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オーバーラップ  作者: 北の大地
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前編

 僕には昔から、世界が重なって見えていた。それは、僕のいる本当の世界と、僕が偽物と呼んでいる世界。家族や友達の存在している世界と、誰にも話しかけられず、触れることもできない世界。そんな世界と世界の狭間で、今も僕は生きている。


 世界はとても複雑だ。今だって右目は太陽の照りつけるアスファルトの道路を映しているというのに、左目には石畳の敷き詰められた小路が映っている。僕はそっと左目の眼帯を下ろした。こんな世界を見せられるのはもうこりごりだ。だってわからないじゃないか。僕が今、本当にこの場所――東京に立っているのか、それだって……




 ぶぅぅぅん


 耳元で耳障りな音がして、僕はしっしと手を振り払った。が、肝心の元凶は僕を嘲笑うかのように僕の周りをぐるぐると飛びまわっている。イラついた僕は、そいつに向かって勢いよく手を伸ばす――


 パンッ


「やーい、逃がしてやんの」


 声がしたと思って僕が振り返ると、そこには茶色いベストを羽織った、軽薄そうな背の高い男が立っていた。というか、僕の親友だ。名前は神崎亮。僕が虫を逃がしたのをちゃっかり見ていたようで、ニシシと笑いながら此方へ近づいてくる。


「よう藤島、お前相変わらずここから下眺めんの好きだよな」


「まあね。神崎はどうしてここへ?」


「お前探しに来た。桜田が、三人で出掛けようってさ」

「桜田さんが……出掛けるってどこへ?」


「さあ?」


 そう言って肩を竦める神崎は、本当に行き先を知らないようだ。同じ寮に住むこいつと桜田さんは、僕のよくつるんでいる相手だ。誰かがどこかへ行きたいと言い出せば、決まって僕ら三人は一緒に出掛けるのが常になっている。今日は桜田さんが発起人らしいが、一体どこへ行きたいのだろう。


 神崎を連れて階段を下り、三階の廊下を進んで、301号室と札の掛かっている部屋のドアをノックする。しばらくすると、ドアが開いて中から茶髪の、活発そうな目をした女性がそろそろと顔を出した。この人が桜田透子。僕の一つ上の先輩で、趣味はテニスとか自称する体育会系だ。

もっとも、大学のサークルなんかには入っていないらしい。その理由を訊くと、


「だって、学校のテニサーなんてのはインカレとかで数ばっかじゃない。そりゃあ真面目にやってるとこだってあるんだろうけど、大概が飲みサーってやつでしょ」


とのこと。大分偏見に満ちた考えをお持ちのようだが、それが彼女らしいというか、なんというか。そんな桜田さんは、訪ねてきた僕を胡乱げな顔で見上げると、少ししてからああ、と頷いて僕に用件を告げた。


「藤島くん、汐出公園に行きましょう」


 それを聞いて、僕は心の中でうげっと呟いた。そこ――汐出公園は、僕の苦手な場所だったからだ。正確には僕の左目にとって、だが。しかし、僕に拒否権はない。なぜなら、これは他ならぬ桜田さんの提案なのだから――





 寮から歩いて徒歩二十五分。僕達は公園の入口に立っていた。桜田さんと神崎の二人は、公園を見て好き勝手に各々の感想を言い合っている。


「わお、噴水じゃん!すごいよあんなに水噴き出してる!」


「知らないで来たのかよ桜田。大体このくらいの噴水なら凄くもなんともねーだろ」


 二人がそんな話をする横で、僕はといえば、一人黙々と左目の眼帯の位置を調整していた。これが外れてしまっては困るのだ。特に、この公園の中では……


「ちょっと藤島くん?なーに黙り込んじゃってるのよ!」

バシッと背中を叩かれたと思ったら、犯人は桜田さんだった。どうやら僕が喋らないのが気にくわないらしい。かといって、僕とて無駄な世間話をして気を緩めたくはないのだ。どうせ分かっては貰えないだろうが。僕は渋々二人の話題に乗っかった。


「僕もこんな噴水見たことないから、すごいと思うよ」


 実際は以前にも見たことがあるのだが、適当に相槌を打つ。ほら、やっぱりね~と言う桜田さんと、いやだから別に噴水なんて珍しくねーってと喚く神崎を横目に、僕は覚悟を決めねばならないようだった。これからこの公園に足を踏み入れるという覚悟を。その時、眼帯の奥で、何かがチクリと蠢いた気がした。気のせいかもしれない、けれども。




 公園内に入った僕らは、ずんずんと先へ進む桜田さんの誘導に引きずられるように奥へと向かう。桜田さんの軽快な足取りとは対照的に、僕が進める足は重たい。一体彼女はどうしてあんなに浮き足立っていられるのだろう。


「この先に、大きな遊具があるのよ」


 訊いてもいないのに、彼女はそう言うと、益々ペースを上げてその遊具とやらに向かって行った。僕の隣を歩く神崎はそれを見てやれやれといった感じだ。僕はやれやれどころか物凄く行きたくないけれど、そんな内心は一緒に歩いている二人には微塵も届かない。言い出すことができない僕も、大概呆れるくらいに臆病者だ。

三人でしばらく歩いて、大きな遊具とやらの前に到着する。見ればなるほどそれは確かに巨大な遊具であった。二つの円筒状の大きなタワーに、ネットのトンネル。タワーとタワーの間には橋が架かっていて、トンネルとは二重構造になっている。これは、桜田さんがはしゃぐのも無理はないかもしれない。なんというか、楽しそうなのだ。辺りを動き回る子供達も、わいわいと騒ぎながら存分に遊具で遊びまわっている。


「おお……すごいすごい!これなんかめっちゃ楽しそうだよ。私も登っちゃおうかな」


「止めとけ桜田、同行人の俺が恥ずかしい」


「僕も止めておいた方がいいと思うよ」


 すると桜田さんはえーっと残念そうな声を上げるが、正直子供に混ざっていい大人があれに登るのはどうかと思う。それでも諦めきれないのか、桜田さんはそわそわと遊具に近づいては子供達の様子を眺めていた。


 それから程なくして、僕達が少し目を離した隙に、非常に残念なことに桜田さんが遊具を登り始めてしまった。小さい階段をせっせと上がる彼女を止めようと、僕と神崎は遊具に近づく。


「おいっ、桜田!降りろって流石に恥ずいから!」


 神崎が焦ったように声を掛けるが、桜田さんはどこ吹く風だ。


「ねぇ!いい眺めだよ。二人もこっちに上がっておいでよ」 とんでもなかった。いい年してこんなところに登れる訳がない。僕はそう言おうとして、桜田さんの登ったタワーの真下で口を開いた。ちょうどその時、


「ねぇ、なぁに、これ?」


 あっと思ったのは一瞬で、気付けば、僕の視界は灰色の世界に支配されていた。右目にぼんやりと僕の眼帯を握りしめた少女が映っていたが、それすらも最早過去の幻影でしかなく――





 今僕の目の前には、石畳の路面が続く殺風景な世界が広がっている。公園も、子供達も、あの巨大な遊具すらどこにも見当たらない……いや、あった。振り向いた先に、遊具ではないが、とても高く天へと伸びた二つの塔が。塔の間には遊具と同じように、だがあんなものよりも遥かに立派な橋が架かっている。僕はそっと右目に意識を集中させた。そこには遊具があった。遊びまわる子供達、それに混ざる桜田さんの姿、それを呼び止める神崎、そして、僕の眼帯を握りしめたまま、不思議そうに辺りを見回す少女。だが僕は最早あの少女から眼帯を取り戻すことができない。それだけではない、僕は今彼女に触れることすらできなかった。


 伸ばした手が宙を切る。ああ、またかと僕は思った。また僕は左目の世界に迷い込んでしまったようだ。今の僕は、左目が映すこの曇天の世界を自分の居場所だと認識している。そして右目の、僕がさっきまでいた汐出公園から僕は「居なくなって」しまった。


 右目には、まだ公園の風景が映っている。でも、その公園に僕は居なくて、桜田さんも神崎も、誰も僕が消えてしまったことには気付かない。いや、僕という存在がいたことすら忘れてしまっているのだ。


「だから、嫌だったんだ……」


 自分がそれを言い出せなかったことは棚に上げて、僕は呟いた。だから嫌だったんだ、この公園に来るのは。この公園で、前もこの世界に引きずり込まれてしまった。前の時はうまく抜け出せたけれど、今回は大丈夫だろうか。


「前はこの遊具のとこまでは来なかったんだよな」


 二つの高い塔を見上げながら、僕はそう呟く。そう、前回とは違って僕の目の前には塔がある。やはりここはお約束に従って登るべきなのだろうか……?


 ふと、視界の端に白いなにかが映った気がした。僕は目を凝らして赤茶けた塔をじっと見つめる。すると確かに、塔の隙間からひらひらと白い手が揺れているのが見えた。

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