悪夢の終わり、悪夢の始まり
凛音は信じられないといったような、目が強張った表情をして奏を凝視している。奏の選択が、凛音にとっては到底理解できない物であるが故、声を荒げてしまった。
「おかしい……! 君たちは頭が変なんじゃないのか!? そいつは! 未来は魔王の生まれ変わりなんだぞ!!」
「もう止めようよ、勇者……。前世の記憶は、今ここに存在しちゃいけないんだよ」
前世の記憶が蘇っている奏は服の袖を力強く握りしめて切なそうな表情を見せた。袖は握りしめたせいでシワになってしまっている。
一方の真琴は凛音に対して真剣な表情で未来を守るための言葉を口にする。
「例え前世が俺の敵だったとしても、今は俺の大切な仲間だ」
「プリンセス……」
「俺はプリンセスなんかじゃない。佐伯真琴って名前がある」
「そんな……そんな! 僕は認めない! 未来! 貴様がいつかこの世界を滅ぼすんだ!」
凛音は人差し指で未来に向かって指を指す。狂ったように叫ぶ凛音に未来はビクッとして体を震わせる。しかし、真琴は未来の前に出て彼女を守るように立つ。
真琴の言い分を聞いてさらに混乱した凛音はなりふり構わず周囲に魔法で攻撃を始めた。
「あああ……魔王は……僕が殺さないと……!!」
「勇者……記憶が蘇ってから今日までのことは悪い夢だったんだよ。だから私の前世の記憶と共に埋めよう……?」
奏は新たな剣を生成し握りしめて、凛音に向かって振りかざした。奏が願って生成させた剣は『殺傷能力を持たず、ただ能力が剥がれる剣』だった。
奏の剣が凛音の体を一刀両断し、凛音は体を痙攣させて地面に転がった。彼女は最後まで、未来について悪態をついていた。
凛音の体から光の塊が出てくる。奏はそれが能力の光だと確信する。もう誰にも触れさせないように、奏は自らその光を取り込んだ。
「くっ……うっ……!!」
「大丈夫か、奏」
「う……ん。平気……」
一瞬だけ前世の記憶に支配されそうになった奏だったが、持ち前の気力を振り絞って、制御することに成功した。
憑き物が落ちたような穏やかな表情で、凛音は地面で寝ている。やっと元の表情に戻ったことで、奏は安堵して凛音を背負うために彼女に触れた。
「あらあら。勇者様はいなくなってしまったのですね」
「――その声は!」
真琴が振り返った先にいた者。それは真琴たちが倒して能力を奪ったはずの八戸都だった。彼女は能力を奪う前と同じように、えくぼを作って怪しげに控えめに笑っている。
「どうしました? 私の顔に何かついてますか?」
「あんた、俺たちのことを覚えているのか? 能力は俺たちが回収したはずなのに……」
「ええ。昨日のことのように思い出せますわ」
「どうして? 何で!?」
今までの経験からあり得ない人物の登場に、未来も思わず声を出してしまう。八戸都は未来に顔を向けて、口元を歪めた。
「ふふっ、未来さん、あなたと同じなんですよ? あなたは覚えてらっしゃらないかもしれないですけど、ね」
「覚えてない……? 魔王のこと?」
「いいえ、あれは私の嘘ですよ。現に、勇者様が能力を未来さんに向けて発動した際、あなたは前世の記憶を取り戻しましたか?」
「……いいえ、ただ気持ち悪くなった。それだけ」
二度と思い出したくない気持ち悪さに、未来は喉の辺りがむず痒くなってくる。
あんな思い、味わいたくない。
「私はあなたが疎ましいのです。ですから色々と策を練ってあなたを殺そうとしたのですが……徒労に終わったようですね」
「何が目的だ八戸都。何で未来を狙う!」
「しいて言うならば『ずっと振り返っていたい。夢の様なまどろみへ永遠に触れていたい』そんな意味深な理由にしておきましょうか」
「……ふざけないで!」
今まで沈黙をしていた奏が立ち上がって八戸都に剣を向ける。怒りに手が震えている奏だったが、内心、八戸都というイレギュラーな存在に恐怖もあった。何故彼女が記憶を保っていられるのか、今までとは違う不安が奏を襲っていた。
八戸都は奏の震えを、まるで子犬を見つめるような慈しみの視線を送って彼女を挑発する。
「あらあら可哀想に。せっかくですからうるうる目の視線をプレゼントして差し上げましょうか」
「……どこまでも人を挑発して!」
奏は思わず駆け出しそうになったが、それは真琴に止められた。真琴の方が一歩冷静だった。
「待て奏。八戸都は何か企んでいるから挑発してるんだ」
「ご、ごめん真琴くん……」
「まあ、私も万全の体制ではありませんし、戦いはまた今度ということでよろしいでしょうか?」
「万全の体制じゃない……?」
「真琴くん、やっぱり今ここで叩いた方がいいと思う!!」
「奏!」
真琴の静止を振り切り、奏は剣を持って八戸都へと立ち向かっていく。自らが殺させそうな瀬戸際だというにもかかわらず、八戸都は余裕の表情を見せていた。
「奏さん。あなたは『変身』の能力を使っていますね? そして、ついさっき無から好きな有……望む物を自由自在に作れる能力を使ってしまった」
奏は剣を振るって八戸都を切断しようとする。しかし、八戸都は剣筋が見えているのかいとも簡単に避けきってしまっている。
「だったら、何だっていうのよ!!」
「あなたがそこで無から有の事象を……因果を歪めてしまったから、あなたの剣は避けられてしまうのですよ? 皮の能力者と戦ってその能力に目覚めてから、勝てないとか、自分の意志通りにいかないとか、そんな理不尽がありませんでしたか?」
「何ですって!?」
戦いの最中に記憶を一々整理しているわけにはいかない。全部八戸都の妄想なんだ!
奏は戦いに集中して、八戸都を殺すことだけを考えていた。
「一度因果を歪めてしまったら、別の因果が歪む。つまり、今のあなたが『勝ちたい』と思えば思うほど『負ける』因果が発生してしまうのです」
「だったら負けるって思えばいいのかしら!?」
「ええ。あなたが心の底からそう望むのであれば、ですけど」
そう言って、八戸都は突然小学生の体を奏に向けて投げつけた。心臓の部分が血まみれになっているその体を見て、奏はその姿を凝視して叫び声を上げた。
「諫見ちゃん!! どうしてこんなことに!!」
「勇者様を乗っ取ろうとしたから、つい殺してしまいました。こういう時、テヘペロっていうんでしたっけ。この世界では」
「……クッ!!」
奏の胸の中で横たわっている諫見を見て、奏の感情は高ぶっていく。歯ぎしりをして、どうしても目の前の八戸都を『殺したい』という感情が湧いて出てくる。
「どうです? 人間、簡単には感情を支配することはできないでしょう?」
八戸都の言うことが本当だとすると、奏が諫見を『生き返らせたい』と思ったら、俺の能力を使っても『生き返らない』可能性があるってことか?
八戸都の言っていたことに思うところがあった真琴は即座に奏の元へと走り、諫見の遺体を引き取る。頭に血が登っている奏は真琴に遺体を預けた後、再び八戸都に当たらない剣を振りかざしていった。
「諫見、今生き返らせてやる……」
「真琴ちゃん……そうすればまた……」
「安心しろって。何とか抑えこんでみせるからさ」
真琴は未来に笑いかけて、諫見に手をかざした。諫見の体が光輝き、傷が治っていく。最初に諫見の手がピクピクと動き始め、それからまぶたが開いて諫見が目を覚ました。
何故自分がここにいるのか分かっていないのか、ボーッとしながら真琴たちを眺めている。
「あれ……? 私、確か凛音先輩と戦ってたと思ってたんだけど……」
「一回死んで、俺が生き返らせたんだ。感謝しろよ?」
「え?」
あ、そうだった。私、八戸都に無防備になった体を貫かれて……。
真琴が何か言葉をかけようとした瞬間に未来が割り込み、諫見の体を抱きしめた。
「諫見ちゃん……! 無理しちゃダメだよ。今度はみんなに相談してよね……?」
「……ごめん。未来先輩」
「クッ!! 逃がした!」
奏は舌打ちをして、逃げてしまった八戸都に向かって悔しそうに唇を噛み締めたのだった。




