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泣きすぎて気力と体力を使い果たしたのか、全身がダルかった。
髪はボサボサ。目は腫れぼったいし、顔全体がひどくムクんでる。
ヨロヨロ歩き続け、やっと山を下りてバカだんなの屋敷に到着した。
もうだいぶ日も落ちている。
見上げる屋敷は、子どもの頃から過ごしたなじみ深い場所であるはずなのに、よそよそしい空気しか感じなかった。
どこにいるんだろう。おタヌキ王。本館の隣にある納屋かな?
キョロキョロと辺りを警戒しながら、薄闇にまぎれて、急ぎ足で納屋に近づいた。
木の扉の小窓が開いている。そこからコッソリと中を覗き込み、中の様子を伺った。
作業道具が雑多に置かれていて、どうも見通しが悪い。
「・・・おタヌキ王、いるの?」
あたしは声を掛けてみた。
「おタヌキ王、いる? いるなら返事して」
「・・・ミアン!? その声はミアンであるか!?」
「その声はおタヌキ王!?」
いた! やった! 無事だったんだ!!
「おタヌキ王待ってて! 今そっちに行くから!」
あたしは大急ぎで納屋の扉に向かった。カギはかかっていなくて、扉はすんなりと開く。
夢中で中に飛び込んだ。
納屋の奥。ひときわ美しい毛並みのタヌキがこっちを見ている。
見つけたー! おタヌキ王!
あたしは大喜びで駆け寄り、おタヌキ王を抱え上げた。
――ジャラ・・・
重い金属音が聞こえた。見るとおタヌキ王の片足に、ガッチリと鉄鎖がはめられ、鉄の棒に繋がれている。
そんな! これじゃ逃げられない!
あたしは満身の力で鎖を引っ張った。でも当然ビクともしない。
「ミアンよ、なぜこんな所へ来たのであるか!?」
「なんでって、助けに来たのに決まってるでしょ!?」
叫びながら顔を真っ赤にして引っ張り続ける。
んんんーー・・・ぶはぁ! だめだ! どうしよう!?
「おタヌキ王! アリンコとかに変化できない!? タコとかイカとかの軟体生物でもいいんだけど!」
おタヌキ王は力無く首を横に振る。
「できるのならば、やっている。もう変化する体力がないのである」
納屋の中を見回すと、壁に様々な種類の剣がかけられていた。
その中の小ぶりな短剣を取り外し、あたしは頭上に構える。そして思い切り、鎖を目掛けて振り下ろした。
「んなろぉーーー!」
キィン! と耳障りな金属音が響く。でも頑丈な鎖はまったく無傷だった。
連続して短剣を振り下ろし続ける。
剣を突き刺すたびに、痛いほどの振動が手に伝わる。あっという間に両手がビリビリと痺れて来た。
「この! この! このぉ!」
「無理である! 諦めるのである!」
「いやだ!」
いくら突き刺しても、刃は跳ね返された。
激しい振動に、手の痺れが腕の付け根まで広がっていく。
「ミアン、早く逃げるのである! もうすぐ、腹の出っ張った中年男がここへ来るのである!」
バカだんなが!? まずい! 急がないと!
「ミアンひとりで逃げるのである!」
「あたしは大丈夫! ついさっき、奴隷から解放されたばかりだもん!」
「正式な通達ではなかろう!? まだ契約書は、出っ張った男が持っているのであろう!?」
そ、それは、そうなんだけど。
まだ奴隷から国民に格上げされた、正式な証書はもらっていない。
それがないと、いくら口で「もう奴隷じゃない」と言ったところで、法的には何の効果もない。
いまバカだんなに見つかったら、どんな目にあわされるか・・・。
「でも、だからって見捨てられない!」
あたしは叫んだ。そして短剣を放り投げ、壁に駆け寄る。
剣じゃだめだ! まだるっこしい! ええと、もっと破壊力のあるやつ、破壊力破壊力・・・。
あった、これだ! 斧!
伐採用の、ゴツイ斧を見つけて手に取った。壁から外した途端に、重さで落としそうになる。
地面に引きずるようにして、必死におタヌキ王の場所まで運んだ。
そして持ち上げる。
「ううぅぅー・・・」
お、重い! かなり重い!
頭上に持ち上げようとして、フラついて転びそうになった。
振り上げるのは無理だから、腰のあたりまで持ち上げ、その高さから打ちつける。
――ギィン・・・!
さっきよりも重い金属音。でも上から思い切り振り下ろせないから、威力が足りない。
これじゃ何時間かかるか分からない! まごまごしてたら、バカだんなが来ちゃうのに!
「もういい。もう、いいのである」
「良くないよ! なに言ってるの!」
落ち着いた声に、叫び声が重なる。
取り乱しているあたしに対して、おタヌキ王は不思議なほど冷静だった。
「ミアンよ、わたしは王である。王とは、仲間を守るものである」
「知ってるよそんなこと!」
おタヌキ王があたしを助けるために危険を冒したこと、知ってるよ!
だから助けようとしているんだよ!
いまタヌキ一族は、人間に襲われて大変な状況なんだ。みんなの元へ戻って! そして仲間を守って!
怒鳴るあたしに対し、おタヌキ王は、あくまでも静かな態度を崩さない。
黒く輝く瞳で、じっとあたしを見つめる。
「一族は他の者でも守れる。だが、いまミアンを守れる者は、わたしだけである」
「そんな!」
「わたしは、王。守る者。そしてミアンは、タヌキの仲間」
「・・・・・・・・・・・・!」
「王であるわたしが、仲間を犠牲にして生き長らえては・・・歴代の王に、顔向けできぬのである」
おタヌキ王・・・。
人間の王さまは、いくらでも民の命を当然のように犠牲にするのに。
あなたは・・・・・・。
あたしの両目に、もう枯れてしまったと思っていた涙が再び溢れる。
両手から力が抜けた。斧をドサリと取り落し、両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちる。
「うっ・・・うぅ・・・」
すすり泣き、何度も首を横に振った。
違うの。そうじゃないの。あたしは・・・
「あたしは、仲間じゃないの。あなた達のこと、裏切っていたの・・・」
両手が涙でビショ濡れになる。
『あたしは仲間じゃない』
その言葉を自分で口に出すことが、たまらなく辛かった。
でもあたしがみんなの仲間じゃないことは、事実。
おタヌキ王が命をかけて、あたしを守る理由はどこにも無いんだよ。だから・・・。
「ミアンよ、わたしは王である」
「だから、知ってるよ・・・」
「王たるわたしには、分かるのである」
おタヌキ王が優しく微笑んだ。
「ミアンがタヌキを裏切っていたことは、事実かもしれぬ。だがそれは、真実ではないと」
・・・・・・・・・・・・!
「ミアンの真実は、ミアンの中にある。わたしはそれを知っているのである」
おタヌキ王は、涙で汚れたあたしの顔をじっと見上げている。
あたしは涙を拭くのも忘れて、その顔を見返した。
『事実かもしれない。でも、真実ではない』
それはあたしが、スエルツ王子に言った言葉と同じ。
あの時の自分の気持ち。そして、おタヌキ王の言葉。
それらがあたしの胸を大きく包み込んだ。
「わたしの真実は、わたしの中にある。わたしの中でミアンは・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「まぎれもなく、仲間であるよ」
どおぉっ、と凄まじい勢いで、あたしの感情があふれ出した。
あたしの中が、太陽のように強烈に熱くなる。
あの山の夕日のように、あたしの全てを染め上げる・・・。




