6
ドキンと胸が熱くなる。
こんな時だというのに、目の前のブランの勇姿にあたしの心は激しく動悸を打ってしまった。
「シーロッタ・ヌゥーキー男爵!」
「よおスエルツ。無事で良かった。お前のところの騎士の姿を真似させてもらったぞ」
あまり厚みを感じない、体のラインにそった軽装鎧。
王室騎士らしい、洗練された形の動きやすそうな型。
鎧の白銀と、ブランの真っ白な髪が、共鳴するように輝いている。
あぁ、なんて・・・なんて素晴らしい・・・。
ブランは加減を確かめるように剣を片手で軽く振る。
「ふうん・・・なるほどな。こりゃたいしたもんだぜ」
「白タヌキ! おめえこそたいしたもんだ! その剣を使えるんけぇ!?」
「ああ。オレは白騎士だからな」
伝説の白騎士。
最初におタヌキ王からその話を聞いた時は、ただの笑い話だと思ってた。
でも本当だったんだ。ブランは本当に、伝説の・・・。
ドキンドキンと心臓が鳴り響く。
外に聞こえるんじゃないかと思うくらい、激しく。
目の前のブランの見惚れるばかりの美しさに、あたしは声を掛けあぐねていた。
言いたいこと、いっぱいあるのに・・・。
言葉がぜんぜん、出てこない・・・。
鳴り続ける胸を両手で押さえ、必死に鼓動を押さえるあたしを、ブランが見た。
あたしの目と、ブランの目が合う。
――ドックン!
今までで一番、大きな鼓動が突き抜ける。そしてブランが・・・・・・
優しく微笑んだ。
意識が軽く薄れるほどに・・・あたしの体が、熱くなった・・・。
大きな感情が一気にあふれて泣きそうになる。目に涙が盛り上がったけれど、唇を強く結んで耐えた。
「ミアン」
「・・・・・・・・・・・・」
「あとで話そう。ふたりで」
「・・・・・・・・・・・・」
「オレ、お前に言わなきゃならないことがたくさんあるんだ」
・・・・・・。
泣き・・・・・・そう・・・・・・。
だけど・・・・・・。
あたしは思いっきり顔をクシャクシャにして、泣くのを我慢した。
うん。今はだめ。泣いていられない。泣くのは、あとだ。
あとで・・・・・・
あたしもブランに言いたいこと、言わなきゃならないこと全部、全部・・・。
そのときに思いっきり、声を出して泣くから。
顔クシャクシャなままで強くうなづくあたしを、ブランはもう一度優しく見つめる。
そして一変して引き締まった表情を地竜に向けた。
「まずはこいつをなんとかしないとな」
「白タヌキ、加減に気ぃつけろや! 間違ってもおめえ、やり過ぎんじゃねぇぞぉ!」
「分かってる。おれも地の精霊の一員だ」
地竜は身じろぎもせず、じぃっとブランを見つめている。
地竜には分かっているんだろう。剣と、白騎士という、ふたつの類まれな特別な存在が。
大地の具現である竜の視線を、ブランは恐れることなく見返し不敵に笑う。
「さて。ここはおとなしくお引き取り願おうか」
「だ、男爵! 事情はぜんぜん飲みこめてないんだけど、とにかく応援するから!」
「男爵さま! どうかお願いいたします!」
スエルツ王子とオルマさんの激励に、ブランが手を上げて答えた。
そして「行くぞ地竜!」と掛け声ひとつ、強く地を蹴り、地竜に向かって走り出す。
「頑張ってー! ブランー!」
あたしの声を背に、ブランは素早く地竜の前足に接近した。
地竜は当然のように、巨大な建築物のような足を上げてブランを踏みつぶそうとする。
まるであたしたち人間が、なんの感慨もなく小さなアリを踏むように。
――ズウーーン!
「きゃ!?」「うわっ!」「うひゃあ!」
地竜が地面を踏み鳴らし、あたしたちは大きな振動に引っくり返る。
頭上からバラバラと小岩や大岩が崩れ落ちてきた。
このままだと、本当に洞窟が崩れてしまう!
このバカ地竜! ここが崩壊しちゃったら、あんただってタダじゃ済まないでしょうが!
そんな簡単なことも分かんないの!? ものは理屈で考えなさいよ! 理屈で!
理性を失って、前後の見境なく暴れる姿を見ていると、誰かを思い出す。
・・・・・・あぁそうだ。
あんたって、バカだんなのところの若奥様ソックリなんだ!
うわぁ、この地竜ってもしかして、中年のメスなのかな?
ヒスを起こした中年女って、それ最悪のパターンじゃないの!
だったら手ごわすぎるーー! 怖いもん無しだコイツ!
ブランは飛びさすって転げながら、ギリギリ寸前に竜の足から逃れた。
そして身を起こして、剣を大きく振りかぶる。
刃が煌めき、地竜の輝くウロコに覆われた足を思いきり切りつける。
よしいけえ! ブランー!
―― ・・・・・・!!
ただ、空気が揺れた。
硬いウロコと硬い剣がぶつかったんだから、大きな音が響くはずなのに。
音が・・・しない。まったく。
地竜の足には、薄傷のひとつもついていない。
なのにブランが切りつけた途端、地竜の足がガクッと強くよろめいた。
続けざまにブランは剣を振りかぶり、繰り返し切りつける。
大きな足に、小さな針を突き刺しているかのような、無意味に思える行為。
相手はまったくの無傷。
でも切りつけられるたび、地竜の足は確実によろけている。
弱ってきている? ・・・どうして?
良く見ると剣を切りつけている部分から、なにかが・・・。
ゆぅらりとした、カゲロウのようなものが・・・。
地竜の足から、カゲロウが漏れ出している? それが・・・剣に向かって吸い寄せられている?
「ありゃあ、地竜の力だ」
「オジサンにもあれが見えるの?」
「おお。白タヌキが剣を使って、地竜を傷つけること無く、力を吸い取ってるんだぁよ」
傷付けることなく攻撃して、力だけを吸い取る? じゃあ本当に、そんなことが可能なのね!?
「あの剣と、あの白タヌキが揃って、初めてそれが可能になるんだぁよ!」
地竜がブランを飲みこもうと、大きな口を開けてガバッと食いついてきた。
金属のような牙が、銀色に強く輝く。
でもブランは少しも臆さない。すかさず巨大な足の陰に隠れて、剣で切り付け続けた。
「一応、地竜のヤツも手え抜いてやがるようだなぁ」
「手を抜いてる? あれが?」
「地竜が本気出したら、こんなもんじゃ済まねえよぉ。少しずつ頭が冷えてきてるようだなぁ」
敏捷に動いて逃げ回るブラン。それを追って、ヒョコヒョコ地竜の頭が上下する。
どこか困惑してるようなその姿は、ちょっと滑稽に見えた。
確かに竜の頭にのぼった血が、少しずつ下がって冷静になってきているのかも。
小さなブランが、あんな巨大な竜を手玉に取っていいように扱っている。
すごいブラン! 頑張って!
自分に向かって接近した竜の頭のツノに、ブランはヒラリと飛び乗った。
そのまま一気にツノの上を駆け抜け、飛びかかるように竜の眉間に切りかかる。
―― ・・・・・・!!
不思議な音響が広がり、地竜が目まいでも起こしたかのように頭部をフラリと揺らした。
・・・!! ・・・!!
繰り返される音響。カゲロウに似た地竜の力が大量にゆらめいて、着実に剣に吸い込まれていく。
不思議なことに、その度にどんどん剣は輝きを増していった。
そして、ついにガクンと竜の足が崩れ・・・
ブワァッと巨体が前のめりに倒れるのを見て、あたしは青ざめた。
・・・倒れる! あの巨体が!
うわ!? 来る! 来る! これ絶対に来る!!
覚悟したとおり、竜の体が地面に倒れると同時に、恐ろしいほどの振動が襲ってきた。
――ズウゥーーーーーン!!!
(うおわあぁぁーーー!!)
今度は、引っくり返っただけでは済まなかった。体が何度もバウンドして、地面にたたきつけられる。
そのうえ、あたしたちもノームたちも全員ゴロゴロと転げまわってしまった。
――ドドドッ・・・!
天井がついに崩壊するかと思うほど、大きな落石が続いた。
巨大な岩が落下してくるのを、あたしは下から茫然とながめる。
岩石に・・・押しつぶされる!
死ぬ! 死ぬ! 死ぬーーー!!! ブランーーーー!!
転げまわっていたノームたちが、この窮地に立ち上がった。
小さな体を素早く起こして、次々と宙に飛び上る。
そしてハンマーをぶぅんぶぅんと振り回し、落石を破壊し始めた。
――ガゥンッ! ドゴォ!
片っぱしから割られた岩石が、粉々になって上から全身に降り注ぐ。
バラバラバラ・・・!
痛て! 痛てててーー!!
岩石に比べれば小さいとはいえ、立派な石つぶて。
ガツゴツと連続する強烈な痛みに、両手で頭を覆って身を丸くし、必死に耐える。
早く収まって! このままじゃみんなが大ケガしちゃう!
崩壊直前の恐ろしい振動や騒音。
体を縮め、目をつぶり、ただ皆の無事を祈った。
・・・・・・やがて。
すべてが、引くように静かになっていって・・・
――カラ・・・コロコロ・・・
小さな石が、地面を転がる音だけが、耳に、ほんのわずかばかり聞こえるようになり。
――しーーーん・・・
おさ・・・まっ、た・・・?
あたしは地面に這いつくばりながら、そっと両目を開けた。
周りがどんな状況になっているやら、見るのが怖くてしかたない。
ソロリソロリと頭を上げ、ゆっくりと確認する。
スエルツ王子とオルマさんの倒れている姿が見えた。
ちゃんと身動きしてる。ふたりとも生きてる。・・・あぁ、良かった!
洞窟の中は、けっこうスゴイ有り様になっていた。
それなりに暮らしやすく整えられていた内部が、まるで地すべりにでも襲われたようだ。
大小の岩石に埋め尽くされ、以前の状態は全く留めていない。
その上にノームたちが、気抜けしたように立っている。
こんな惨状ではあるけれど、ノームたちもどうやら全員無事みたい。
・・・・・・ブラン!
倒れている竜の顔のすぐそばに、小さな白い姿を見つけた。
その姿はピクリとも動く気配がない。あたしは慌ててブランに駆け寄った。
「ブラン! しっかりして!」
生きてはいる。体は温かかった。
でも意識がないし、タヌキの姿に戻ってしまっている! しっかりして!
ブランを抱き上げ、あたしは叫んだ。




