愛は世界を救う
「おふたり共、聞いていたか? この歌はマスコールに伝わる子守唄」
オルマさんの指先が、そっと王の髪に触れた。
「幼い頃、わたくしの母上から聞いた・・・歌だ」
彼女は遠い目をして、空を仰ぐ。
故郷に思いをはせているんだろうか。
この人は・・・あの時、なにを思ったんだろう。
あたし達と共にマスコールへ赴き、その地に降り立った時。
魔物にまみれた大地。
崩れて寂れてしまった、見る影もない王城。
かつて過ごした、美しく栄えた故郷の変わり果てた姿を見て・・・
心の中で、泣いていたんだろうか。
「オルマさん・・・・・・」
「ほうら、ごらん。王の命はもう風前の灯火」
オルマさんは語り続けた。優しい子守唄を歌うように。
「オルマさん・・・」
「王は全てを失い、死んでいく」
「オルマさん」
「そして・・・・・・全ては、終わるのだ」
「終わらない」
・・・・・・・・・・・・。
オルマさんの声が止まる。
「終わらない。世界は・・・終わらないよ」
あたしはキッパリと言った。
「そんなことには、あたしがさせないから」
空を仰いでいたオルマさんの顔が、ゆっくりとこちらに向く。
彼女はあたしを見て、ふわりと笑った。
「・・・・・・ムダだ」
そして、誇らしげに片手を高く掲げる。その手には竜神王の目が、しっかりと握られていた。
「これがわたくしの手にある以上、お前の決意はムダなのだ」
「ムダじゃない」
あたしは首を横に振る。
そんなあたしを見て、オルマさんは少女のようにクスクスと笑った。
「お前が何を言い張るのか、わたくしには分からぬ」
「でも、あたしには分かるんだよ。オルマさんの中にある真実が」
「ほう? わたくしの中の、真実?」
「うん。オルマさん、あなたは・・・・・・」
「キミは・・・アザレア姫を愛しているよね? オルマ」
スエルツ王子の声に、オルマさんの表情がピクリと動いた。
「キミはアザレア姫のことを、本当に大切に思っている」
「・・・・・・・・・・・・」
「そのアザレア姫を、自分の手で犠牲になんてできるわけがないよ」
王子の言葉にあたしはうなづいた。
そうだ。オルマさんは・・・・・・姫を愛している。
たぶん、最初は姫を利用するつもりで近づいたんだと思う。
だけどあたしは、確かに聞いた。
マスコールへ向かう船の中で、オルマさんのアザレア姫への気持ちを。
『あの方は国に利用され、親に利用され。
そして裏切られ、失意の底に落ちては、再び夢を見て這い上がる。
彼女は強い人だから。強くなければ・・・・・・
とても生きては・・・・・・こられなかったから・・・』
オルマさんは、自分とアザレア姫を重ねていたんじゃないだろうか。
ひょっとしたら、亡くしたお腹の子の代わりのように思っていたのかもしれない。
一緒に過ごすうちに、ただ利用するだけのつもりが、本当に愛情をもってしまったんだ。
「その気持ち、あたしは分かるよ。あたしも同じだから」
20年間、抱え続けた憎しみ。
本当に辛かったろうし、本気で王やカメリアを憎んだろうし、復讐を誓ったろう。
それは事実だと思う。
でもオルマさんの中の真実は違うんだ。
オルマさんの真実は、アザレア姫への愛情だ。
間違いない。絶対に間違いない。あたしが言うんだから、間違いないんだ。
「だから間違えないで、オルマさん」
ここで間違えてしまったら、取り返しがつかないんだよ。
世界も、あなたも。
「オルマ、キミが姫のことを本当に大切に思っているのはボクにも分かるよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「だってボクも、姫を本当に愛しているから」
オルマさんは、あたしと王子の懸命に訴える言葉を黙って聞いていた。
そして・・・・・・
あざ笑った。
「・・・・・・愛?」
肩を揺すり、くつくつと込み上げる声を噛み殺す。
片頬をつり上げ、歪んだ口元で彼女は言った。
「この男の血を引く息子であるお前が・・・『愛』?」
それは明らかに蔑みの表情だった。
目の中に暗い色をたたえ、彼女は断言する。
「わたくしも、かつては愛の尊さを信じていた。心から信じた結果、国も民も全て滅んだ」
そして・・・・・・
「そしてわたくしの子は・・・この男に、実の父親に殺された」
オルマさんの目から涙が一粒、こぼれた。
一粒。もう一粒。
左右の目から頬を伝い、彼女の胸元を濡らす。
こんなにも恨みに満ちた顔をしているのに・・・彼女の流す涙は、切ないほどに透き通っていた。
真っ赤な両目を見開き、睨むようにオルマさんは語り続ける。
セルディオは父親の愛を切望するあまりに、身を滅ぼした。
あの白タヌキはお前を愛するがゆえに、一族を捨てることになった。
スエルツ王子とアザレア姫の、ふたりの愛情のもつれが、この惨状の手助けとなったのだ。
「愛! 愛! 愛!」
ボタボタと涙を落とし。
憎しみのこもった声で唾棄するように。
狂気に侵されるようにオルマさんは繰り返す。
「愛とはこの世の全てを狂わし、破壊に導くものなのだ! だから世界は・・・このまま滅びる!!」
「違あぁぁぁう!!」
あたしは全力で肺から息を吐き出し、否定した。
思いっきり、今にも転びそうになるほどブンブン首を横に振る。
違う違う違う違うー!! それは絶対に、違う!!
愛は・・・・・・
「愛は、救うものなんだ!!」
オルマさんの言うことも、確かに全部事実だ。
あたしも苦しんだ。
悩んで、傷付いて、泣いて、泣いて、泣いて・・・
いっそこのまま死んでしまえたらとまで、思った。
全てを幻だと思った時もある。
何もかもが陽炎のような、儚い幻覚に思えた時もある。
でも・・・・・・違ったんだ!
「あったんだ! あるんだよ! ここに!!」
あたしは自分の胸をバンバンと思い切り叩いた。
涙がボタボタ落ちた。
わあわあと喚き散らし、泣きながら、全身全霊で叫んだ。
たくさんのタヌキたちに囲まれた結婚式も!
白く柔らかな温もりも!
願いを込めて眺めた山の夕日も!
仲間だと言ってくれた言葉も!
今でも彼らを仲間だと思う気持ちも!
おタヌキ王との最後の別れも!
全部残らず、ここにある!
それらの全てに救われて、あたしはここに導かれた!
愛は、世界を滅ぼすものじゃない! 愛は・・・・・・
「世界の全てを救うものなんだ!!!」




