6
「男爵夫人、どうしたの?」
「んー? おいおめえ、ひょっとして・・・」
オジサンが近づいてきて、倒れているあたしの顔を覗き込んだ。
あぁ、オジサンの顔が、グルグルゆらゆら・・・。
「あー、やっぱりだなぁ。こりゃ魔鳥の毒にやられてるなぁ」
魔鳥の毒? あ・・・そっか。
森でハーピーに襲われた時、よけきれずに爪で肩を・・・。
「こりゃおめえ、もうすぐ死ぬなぁ」
意識が・・・どんどんボヤけていくのが自分で分かった。
オジサンのノンビリした声が、どこか遠くから聞こえる感覚がする。
耳が・・・音が、ハッキリと聞きとれない。なんだか視界もボンヤリとかすんできたみたい。
王子の叫び声が、ぼわんぼわんと変に響いて聞こえてきた。
「し、死ぬってどういうこと!?」
「あの魔鳥の毒はなぁ、やっかいなんだなぁ。人間は、まず助からねえなぁ」
「そんな!!」
王子があたしの体をガクンガクン揺さぶった。
「男爵夫人! 死んじゃだめだよ!」
がくんがくんがくん。・・・毒に侵された体を盛大に揺すられてる。
思いっきり毒の回りが早まりそうなんだけど。
うぁぁ、王子やめてー。あたしの寿命を高速で縮めるの、やめてー・・・。
頭に霞がかかったように、意識をまったく正常に保てない。
でも、そんなに苦しくはなかった。どこか・・・現実味が薄い。まるで夢をみているようで。
死ぬ・・・あたし、死ぬのか? ふうん・・・って。
思えば短く、虚しい人生だったなぁ。孤児として、そして奴隷として育ったあたし。
生まれた時からサバイバルで、まさか死ぬ時まで、こんなすごいサバイバルを体験するなんて。
短いわりに、やたらと濃い人生な気がする。なのに・・・
産まれてきて良かったって、思えたこと・・・・・・
なかったな。一度も。
薄れていく意識。霞んでいく視界。
遠くなるスエルツ王子の叫び声を感じながら、あたしはボンヤリと思い出していた。
今までの自分の人生を。
食べていくのがやっとの、施設での生活。
子どもの頃にバカだんなの屋敷に引き取られてからは、ボロ服を着て、お腹を空かせながら、働いていた記憶しかない。
他にはなにひとつ、思い出なんか持ってない。
それが、こんなのが、あたしの人生なんだなぁ。
なにも無い。なあーんにも、無い。
無いどころか、おまけに小屋でバカだんなに襲われて。
思い切りぶん殴って、逃げ出して。山に逃げ込んで、そして・・・
・・・・・・・・・・・・。
あたしの意識の中に、ほんのわずかに光が灯った。
そしてあたしは・・・
タヌキたちに、出会った・・・・・・。
明るくて、一生懸命で、なのにどこか抜けてる可愛いタヌキたち。
お人好しのおタヌキ王。
『ミアンは立派な、わが一族の仲間である』
その言葉に、笑顔でうなづいてくれたみんな。
いま、死にかけているあたしの心に灯る光。小さいけれど、確かに感じる存在。
温かくて、柔らかくて、とても穏やかな、白い光。
白い・・・・・・
あぁ・・・・・・・・・・・・。
薄れる意識の中、あたしは自分が涙を流しているのを感じていた。
ブラン・・・・・・。
涙の雫が頬を伝って落ちる。
その雫は、あたしの心のありさまのように、とても熱かった。
鼻の奥も、胸の奥も、熱くて痛くてたまらない。
痛くて、そして、切なくて・・・たまらない。
純白に輝く美しいブラン。
彼が運んでくれた果実の味。
美味しいと喜ぶあたしの顔を見つめていた、満面の笑顔。
漆黒に染まる山の夜。毎日抱きしめた滑らかな、あの白い温もり。
静寂の中で、耳をすませばただひとつ聞こえた、確かな鼓動。
そうだ、確かにあったんだ。
虚しさだけに満ちた人生の中で、それでも、あった。
あの純白と温もりは、間違いなく確かにあったんだ。
あたしの隣に、この手の中に。
産まれてきてよかったと思えることのできる、たったひとつの存在。
ブラン、あなただけよ。あなただけが・・・
ミジメで孤独な色にくすんだあたしの人生を、鮮やかに彩ってくれた・・・・・・。
涙が次から次へと流れ落ちていく。
頬を流れるその感触すらも、もうおぼろげで。
あたしの命の灯が、風に吹かれるように揺らめいて、消えかけているのが分かる。
怖くはなかった。それよりも・・・ブランの笑顔が、意識の奥で薄れていくのがただ、悲しかった。
なぜあたし、あのとき王様に頼めなかったんだろう。タヌキたちをどうか救ってくださいって。
あたしのドレイ身分のことなんか、どうだっていいの。
大切なタヌキたちを守れるなら、大切なブランのことを守れるなら、あたしは、どうなってもいいのに。
なにもしてあげられない。
もうなにもできなくなってしまってから、気が付くなんて。
こんなにこんなに一番大切なことに気が付くなんて。
ブラン。ブラン。
唇が、動かない。あなたの名前すら呼ぶことができない。
せめて呼びたい。そして会いたい。
こんなに、こんなにも、あたしはあなたのことを・・・・・・
最後の力を振り絞り、あたしは大切な者の名を呼んだ。
「ブ、ラ・・・ン・・・」
「男爵夫人! 男爵夫人しっかりしてよ!!」
「はぁ、しかたねえなぁ」
涙声のスエルツ王子の声と、ため息交じりのオジサンの声が聞こえる。
ふたり共、あたしのことより、どうかブランを探して助けてあげて・・・。
「うーん。同じ土中の精霊同士、見捨てるわけにも、いくめえなぁ」
そうよ。ブランは金の精霊。同じ精霊のよしみで、どうか彼を・・・。
「タヌキの嫁っちゅーことならよ、おらたちの住みかに連れてっても、いいなぁ」
・・・・・・え?
「本当なら、人間はお断りなんだけんどもなぁ」
「グス・・・、キミ、なにを言ってるんだい?」
「あぁ、おめえさんも、まぁ連れてってやるか。ついでだ、ついで」
オジサンが、またハンマーを軽々と持ち上げる。そしてクルリと回転させて・・・
――ドオォォーーーン!!
背中にビリビリと振動が走った。薄れた意識も覚醒するほどの、激しい地響き。
ズズッと不可解な動きが、横たわる床の下から伝わってきて、それが徐々に大きくなっていく。
ズズ・・・ズ・・・ズズ・・・
――ガラガラガラーーー!!
「・・・・・・!?」
いきなりあたしたちの足場が、ガラガラと音をたてて完全に崩壊した。
体がフワリと一瞬だけ浮力を感じる。
その次の瞬間にはもう、破壊されたガレキと共に、深い深い地の底へと落下していた。




