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「男爵夫人!」
「なにオルマさん!? 今すごく忙しいんだけど!」
「マスコール王国です!」
オルマさんが海の向こうを指さした。
暴れるスエルツ王子にしがみ付きつつ、あたしはその方向を見る。
陸が・・・大陸が見える! あんな近くに! あれが滅亡の国、マスコール王国!
――ドオーーーンッ
「・・・・・・・・・・・・!」
船が大揺れして、オルマさんの体が大きく弾み、声もなく海に落下した。
「オ、オルマさあぁーーーん!!」
ああ! そんな・・・・・・!
大きな水しぶきの音がした。
サメは猛り狂い、船を破壊しようと激しい攻撃を続けている。
妖しい歌声は、高く低く、まとわりつくように海上に響き渡った。
「うるさいこの、オンチーーー!!」
あたしは大声でセイレーンに怒鳴った。
とにかく、あの男好きをなんとかしないと! あたしたちは全滅してしまう!
――ボンッ!
変化魔法の音が聞こえた。ブランが人間の姿から、白タヌキの姿に戻っている。
ブルブルブルっと全身を震わせ、ゼエゼエと荒い息を吐いた。
「よし、人間の男の姿でなきゃ、妖術は効かないらしいな!」
ブランが正気を取り戻した!
「ブラン! あのセイレーンをなんとかして!」
あたしの叫び声に、ブランがこちらを振り返る。
「あいつを倒さなきゃ、人もサメも狂い続けるわ! あたしが王子を押さえている間に、早く!」
ブランがうなづき、もう一度変化した。
――ボンッ! という音と共に、白い煙が充満する。
大蛇と戦ったときは、ブランは雄々しくて勇猛な大鷲と大虎だった。今回はどんな生き物に変化するの!?
白煙が風に吹かれて散って行き、変化したブランの姿が露わになる。あたしは目を輝かせ、その姿を確認した。
すごいわブラン! なんて見事な・・・
見事、な・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
見事なトカゲ? それ・・・・・・トカゲ??
床にへばりつくような、低くて小さな体。全長せいぜい30センチ。細長いシッポと、ペタペタとした四肢。
間違いなくトカゲだわ。うん、間違いなく。
・・・・・・・・・・・・。
「なに考えてんのブランー!!?」
トカゲになってどうすんのよ! トカゲになって!
真正面から見た、離れたまんまる目がちょっと可愛いけど!
「そんな姿でどうやって戦うつも・・・!」
――バササッ!
ブラントカゲの背に、突然コウモリのような翼が生えて羽ばたきを始めた。
あれよという間に飛び上り、セイレーンに向かって飛翔する。
へっ!? 羽!? な、なんでトカゲが飛べるわけー!?
小さな体はあっという間にセイレーンに接近した。
そして空中でビタリと停止し、ブラントカゲは素早く息を吸い込む。
お腹が破裂するかと思うほどに大きく膨れ上がり、そして・・・
――ブオォォォ・・・ッ!!
爆炎。金色に輝くほどの、透き通るような高熱業火。
灼熱の炎の息を、セイレーンに向かって盛大に吹き付けた!
・・・そうか! トカゲはトカゲでも、あれはサラマンダー! 火トカゲだ!
伝説の妖魔に対抗して、こっちも伝説の精霊ってわけね!?
さすがは金の精霊のタヌキ! 伝説の白騎士だ! どうだ思い知ったか! 男好き!
「ギイィィィーーーッ!!」
セイレーンは、巨大な炎に包まれて火だるまになった。信じられないほど耳障りな悲鳴を上げ、身もだえている。
「うっわー! 気持ち悪い音ー!!」
思わずこっちも悲鳴を上げるほどの、すさまじい不快音!
火だるまのセイレーンは、たまらず身を翻して海に飛び込んだ。
やったー! 妖魔退散! これできっとサメもおとなしくなってくれるはず!
と安心したとたんに・・・・・・
――ドーンッ!
と再びサメが、前にも増して強烈な体当たりを船にかまし始めた。
な、なんでえぇ!?
なんだか、さっきよりずっと怒り狂ってるみたいなんだけど!?
ひょっとして状況が理解できてないの!?
自分の体中が痛くて傷だらけな原因が、セイレーンじゃなくて、この船のせいだと思ってる!?
「・・・・・・違うってーーー!!」
と懸命に訴えたところで、サメに通用するわけもない。
そりゃサメにしてみりゃ妖魔のせいだと思うより、目の前の船のせいだと単純に思い込むだろう。
仕返しとばかりに、強烈な体当たりが繰り返される。
「せ、船体に穴が・・・! やめてぇぇー!」
ブランが大慌てでこっちに飛んでくるのが見える。
早く! 早くブラン! 今度はこのサメをなんとかしないと船が!
――ドーーーン!!
グラリ・・・
ひときわ強烈な大揺れに襲われ、スエルツ王子の体のバランスが崩れた。
あ・・・あ・・・!
王子の体にしがみついていたあたしの体も、当然バランスを崩す。
ああーーー・・・!
ふわっと、体の中を風が抜けるような浮遊感。
ふたり分の態勢を持ち直すことができず、あたしの体はついに落下した。
「きゃああぁ・・・!」
最後まで悲鳴をあげる時間すらないほど、一瞬であたしは海中に沈んでしまう。
叩きつける水面の音。全身を包み込む重苦しい感触。くぐもった水の世界の音。
あたし・・・水泳なんてしたことないのに!!
自分の周囲に空気がまったくない異常事態におののきながら、メチャクチャに手足を動かした。
それが功を奏したのか、偶然に頭がプカリと海面に浮く。
「・・・ブハッ! ハッハッ・・・!」
無我夢中で、とにかくバシャバシャ暴れる。
不意に背後に、水音と圧迫感を感じて振り向いた。
――ザアァァァッ!
サメが・・・! 目の前で巨大な口を開けて迫っている!
全身に冷たい恐怖の衝撃が走った。
先端の鋭く尖った歯がズラリと並び、今まさに、あたしに齧りつこうとしている。
その凶器の威圧感と、不気味に黒い小さな目に圧倒され、あたしはただ唖然とするしかない。
食われる! もうだめだ!
半ばそう覚悟した時、颯爽とあたしとサメの間に、立ちふさがるようにトカゲブランが現れた。
サメの口の中を狙い、金色に輝く業火を素早く吹き付ける。
うわ! すごい炎・・・熱っ!
サメも驚き、身を反り返す。そして慌てふためくように、あっという間に海中に姿を消した。
た・・・助かったー!
あたしは安心して、つい体から力が抜けそうになり、慌ててまたバシャバシャする。
いや待て! 本質的な意味ではまだぜんぜん、助かってないや!
「ブラン! あたし、泳げないの!」
「実はオレも泳げない!」
あ、そうか、タヌキだもんね。そりゃそうだ。
・・・・・・じゃなくて! それでもなんとかして欲しい! 切実に!
「待ってろ! いま変化して・・・!」
――グイッ
水中の足首を、誰かに強くつかまれた感触がした。




