忍び寄る新たな能力者
今日の授業が終わった。それは、真琴にとって自由時間が始まったことと同義だ。下らなくはないがつまらない授業が終わって、真琴は椅子に座りながら背伸びをして深呼吸した。つまらない授業のせいで鈍った心をリフレッシュするために真琴はこれを日課としている。
心が澄んだ真琴はいつも通りの日常に感謝していた。奏と未来の入れ替わり事件があったのも数日前の出来事。あの時は本当に二人の扱いに困ったものだと、真琴は苦笑する。幼馴染の想いを素直に受けなかったがために自分を悔やんだ時期もあったが、そんなにウジウジしているわけにはいかない。かといって、何も考えないのもどうかと思うが。
「……まあ、あいつらに余計な負担は掛けたくないしな」
とにかく、自分のせいで奏や未来が心配しないように、真琴は普段通りのテンションで日常を送っている。心の中は、まだ吹っ切れないでいる。
さてと、特に用事は無いし帰るか。
真琴は授業道具をカバンに詰め込んで、椅子から立ち上がる。その時、隣から声が聞こえてきた。その声は真琴の幼馴染であり、入れ替わり事件を起こした張本人であった明日香だった。
結び方を学んだのか、明日香の髪型はポニーテールになっている。いつもの、真琴が見慣れた明日香だった。
彼女は元気よく、立ち上がった真琴に話しかけた。
「真琴! 帰るなら一緒に帰ろうよ!」
明日香は普段の明日香を演じてくれている。真琴にとってはそれが一番嬉しかった。もし、駄々をこねて明日香を演じてくれなかったら、トラブルが激増していたに違いない。
「ああ。別にいいぜ」
特に断る理由もない真琴は明日香の申し出を素直に受け取った。
笑顔を弾ませて、明日香は真琴と一緒に教室を出て、外へと繰り出す。二人で歩き出すと、明日香は我慢ができなくなったのか本性を現してしまった。
「ねえ、まこ兄。今日は何して遊ぶ?」
「明日香……いや悠太君。まだ学校だぞ」
「えー、もう疲れたー」
別人を演じる苦労は真琴もよく分かっているつもりだった。しかし、まだ演じてなければならない。
だが、明日香の体に入っている精神は小学生だ。我慢しろというのも酷かもしれない。諦めた真琴はこの学校を離れるために足を早めた。
その調子で真琴は歩いていたが、校門まで差し掛かった時にとうとう明日香が音を上げた。
「まこ兄……ちょっと早いよ」
真琴は早歩きのつもりだったが、後ろを見ると明日香は小走りで真琴に付いて来ていた。
まあ、校門まで来れば普通に歩いてもいいか。
真琴は早歩きを止めて立ち止まった。
「悪い悪い、校門を出れば悠太君で喋っていいからさ」
「ほんと!? もしかして僕のために早歩きしてくれてたの!? 大好きまこ兄!」
その体で言われると洒落にならないセリフだが、真琴は中身が小学生の男の子ということを知っている。そのため、恋愛感情で言ったわけじゃないということを理解できる。
……ただ一人を除いては、だが。
「おお! まさにTSFの醍醐味! ホモなのにホモじゃない!」
いつの間にいたのだろうか。真琴の隣には未来がすでにスタンバイしていて、真琴と明日香のやりとりに興奮していた。鼻を抑えているのは血を止めようとしているからだろうか。未来は赤い顔をして鼻息を荒くさせていた。
未来の奇行はすでに知っている真琴は、未来の放った一言に対して怒りを感じた。
「誰がホモだこの野郎」
真琴は未来と向き合って彼女を睨みつける。しかし、未来にはまったく効果が無い。己の欲望を再優先させる未来は真琴に向かって命令を下した。
「よし、早く女体化するんだ真琴ちゃん! それなら百合じゃないけど百合になる!」
「これもうわけわかんねぇな」
「ねえねえ、みら姉」
興奮しきっている未来に明日香が話しかける。彼女に気づいてもらうため、明日香は未来のセーラー服の裾を引っ張っていた。
興奮で崩れきった顔をしながら明日香の方に顔を向く未来。
「なぁんだい、あうたちゃん」
「あのね、ほもって何? 後ね、ユリってお花の名前だよね? どうしてまこ兄が女の子になったらお花じゃないけどお花になるの?」
「グフフ、ゆすか君……百合ってのは言葉の綾みたいなものよ。別にエスでもシスでもおめでも何でもいいんだよ。後ホモってのは男とおと――」
「だあああああああ!! 小学生に余計な性知識を与えるんじゃねー!!」
未来の変態講座を中止するべく、真琴は大声を出して未来に怒る。未来は不服そうな表情をしたが、話していた相手の年齢を考えて、不満ながらもため息をついた。
「しょうがない。この話は十年後にみっちりと教えてあげよう」
「えーまこ兄とみら姉だけ知ってるの? ズルいよー僕にも教えてほしいよー!」
「悠太君! 君にはまだ早すぎる知識なんだよ! だから気にしないでくれ!!」
自分だけ教えてもらえないことに、明日香は頬を膨らませてふてくされ始める。
クッソー……余計なことをしやがったな未来め……。
真琴はどうやって悠太の機嫌を直そうか考えるが、そんな彼に助け舟を出してくれる存在が真琴たちに向かって来ていた。最後の一人、奏だった。
奏は集まっている三人の中に加わろうと駆け足で向かっていく。そして、三人の表情を伺って大体のあらましを掴んだのだった。
「なるほど。未来が明日香ちゃんに余計なことして真琴くんが困ってるんだね」
「決めつけは良くないなぁ奏ちゃん! 私が迷惑をかけたなんて、限らないじゃないのん!」
「真琴くんが迷惑をかけるだろうか、いやない」
「反語で反論してくるとは……! ていうか、あすたちゃんには『ちゃん』付してるのに私は名前しか呼んでくれないんだね」
「アンタには名前だけで十分よ。記憶喪失した時にいっぱい呼んであげれば良かったねー。……絶対に言うもんですか」
「ぐぬぬ……」
「明日香ちゃん、よく聞いて」
奏はまるで自分の子どもを諭すかのような優しくも真剣な表情で明日香に顔を向けた。
ふてくされていた明日香は、奏の表情を見て頬をしぼませた。
「知識には段階があるの。正しい時に正しい知識を身につけることが大事なんだよ」
「でもさ、心は小学生なのに今の体ってこうこ――ムグゥ!」
奏にツッコミを入れようとする未来の口を真琴が塞ぐ。余計なことをしないように、真琴は彼女の息が止まるくらいきつく口を塞いだ。
奏の説得に明日香の機嫌も治りつつある。それどころか、感心して聞き入っていた。
「だから、明日香ちゃんにはまだその知識は早いの。あともうちょっとしたら勉強できるから、その時まで待ってほしいな」
「ムグゥー! ングーー!!」
「……うん分かったかな姉!! 僕我慢する!」
「よしよし、偉いぞ」
「グー! グ……ウ……」
聞き分けのいい明日香に、奏は彼女の頭を撫でながら褒めている。二人の間にほのぼのとしたいい雰囲気が流れる。真琴はその雰囲気に胸がほっこりして安心していた。
しかし、その裏で一つの生命が終わりを告げようとしている。呼吸ができない未来が、目を閉じて眠りにつこうとしていたのだ。永遠の眠りに。
「うおっ!? 大丈夫か未来!!」
未来の様子がおかしいと思った真琴が彼女の様子を見ると、ピクリと動かなくなっていた。驚いた真琴は手を離して彼女に新鮮な空気を提供する。間一髪で呼吸することができた未来は口で空気を目一杯吸った。
「……ブハァ! 死ぬかと思った……」
「わ、悪かった未来。まさかそんなに強くやってるとは思わなくてさ」
「酷いよ真琴ちゃん! 私はただ正論を言おうと思っただけなのにー!」
真琴に向かって両手を振りながら怒ってる未来を無視し、奏と明日香は話を続けていた。
すでに奏に懐いた明日香は、真琴よりも奏と遊ぶことを決めた。
「かな姉! 僕、今日はかな姉と遊びたい!」
「いいよ。何して遊ぼうか」
「んーとね、ゲームしよう!」
「うん。行こうか」
奏は明日香に手を差し伸べ、明日香は迷うことなく彼女の手を取る。すっかり、奏は明日香のことを小さな子どものように扱っていた。
二人は仲良く校門を出る。本来ならばこのまま二人の仲のいいシーンが続くはずだったが、奏に会いに来た一人の小学生によって遮られてしまった。
学校の帰りなのだろうか。デニムとジャケットを着たその小学生は奏に話しかけてきた。彼女は奏を見て目を輝かせていた。
「あの……相田奏さんですよね?」
「う、うん。あなたは誰?」
「諌見。名光 諌見っていいます。あの、この間の剣道の試合とっても感動したんです!」
「かな姉、この人だれ?」
明日香に聞かれたが、奏は目の前で尊敬の眼差しを向けている少女を知らない。諌見と名乗った少女は奏に対して深いお辞儀をした。ここまで慕ってくれているのならば誰だって悪い気はしない。奏は目の前に現れた不信すぎる人物をすっかり信頼してしまっていた。
逆に、明日香は諌見に嫉妬が生まれ始めていた。まだ独占欲が強い年頃の明日香は、明らかに不快な表情をして諌見を威嚇する。
「この前の試合っていうと全国大会の予選のことかな? は、恥ずかしいな……」
予選にすら勝ち残れなかった奏にとっては、正直言って自慢できる大会ではなかった。全国大会優勝者なら憧れを持つくらい普通だが、何故自分に興味を持ったのか。奏は疑問に思った。
「でも、どうして私なの? 悔しいけど予選敗退だったし、剣道が上手い人なら他にもいるよ?」
「違います! 剣道は上手い下手では語れないんです! 私は男性に勝ちたいって思う奏先輩の意思に、心の強さにすっごく感動したんです。私も、強くなりたいなって思ってて……」
「諌見ちゃん……」
諌見の力強い演説に、奏は思わず涙を溜めていた。彼女の言葉に奏は感動したのだ。
奏は諌見の手を取り合って、ウルウルしている目で諌見の顔をしっかりと見つめた。
「私のこと、分かってくれる人がいたなんて嬉しい。諌見ちゃん、ありがとうね」
「まこ兄だってかな姉のこと分かってるじゃん」
「や、野暮なことは言わないでよ明日香ちゃん」
いい雰囲気だったのを、嫉妬心の塊になっている明日香がぶっ壊す。流れ出そうだった涙も引っ込んでしまった。ある意味で、奏は良かったのかもしれないが。
奏の心を掴むことに成功した諌見は更なる追い打ちをかける。そう、二人きりになれるように言葉を巧みに操っていく。
「私も剣道を通して奏先輩のような強い心を持ちたいんです。稽古……お願いできませんか?」
「……分かった。私でよければ稽古してあげる。あ、私の稽古じゃ剣道は強くなれないかもしれないけどいいかのかな?」
「はい! 奏先輩と稽古すれば、強くなるのは心ですからっ!!」
「そういうことだから明日香ちゃん。ゲームはまた今度ね」
「ぶーぶー、僕との約束……」
不満を口にする明日香をなだめつつ、奏は諌見の小さな手を握って学校へ戻っていく。校門前で未だに口論をしている真琴と未来を通りすぎて、奏は武道場へと向かう。
「……ん?」
明日香は手を繋いで仲の良さそうに歩いている二人、特に諌見を見てふと懐かしい感じがした。どこかで見たようなそんな感情が湧き出てきたのだ。しかし、今の明日香にはそれが何なのか分からない。そんなことよりも、彼女は嫉妬心を燃え上がらせることに集中した。
戻ってきた奏を見た真琴は未来とのケンカを止めて奏を呼び止めた。
「あれ? どうした奏。忘れ物か?」
「ごめんね真琴くん。私、ちょっと用事が出来ちゃって。この娘の面倒見ることになったから」
「この娘……?」
奏しか見ていなかった真琴は奏と手を繋いでいる少女を認識する。ツインテールが特徴の小学生くらいの少女。特にこれといって違和感を持たなかった真琴は至って普通の反応をした。
「そっか。じゃあな奏。また明日な」
「うん。明日ね」
奏と諌見は学校へと歩いて行く。
未来は諌見の姿を見て何かを気づいたようだった。いたずらっ子の表情で、真琴の頬を人差し指で突っついた。
「真琴ちゃん。あれが新たな能力者じゃないの?」
「ハァ? あんな小さな子どもだぞ……ってすでに巻き込まれた子どもがいたっけか」
「そうそう。誰が能力者か分からないのが醍醐味ってやつだよね」
「……でも、変な感じはしなかったけどな」
それに、能力者だとしても奏ならば戦って勝つことができるだろう。そこまで深く考える必要はないはずだ。
そう思った真琴は再びふてくされている明日香の面倒を見るために、彼女の元へと向かった。




