平和すぎた世界
「やはり、この娘と同じ行動をしなければならないのか……」
凛音は苦虫を噛み潰したような表情をしながらセーラー服を引っ張っていた。慣れないスカートを履いているためか、しきりにめくってみては不安げな表情を見せる。
八戸都はあくまで落ち着きを見せつつ優雅な出で立ちで凛音に説明を始めた。
「ええ。それがこの世界のルールというものなのですよ。女はその服を着て学校という場所へ行くのです」
「……仕方ない。これも未来を始末するまでだ」
「では、私は一度未来たちに姿を見られているので……」
「ああ。すまなかったな、色々迷惑を掛けてしまって」
「いえいえ。これも世界の平和のためですから」
そう言って、八戸都は凛音から離れた。
二人がいたのは学校の通学路で、途中から八戸都のみルートを変えて移動している。それは彼女自身が言っていた通り、未来たちに怪しまれないようにするためだった。
立ち止まってても仕方ない。そう思った凛音は目を凝らしながら道を歩き始めた。
凛音の視界には彼女と同じ高校の生徒もすでに歩いている。日常の一光景で凛音の雰囲気が変わったことに気づく者はいない。
通学路を歩いている生徒たちは、およそ平和を享受しすぎて阿呆になっているように見えてしまう。
「……平和すぎる。これが本当にあの世界と繋がっているのか?」
平和になり過ぎたのか?
凛音は薄い箱を手にもって歩いている生徒たちを訝しげに眺めながら、ある動作を待っていた。しかし、凛音の思っているような仕草は誰一人として行わない。知識すらない。
「平和で、とうとう人間は魔法の使い方まで忘れてしまったというのか……」
「お、凛音じゃないか。おはよう」
自分の名前を呼ぶ声に誘われて振り向くと、そこには真琴が立っていた。そして、真琴の傍らには奏もいる。奏は学生カバンの他に部活で使用する部活道具を入れた細長いカバンも肩に下げていた。
「あ、あ……おはよう、です」
「ん? どうしたの凛音ちゃん? 何かあった?」
「いや、何でもないです……」
ふーんとでも言うように、奏は凛音の変化に気づきはしたがスルーした。凛音だってテンションが低い時もあるだろう。更に朝となれば元気な人間はさらに限られる。
トボトボと歩いていた凛音の横について一緒に歩き始める真琴と奏。凛音は少しだけうざったいと思いながらも、怪しまれないように付き合うことを決意する。
だが、そう思っていられたのも数秒間だけだった。ふと真琴を見た凛音の記憶に突然、前世の記憶が蘇ってきたのだ。そして、それは前世のある人物と真琴が重なって見える。
「へ? うおおおお!? 凛音、何してんだお前は!」
凛音は目を丸くして、思わず真琴に抱きついてしまった。感動的な再会だった。
「……こんなところにいたんですか」
「こんなところって、ちょっと酷くないか? 今日、最初に声を掛けたの俺だぞ」
「――我らのプリンセス」
「……はい?」
真琴は思わず周りを見渡してカメラがないか確認する。もしかして、これは凛音の仕組んだドッキリ、もしくは演劇の練習だろうと思ったのだ。一応、奏にアイコンタクトを取った真琴だったが、頼みの綱の奏は必死に頭を横に振っていた。
何故か、凛音の目に涙が溜まっており、ますます訳の分からなくなる真琴だった。
「あなたもいたのですね。どうやら、性格は少し違うようですが……」
「凛音、一応言っておくがな、あの時の俺は副作用でおかしくなってただけなんだ。本当の性格はこっちだからな」
「あなたがいらっしゃるだけで、僕は強くなれる」
「いきなりの僕っ子宣言かよ。というか、いきなり正しそうな敬語を使うんじゃないよ。昨日まで『ですっ子』だったろうが」
「さあ、こんな場所、あなたには不釣り合いです。どこかに行きましょう。場所は――」
「不釣り合いってな、俺は学生だぞ! ってかお前も学生だろ」
「真琴くん、ちょっと……」
引っ付いて中々離れない凛音を強引に引き離して、真琴は奏の近くに寄った。奏の表情は真琴に対して疑惑の眼差しを向けていた。
「いつ能力を使ったの?」
「え? 俺が?」
「……ん」
「バカ言うなよ。いくら俺がバカでも凛音の性格を変えるためだけに陰陽の力を使うかってんだ」
「でも、今日の凛音ちゃん凄くおかしいよ。まるで、真琴くんがおかしくなった時みたいな……」
「おお! そこにいるのは我が親友じゃないか!!」
「――え?」
凛音は次に奏に目をつけたようだった。旧知の間柄のような、奏に向ける熱い視線。凛音は再び涙ぐんでしまっている。
「親友! お前もこの世界に生まれついたんだな! 僕は嬉しいよ!」
……親友。凄くいい響きかも。
違和感を訴えた奏の良心は『親友』という二文字だけで消え去り、奏は凛音の手を取り合った。
「凛音ちゃん……! 私もあなたのこと親友だと思ってるよ!」
「もしかして、記憶があるのか?」
「き……きーおくぅ?」
トンチンカンなことを言う凛音を見て、奏の良心が帰ってきた。
いっけない。また変に騙されるところだったかも。とにかく、凛音から話を聞かなくちゃ。きっと真剣な悩み事があるんだわ。
そう思った奏は凛音に話しかけようとしたが、状況をさらにややこしくさせる人物が登場してしまった。
「やあやあ真琴ちゃんに奏ちゃん、そして凛音ちゃん! みんなお揃いだね!」
「お、未来か」
「私もいるよ、真琴先輩」
「へえー、諫見もいるとは珍しい。どうしたんだ?」
「えへへ、未来先輩にお弁当作ってもらっちゃって」
「未来がねえ……」
未来を感慨深そうに眺める真琴に、未来は頬を膨れさせて怒りの感情を露わにした。
「真琴ちゃん、その目は何よ!」
「いや、お前でも弁当作れるんだなって思ってな」
「あー、酷いこと言ってー! その言葉、女の子は結構傷つくんだぞ。そんなこと言ってたら……真琴ちゃんには弁当作ってあげないよ!」
「作って……くれるのか?」
「へっ!? あ、あ、あ……いや、その……ね。こ、言葉の綾ってものよ」
膨らませていたのに、急激にしぼんでしまい顔を赤らめさせる未来。一方、変な想像が膨らんでしまって手で口元を隠しているが明らかに赤面している真琴。
「――ってことなのよ凛音ちゃん。……あの、聞いてる?」
真琴と未来が会話している間にも、奏は凛音の悩みを聞いてあげようと必死になっていたが凛音は無視をするばかりで、真琴と未来をジッと見ているだけだった。
「あれが……未来。魔王の生まれ変わり……」
「え?」
奏は凛音の独り言を聞き逃してしまったが、諫見はしっかりと聞き取っていた。それは、諫見が危惧していたことを示唆してしまう。
どの能力かは検討は付かないが、急激な凛音の様子の変化はTSFが絡んでいると諫見は断定した。
「あの、凛音先輩。ちょっといいですか?」
「君は……ああ! 久しぶりだな!」
「二人きりで話したいことがあるんですけど、いいですか?」
「もしかして、君は記憶が!」
記憶? 何のことを言っているのだろう。
諫見には凛音の会話の内容が分からなかったが、口裏を合わせておいた方が二人きりになりやすい。
「……はい。そうなんです」
「そうか! 分かった!」
「あ、二人ともどこに行くの?」
「心配しないで下さい奏先輩。すぐに戻ってきますから」
そう言って、諫見は凛音の手を引いて通学路とは別の道へと誘った。




