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オルマさんが手に持った短剣で、メチャクチャにゾンビに切りかかりながら叫んだ。
「姫! 今のうちに早く!」
腰を抜かしたようにヘタリ込んでいたアザレア姫が、慌てて四つん這いになって逃げだした。
あたしと王子が飛びつくように姫の元へと急ぐ。
「グギェェーーー!」
ゾンビが雄たけびをあげ、ガバッとオルマさんのノドに噛みついた。
「・・・・・・・・・・・・!」
目を見開いた彼女のノドから、鮮血が泉のように溢れ出す。
硬直した手からポトリと短剣が落ちた。
「あぁ! オルマさんーーー!」
「オルマ! いやあぁぁーー!」
スエルツ王子がガレキを手にゾンビに殴りかかる。
オルマさんを襲うことに夢中だったゾンビは、あっさりと殴り倒された。
オルマさんは物も言わずに、その場にドサリと倒れてしまう。
あたしと姫が駆け寄った。
ノドから溢れた血液で、彼女の服は真っ赤に染まっている。
なおも血は勢いよく流れだし、到底止まる気配はなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
「オルマ! オルマしっかりして!」
ぼんやりとしたオルマさんの表情が、あっという間に青白くなる。唇の色が変色してきた。
「オルマ! オルマーー!!」
泣き叫ぶ姫。
その声に反応するように、オルマさんの視線が姫へと動いた。
「ひ・・・め・・・?」
「オルマ! わたくしはここです!」
「ひ・・・・・・」
オルマさんの指の先が、ピクピクと動いた。
姫はその手を強く握りしめ、自分の頬に押し当てる。
「オルマ! わたくしが分かりますか!?」
真っ赤な血にまみれながら、オルマさんは姫の姿を見ている。
ゼイゼイと喘ぐように大きく口を開けて、何かを伝えようとしていた。
でも・・・もう、ほとんど声が出なかった。
オルマさんの紫色の唇が、悲しげにわななく。目の端からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
必死に力を振り絞り、彼女は姫に言葉を伝えようともがいている。
「ゆ・・・・・・」
「オルマ!!」
「ひめ・・・ゆ、ゆる、し・・・」
ようよう、そこまで絞り出した言葉。
なのにオルマさんは途中で飲み込んでしまった。
そして顔を歪めて、苦しそうにポロポロと泣き続ける。
『許して』
きっとそのひと言を、彼女は死ぬ前に姫に伝えたいんだろう。
でも・・・・・・。
『許して』などと・・・・・・。
とても姫に、許しを請うことなどできないのだろう・・・・・・。
「オルマ! 死なないで! お願い死なないで!」
姫はオルマさんの手を握り、わぁわぁ泣き叫んでいる。
オルマさんは涙の止まらない目で、それを見つめていた。
そして顔をクシャクシャにして、か細い泣き声を漏らしている。
自分が騙した相手。自分が裏切った相手。
愛していたのに。
とっさに我を忘れ、わが身を犠牲にしてまで守るほどに。
こんなに・・・・・・愛していたのに。
・・・・・・姫をこの手で復讐の犠牲にしてしまったなんて。
その姫に手を握られ、『頼むから死ぬな』と願われ、涙を流されて。
なのに・・・許しを請うことすら、できない。
あたしの目からも涙が流れ落ちた。
オルマさんはいま、わが身を呪っている。
憎しみに負けて己を見失い、自分の中の真実を捨ててしまった。
姫への愛よりも、王への復讐を選んでしまった自分を、死の間際に呪っているんだ。
胸を掻き毟られるほどの、文字通り、血を吐くほどの悔恨。
でももはや、自分にはどうにもできない。なにもできない。
どうして止めてあげられなかったんだろう。
オルマさんの中には、確かに真実があったのに。
それが汚染されていくのを、あたしは目の前でむざむざ許してしまった。
オルマさん、ごめんなさい。
ごめんなさい。
オルマさんの胸がゆっくり大きく上下する。
ノドから漏れる息の音も、間遠になり。
ひたすら姫の姿を見続ける目から、少しずつ光が失せていく。
命の灯火が・・・消えていく・・・。
そして・・・・・・
愛ゆえに悲劇に見舞われ、あがき続けた女性。
憎しみゆえに破滅を選び、それを悔いた人。
最期に、最愛の者への愛の言葉も、許しを請う言葉も、なにひとつ伝えることの叶わないまま・・・
彼女の命は・・・・・・ここに、尽きた。
姫はオルマさんの体の上に突っ伏し、嘆き悲しんでいる。
「オルマ、オルマ、わたくしを置いていかないで・・・」
騙され、利用されていた事実を知っても。
それでも姫にとっては大切な人だったんだ。それが姫の中の真実。
やっぱり姫とオルマさんの間には、確かな真実があったんだ。
スエルツ王子が泣き崩れる姫を抱き起した。
そして、オルマさんの血にまみれた姫を強く抱きしめる。
「姫、ボクが姫のそばについているよ」
「スエルツ王子! わあぁぁ・・・!」
あたしは、オルマさんの目にそっと手を当て、そのまぶたを閉じた。
最期の瞬間まで、愛する姫の姿を見続けていた目。
オルマさん・・・・・・。
「さようなら・・・」
あたしは涙をこぼし、彼女に別れを告げた。
――ズ・・・・・・
不意に、揺れを感じた。
――ズ・・・ズズ・・・
揺れている。震えている。
大地が、地中が、足の下の方から、大きな力が膨れ上がってくる。
この力は・・・・・・!
――ドーーーーーン!!
いきなり、広範囲の地面が噴水のように飛び散った。
目の前の地面に巨大な穴が開く。
撒き散らかされる土や岩やガレキと一緒に、何かが吹っ飛んでくる。
キラリと輝く白い光。あれは・・・!
「ブランーーー!?」
あたし達の真横に、飛んできたブランの体は叩き付けられる。
そして土の塊や岩やガレキが、バラバラと頭上に降り注いだ。
あたしはとっさにブランの体に覆いかぶさった。
ブランの白銀の鎧は完全に黒く変色し、見る影もない。
あちこちがぼろぼろに破損していた。
美しい髪も顔も、なにもかも、泥と土に汚れている。
「ブラン! しっかりして!」
「・・・・・・ミアン・・・?」
ブランが薄っすらと開いた目であたしを見た。
そして呻きながら、なんとか自力で身を起こす。
「良かった。ミアン、無事だったか・・・」
「それはこっちのセリフだよ!」
「竜神王の目はどうなった・・・?」
「・・・・・・! それ、は・・・・・・」
あたしは言葉を失った。
どうしよう。なんて言えばいいんだろう。
ブランがこんなにボロボロになるまで戦って時間を稼いでくれたのに。
あたしは、何もできなかった。
うつむいて口ごもるあたしを見て、ブランは全てを察したらしい。
ひと言「そうか」とつぶやいた。
あたしは、ただもう謝ることしかできない。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・・」
食いしばった歯の間から嗚咽がもれる。
あたし達の、全ての命の先にはもう、絶望しかない。
世界は・・・もう、このまま・・・・・・。
「泣くな。しっかりしろミアン」
ブランがあたしの肩を力強く揺すった。
「大丈夫だ。まだ手はある」
あたしは弾かれるように顔を上げた。
まだ手はある!? そう言ったの!?
「ほ、本当に!? あたし達、助かる手段があるの!?」
「安心しろ! オレは伝説の白騎士だぜ!」
ニヤリと自慢そうに笑うブラン。
その顔は汚れきっていても、本当に自信に満ちて輝いている。
あぁ・・・・・・ブラン!
あたしの胸にパァッと希望の明かりが灯り、思わずブランにギュッと抱き付いた。
「すごいわブラン! さすがはあたしの夫!」
「だがそれには、まずあいつをどうにか・・・」
――ズゥッ!
目の前の大地の穴から、ヌッと巨大な爪が現れた。それが穴のふちにズブリとめり込む。
この輝きを失った爪は、地竜の・・・!
穴の中からゆっくりと地竜の顔が浮上してくる。
その巨大さと、変貌ぶりに、あたしも王子も驚愕した。姫は怯えて王子に縋りつく。
地竜の顔は・・・もはや正常な輪郭を留めていなかった。
黒い、ドロついたような、粘膜のようなもの。
それがブヨブヨと、かろうじて形を形成している。
その中にたったひとつ、赤く轟々と燃えるような球体が、ひとつ。
あれは地竜の目だ。




