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船御子物語  作者: 瑞穂国
プロローグ:船巫女 1905~1940
6/6

駿河姉妹

久しぶりの投稿になってしまいました


まだまだ始まったばかりですが、何卒これからもよろしくお願いします

黒鉄くろがねの城たちが、その艦体を休めている。錨を打ち、あるいは埠頭に横づけて、その身を癒す。夕陽を受けてたたずむその姿を、駿河は満足げに眺めていた。


横須賀鎮守府。敷地内には、様々な施設が並んでいる。鎮守府運営に欠かせない施設も多いが、それと同じくらい、船巫女用の娯楽施設も多い。船巫女の上陸日(火、木、土、日)に開かれるそれらの賑わいが、後ろから聞こえてきた。


賑わいに混じって、後ろから迫って来る駆け足の音も。


瞬時に音の正体を悟った駿河は、その足音が真後ろに来たタイミングで素早く身をかわす。避けた体の横を、


駿姉しゅんねえーっ!」


と叫びながら、足音の主が駆け抜けていった。その先には、夕焼けオレンジに染まった、海。


主砲弾落下に比べると、随分情けない水音が聞こえてきた。


自らの無事を確認した駿河は、岸壁のへりに歩み寄り、海面を覗く。一メートルほど下、コンクリートの岸壁に打ち寄せる波の間に、長い髪を揺らめかせて漂う水死体のようなものが一つ。


しばらくすると、水死体が顔を上げて、生き返る。それから、岸壁にいる駿河を見て、一言。


「もうっ、相変わらず照屋さんなんですから」


頭が痛くなるのを感じながら、駿河は半目で水死体―――もとい、たった今自分に抱き着こうとした変質者を見つめる。


「別に、照れてるわけじゃないから。早く上がってきなさい、近江おうみ


「さすがにこの高さだと上がれないので、手を貸してください」


「あっちに梯子があるから、それで上ってくればいいでしょ。先にお風呂行ってるから」


右手に見える取っ掛かりを指さして、そそくさと踵を返す。背中から「わー、待って待って駿姉ーっ!」という叫びが聞こえてきた気がしたが、気にしないことにした。


近江は、“駿河”型戦艦の二番艦。つまり、駿河の妹にあたる。編成は連合艦隊直率、第一戦隊。“駿河”の僚艦である。横須賀に所属している彼女は、ああ見えて連合艦隊の旗艦だ。以前駿河が務めていたこともあったが、二年前に交代している。


駿河の知っている近江といえば、あの通り姉への行き過ぎた愛情を、包み隠そうともしない変質者である。もちろん可愛いところはある(多分)が、どうにも旗艦に向いているとは思えなかった。にもかかわらず、連合艦隊司令部からの受けはすこぶるいい。横須賀における近江のイメージは、「艦隊指揮から事務仕事まで完璧にこなす憧れのお姉さん」だ。事務仕事が苦手なうえに、そもそも旗艦としての自覚があまり湧かなかった駿河の評判とは大違いである。解せぬ。


釈然としない思いを抱えながらも、駿河は銭湯の暖簾をくぐる。「銭湯と食事処」と書かれている通り、銭湯の他にレストランや料亭、居酒屋などが併設されている、ちょっとした旅館のような施設だ。尉官以上の者が使えるのだが、訪れるのはほとんど船巫女である。


女湯の脱衣所は、今日も今日とて船巫女でごった返している。すでに風呂を出たのか、扇風機の前で風に当たっている者、牛乳を飲んでいる者、談笑しながら着替えている者。逆に、これから風呂に入るらしく、ものすごい速さで服を脱いでいる者、脱衣所を駆けていく者、それを咎める者。


顔見知りと挨拶を交わしながら、駿河も服を脱ぎ始める。夏季通常勤務時の第二種軍装を綺麗に畳み、脱衣籠に入れていく。丁度その頃、入り口から声がした。


「ちょっ、近江さん!?どうしたんですか、そんなにびしょ濡れで」


女性の番頭が、素っ頓狂な声を上げていた。脱衣所からは見えないが、どうやら近江が辿り着いたらしい。


「いやー、すっ転んじゃいまして、そのまま海に」


姉に抱き着こうとしたら落ちた、とは言えまい。


「ええ・・・。こっちで乾かしておくから、脱いだら渡して頂戴」


「すいません、お願いします」


そう言いながら、近江が脱衣所に入って来る。入り口からほど近い駿河をすぐに見つけて、隣の脱衣籠を使う。


「遅れてごめんね、駿姉」


「寒くない?」


「大丈夫だよ、これくらい・・・へくちゅっ」


近江はくしゃみを一つ。駿河が避けなければ、こうはなっていなかったわけであり、少なからず罪悪感が湧いてきた。


「くしゃみしてるじゃない。ちゃんと温まるのよ」


「じゃあ、駿姉に温めて欲しいな」


「調子に乗るな」


前言撤回。手刀を一撃お見舞いして、駿河は先に浴場へと向かう。「はにゃっ!?」と情けない声を出した近江も、それほど遅れずに入って来た。


普段の習慣で、手早く体を洗い、すぐ浴槽に浸かる。姉妹で肩を並べて入る風呂は、やはり心安らぐ一時でもある。何だかんだと言いながらも、悪くはないものだ。


この後、浴場で姉に欲情という、全く洒落になっていない状態の近江を、三回ほど沈める羽目になるのだが。




風呂を上がった二人は、銭湯で貸し出ししている浴衣を着て、食事処へ足を運ぶ。今日は大衆食堂といった風情の店を選んでいた。二席や四席といったテーブル席が並ぶ中に、湯上りの体を落ち着ける。


「ふう。いいお湯だった」


「やっぱり大きいお風呂が一番だよね」


ホカホカと湯気を立てる戦艦の船巫女が二人、幸せそうに溜め息を吐く。近江がお品書きを取ってくれた。


辺りは同じようにして席を囲む船巫女たちで埋まっている。二人や四人でまとまって座れるからか、戦隊や駆逐隊単位で固まっている者が多いようだ。“吹雪ふぶき”型駆逐艦たちがおいしそうに食べているカツレツ定食を見て、駿河は同じものを頼むことに決めた。


「駿姉決まった?」


「カツレツ定食」


「私はカレーかな」


「・・・おかに上がってまで、カレー食べる?」


「だって、うちのカレー辛いんだもん。水たくさん飲まないと食べられないから、あんまりカレーの味を楽しめなくて。ここのは甘口にできるし、私でもしっかり味わえるの」


そういうものだろうか。


軍艦において、毎週土曜日に振舞われるカレーの味には、各艦でこだわりがあり、それぞれの烹炊員が工夫を凝らした秘伝レシピが存在する。海の日に開催される『海軍カレー大会』は、各艦秘伝のカレーを味わえる催し物とあって、多くの人が押し掛ける。


そんなこだわりの詰まっているカレーだが、どうやら“近江”烹炊員が作ったものは、その船巫女には辛過ぎたようだ。近江は辛いものが苦手なうえに、大の甘党だった。


とはいえ、そんな近江も酒は飲む。二人分の注文を近江がすると、五分とせずに割烹着姿の給仕がやって来た。その手には、よく冷えていることをうかがわせる、琥珀色の液体が注がれたジョッキが二つ。


「お待たせしました!」


にこやかな声とともに置かれたジョッキを掴む。やはり風呂上りには、これがなくては。


「「乾杯!」」


ジョッキを打ち合わせ、中のビールを一気にあおる。喉を突き抜ける、痛みにも似た爽快感が堪らない。


「ぷはっ」


近江が満足そうに声を漏らす。それから、競うようにして、お通しの枝豆に手を伸ばした。


「それにしても、随分集まってるわね」


枝豆を咀嚼しつつ、駿河は話し始める。もっとも、話の最中であろうと、その手は新しい枝豆に伸びているわけだが。


「それはもちろん。記念すべき観艦式だからね」


答える近江は、どこか誇らしげだ。このような素晴らしい式典に、連合艦隊の旗艦として参加できることは、相当に名誉なことである。


昭和十五年(一九四〇年)である今年は、皇紀にして二千六百年という節目の年でもある。海軍では、それに合わせた特別観艦式を挙行することとなっていた。観艦式自体は横浜沖で行われるのだが、参加予定の海軍艦艇は、この横須賀に集結している。


「今回は、量も質も、今までで一番の観艦式になるんだって」


「聞いた。呉や佐世保からも、色んなたちが来てるみたいだし」


かく言う駿河も、本来の所属は呉である。


「普段会えない顔馴染みだの、姉妹だのが一堂に会してるところも多いし。賑やかになるのも頷けるよね」


ああでも。そう言って、近江が苦笑する。


「長門さんと赤城あかぎさんは、もう少しどうにかならないかなあ」


「・・・ああ」


近江の言わんとしていることを察して、駿河は微妙な反応を返す。


長門と赤城といえば、日本海軍を代表する軍艦である。世界最初の四一サンチ砲搭載艦である“長門”と、日本海軍最大の航空母艦である“赤城”。海軍好きの少年たちの間では、「長門派」と「赤城派」、二つの派閥ができるほどであり、当然ながらその船巫女も国民的人気が高い。


ロンドン海軍軍縮会議の結果、それぞれ最新鋭ではなくなったとはいえ、その人気に衰えはない。


さて、ここまではよかったのだが。問題は、海軍内の人気を二分している二人の船巫女同士が、非常に仲が悪いことだ。


「知ってる?二人の仲が悪い理由」


「それは、まあ。旗艦をやってた時に聞いたから」


どちらの方が、より子どもたちに人気か。酒の席での、些細ないざこざが原因らしい。何とも子どもっぽいというか、下らないというか。


ぶっちゃけて言ってしまえば、


「贅沢な理由だよねえ」


そういうことになる。


「どっちも尊敬できる人なだけに、残念さが目立つというか、何というか」


陸奥むつさんと加賀かがさんも大変だねえ」


それぞれ長門と赤城の僚艦である。どちらも落ち着いた雰囲気の持ち主だ。その落ち着きが、二人の僚艦に起因する性格かどうかは、駿河には測りかねる。


「まあ、今回は金剛さんとか鳳翔ほうしょうさんもいることだし、二人とも問題は起こさないでしょ。そもそも、今まで連合艦隊司令部が頭を抱えるような問題には発展しなかったし。二人ともいい大人だからね」


一々そこまで構っていられないということだろう。連合艦隊旗艦というのは、気苦労の絶えない役職でもあるのだ。いかに近江と言えども、ストレスがゼロとはいくまい。


「・・・枝豆、食べていいわよ」


「いいの?やったあ」


苦労人近江が、残った枝豆を平らげる頃、二人の夕食ディナーが運ばれてきた。肉厚なカツレツと、香ばしいカレーが机に並べられる。まさに絶景、よだれが止まらない。


「「いただきます」」


その挨拶すらももどかしく、駿河はカラリと衣のついたカツレツにかぶりつく。赤身のうまみが、口中に広がってもう止まらない。


「んー、おいしい」


カレーを頬張る近江も、嬉しそうに表情を綻ばせる。甘口だからか、すぐに二口目に取り掛かろうとする。が、猫舌でもある彼女は、スプーンの上に乗ったカレーに息を吹きかけ、しっかり冷ましていた。その様子がどこか微笑ましい。


「あ、そうだ駿姉。長門さんで思い出したんだけど」


二口目を咀嚼したところで、近江が口を開く。カツレツの二切れ目に手を出そうとしていた駿河は、一旦動きを止めて近江の方を見た。


「まだ正式に決まったわけじゃないんだけど。観艦式が終わって・・・来年くらいかな。部隊を再編して、私たちは第二戦隊になるらしいよ」


「・・・えっ」


唐突に投げられた衝撃発言に、駿河は思わず、箸を取り落としてしまった。

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