机上の戦場
会議において、主導権を握る人物というのは、二つの種類がある。
一つに、声の大きい者。
二つに、経験のある者。
軍艦の建造や新技術の開発を司る艦政本部―――艦本においても、それは変わらない。そういう意味で、貝塚直造船少佐が相手取らなければならない相手は、強敵中の強敵であった。何せ、その二つを完璧なまでに備えている人物なのだから。
「空前絶後の不沈戦艦こそが、我が海軍の次世代を担うに相応しい!」
力説するその声は、会議に参加しているどの造船士官のものよりも高い。しかし、ヒステリックに耳をつんざくものではなく、不思議と心を揺さぶられる熱い魂の籠ったものであった。油断していると、貝塚自身も流されそうになるほどである。
薩摩なつ造船大佐。何を隠そう、彼女は元戦艦“薩摩”の船巫女である。
退役した軍艦(諸艦艇含む)の船巫女には、その後も海軍で働く者が少なくない。特に、ワシントン軍縮条約によって退役や未就役が続出した際は、その傾向が顕著であった。
船巫女の登場後、かなり早い段階で女性兵の採用を開始した日本海軍において、彼女らを受け入れる体制が確立するのは早かった。船巫女の意見は、貴重な現場の意見として、各方面で重宝されている。
が、今回はそれが裏目に出ている気がしなくもない。艦本、それも造船部門に所属している船巫女は、薩摩しかいないのだ。
―――この会議、厳しいものになる。
涼しい顔をしながらも、内心で冷や汗が噴き出るのを、貝塚ははっきりと感じていた。
この日、艦本で開かれたこの会議は、次期主力戦艦の性能諸元を決めるものであった。より正確には、軍令部からの要求に対して、果たしてどの程度の性能にまとめることが現実的であるかを決定する会議だ。
昭和九年(一九三四年)、ワシントン海軍軍縮条約の期限(ロンドン海軍軍縮条約により期限を延長)が迫る中、日本国内、特に海軍を中心として、一連の軍縮条約から脱退しようとの機運が高まっていた。米英比六割の排水量制限や、条約型戦艦の要目など、軍縮条約に対する不満が、内部から爆発した形だった。それを抑えられる海軍の重鎮は、最早いない。東郷亡き今、日露戦役から海軍を支えてきた者は、誰一人として残っていなかった。
同年十二月、日本政府は正式に条約からの脱退を通告。通告から二年間は条約が有効とされるため、日本は昭和十一年(一九三六年)をもって、全ての制限から解放されることが決まった。
そんな中、軍令部内で浮上してきたのが、条約失効後に建造する新造戦艦の計画であった。軍縮条約下での建造となった“駿河”型に続くこの新造戦艦は、第三次海軍軍備補充計画―――マル三計画と、その後の第四次海軍軍備補充計画―――マル四計画内での予算計上を目指している。
排水量六万五千トン、主砲口径四六サンチ八門以上、速力三〇ノットという軍令部の要求を受けて、競われているのは二つの建造計画だ。貝塚は、それぞれを「高速量産戦艦試案」と「低速重火力戦艦試案」と呼んでいた。貝塚が支持しているのは、前者の計画案である。一方、薩摩は後者支持の急先鋒だ。
はっきり言って分は悪い。少佐と大佐では発言権に雲泥の差がある上、相手は元船巫女だ。さらに声も大きいとなれば、貝塚の意見を通すのは、藁で日本刀に勝つよりも難しい。
「まあまあ、薩摩君。その辺についても、ゆっくり突き詰めていこうではないか」
軍令部からこの会議に出席している田崎澄人少将が、薩摩を宥める。一礼した彼女は、ゆっくりと席についた。その顔には、余裕の表情が張り付いている。
「ではまず、艦本で検討されている二つの計画案について、説明させていただきます。藤岡少将から、お願いします」
進行を務める若い女性士官が、淡々とした声で促す。藤岡利夫少将は、「高速量産戦艦試案」派の代表だ。
「我々の設計案は、軍令部からの要求諸元とともに、計画の実現性を重視いたしました」
全員の手元に配布された資料を示しながら、藤岡が話を進める。
「基本的な設計は、“駿河”型と変わりません。せいぜい一回り大きくする程度です。これであれば、予算概算が“駿河”型から割り出せます。すなわち、同時期に計画される他の建造計画に、予算的圧迫をかける可能性が小さいのです」
資料の最初のページには、各諸元の具体的な数値と完成想像図が記載されている。それを一読した田崎が、怪訝な表情で尋ねた。
「排水量四万五千トン、主砲四一サンチ九門、とあるが・・・?」
「もちろん、四六サンチ砲の搭載は可能です。しかしながら、実現性を考えた場合、現在の日本海軍ではこの計画案が限度であると判断します。詳しくは、この貝塚少佐から」
藤岡から話を振られ、貝塚は一礼して話を引き継ぐ。
「第一に、建造ドックの問題があります。六万五千トンの戦艦を建造するとなると、まずはそのためのドックから建設する必要が生じます。これでは、予算の承認から起工まで、少なくとも一年の時間のロスができてしまいます。戦艦の建造ともなれば四年の時間がかかりますから、一番艦が竣工し、就役するのは、どんなに早くても昭和十六年の暮れから十七年の頭になります。二番艦はもっとかかりますから、新型戦艦が二隻揃うのは、十七年の暮れから十八年の頭ということになるでしょう。それでは遅すぎます」
「ううむ、確かにその点を懸念する意見は、軍令部にもある。しかし、それは米国や英国も同じではないか?」
「そこが第二の理由です。アメリカを例にとりますが、米海軍の艦艇が最も早く太平洋に出るためには、パナマ運河を通過しなければなりません。ご存知の通り、このパナマ運河には通過限度があり、全長二百九十四メートル、全幅三十三メートル、喫水十二メートル、排水量にして六万五千トンがギリギリ通過できる船のサイズです。実際には、五万トン程度が実用的でしょうが」
「いわゆるパナマックスだな。だからこそ、日本海軍はパナマックスを上回る大型戦艦で、これに対抗しようという考えなわけだが」
田崎の言葉に、貝塚は首を振った。
「逆です。どんなに大きい艦を造ってもパナマックスの影響を受けるなら、同じ予算でより多くの軍艦を造ろう、アメリカはそのように考えるのではないでしょうか?」
「つまり、条約型戦艦を量産する、ということか?」
「はい。これなら、アメリカは新しいドックを整備することなく、新造戦艦の建造に着手することができます。かの国ならば、同じ図面の戦艦など三年もあれば完成させてしまうでしょう。三か年計画の概要を見れば、それだけの国力と工業能力が米国にあることは、明白です」
三か年計画、いわゆる「ダニエルズ・プラン」は、日本の「八八艦隊計画」と同時期に予算が承認されたアメリカの海軍拡張計画だ。戦艦、巡洋戦艦合わせて十六隻を、わずか三年のうちにまとめて就役させようというこの計画の概要を目にした日本海軍の衝撃は大きかった。
今のアメリカならば、それと同等以上のことなど、朝飯前にやってのける。パナマックスに縛られるのなら、その性能差を数で埋めようと考える。貝塚はそう考えていた。
―――いや、最悪かの国は、太平洋と大西洋、両方に専用の艦隊を持つことができる。
そうなれば、もはやパナマックスなど関係ない。
「条約の失効が現実となった場合、アメリカはすぐに新型戦艦の建造に着手するでしょう。そうなれば、その新型戦艦たちが登場するのは昭和十五年から十六年にかけて。早ければ、十四年の暮れには竣工することになります。こちらが六万五千トンの巨艦を二隻揃えても、その頃には“ミシガン”級と同性能の戦艦が、さらに四、五隻増えていることになります。六対九では、話になりません」
「六」とは、日本が保有する四一サンチ砲以上を搭載する戦艦(“長門”型二隻、“駿河”型二隻、新型戦艦二隻)のことであり、「九」とは同条件の米国戦艦(“コロラド”級三隻、“ミシガン”級二隻、新型戦艦四隻)のことである。
「条約失効後は、早急に新型戦艦を就役させるべき。それが君たちの意見か?」
腕組みをして、田崎が確認するように尋ねる。感触は悪くない。藤岡からの目線に頷くと、もう一度彼が口を開いた。
「実は私たちは、それほど戦艦の建造にこだわらなくてもよいのでは、と考えております」
「どういう意味だ?」
田崎が怪訝な表情で尋ねる。無理もない。これから自分たちが主張しようとしていることは、とてつもなく突拍子もないことであると、自覚しているつもりだ。
「戦艦同士の建造競争で勝ち目がないのであれば、それ以外のもので対抗してはどうか、と考えています。具体的には、航空機と空母で」
「航空機と空母で・・・戦艦に対抗だと?」
藤岡はなおも話を続ける。
「航空機技術の発展には目覚ましいものがあります。三十年ほど前には飛ぶのもやっとだった代物が、今では魚雷や爆弾を積んで、船を攻撃できるようになりました。この航空機をもって、米英の新型戦艦に対抗してはどうでしょうか?」
「・・・そうか。艦本にも、同じような意見の者がいたか」
意味深に呟いた田崎が、真剣な表情で、全員を見渡す。
「航空機の有効性については、軍令部も理解しているつもりだ。現に、新型戦艦の建造と並行して、大型航空母艦建造も計画されている。これからの時代、航空機の優劣が、海戦に大きな影響を与えることは間違いないだろう」
口ぶりからして、軍令部にも同じような意見を持つ人がいるようだ。航空機に理解があるのならば、話は早い。
「それで、君たちは戦艦ではなく、航空母艦を造れと、そう言いたいのか?」
「いえ、それは違います。戦艦には戦艦の、果たすべき役割というものがありますから。しかしながら、従来のように、艦隊決戦のみを念頭に置いた設計は避けるべきであると、判断します。新型戦艦は、多目的な任務に対応可能な、一種万能艦のような性能を求めるべきだと、考えています」
そこで藤岡は、資料の後ろの方を提示する。貝塚の用意した、とっておきの秘策だ。
「重視するべきは砲口径よりも、単位時間あたりの投射量です。これは“最上”型の設計思想に近いと言えるでしょう。それを可能にするのが、新技研(新技術開発研究所)で開発中の、新型揚弾機と装填機構、そして冷却装置です。これらをまとめて、揚装弾機と仮称しています。この装置を搭載した新時代の戦艦は、一発の破壊力よりも、面での制圧力をもって任務にあたります」
海軍内に存在する新技術の開発研究部門は、発足から日が浅い。相対的に、海軍内での地位も低く見られがちだ。予算と発言力が欲しい彼らは、貝塚からの協力要請に、快く応えてくれた。
「斉射間隔が十五秒から二十秒!?従来の二倍か、上手くすれば三倍近い速度じゃないか!」
田崎が驚いたように声を上げた。チラリと窺うと、資料を覗き込んでいる薩摩も、その眼を見開いている。
―――意表はつけた、か?
「この揚装弾機の性能をフルに発揮するのであれば、四一サンチ砲、できれば三六サンチ砲の採用が望ましいです。それでも、単位時間当たりの弾薬投射量では、四六サンチ砲を上回ります。さらに、砲を小さく抑えれば艦体に余裕ができ、将来的な装備品の増設が容易になる利点もあります。こうした設計思想の下であれば、水上部隊最強の矛としてはもちろん、航空機への備え、艦隊全体の指揮、地上目標への攻撃、あらゆる任務に多角的に対応できます」
そう言った藤岡は、最後にこう締めくくった。
「低予算、実現性、将来性、汎用性。これらの観点から、私たちは四万五千トン級の高速戦艦建造を、具申します」
一礼した藤岡の言葉に、田崎が納得したように頷いた。
「面白い意見だ。なかなかに興味深い」
予想よりもいい感触に、貝塚は内心で拳を握り締める。
その時。
鷹揚な拍手の音が、会議室内に響いた。音の主は、さも可笑しそうな笑いを浮かべている、薩摩であった。
「実に結構です。航空主兵から見た戦艦、その完成形とも言うべき素晴らしい計画に間違いないでしょう」
大仰な言い草、こちらを評価するような言葉に、貝塚の頭の中で警鐘が鳴る。この人は、何かとんでもないものを、ぶち込もうとしている。
「ですが。私に言わせれば、完璧とは言い難い。藤岡少将の計画案には、まだまだ詰め切れていない穴がある」
「どういうことだ?」
田崎の問いに、薩摩は余裕の表情を浮かべたまま、自信たっぷりに言い切った。
「ご説明いたしましょう。藤岡少将の計画案―――いえ、航空主兵主義が抱える重大な問題点と、なぜ帝国海軍が巨大不沈戦艦を必要とするかを」