思い出の明日香
額に冷たいものを認識した時、真琴の意識は目覚めた。重たい目を開いて見た景色は清々しい青空だった。
真琴が起き上がると、何かが頭から下半身へと落ちた。よく見てみると白いタオルだった。
俺、熱なんてあったか? 真琴はボーっとしてまだ動かない脳内で必死に考えを巡らせるが、そんな記憶などなかった。辺りを見回せば、まだ自分が神社にいることを認識できる。
傷を確認するが、明日香に傷つけられた部分には包帯が巻かれていた。誰かが手当をしてくれたのだろう。
「あ、目覚めたんだね」
「未来……いや、今は奏か」
「傷の手当はしたんだけど、その後どうすればいいか分かんなくて……。とりあえず、雰囲気でタオルを乗せてみたんだけどどうかな?」
「いや、俺熱でてないしなぁ」
寝起きだからか真琴のツッコミも元気のないものとなっている。
未来は落ちたタオルを拾って苦笑いをした。笑って誤魔化そうとしている未来だった。
「ハハハ……やっぱりそっか。あ、幼馴染なら向こうで起きてるよ。記憶もちゃんと悠太君になってる」
「そうか。今、行ってくる」
明日香が目覚めているのなら話は早い。何故彼女と入れ替わってしまったのか、その謎を解明するべく真琴は立ち上がって歩き出した。
しかし、未来は真琴を呼び止めた。
「待って。今ここでこんなこと言うのはアレだと思うけど……真琴くんは幼馴染のことが好きなの?」
真琴はここできっぱり断ることができたがしなかった。
もし、明日香の入れ替わりの原因が自分にあるなら、ここで答えを出すことは明日香の想いを踏みにじると共に、自分勝手な男であると思ったからだ。
「その答えは待って欲しい。俺の気持ちに整理がついたら、絶対に話す」
「私が真琴くんを好きでいるまでに聞けると嬉しいな」
「……約束する」
未来の言葉を重く受け止めながら、真琴は明日香の元に歩き出した。
明日香は鳥居の向こうの景色を見ていた。今彼女は何を思っているのだろうか。真琴は複雑な気持ちになりながら、明日香に話しかけた。
「悠太君?」
「え?」
声をかけられた明日香は真琴に振り返り、とびきり可愛らしい笑顔を見せた。
「あ、まこ兄! ごめんなさい、僕……あす姉のモノマネしてて……」
声は明日香なのに、口調は悠太そのものなのが真琴にはおかしく感じられる。だが、それは悠太の意識が戻ったという証でもある。
真琴は彼女の横に立って状態を聞くことにした。
「いや、いいんだ。体の調子はどうだ?」
「うん! 元気だよ! ……でも、何だろう。まこ兄と話してると少し悲しくなっちゃうんだ」
それは明日香の記憶がそうさせているのだろうか。それを聞くのも重要だったが、まずは何故入れ替わってしまったのかを聞くことが優先だった。
「なあ悠太君。どうして君と明日香が入れ替わったんだ?」
「僕が悪いんだ。あす姉と遊んでた時にね、僕が道路に飛び出しちゃって車に当たって……。その後はあんまり覚えてないんだけど、『死なせない』って言ってたからあす姉が助けてくれたってのは分かるんだ」
「……そうか」
「ねぇ、まこ兄。あす姉の伝言を言ってもいい? 『私の想いは届かなかったけど、真琴の信じる明日が幸せなら、それで満足』だって」
「……そ……っか」
真琴は、明日香もただの幼馴染と認識していると思っていた。彼は彼女に対して恋愛感情ではなく、友情を感じていた。だからこそ一緒に遊び、悠太の相手をしていた。だが、その関係は明日香の告白によって終了してしまった。そこからバランスが崩れ去り、真琴は前のように明日香へ気軽に話しかけにくくなってしまった。
真琴の知る明日香はもう戻っては来ない。それを実感した真琴の心に大きな穴が空いた。失ってから始めて気づいてしまった大切さ。かけがえのない存在を蔑ろにした事実。
この奇妙な喪失感は、真琴にはどちらの感情か分からなかった。恋愛感情なのか、友情なのか。だから真琴はただこの場で泣くことしかできなかった。
「ごめんな明日香。俺、本当にバカ野郎だな……」
未来を恨みそうになる。だが、これは完全に自分のせいなのだ。真琴は未来に対する想いを変えたくない。今、彼は必死に自分自身のわがままな感情と戦っていた。
真琴は様々な感情を一気に胸の奥へと押し込み、憎しみに耐え切った。
明日香は真琴がずっと横で泣いているのを心配している。
「ねえ、大丈夫?」
「大丈夫だ……うん、もう大丈夫……」
全て自分のせいだ。自分が事を起こしてきたんだ。
もしかして、この能力を授かったのも自分のせいなのか? だったら、俺は余計に人を不幸にしているのか……?
自分を責めるあまり、余計なことまで自分を責め立ててしまう真琴。今の彼は人生で一番自責の念にかられていたのかもしれない。
これ以上明日香を心配させても仕方ない。真琴は涙を拭って恨みの感情にケリを付けた。
もう、大丈夫だ。未来を恨むなんてことしない。悪いのは全て自分だ。
真琴は自分の感情を隠すため、敢えて笑みを浮かべて別の話題を明日香に振った。
「それより、悠太君。これからどうするんだ? その体で生きていくのか?」
「もちろんだよ! あす姉のくれた大切な体だからね。あのねまこ兄。これからは、ちゃんとあす姉を演じてみせるよ」
「……ああ。だけどそれだけだと辛いだろ? 俺や未来、奏と一緒にいる時は素を出しててもいいからな」
「本当!? 良かったぁ、ずっとあす姉の真似ばっかりだったらどうしようかなって思っちゃった」
「悠太君……いや、明日香。お願いで悪いんだが、奏と未来を元に戻してくれないか?」
「うん、いいよ! 行こうよまこ兄!」
健気に微笑んで未来たちがいる場所へ駆け出す明日香。
真琴はそれを眺めながら一瞬だけ考え事をした後、何事も無く歩き出した。




