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「男爵夫人、どうしたの?」

「んー? おいおめえ、ひょっとして・・・」


オジサンが近づいてきて、倒れているあたしの顔を覗き込んだ。

あぁ、オジサンの顔が、グルグルゆらゆら・・・。


「あー、やっぱりだなぁ。こりゃ魔鳥の毒にやられてるなぁ」


魔鳥の毒? あ・・・そっか。

森でハーピーに襲われた時、よけきれずに爪で肩を・・・。


「こりゃおめえ、もうすぐ死ぬなぁ」


意識が・・・どんどんボヤけていくのが自分で分かった。

オジサンのノンビリした声が、どこか遠くから聞こえる感覚がする。

耳が・・・音が、ハッキリと聞きとれない。なんだか視界もボンヤリとかすんできたみたい。

王子の叫び声が、ぼわんぼわんと変に響いて聞こえてきた。


「し、死ぬってどういうこと!?」

「あの魔鳥の毒はなぁ、やっかいなんだなぁ。人間は、まず助からねえなぁ」

「そんな!!」


王子があたしの体をガクンガクン揺さぶった。

「男爵夫人! 死んじゃだめだよ!」


がくんがくんがくん。・・・毒に侵された体を盛大に揺すられてる。

思いっきり毒の回りが早まりそうなんだけど。

うぁぁ、王子やめてー。あたしの寿命を高速で縮めるの、やめてー・・・。


頭に霞がかかったように、意識をまったく正常に保てない。

でも、そんなに苦しくはなかった。どこか・・・現実味が薄い。まるで夢をみているようで。


死ぬ・・・あたし、死ぬのか? ふうん・・・って。


思えば短く、虚しい人生だったなぁ。孤児として、そして奴隷として育ったあたし。

生まれた時からサバイバルで、まさか死ぬ時まで、こんなすごいサバイバルを体験するなんて。

短いわりに、やたらと濃い人生な気がする。なのに・・・


産まれてきて良かったって、思えたこと・・・・・・


なかったな。一度も。


薄れていく意識。霞んでいく視界。

遠くなるスエルツ王子の叫び声を感じながら、あたしはボンヤリと思い出していた。

今までの自分の人生を。


食べていくのがやっとの、施設での生活。

子どもの頃にバカだんなの屋敷に引き取られてからは、ボロ服を着て、お腹を空かせながら、働いていた記憶しかない。

他にはなにひとつ、思い出なんか持ってない。


それが、こんなのが、あたしの人生なんだなぁ。

なにも無い。なあーんにも、無い。


無いどころか、おまけに小屋でバカだんなに襲われて。

思い切りぶん殴って、逃げ出して。山に逃げ込んで、そして・・・


・・・・・・・・・・・・。


あたしの意識の中に、ほんのわずかに光が灯った。


そしてあたしは・・・


タヌキたちに、出会った・・・・・・。



明るくて、一生懸命で、なのにどこか抜けてる可愛いタヌキたち。

お人好しのおタヌキ王。


『ミアンは立派な、わが一族の仲間である』


その言葉に、笑顔でうなづいてくれたみんな。


いま、死にかけているあたしの心に灯る光。小さいけれど、確かに感じる存在。

温かくて、柔らかくて、とても穏やかな、白い光。

白い・・・・・・


あぁ・・・・・・・・・・・・。


薄れる意識の中、あたしは自分が涙を流しているのを感じていた。


ブラン・・・・・・。


涙の雫が頬を伝って落ちる。

その雫は、あたしの心のありさまのように、とても熱かった。


鼻の奥も、胸の奥も、熱くて痛くてたまらない。

痛くて、そして、切なくて・・・たまらない。


純白に輝く美しいブラン。

彼が運んでくれた果実の味。

美味しいと喜ぶあたしの顔を見つめていた、満面の笑顔。


漆黒に染まる山の夜。毎日抱きしめた滑らかな、あの白い温もり。

静寂の中で、耳をすませばただひとつ聞こえた、確かな鼓動。


そうだ、確かにあったんだ。

虚しさだけに満ちた人生の中で、それでも、あった。


あの純白と温もりは、間違いなく確かにあったんだ。

あたしの隣に、この手の中に。


産まれてきてよかったと思えることのできる、たったひとつの存在。

ブラン、あなただけよ。あなただけが・・・

ミジメで孤独な色にくすんだあたしの人生を、鮮やかに彩ってくれた・・・・・・。


涙が次から次へと流れ落ちていく。

頬を流れるその感触すらも、もうおぼろげで。

あたしの命の灯が、風に吹かれるように揺らめいて、消えかけているのが分かる。


怖くはなかった。それよりも・・・ブランの笑顔が、意識の奥で薄れていくのがただ、悲しかった。


なぜあたし、あのとき王様に頼めなかったんだろう。タヌキたちをどうか救ってくださいって。

あたしのドレイ身分のことなんか、どうだっていいの。

大切なタヌキたちを守れるなら、大切なブランのことを守れるなら、あたしは、どうなってもいいのに。


なにもしてあげられない。

もうなにもできなくなってしまってから、気が付くなんて。

こんなにこんなに一番大切なことに気が付くなんて。


ブラン。ブラン。

唇が、動かない。あなたの名前すら呼ぶことができない。


せめて呼びたい。そして会いたい。

こんなに、こんなにも、あたしはあなたのことを・・・・・・

最後の力を振り絞り、あたしは大切な者の名を呼んだ。


「ブ、ラ・・・ン・・・」

「男爵夫人! 男爵夫人しっかりしてよ!!」

「はぁ、しかたねえなぁ」


涙声のスエルツ王子の声と、ため息交じりのオジサンの声が聞こえる。

ふたり共、あたしのことより、どうかブランを探して助けてあげて・・・。


「うーん。同じ土中の精霊同士、見捨てるわけにも、いくめえなぁ」


そうよ。ブランは金の精霊。同じ精霊のよしみで、どうか彼を・・・。


「タヌキの嫁っちゅーことならよ、おらたちの住みかに連れてっても、いいなぁ」


・・・・・・え?


「本当なら、人間はお断りなんだけんどもなぁ」

「グス・・・、キミ、なにを言ってるんだい?」

「あぁ、おめえさんも、まぁ連れてってやるか。ついでだ、ついで」


オジサンが、またハンマーを軽々と持ち上げる。そしてクルリと回転させて・・・


――ドオォォーーーン!!


背中にビリビリと振動が走った。薄れた意識も覚醒するほどの、激しい地響き。

ズズッと不可解な動きが、横たわる床の下から伝わってきて、それが徐々に大きくなっていく。


ズズ・・・ズ・・・ズズ・・・


――ガラガラガラーーー!!


「・・・・・・!?」


いきなりあたしたちの足場が、ガラガラと音をたてて完全に崩壊した。

体がフワリと一瞬だけ浮力を感じる。


その次の瞬間にはもう、破壊されたガレキと共に、深い深い地の底へと落下していた。



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