑っていることだろう。
「マジで意味わかんねぇ...。俺...死んだのかよ…」
颯志の脳内では、あの通り魔に刺されたシーンが何回も繰り返されていた。あまりにも現実離れした出来事でいまいち飲み込めない。
「とりあえず死んだことを無理矢理飲み込んでほしい。実感は湧かないと思うけど死んだって前提で話を進めるから」
「あ、あぁ...分かった」
幸博は自分がここに来たときのこと、天国と地獄と第三の選択の話、そして颯志を呼ぶに至った経緯を全て話した。
「...つまり、生き返るために異世界に飛んで魔王ぶっ殺すってことか…そのための道具として俺が呼ばれたと.....。ひっでぇ話だな、俺は幸博の付属品かよ!?」
「いやいや!そんなつもりは全然ないんだ!僕は、兄さんに謝らないといけなくて...」
颯志は首を傾げる。
「謝る...?お前、俺になんかしたっけ?」
颯志には見当もつかない様子。
「僕...折角、兄さんが伸ばしてくれた手を掴めなくて...兄さんに迷惑かけて...兄さん困らせて...今だって結局、僕の自分勝手でここに兄さんを呼んだんだ...本当にごめん...」
幸博は震える声を隠すように俯く。
対する颯志は神妙な表情になる。
「謝るぐらいならそういう失敗はするな。あとで嫌になるだろ」
颯志は厳しい言葉を吐く。
幸博はまた「ごめん」と小さく口に出した。
「でもな、」
幸博は前を向き、颯志の顔を見る。
「お前だけが悪いってわけじゃねぇんだ。俺だって出来ることはあったはずだったんだ。あのとき、幸博が死んじまってすごい悲しかった、本当に絶望した。あと一歩前にいれば…あと数センチ手を伸ばしていたら...そんなことで頭がいっぱいになったんだ。目の前の状況が飲み込めなくておかしくなりそうだった。幸博にもう会えないっていうのが...ホント意味わかんなくて、そう思った瞬間、めちゃめちゃお前に会いたくなってさ…。だから、死んでもお前に会えたことが今は本当に嬉しい。謝る必要なんかないさ、俺はお前の選択に感謝してんだ」
颯志は親指を上に突き立て、笑った。
「兄さん...」
「だからさ、絶対生き返ろうぜ。異世界で魔王ぶっ殺してさ!」
「...うん!」
幸博も笑って親指を立てる。その顔を一滴の雫が滑る。心情の、全てを表すその一滴が。
天井だと思っていた黒い靄が晴れ、部屋に光が射す。この光が照らすのは部屋だけではないのだろう。
「おや、晴れてきたか。このまま雨が降るとばかり思っていたのだがな」
『神様』が頭上を見上げ呟く。視線が彼女に向く。
「話はもう済んだのか?」
「あぁ、全部終わった」
「そうか」
『神様』は座っていた豪勢な椅子から立ち上がる。
「それではキミ達を異世界に送るとしよう。一切手助けはしないがここからキミ達の旅路を見守ろう」
「はいはい神様に見ていてもらえるなら安心ですよー」
「僕達が魔王を倒すところ、見ていてください!」
彼女は二人の言葉に「あぁ」と返した。今の彼女はつまらなさそうな顔ではなく、だからと言って狂気を感じさせるようなニヤけ顔でもない。ただただ穏やかな微笑みを浮かべていた。
「息子が二人共死んじゃってお母さんもお父さんも大丈夫かな…」
「心配ばっかしてんなよー。生き返ったら関係ねぇだろ?」
「あはは、確かに」
二人を中心に光の輪が広がる。その輪から小さな輪が発生し、しばらくすると直線と円で構成された模様が完成した。さらにそこに日本語でも英語でもない見たことのない文字が浮かび上がる。
「キミ達の冒険が達成されることを願っているよ。それでは」
二人の下に浮かび上がっていた模様が上昇する。それはたちまち足首辺りまでを包む。
模様に包まれた場所は感覚を失っているらしく、二人は動揺していた。颯志が足を模様より上に上げてみると、足首より下も返ってきた。模様から下を転移させているのだろう。
『神様』が人差し指を突き出す。その指を勢いよく上に振り上げた。
そうすると模様が一気に上昇し、二人の体を包んでしまった。
金属と金属がぶつかったような高い音が空間に響く。模様から発生した光の粒が力を失ったように小さくなり消えていく。
「見物だな」
彼女はそう呟くと再び椅子に腰掛けた。