保健室で目覚める記憶
保健室に来た明日香はぐったりとしている未来をベッドにうつ伏せに寝かせた。背中の傷の具合を見ると、それほど酷い傷ではなさそうだった。
とりあえず、自分に出来る簡単な手当てを行って明日香は椅子に座り込んだ。
「……どうしてこんなヤツを助けたんだろう」
手のひらに顎を乗せて深々とため息をついた明日香。助けてくれたとは言え、明日香の目の前にいる彼女は自分が守るべき対象である真琴に突っかかっていた。
それがどんな理由であれ、明日香は未来を関わってはいけない人物だと思っていた。しかし、出会う度に明日香の中の何かがささやく。
その人は敵じゃない。味方だよ。
……まただ。また聞こえてきた。
まるで自分の中に別の人格がいるのかと思うほど、未来に出会えば出会うほどその声は大きくなっていく。
「あ、ありがとう……明日香ちゃん」
気がついた未来はベッドで横たわりながら、明日香に顔を向けて笑いかけた。明日香はそれを流し目で見て、無視を決め込む。未来は感謝の笑顔をそのまま苦笑いへと変化させた。
「ハハハ、記憶が戻ったわけじゃないんだ……」
「だから、私は記憶喪失になった覚えはないんだけど」
「それは明日香先輩が忘れてるだけだよ」
自分で手当をして二人の元へ来た諌見。彼女の足首に湿布が張り付けられている。それだけでは治らないのは当たり前だが、諌見はよろよろと歩きながら未来のベッドに座った。
明日香は諌見の言葉にも、若干の哀れみの眼差しを向けていた。恐らく、明日香は無理矢理言わされているのだと思っているのだろう。
「……とにかく、私はこれで帰るわ」
「ま、待って明日香ちゃん……」
苦しげな声を出して、何としても引き止めようとしてくる未来に、肩を落とす明日香だった。彼女は未来に背を向けて立ち止まった。
「何よ?」
「悠太君のこと……本当に覚えてないの?」
「……あの子のことは喋らないで。特に未来。アンタにはその名前を出してほしくない」
明日香の目の前で起こった事故。それは彼女にとっても消え去りたい記憶の一つだった。思い返される記憶は、いつでも自分――明日香――を見ている。一生懸命、自分のために泣いている自分を、自分は見つめていた。
「……え?」
そこで、記憶の齟齬が発生した。事故の時は鏡を見ていたのだろうか。自分は鏡を見て泣いていた……? いや、あり得ない。
明日香は頭を抱えて目を閉じた。心なしか頭痛がする。後頭部の中から釘を固定するような小さなドリルで掘られていく痛み。
思い出さなければならない。明日香は何故かそんな使命感を抱き始めていた。つばを飲み込んで、未来に振り返った明日香。彼女の表情は不都合な記憶を探求する真剣な目をしていた。
「未来。アンタは何を知っているの?」
「明日香ちゃん、あなたは本当は悠太君なんだよ。それを思い出して」
「ハッ。またそれ? 悠太は死んだのよ。私が殺したも同然……」
「違うよ。本物の明日香ちゃんが君の命を繋ぐために自分の命を捧げたの」
「……くっ、どうして頭が痛むの?」
「悠太君……私のこと、覚えてないの?」
「い、いさ……いさみー……?」
何故か、自分をしっかりと見つめている諌見のアダ名を明日香は知っていた。それがトリガーとなり、明日香の記憶に小学生の記憶が蘇る。ただ、明日香の小学生の記憶ではない。悠太として生活している小学生の記憶だった。自分はこんなに想像力が豊かだっただろうか。
いつか聞いた悠太の話を再現しているのか? 明日香は蘇った記憶にただただ混乱するしかない。
「……………………あーーーーーーーーーーもーーーーーーーーーー!! いい加減にしてよーーーーーーーーーー!!」
「ひっ!?」
真剣に考え事をしていた明日香は突然の大声に体をビクつかせた。
「……諌見ちゃん、明日香ちゃんの頭を殴れ」
「え? いいの?」
「良い訳ないでしょ!!」
「いい! 私が保証する! 大体ね、私はこんな湿っぽい説得は性に合わないのよ!!」
「それじゃあ、行くよ!!」
ポカッ!!
威勢の良い音が保健室に鳴り響く。その全てで、明日香の記憶は元に戻った。
明日香は目が点になって辺りを見回している。
「あ……あれ? 僕、どうして今までみんなのこと忘れてたの?」
「……ほれ。やっぱり元に戻った」
「凄い、さすが未来先輩だ」
未来は以前、奏と入れ替わった時に衝撃を受けて自分を取り戻したことがあった。今度はそれを明日香にしただけだった。
明日香はベッドにうつ伏せに寝ている未来を見て、大慌てで彼女の元に駈け出した。
未来の顔をよく見るために、明日香はしゃがんで目線を未来と合わせる。明日香の瞳には涙が溜まっていた。
「ご、ごめんなさいみら姉。僕、みら姉に酷いことをしちゃったよ……」
「アハハ……気にしないでよ」
「おお。なんと懐の深い! 未来先輩は神様か何かなの!?」
後で能力者全員から回らないお寿司を奢ってもらおうか。表向きの表情は笑い飛ばしている未来だったが、裏ではため息をつきながらそんなことを思っていた。




