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あたしの願いは奴隷身分からの解放。
命の危機を感じることもなく、権利と尊厳を踏みにじられる心配もなく安心して生きていける日々。
今ここでそれを願えば、私はきっと救われる。だけど・・・
あたしの目は落ち着きなく泳いでいる。
息苦しいほどの緊張感が、心臓から全身にジワジワと広がっていく。
決意したはずなのに、いざとなると心が揺れる・・・。
頭の中に次々と浮かび上がる、山で過ごした日々。
お人好しなおタヌキ王。お気楽で、どこか抜けてる可愛らしいタヌキたち。
そして・・・純白に輝く・・・・・・
穢れの無いブラン。
・・・・・・・・・・・・。
違うっ。違う違う!
あたしは眉間にしわを寄せ、ギュッと唇をかむ。
そうじゃない! ブランが、ブランこそがあたしを利用したんじゃないか! 自分の白騎士としての望みを叶えるために!
あの笑顔も、優しい言葉も、温かい触れ合いも、全部!
なにもかも、ブランが自己満足したいが為のもの!
それが事実だ。だから切り捨てるんだ。
なんの遠慮も後悔も義務も義理もない。ましてや・・・・・・
ましてや、罪悪感などと。
そんな必要が、どこにある?
「どうした男爵夫人よ。遠慮せずに申すがよいぞ」
「あ・・・」
ゆっくりと口を開いた。
でもノドの奥から言葉が出てこない。
鉛でも詰まっているかのように、どうしても出てこない。
「あ・・・あ、の・・・私・・・」
ブランの声。ブランの笑顔。彼の姿。
偽りとは知らずに、確かにときめいてしまった胸。安らいだ心。嬉しかった日々。
人生で初めて感じた、あたしの大切な・・・
『裏切るの?』
あたしは両目を見開いた。
心の・・・声が聞こえる。
彼らを見殺しにして、助かりたいの?
『それがあたしの、真の願い?』
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
違う! これは裏切りじゃなく戦いなんだ!
さあ! 言うんだ! いまここで!
あたしは大きく息を吸い、勢いに任せて一気に言葉を吐き出そうとした。
「王様、どうか私の奴隷の身・・・」
「お待ちください。国王陛下」
あたしが意を決して声を出した途端、女性の声がそれを掻き消した。
「臣下に下賜をお与えになるのであれば、このアザレアの願いも聞き入れてくださいませ」
・・・アザレア姫・・・?
イスに腰掛け、顔の半分を飾り扇で隠した姫。
今までムスっと黙り込んでいた姫が、突然なにを言い出すのか。会場中のそんな注目が集まった。
張りつめていた糸をブッツリ切られたあたしも、気抜けして姫の顔を見る。
王様がいぶかしそうに問いかけた。
「願いとはなにか? アザレア姫よ」
「はい。間もなく迎えるスエルツ王子との婚礼の儀に、アザレアは身に着けたいものがございます」
「そ、それはなぁに? アザレア姫!」
姫の『さよーでございますとも』攻撃以外の反応に気を良くした王子が、勢い込んで聞き返す。
「わが祖国の王家は婚礼のさい、妃は国で一番重要な宝石を身に着ける習わしなのです。陛下」
「ほう? それは知らなかった」
「わたくしも幼い頃よりずっと憧れてまいりました。そこで・・・」
アザレア姫はそこでいったん、黙り込む。そして再び、貴族たちの方を眺めながら話し出した。
「陛下が手に入れられたという、伝説の秘宝『竜神王の目』をぜひとも身に着けたいのです」
伝説の秘宝? 竜神王の目?
なにそれ?? 聞いたことない。
王様は、貴族たちを眺めている姫の横顔をじぃっと見つめた。
「・・・アザレア姫よ、なぜそれを知っているのだ?」
「陛下がマスコール王国との戦いに勝利した折り、手に入れられたと聞き及んでおります」
マスコール王国? ・・・あぁ。
聞いたことのある名前に、あたしは記憶をたどる。
えぇっと、確かうちの国と長い間、敵対関係にあったっていう大国で。
勝ったり負けたり、引き分けたり、ダ~ラダラと戦い続けて・・・
なんと百年!
互いに一歩も引かないこの戦いを制するのが、お互いの王家の悲願みたいなもの。
その悲願をついに達成したのが、この、いま目の前にいる王様!
・・・らしい。
詳しくは知らない。だってもう十数年も前の話らしいし。
「竜神王の目は、マスコール王国に代々伝わる世界的な秘宝。ぜひ身に着けとうございます」
ふうん。竜神王の目、ねぇ。そんなすごい宝石があるんなら、姫が身に着けたいのも分かる。
一生に一度の記念日だもんね。それが女心ってもんよ。うんうん。
しかしまあ、おタヌキ王だの、戦いの神だの、竜神王だのと。
なんかだんだんネーミングレベルがグレードアップしていくなあ。
偉い人って、どこまでも登り詰めたがるもんなのね。
・・・バカと煙は高い所が好き、ってことわざがなかったっけ?
「残念だがそれは叶わぬ、姫よ」
ゆるゆると首を左右に振りながら、王がそう言った。
「叶わない? なぜにございましょう陛下?」
「竜神王の目は、この城には無いのだ」
「・・・無い?」
「マスコール王国は呪われた地。その呪いを封印するために、余が秘宝の力を用いたのだ」
王様の言葉に、あたしはさらに自分の記憶を引っ張り出す。
うーんと・・・確か・・・。
マスコール王国は、戦争に負けそうになって追い詰められて。禁断の呪法に手を出した。
悪霊と契約して、魔物の力を使って勝とうとしたんだと。
それをうちの王様が打ち負かして、悪霊を封じ込めましたとさ。
めでたしめでたし。
・・・らしい。
いや、あくまで噂ばなしだから。噂。
こういった王族関係の噂って、尾ひれがビラッビラとつきまくるもんだからね。
ほら、王様の偉大性を誇張しようとしてさ。
だから禁断の呪法だの、悪霊退治だの。そんなおとぎ話みたいなことが現実に起こったわけがない。
そこまでいったら偉人伝通り過ぎて、爆笑ネタよ。まるっきり。
どうせその宝石、いくら探しても見つけられなかったんでしょ?
それじゃカッコがつかないってんで、そういう嘘物語にしたわけだ。
王家も大変ね。嘘ひとつつくのも、壮大に練り上げなきゃならないなんて。気苦労だわ。
「よって婚儀には、別の宝石を使用するものとしよう。それで良いな? アザレア姫よ」
「いえ、嫌です」
・・・・・・・・・・・・。
はい? あ、あれ? 空耳かな?
なんか今、姫の口からドきっぱりと拒否の言葉が・・・
「ぜっったいに嫌です。わたくしは竜神王の目以外の宝石など、身に着けたくはございませんので」




