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船御子物語  作者: 瑞穂国
プロローグ:船巫女 1905~1940
1/6

決戦前夜の邂逅

初めましての方は初めまして。瑞穂国と申します


なろうでは久しぶり(一年ぶりくらい?)の小説投稿です


今回の作品は、以前から書いてみたかった艦魂ものです


しばらくは、のんびりゆっくり、気ままに投稿していきます


どうぞよろしくお願いいたします

世界など知らなかった。


彼女たちは守られる存在で、守ってくれる者がいた。世界を理解する必要はなかったし、知覚のために自らを解放することを恐れた。


だから、彼女たちは心を閉ざした。


殻に閉じこもり、自らの外をちょこまかと動くちっぽけな存在には目もくれなかった。


やがて彼女たちは、自らを鋼鉄の檻に封印した。誰もこじ開けることのない、外の世界を完全に遮断できる、堅牢なる殻の内に。


あるいは、この時すでに、彼女たちは気づいていたのかもしれない。自らを守る者が、いずれは消えてしまうことに。その力に衰えが訪れることに。


やがて力は消え去った。彼女たちが築き上げた殻は脆くも崩れ去り、眩しくも苦悩に満ちた世界が広がった。


過酷を極める世界で生き残るために、彼女たちは選択を迫られた。このまま一人でいるか。世界に足を踏み入れ、その一部として生きるか。


時に一九〇五年。


それは、たった一人、“彼女”の決断から始まった。



明治三七年(一九〇五年)四月某日。


帝国海軍連合艦隊旗艦、戦艦“三笠みかさ”の作戦室には、唸る参謀たちの声が低く立ち込めていた。


「・・・一体、どっちだ」


秋山真三あきやましんぞう先任参謀が、作戦室中央に広げられた極東地域の地図を見つめて、ぼそりと呟いた。


秋山含めた連合艦隊司令部が頭を悩ませているのは、バルト海出航の報告があったロシア帝国第二、三太平洋艦隊―――俗にいうバルチック艦隊の行方であった。


日露開戦から間もなく一年。開戦から今日までの間に、連合艦隊は太平洋方面におけるロシア艦隊の排除に成功している。


しかしバルチック艦隊は、これまでの艦隊とはわけが違う。規模も質も最大。文字通り、ロシア最強の艦隊なのだ。並大抵の戦い方と覚悟では、打ち破ることはできない。


とはいえ彼らは、欧州から長躯遠征してきたうえに、慣れない極東の海で戦うことになる。勝機は十分にあると、この場の誰もが考えていた。


ただし問題は、そのバルチック艦隊の通り道が予測できないことにあった。


太平洋方面におけるロシアの主要港は、旅順とウラジオストクに存在する。このうち、旅順については、陸軍が激戦に次ぐ激戦の末に陥落させており、すでに日本軍の手の中だ。よってバルチック艦隊は、ウラジオストクを目指すことになる。


ところが、このウラジオストクに向かう航路には、二つ―――正確に言えば三つの選択肢があるのだ。


一つ目は、現在連合艦隊が控えている、対馬海峡を通過する航路。


二つ目は、こちらの配備を予想して迂回する、津軽海峡を突っ切っていく航路。


三つ目が、津軽よりもさらに迂回して宗谷海峡を突っ切る航路。


この内三つ目は、さすがに大回り過ぎるとして、選択肢から除外されている。残ったのは、対馬と津軽、二つの選択肢だ。


第二艦隊の失態を繰り返すわけにはいかないが、戦力を分散しては勝ち目がない。連合艦隊司令部は、対馬か津軽、どちらか一方を選んで艦隊を配置する必要に迫られている。まさしくこれは、この戦争の結果を左右する一大決戦地を見極める、重要な会議であった。


間近に迫った決戦に向けて、連合艦隊各艦の訓練も大詰めだ。兵たちの士気も高い。だが、そんな彼らとは裏腹に、連合艦隊の頭脳たちは頭を抱えていた。


沈黙を破って、秋山がその口を開こうとした、まさにその時であった。信じがたい出来事が、彼らの目の前で起こったのだ。


突如として発せられた燐光が、一瞬のうちに作戦室を白に染め上げた。あまりの眩しさに、その場の全員がとっさに手を庇にし、目を細める。脈打つような乳白色の光は、やがて作戦室中央、広げられた地図の上へと収束していく。次第に慣れてきた視界の中で繰り広げられる不可思議極まりない光景に、誰もが唖然としていた。


光はやがて形を作り始める。ただの帯のようだったものが、時間が経つにつれて、立体的でしなやかな輪郭を持つようになった。


どこかで見たことがある影。それが人の姿であると、秋山はしばらくしてから気づいた。


見紛う事なき人の形となった光は、ゆっくりとその顔を上げる。表情はないが、妙に力強い視線だけがはっきりとわかった。そしてその先には、静かに事態を見守っていた、東郷平次郎(とうごうへいじろう)連合艦隊司令長官の姿があった。


薩摩隼人を具現するような力強い東郷の両眼が、真っ直ぐに光の人を見据える。時間にしてわずか数秒。しかしそれが、何十、何百倍もの時間のように、秋山には感じられた。


光の人の心臓の辺りが、一度、強く拍動する。すると、作戦室を満たしていた光が次第に収まり、視界にかかる白が落ち始めた。まだチカチカしている目で、秋山は改めて光の人を見る。


無数のホタルが覆っていたかのようだったその姿は、次第に人としての色を取り戻し始める。肌色が現れ、揺れる黒髪が現れ、たなびく服が現れる。


秋山は驚きに目を見開いた。全ての光が消えた時、作戦室中央に立っていたのは、一人の少女であった。


歳の頃は十六、七。艶やかな黒髪は腰に届くほど長い。纏うのは、神社の巫女たちが着るような白衣に緋袴、赤い鼻緒の下駄。手や肌の色は神秘的なほど色白だが、生命の強さを感じさせた。


長いまつ毛がピクリと動き、少女はゆっくりと目を開く。穏やかさを感じさせる顔立ちは、非常によく整っており、有り体に言って美人だ。まぶたの下から現れた瞳は、海の青をずっと深くしていったかのような黒。全くの濁りのない、澄み切った色だ。


誰も口を開けず、というよりは目の前で起こっていることが信じられず、沈黙が流れる。そんな中、少女はまるで衣装合わせでもしているかのように、自分の全身を見回した。


「なるほど」


それから納得したように呟く。鈴の音を鳴らしたかのような、透き通った声色だ。


「なかなか、悪くないわね」


「・・・君は」


それ以上の言葉が、秋山の口から出てくることはなかった。それほどの衝撃が、今の作戦室を支配していた。


そんな参謀たちを尻目に、少女は机の上から降りると、さもおかしそうに笑みを浮かべて、こちらを見ていた。小さなその唇が、ゆっくりと動く。


「はじめまして、と言うべきでしょうか」


「一体、何者なんだ、君は。どこから入ってきた」


参謀の一人が至極まっとうな疑問をぶつけた。それを聞いた少女の笑みが、さらに大きくなる。


「入ってきてなどいません。私は元々、()()()()()()()()()()


そう答えた少女は、まるで教え子を諭すかのように、どこか得意げな表情でこう名乗った。


「私は、このふねの魂。この艦が私そのもので、私はこの艦そのものです」


―――どういう意味だ。


彼女は一体、何を言っているんだ。


少女の真意を図りかね、誰もそれ以上の言葉を発することができない。そんな男たちの様子を、少女は不思議そうに頭を傾げて、穏やかな表情のまま見ていた。


「・・・つまり、」


そんな中、やはりこの人だけは違った。東郷は表情を変えることなく、背もたれに預けていた体を起こすと、確認を取るように少女へ尋ねる。


「君はこの艦・・・“三笠”じゃいうことか?」


東郷の言葉に、少女の表情が明らかに変わった。パアァッ、とより一層明るくなったその目は、見た目相応に純粋だ。東郷の方へ向けて、大げさに頷いてみせる。


「そうそう、その通り。おじさん、大当たり」


「な・・・っ」


連合艦隊司令長官を「おじさん」呼ばわりした少女に、参謀の何人かが絶句した。


だが、そんな参謀たちとは裏腹に、東郷は大きく笑ってその相好を崩した。それまで全てを見通そうとするかのように鋭かった双眸は、好々爺とした柔らかいものに変わっている。


「よかよか」


飛び出した薩摩弁は、まるで長年の戦友と話しているかのようだった。


「君と話せるとは思わんかった、三笠」


東郷は右手を差し出し、少女―――三笠に握手を求めた。満面の笑みを浮かべる三笠はその手を握ると、ぶんぶんと勢いよく振る。心底嬉しそうな少女の笑顔が、そこにはあった。


東郷の指示で、三笠の分の椅子も用意される。東郷の隣に腰掛けた彼女に満足そうな笑みを浮かべて、彼は参謀たちに話を続けるよう促した。


「ええっと・・・予想されるバルチック艦隊の進路ですが、」


戸惑いながらも、秋山は先ほど言おうと準備していた自分の意見を披露する。チラリと窺った三笠は、若干体を前に傾けて、秋山の話を聞こうとしている。


―――なんとも、やりにくいな。


今までに経験したことのない状況に調子が狂いそうだが、何とか秋山は話を続けた。


「対馬海峡の航路を取ると、私は考えます」


「根拠は?」


「バルチック艦隊は、ヨーロッパから長躯航海を行い、艦も人も疲れ切っています。その状況で、わざわざ遠回りとなる津軽海峡の航路を取るとは思えません。どちらの航路を取ったとしても交戦の可能性があるのならば、少しでも早い方がいい、敵の司令官はそのように考えるのではありませんか?」


秋山の指摘に、参謀の半分ほどが賛同するように頷き、もう半分は首を傾げる。それももっともだ。自分でも、今の理由では進行ルートを津軽海峡で断定するには弱いと思っている。


その後も何人かの参謀が、対馬あるいは津軽、どちらかの航路を支持するが、どれも決定力に欠けていた。判断材料が少なすぎる上に、最終的には敵司令官の判断次第だ。完璧に予想をして、待ち伏せようとしても、最後には少なくない運要素が絡んでくる。机上の戦いではない、やはり戦争には相手がいるものだと、改めて思い知らされた。


「・・・諸君らの意見はわかった」


やはり最後に決断をするのは、東郷しかいないのだ。


参謀たちの意見を聞き終わった東郷が、作戦室全体を見渡し、静かに目を閉じる。誰もが固唾を呑み、彼の口から語られる決断を待っていた。


「・・・対馬だ」


厳かに東郷が言った。バルチック艦隊を待ち受ける場所は、対馬沖であると、彼は決断したのだ。この東郷の一言で、連合艦隊の方針は万事決まった。


かに見えた。


「では、私は津軽を支持します」


威勢良く手を上げてそんなことを宣言したのは、東郷の隣で静かに会議を聞いていた三笠だった。これには、さすがの参謀たちもいきり立つ。しかしそんな彼らのことなど気にする素振りもなく、巫女服の袖口から紙とペンを取り出した三笠は、何かを走り書きし始める。やがて書き終わった紙を、誇らしげに見せる。


「津軽海峡」。綺麗な字で書かれた紙を二つに折ると、三笠はそれを懐に仕舞いこみ、満足げに笑って東郷の方を見た。


「長官が悩んで対馬を選んだのなら、()()()()()()()()()()()()。これはね、私と長官の勝負。決めた日までにバルチック艦隊が現れたら長官の勝ち、現れなかったら私の勝ち。私が勝ったら、艦隊は津軽海峡に向かう」


どう?そう言った三笠の表情は、それまでと変わらない穏やかなものだった。


東郷が口の端を吊り上げる。


「よか。その賭け、乗ったど」


「それじゃあ、決まり」


三笠がコロコロと笑う。そんな彼女を、秋山は呆れと感心が入り混じった表情で見つめていた。この少女は、東郷と互角に渡り合っていた。東郷が捨てた可能性を拾う、と。そんな考えを、秋山は持ったことがなかった。否、秋山だけではないはずだ。彼らは意見を出すが、最後に判断を下すのは、連合艦隊司令長官である東郷だと、心のどこかで決めつけていた。


それはもしかすると、他人任せな考えだったのかもしれない。果たして、連合艦隊の参謀として正しい姿だったのか。


日本は今、恐るべき強敵と戦っているのだ。日本が生き残るためには、知恵という知恵を絞り出し、誰もがその全力を尽くさなければならないことは、秋山もよくわかっていたはずだ。


連合艦隊は、東郷ただ一人で戦っているわけではないのだから。


三笠が言った通りに、司令長官が捨てた可能性を拾うのが、参謀たる自分の役目ではなかろうか。


上機嫌に笑う三笠を、秋山は改めて見つめる。艦の魂だと名乗った彼女。その正体は今もって不明だが、仮に彼女の言う通りであるなら。


三笠との出会いが、連合艦隊―――否、大日本帝国、あるいは世界中の国々に、大きな変化をもたらす。それだけは、秋山にもよくわかった。




激動の時代が始まろうとしていた。三笠―――後に「船御子(ふなみこ)」、あるいは「船巫女」と呼ばれるようになる少女との出会いが、神なき時代と歴史を動かし、加速させる。


その先に待つものとは、果たして―――

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