彼の決意、彼女の信念
気分が落ち着いた奏は床に伏せていた自分の体を起こして立ち上がる。奏の無表情に、戦闘を警戒した真琴だったが、奏は変身を解いて女の子の姿を見せた。彼女の右頬は先ほどの戦闘の影響で赤く腫れていた。それを見た真琴は申し訳ない気持ちになった。いくら勝つためだとはいえ、女の子に手を出してしまったのだ。自分の拳で女性を殴った感触は、嫌に残っている。
真琴の気まずそうな表情に対して、奏は頬を触りながら呟いた。
「何? 今更後悔してるの? 気にしなくてもいいわ。これは私なりのけじめだから」
「でも俺、女の子に向かってこんなこと、やっぱりダメだなって思って……」
「勝利者はあなた。だから、話してあげる。私の過去を」
構えていた竹刀を床にそっと置いてから話を始めた。
「私は家族に差別されている。今も、これからもそうだと思う」
「え? どういうことですか?」
「上に兄が二人いるの。私は末っ子の妹。兄たちを可愛がって、私に対して。上の二人は怒られなかったのに、何故か私だけ怒られた時もあった。いつも兄たちと比べられてた。親は私のことなんかどうでも良かったんだ」
奏の言葉に、嘘偽りはないだろう。真琴は直感でそう信じた。奏が話す両親と兄。それらが全てただの『役割』でしかないような棒読みが物語っている。
「女の子だからって、いろんなことを規制され続けてきた。だけど、唯一許されたことがある。それが、これ。最初は嬉しくて恥ずかしかった。でも、やっぱり私の親は親だった」
「奏さんに無関心だった……ってことですか?」
「そうよ。剣道部に入ったら入ったで、また男女の差別があった。家でも外でも差別にうんざりしてた私はある日、能力を手に入れた。そして、気づいたら私を差別してた部員をこの能力で……」
今まで溜め込んでいた感情が溢れだしてきているのか、奏の声色が次第に不安定になっていく。悲しみに震える唇と目が一層彼女の語る過去を悲惨なものにしていた。
「なんで私だけ愛されなかったんだろ。私だけ、家族にも部員にも差別されてたの? 私が女の子だから? 弱い子だから? だから、神様はこんな私を可哀想に思って能力を授けてくれたの?」
「奏さん……」
「ズルいよお兄ちゃんたちだけ。どうして私だけ怒られないといけないの? 私だけを見てよ。私だって、甘えたい……」
「……俺じゃ、力不足ですか?」
「え?」
「俺が奏さんを愛します……親の分までいやそれ以上に。それで、絶対に守ってみせます。だから笑顔を見せてくださいよ。始めて会った時……俺が女の子に変身してた時に向けてくれた、あの笑顔を」
「勝手なこと言わないでよ。別に同情されたいから過去を話したわけじゃないの! あなたが戦いに勝利したから、仕方なく言ったのよ! あなたに私の気持ちが分かってたまるもんですか! 男のくせに!!」
「正直に言って、奏さんがどれほどの時間を悲しんだかは分かりません。だけど、俺は話を聞いて、奏さんの力になりたいと思った! それは本当です!」
真琴は涙を溜めている奏に少しずつ近づいていく。警戒心が薄れるように、ゆっくりと歩き自分が敵でないことをアピールする。最初は嫌悪を抱いていた奏も真琴の真剣さに心を動かされ、近づいていくる真琴に対して攻撃も防御もせず受け入れつつあった。
これで二人の絆が深まり、新たな歴史が刻まれる。はずだった物語は、突然乱入してきた人間によって遮られてしまった。その人間は真琴に呼びかけた。
「よくやったと礼を言っておこう、真琴君」
自分を呼ぶ声がした方へ首を向けると、真琴は彼を認識した。ボロボロのコートを着て、無精髭を生やしつつ、常に手にはタバコを携えている彼を。いきなりの出現に対しまたかと思った真琴だったが、今回ばかりは彼にキツく当たってしまった。
「なっ! さすがに空気を読んで下さいよ!」
「空気? 私は空気を読んでいるよ。戦いが終わってから行動を起こしたのだからね」
何故か、奏は男性を見て体を竦ませている。まるで、ライオンに睨まれた弱小動物のように。
すでに意識は男性に向かっていた真琴は彼女の些かな反応に気づかず、言いにくそうに男性に話を始めた。
「……あの、ちょっと相談があるんです。いいですか?」
「何かな?」
「俺と奏さんの能力奪うの……少し待っててもらっていいですか?」
「理由を聞こう」
「奏さんは今まで苦しんでました。残念ですが、それを体感できない俺がいくら共感した所で彼女は救えない。だけど、今日から俺が彼女を守るって決めたんです。お願いします。記憶、消したくないんです」
真琴は男性との取引を破談させてしまうことに対して詫びの気持ちが強まり、頭を下げた。もしかしたら、男性は自分の気持ちを理解できるかもしれない。そう思った真琴だった。しかし、現実は非情にも、真琴の思い通りの展開にはさせてくれなかった。
男性はタバコを口から離し、武道場の床に捨てた。火を消すためにすぐにタバコを踏みつけて消火する男性の機嫌は明らかに悪かった。
「やはり、ゆとりには任せておけないな」
「お願いします。また別の能力者を探します。その能力で何とか……」
「国の教育は間違っていたようだ。一度した約束を破るというのはどういうことか、分かっているのかな?」
不機嫌な男性は真琴に敵意を向けて歩いてくる。真琴は迷っていた。男性と戦うことになれば、もう二度と親しい関係に戻れないかもしれない。だけど、後ろにいる奏は救いたい。真琴を縛り付ける天秤はどちらにも揺れず平行を保っている。
とうとう真琴の目の前に男性が立ちはだかる。今の男性は、真琴には何十倍にも巨大に見えた。
男性は真琴に向かって、長く太い脚を繰り出して顔面に命中させた。ちょうど脛の部分で顔を蹴られた真琴は一瞬のうちに吹き飛ばされ壁に激突した。ダンッ! っと大きな音を立てた武道場の壁は真琴が当たったくらいで壊れはしなかった。多少の亀裂は入ったが……。
守る者がいなくなった奏は怯えを加速させる。男性は弱気になっている奏に対して冷笑を浮かべた。
「奏……君も君だ。我が子供と云えど、残念だよこの結果は」
「何だって!?」
「おや? 真琴君は知らなかったか。奏は私の娘だよ。兄たちと違って粗悪品だがね」
「それ以上奏さんを悪く言わないで下さい!」
「何故君が肩を持つのか疑問だが、まあいい。もう奏は不要だ。能力を渡してもらおう」
男性は恐怖で動けない奏の顔を手でガシッと掴み、ブツブツと何かを唱え始めた。それと同時に奏は苦しみ始める。だが、奏は苦しみの中で一人の名前を声に出していた。
「あ……ああ……! ま……まこ……!! わたし……消えたく……な――」
「奏!!」
「これで、能力は私が貰った。最初からこうしていれば、面倒がなかったかもしれんな」
「何で能力なんか欲しがるんだよ……こんな能力に固執するんだよ……!」
「享受を受けたのさ。この力が世界を変えるとね。この腐れ切った世界を浄化させるには力が必要だからね」
用済みになった奏を、男性は床に投げ捨てる。まるで、タバコの一つを消費しただけのような感覚で投げ出された奏の意識なき体が床に叩きつけられる。それから、男性は奏を踏みつけた。
「おっと、ついタバコの癖が出てしまった」
自分のミスを認めながらも奏を踏み続けている男性に、真琴は遂に怒りを露わにした。
「あなたって人は……! 実の娘でしょうに!!」
「娘と言えどただの女だ。女は男の言う通りに生きればいいのだよ。それが何だコイツは。自意識というおおよそ女性に必要のない感情を持ち合わせたただの木偶の坊だ」
「どうしてそこまで女の子を!」
「今日の所は今までに免じて退いてやろう。ただし忘れるな真琴君。君の持つ能力もいずれ奪いにくるということを」
男性は真琴にそう告げると、風を切る音を立てながら消えていった。
足を引きずりながら、力なく倒れている奏に近寄る真琴。彼女の心配をしつつ、記憶の確認もしたかった。
目を閉じて気絶している奏に、真琴は彼女の体を揺さぶりながら必死に呼びかける。しかし、彼女は目覚めなかった。
「奏さん! 起きて! 奏さん!! ……ダメなのかよ」
その時、武道場のガラスが一枚割れた。そこから飛び出してきた者、それは未来だった。床に散らばるガラスの上に未来がしゃがみ込み、そしてガラスが散らばっているにも関わらず彼女は手を床に力強く叩きつけた。
「未来参上! さあ、敵はどこだい!? ――っていったぁーーい!!」
「何なんだよお前は……」




