剣道部の少女
わけも分からず走っていた真琴は、いつの間にか武道場へと来てしまっていた。ここは剣道部や柔道部が日頃から使っている施設だった。だが、今は学校祭の準備で部活がないのだろうか。武道場から練習をしている声が聞こえなかった。
「隠れるとしたら、ここか?」
すでに息も切れ切れになってしまい、体力がもたない真琴はここを隠れ場所にすることを決めた。その瞬間、後ろから声が聞こえた。思わず真琴は体を震わせ、恐る恐る後ろを振り返った。
そこにいたのは真琴を追っていた女子ではなかった。穢れを知らない純白の道着と紺の袴を着て、左手には竹刀を握っている。長髪は邪魔なのだろうか。ショートカットの髪型がここの部員だという説得力を増していた。
「そこで何をしているの? もしかして、入部希望? 残念だけど、今は学校祭の準備で人がいないの。悪いけど、また今度に――」
「頼む! 今、人に追われてるんだ! 匿ってくれ!!」
「へ?」
思わず、道着の少女も目が点になってしまう真琴の言葉。本来であれば信用するはずがないのだが、真琴の真剣な表情が彼女に届いたのか、二つ返事で真琴を武道場へ招き入れた。
「ここに追ってきてる人が来たら困るから、私が見張っておくわ。だから、あなたはそこで待ってなさい」
「あ、はい。ありがとう……ございます」
真琴は小さく礼をして、武道場の中へと入る。畳の部屋が、真琴にとっては最近の日本では珍しいと思った。畳特有の匂いが鼻を刺激する。思わず鼻を抑えそうになったが、匿ってくれている彼女に失礼だと思った真琴はこの匂いを我慢することにした。
扉の向こうから大声が聞こえてくる。真琴を探している声だった。
「あの! こっちに可愛い女の子来なかった? 長髪でちょっと小柄の女の子」
「いいえ、こちらには来ませんでしたよ。他をあたってみてはいかがでしょうか」
「そうだね。ありがとう!」
それから少しの沈黙があり、扉が開いて道着の少女がやって来た。彼女は中に入れないように、内側から鍵を掛けて真琴に近づいた。
「これで大丈夫だよ。可愛い女の子さん。何があったか、詳しく聞かせてもらうことってできないかな?」
「あ……あの~それがですね……」
真琴は事の発端から終わりまでを丁寧に話した。ただし、能力で女の子になっていることは除いて。
興味津々に聞いていた少女が全てを聞き終えると、くすくすと笑い始めた。
「そっか。可愛い衣装を着るのが嫌だったから逃げ出したんだ」
「うーん、ちょっと違うと思うけど……まあいいか。そんな感じです」
「ねえ、名前を教えてくれない?」
「あっ……」
真琴は困った。本名を教えてしまってもいいのだろうか。この高校のセーラー服を着ている以上『真琴』を名乗っては次に男の子状態で彼女と出会った時にトラブルにならないだろうか。真琴が悩んでいる間に、少女はハッとして頭を下げ始めた。
「ごめんなさい。こちらから名乗るのが礼儀だったね。私の名前は相田 奏。ここの二年生で、部活は……見た目で分かっちゃうか。こんななりだけど、剣道部員として活動してる。でも私もまだまだだね。先に人の名前を聞くなんて、礼儀がなっちゃいないよ」
こんなにまで礼を重んじる人に嘘はつけない。そう思った真琴は自分の本名を名乗ることにした。
「俺……いや、私の名前は真琴です。よろしくお願いします」
こんな時に自分の名前が男女共に違和感のない名前で良かったと真琴は思った。これがもし『健太』とかだったら確実に積んでいただろう。
奏は真琴の自己紹介に疑問を持ち、それを早速ぶつけた。
「今俺って言ってたけど……どうして?」
「ギクッ! い、いやあ、それはその……」
「ううん。気にしなくていいんだよ。あなたはいつも俺って口調なんだね。普段通りに話していいから」
「あ……はい、すいません」
何故か、奏に対して常に謝ってしまう。真琴は心の底で彼女に対して偽りの自分で接しているのが申し訳なく感じた。彼女のような人間には嘘をつきたくない。しかし、今の自分の体は嘘の塊のようなもの。それが真琴の心を苦しめていた。
「君も、もしかして『女の子』が嫌なの? だから、俺なんて口調を使ってるのかな?」
「そうかもしれません。今の俺は、俺じゃないから……」
「私もね、そうなんだ。だから、こんなことやってたりするんだけど……」
苦笑いする奏は、まだ自分がそれほど剣道を極めていないことを自虐的に真琴に訴えている。
真琴の言葉をどう受け取ったのか、真琴には分からない。だが、奏は真琴に対して同調という気持ちを持ち始めた。
もっと彼女と長く話したい。そう感じた奏は真琴の近くに寄って、畳の上に座り込んだ。奏が座ったことで、真琴もつられて畳に座る。もちろん、スカートを履いているため足を閉じて。
「……ねえ、女の子は男の子に勝てないのかな?」
「奏さん、どういう意味ですか?」
「私ね、いつも男の子に負けないようにって頑張ってる。だけど、やっぱりいつも負けちゃうんだ。って、真琴ちゃんにいってもしょうがないよね。ごめんね、自分の甘えを人に話すなんて……」
「いいえとんでもないです! むしろ聞かせて下さい。奏さんの悩みを」
悩んでいるなら解決したい。そう思った真琴だったが、それ以降、奏が悩みを話すことはなかった。
その後、取り留めのない会話をして時間を潰し、いつの間にか外は夕日が落ちかけてきた時間帯になっていた。奏は立ち上がって扉の鍵を開けて外を確認する。外は電気が消え、静かになっていた。
「多分、大丈夫だよ。もう誰もいないかも」
「あの、本当に何から何まですいません! 何とお礼をすればいいか……」
「お礼、か。じゃあ、剣道部に入ってくれないかな?」
「え!?」
「冗談だよ。けど、本当に入る気があったら言ってね。真琴ちゃんなら私、大歓迎だから」
「ア、アハハ。考えておきます」
真琴はもう一度、奏に礼を言った後、彼女に見送られながら武道場を後にした。その際に、真琴は一瞬だけ奏が笑った姿を見た。くすくすとおどけて笑っていたさっきとは違う、心の底から幸せだと感じられた笑顔だった。
校門を出て真琴は夜の道を一人歩き、今日出会った奏という女の子を思い出していた。凛としながらも、まだどこか幼そうな感じが拭えない、放っておけない少女。
今度会う時は男の姿だと思う……けど、また仲良くなれるよなきっと。
夜風を全身に受けながら、真琴は自分の家へと向かっていった。




