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オルマさんをこの場に残し、スエルツ王子と一緒に城の中へ進む。
どこへ向かえばいいのかも分からないけれど、とりあえず思った方向に進んでみた。
剥がれた壁に刻まれたレリーフや、落ちかけている額縁の中の絵が目につく。
それらはカメリア王国とは異なる独特な味わいの文化を匂わせていた。
城内は床も壁もホコリまみれ。あちこちに蜘蛛の巣がかかってる。
暗い視界。崩れた内装。ビリビリに破けたカーテン。
倒れた家具にこびりつくヒドイ汚れ。・・・あの赤黒い色は、まさか、人の血の・・・?
な、なんかそこら中、雰囲気バッチリ。
舞台効果バツグンで幽霊が2~3匹立ってても、違和感まったくなし。違和感どころか、逆にそれがベストなコーディネート。
「だ、男爵夫人、暗いから足元に気を付けてね」
「うん・・・。ねぇ、王子はマスコール王国のこと、知ってるの?」
「父上がこの国との戦争に勝ったときは、ボクまだ小さかったから。記憶にないんだ」
そうか・・・。島国の小国だけど、見れば、かなり栄えた国みたい。
残骸になってしまったけど、ここの装飾品はそれぞれ、すごく手の込んだ物ばかりだし。
「戦争に負けたにしろ、なんで滅亡なんてしちゃったかな?」
「そうだね。どうやら、かなりの国力があったみたいだしね」
「それに・・・あの、魔物たち」
この国に近づいた途端、現れた魔物たち。伝説として語り継がれてはいても、まさか実在するなんて思いもしなかった。
この地域に集中して生息してるのかな? なんでだろう?
「あの話、もしかして本当だったのかな?」
「あの話って、父上が言っていた話?」
「うん。マスコール王国が戦争に勝つために、禁呪を使って魔族を呼び出したって話」
今までは「そんなんウッソだぁ~」って鼻で笑って聞いてたけど。
さすがに現実に、こうも次々と魔物を見ちゃうと・・・。鼻から笑いも引っ込んでしまう。
「・・・そんなの、ただの作り話に決まってるよ」
スエルツ王子が複雑な表情でそう言った。その思いつめた静かな口調に、あたしはハッとする。
そ、そうか。もしもあの話が本当だとしたら。
国王は危険を知りながら、自分の息子をそんな恐ろしい場所に、平気で放り込んだってことになっちゃうんだ。
父親の愛情に飢えているスエルツ王子にとって、そんなこと、とても認めたくないだろう。
「そ、そうだね。いくらなんでも禁呪とか、おとぎ話すぎるよねぇ!」
「うん、そうだよ」
「王様もさ、驚くだろうね! それでさ、そんな所から見事に生還した王子のこと、褒めてくれるよきっと!」
「うん・・・男爵夫人」
「なに?」
「ありがとう」
スエルツ王子は、そう言ってあたしに微笑んだ。
・・・・・・その笑顔は、どこか寂しそうで。無理に笑っているのが、はっきりと伝わってきた。
スエルツ王子・・・・・・。
おバカで頼りない人。アザレア姫を自分の利益の為にだました、ヒドイ人。
そう思っていたけれど。
航海に不慣れなあたしたちに親切にしてくれた。
船酔いに苦しむブランを、ずっと看病してくれた。
セイレーンに命を奪われた臣下に対して心を痛め、そしてさっきは、泣いているあたしを慰めてくれた。
あたし・・・スエルツ王子のこと、ちゃんと見ていなかったのかも。
ほんのわずかな一面だけを見て、全部知ったように思い込んでたのかも。
それってひょっとしてアザレア姫も同じなんじゃないかな?
「ねぇスエルツ王子・・・」
「・・・シッ! なにか聞こえない?」
王子が不安そうな顔で、忙しく視線をキョロキョロと動かしている。
え!? なに!? なにか聞こえたの!? あたしは、がぜん勢い込んだ。
「ブラン!? ブランがいたの!?」
「男爵かどうか分からないけど、確かに物音が・・・」
「ブラン! ブランーー!! ここよ!!」
「ちょっと男爵夫人、待って! やみくもに動いたら危険だよ!」
いきなり駆け出すあたしを止めようと、王子が慌てて追いかけてくる。
でもあたしはもう、いてもたってもいられない! ブランの姿を探して大声で叫びながら走り続けた。
―― ぬうぅ・・・!
突然目の前に誰かが立ちはだかり、ぶつかる寸前であたしは立ち止まる。
ブラン・・・・・・!?
目を輝かせて見上げたあたしの表情は、次の瞬間、恐怖に引きつる。
そこには顔半分の肉が削げ落ちた、人間のなれの果てがあった。
頭皮に、わずかばかり残っている髪の毛のかたまり。
目玉はあるけど、腐ったように濁って溶けかけている。
紫色に変色したブヨブヨの皮膚。
肉が落ち、穴がむき出しになった鼻と、くすんだ色の歯。
あたしはビーンと全身硬直したままで、息も忘れて立ち尽くす。そして、ふぅっと意識が遠のきかけた。
い、一部白骨化した、腐乱した遺体・・・?
鎧をつけているところを見ると、城の兵士だったんだろうか?
あぁ、ご対面。頭のてっぺんから足先までマジマジと観察してしまった。
明日から悪夢にうなされそう・・・・。
鎧が、カチャリと音をたてた。
見ると骨ばかりになった手が、ゆっくりとあたしの目の前で動いていく。
え? ・・・・・・え??
骨の手が腰に差してある剣に伸び、スルスルと引き抜いていく。錆びて変色した剣があらわになった。
あたしは呆けたまま、その様子をじーっと見学するばかり。
動いてる? この遺体、動いてる?
あら、じゃあ遺体じゃなくて、まだ生きてるんじゃないの。
だったら助けてあげないといけないんじゃないかなぁ?
そんな、思考回路が完全にぶっ飛んでしまったあたしの頭上に、剣が高々と振り上げられた。
でも相変わらず心が現実逃避し続ける。
ほけぇーっと身動きもできずに、剣が振り下ろされるのを他人事のように眺めていた。
「男爵夫人ーーー!!」
――カシャーーンッ!!
スエルツ王子が血相変えて間に割り込み、自分の剣で錆びた剣を受け止めた。
ギリギリとせめぎ合う剣と剣。顔面蒼白な王子が必死に、動く遺体と剣を交えている。
それを見ているうちに、あたしの頭は少しずつ正常に動き始めた。
遺体。遺体。動く、遺体・・・。
・・・・・・・・・・・・。
つまり、これってゾンビーーーーー!!?
「男爵夫人しっかりして! 正気に返ってー!!」
「たったいま返ったーー!!」
叫び合ったあたしと王子は、悲鳴を上げながら同時に逃げ出した。
そしてその正面から、大挙してゾンビが押し寄せてくるのを見てまた悲鳴を上げる。
いやあぁぁ! ゾンビの軍団!
腐ってる! みんな、心ゆくまで存分に腐ってる!
間違いなく死んでるはずなのに、元気に動き回ってるその不条理さが怖いー!
生前、どんだけ勤勉な兵士だったか知らないけど、腐ってまで動かなくてもいいってー!
前後をゾンビに挟まれて、あたしたちは横の通路に飛び込んだ。
なんなの!? この城ってゾンビに占拠されてるの!?
つまりあたしたち・・・魔物から逃げのびて、怨霊の巣穴に飛び込んじゃったってこと!?
運がいいのか悪いのか分かんない!
崩れて足場の悪い通路を、懸命に走って逃げた。
すると進行方向からもゾンビが剣を構えつつ、集団で迫ってくるのが見える。
そんな! 追い詰められた! もう逃げ場がない!
ブランと絶対に再会するって決意したのに! このまま簡単には諦められない! 諦めるもんか!
――ガッ!
足元に転がっているツボを、ゾンビに向かって思い切り蹴っ飛ばす。ツボは狙いたがわず勢いよく飛んで行った。
よし当たれ! ほとんど骨ばかりなんだから、バラバラに砕けてしまえ!
でもゾンビは持っていた剣で、難なくツボを床に叩き落としてしまった。
あぁ! 死体のクセしてなんて冷静沈着なの!?
「だ、男爵夫人! どこかに隠れていて!」
プルプル震える剣を構え、裏返った声で王子が叫んだ。
隠れろっていわれても、隠れられるところなんかどこにもないよ!
い、いざとなったら、この自慢の黄金の右腕で、片っぱしから粉砕してやるんだから!
ジリジリと距離を詰めてくるゾンビたち。
彼らは死してなお、この世の闇にすがりつく。
生死を超えるほどの恐ろしい怨念の塊り。腐り果てたノドから、地獄の呻きを吐き散らしながら・・・。
来る・・・こっちに来る・・・!
あたしと王子はビクビクと背中合わせに寄り添い合った。
汗でジットリ湿る拳が、小刻みにブルブルと震える。
怖い! やっぱり怖いよぉ・・・!
威勢の良いカラ元気がみるみる萎んでいく。全身が震えて、今にも腰が抜けそうだ!
うぅっ、とノドの奥から泣き声が漏れてしまうのを止められない。
ひょっとしたら、もう、ここで終わりなのかな・・・?
いや! 諦めない! 来るなら来い!
近づいたら、粉砕してやる! ふ、粉砕・・・粉砕してやるうぅーーー!!
心の中で泣きながら絶叫した。
すると・・・
―― ドッガーーーンッ!!
すぐそばの壁が、爆発したように凄まじい音と粉塵をあげ、粉々に粉砕されてしまった。




