どこまでも混じり合えないもの
馬車はしばらく走り続けて、やっと港町に到着する。
ずっと緊張した状態で座り続けていたから、すっかり全身が痛くなってしまった。
馬車から降りると、ツーンと独特な潮の香りが鼻に突く。
船着き場は、人や荷物や出入りする船でごった返し、ガヤガヤと騒々しく賑わっている。
海鳥の声がギャアギャア耳にうるさい。
スエルツ王子と、王子の護衛兵の後について船に乗り込んだ。
王子は船が小さいって文句言ってるけど、あたしから見れば十分大きくて立派な船。
お忍びなんだから、豪華な船で出発なんて無理な話だし。
船に荷物が積み込まれる間も、あたしとブランの間に会話はなかった。
お互いを意識しながらも、不自然に距離をとり、視線も合わせない。
居心地の悪い感覚・・・・・・。
やがて出港の時間になり、船はゆっくりゆっくり港から離れていく。
あたしは甲板で風に吹かれながら、遠ざかる岸を見ていた。遠ざかるにつれて・・・心細さが増していく。
陸はあっという間に見えなくなってしまった。
空は青く、真っ白な帆は風を良く孕み、順調に船を走らせる。
どこまでも広い海原と、続く白波。
そしてあたしの隣には・・・・・・ブランが。
一切の言葉もなく、ふたりは船のヘリをギュッと握りしめている。
・・・・・・耐えられない。
もう・・・あたし、こんなの耐えられない。
耐えられないんだよ!
もう・・・
もう・・・・・・!
「もうダメ限界! うええぇぇ~~!!!」
今にも船から落っこちそうになりながら、あたしは嘔吐感に身もだえた。
胃が、胃が引っくり返るぅ~。体の中で全ての内臓が、好き勝手にダンスを踊ってるぅぅ~。
うええぇっぷぅーー!
「ミア・・・だ、大丈夫、か? うぇぇ」
「ダメ。ぜんぜんダメ。無理ぃ。あたしもう無理ぃ~」
半べそかきながら、あたしはグダっとその場にしゃがみ込んだ。ブランの色白な顔も、白を通り越して青くなっている。
そんなあたしたちに、船の揺れは容赦なく襲いかかる。
ひー! 船ってこんなに揺れる乗り物だったの!? 最っ悪!
誰よ! こんな最低な乗り物発明したのは!? もうちょっとマシなモン作れなかったの!?
「シーロッタ・ヌゥーキー男爵夫妻、大丈夫?」
「だめぇ・・・。もう生存不可能・・・」
意外にも平気そうな様子で立ってるスエルツ王子。
「なんで? なんでそんなに普通の顔していられるの?」
「ボク、何度も船で外国に渡ってるからね。船酔いって、体質もあるけど慣れの問題だから」
「あたしきっと、その体質ってヤツだわ・・・」
生まれながらにして、船とは生涯、解り合えない体質なのよ絶対。
山の生き物のブランが、悲壮な顔をして王子に聞いた。
「ずっとこのままの状態がマスコール王国まで続くのか?」
「うん。当然」
ムリムリムリムリ! ムリだから!
「お願い降ろして! すみません船長、あたしここで降りますぅ!」
「それこそ無理」
ただっぴろい海のド真ん中に、あたしの泣き声が響く。
スエルツ王子が苦笑いしながら、オルマさんに声をかけた。
「オルマ、ふたりに薬湯を飲ませてやって。ちゃんと持ってきてあるから」
「承知いたしました」
や、薬湯・・・? 船酔いに効く薬を、王子が用意してくれたの?
「小型の船は揺れが大きいからね。念のために用意したんだ」
「・・・嬉しいけど・・・ムリ・・・」
いま胃の中に何か入れたりしたら、噴水みたいに華麗に噴き出してしまいそう・・・。
「匂いを嗅いだり、口の中に少量を含んでいるだけでも違うよ」
「口の中・・・ううぅぅ~~・・・」
「・・・まぁ、どっちにしろ慣れるまで数日間はかかるから。覚悟しておいて」
オルマさんがふたり分の薬湯を持ってきてくれた。
爽快感のある匂いが、少しだけ胸をスッさせてくれる。少しだけ。
「風に当たった方が楽なんだ。ボクの部屋、バルコニー付きだから夫人に譲るよ」
「え? い、いいの?」
「うん。男爵は我慢してね。その代わり、大きな窓のついてる部屋を用意するから」
そう言って王子は、部屋替えの手配をするために立ち去った。
あたしは薬湯を手に、その後ろ姿を見送る。
意外・・・。けっこう、親切で頼りになるヤツじゃん。
救いようのないバカ王子だって思ってたのに。
そんなわけで王子に部屋を変えてもらったんだけど・・・基本的に部屋替えくらいじゃ、船酔いに効果は無かった。
その後は連日、激しい目まいと怒涛の吐き気に、昼夜問わずに襲われて。
際限のない体調不良で、生死の境をさ迷い続ける日々。
「殺してぇ。いっそひとおもいに、あたしを殺してえぇぇ」
「男爵夫人、お気をしっかり」
オルマさんが付きっきりで、かいがいしく介抱してくれた。
彼女がいなかったら、冗談抜きであたし、遺体となって発見されていたかもしれない。アザレア姫に大感謝だ。
ブランはどうしているだろうか。スエルツ王子が、マメに面倒見てくれているみたいだけど。
タヌキなブランにとっては、この潮の香りもたまらなく不快で、余計に具合が悪いらしい。
そんなこんなで、あたしとブランの仲の気まずさは、棚上げ状態。
お互いがもう、各自、生きてるだけで精一杯だったもんで。
顔を合わせる余裕すらもなかった。それだけが唯一、この船酔いの良かったところだ。
それでも何日か、のた打ち回る苛烈な日々を過ごしているうちに・・・
身体が揺れに慣れてきたらしく、あまり酔わなくなってきた。
人間って、すごいわー。どんな過酷な状況でも、生き抜く底力を持っているものなのねぇ。
しみじみと生命力の尊さを実感しているあたしの髪を、オルマさんが丁寧に梳いてくれる。
「お加減がよろしくなって、本当にようございました」
「ありがとう、オルマさん」
「後ほどオルマが、髪を洗って体を拭いてさしあげましょう」
そう言ってくれるオルマさんの手の動きが、ふと止まる。
そして彼女は、どこか遠くに思いをはせるような目をした。
「オルマさん?」
「・・・あ、も、申し訳ございません」
「アザレア姫のこと、心配してる?」
「・・・・・・・・・・・・」
一瞬、複雑そうな表情になったオルマさんが、ふわりと笑った。
「いつも、姫さまの髪をこうやって梳いていたものですから」
「アザレア姫の侍女になって、どれくらいなの?」
「姫さまが十五歳のときからでございます。四度目のご結婚から、お戻りになられた直後から」
「そうなんだ」
「あの方は・・・本当にお気の毒な方です・・・」
国に利用され、親に利用され。
祖国でも嫁ぎ先でも、誰にも、まともに相手にもされない孤独な日々。
でも心根の強い人間だから、決してあきらることなく夢を見る。
いつかきっと、真実の愛を、と・・・。
そしてそのたびに裏切られ。
失意の底に落ちては、再び夢を見て、そして這い上がる。
彼女は強い、強い人だから。強くなければ・・・・・・
とても生きては・・・・・・こられなかったから・・・。
「あのお方を見ていると、わたくしめは・・・」
「ごめんね。オルマさん」
「なにがでございますか?」
「あたしのせいで、大切なアザレア姫と離れることになっちゃって」
さぞ心配だろう。姫のために、祖国を捨てて敵国に渡ることすらいとわないほど、忠義に厚い人だもん。
「わたくしめが、自分で望んだことでございますから」
オルマさんの髪を梳く手が、再び緩やかに動き出す。
「男爵夫人が、お気に病まれることはございません」
あ、そうだった・・・。
そういやあたし、一応まだ男爵夫人って肩書きだったんだっけ・・・。
ヤバイかな。ここんところ、もうずっと本性丸出し状態だ。
なんかもう、セルディオ王子にバレちゃった時点で、どーでもよくなったっていうか。
船酔いのせいで、取りつくろうどころじゃなくなってしまったというか。
たぶんブランも似たような状況になってると思うけど、騒ぎになってる様子もない。
スエルツ王子が、そういうの全然気にしないタイプらしくて。
あの人、自分からして言葉も態度もモロに庶民風だもんね。どこまでも王子っぽくない人。
オルマさんも普段と変わりないし、いいや、もう。このまま行こう。このまま。
秘宝を探し出して、スエルツ王子に渡す。
それに集中しよう。余計なことに神経使ってる余裕なんかない。
・・・・・・秘宝探索、か。
あたしはため息をついた。
「オルマさん、あたし、ちょっと甲板に出てきます」




