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ぶわあぁっと、体が浮き上がる! 浮いてる浮いてる浮いてるー! っていうかもう、すでに飛んでる状況!
空を移動してる! 風が全身に吹き付ける! 足の下に地面がないー!
下を見ると、すごいスピードでみるみる地面が遠ざかっていく。でもまだまだ上昇していく! あまりの高さに、腕の痛みも忘れて叫び続けた。
「怖いー! 地面が遠い! 目が回るぅー!」
「下ばっかり見てるからだよ。上見ろ、上」
「そんなこと言ったってー!」
あたしは半ベソかいて、上を見上げた。あんなに遠く小さく見えた鳥の巣穴が、すぐそこまで接近している。ってことは、それだけ高所にいるってこと!? もしもここから落ちたりしたら・・・。
か、考えないよう無我の境地でいるから、早くあそこまで連れて行ってえぇ!
鳥の巣穴は間近で見ると、下から見た時とは想像できないほど大きな穴だった。小部屋くらいの入り口が、ポッカリ口を開けている。その穴に向かってブランはどんどん接近し、反動をつけてあたしを勢いよく放り込んだ。
――ぶうんっ!
「ぎゃああぁぁっ!?」
空中で放り出され、あたしの血の気が一気に引いた。完全にパニックになり、宙を飛びながら全身がビキンと硬直する。そしてあたしはそのまま、巣穴の中に顔面からズザアーッと大胆に滑り込んだ。
滑った体が停止して、冷や汗がドッと噴き出す。擦れた顔の皮膚がヒリヒリした。
・・・生きてる? 生きてるよね? 痛覚があるってことは、生きてるんだ。
ぐすっ・・・良かった・・・。良かっ・・・
「よし、無事についたな」
「無事じゃないわよ全然!」
あたしはガバッと起き上がり、タヌキの姿に戻ってテクテク歩いてくるブランに怒鳴りつけた。
「どうした!? ケガでもしたのか!? どれ見せてみろ!」
「ケガは全然してないけど、命の危機の恐怖はどっさりありました! お見せできないのが残念ですけど!」
「ケガはないのか。よかったよかった」
「良くないって! どんだけ肝を冷やしたと思ってんのよ!」
「うん。山の風は冷えるからなぁ」
「そーゆー意味じゃ・・・!」
怒鳴りつけるあたしの耳に、バサバサと騒がしい羽ばたきの音が聞こえた。
ふと周囲を見渡すと、巣穴中の空間を、色とりどりの美しい小鳥たちが飛び回っている。
その圧倒的な数と、目を見張るほどの美しさに、あたしは声を失ってしまった。
なんてキレイな・・・鳥たちだろう・・・!
青、緑、黒、黄、オレンジ。洞窟中が、爛漫に咲き誇る花々のような、華やかな彩りに満ちている。
しかもその色彩の深み! 艶! 光沢!
とても生き物のもつ色とは思えない! どうみてもこれは宝石の輝きだ。生きる宝石。
ほぅ~っとため息をつき、バカみたいに呆けた顔で見惚れているうち、鳥たちも落ち着いてきた。あちこちに止まって、こちらの様子を伺うように注視している。
「突然に邪魔をして済まない。オレはタヌキ一族の白騎士、ブランだ」
そう話しかけるブランを、鳥たちは首を傾げてじっと見つめている。
「頼みがあるんだ。お前たちの代表と話し合いたいんだが」
するとバサバサと羽ばたきながら、ひときわ色濃く美しい鳥が一羽、目の前に飛んできて止まった。
「ちっ」と小さな声で短く鳴いて、ブランを見ている。
「いやまぁ、そうケンカ腰になるなよ。突然押しかけたことは謝るから」
「ちちっ」
「ああ、それば十分承知している。そのうえで頼みに来たんだ」
「ちっ」
「そう言わずに、聞くだけでも聞いてくれないか?」
「ちちっ」
・・・どうやら、すでに交渉が始まっているらしい。
よく会話が成立してるわねー。あたしには「ち」と「ちち」にしか聞こえないのに。
この短い「ち」が、どれほど多くの情報を伝達してんのかしら? 生物って、とことん神秘的ねぇ。
「ほら、手みやげだ。受け取ってくれ」
そのブランの言葉に、あたしは慌てて畏まりながら魚を差し出した。
鳥の言葉は分からないけど、どうやら交渉は難航しているらしい。ここは謙虚に礼を尽くさないと。
「ちっ」
「ああ、これはオレの嫁のミアンだ。可愛いだろう?」
いきなりそんな風に言われ、あたしは思わず頬を染める。
や、やだちょっと。なに人前、いや鳥前でノロケてんのよ。恥ずかしいわね。
しかし、何をしゃべってるのか気になるわねー。
「ちちちぃ~」
「なんだと!? もう一回いってみろ!」
「ちょ、ちょっとブランったら。どうしたのよ急に?」
「オレの嫁に向かって何て言いぐさだ! ミアン、いまコイツが言ったことは気にするな!」
「・・・いや、気にしてないけど」
てかあんたがバラさなかったら、悪口言われた事にすら、気づかずに済んでたんですけど。
「ちちっ。ちっ。ちちちっ」
「・・・・・・」
鳥が何かを話し、それに対してブランが黙り込んでしまった。白い毛並みが力なくうつむいてしまっている。
いったい何を言われたんだろう。あぁ、言葉が分からないってやっぱりもどかしい!
「ブラン、鳥さんは何を言ってるの?」
「オレたちタヌキに協力するのは、真っ平ごめん、だそうだ」
どうして? 同じ山の仲間同士、仲が良いんでしょう? 仲間が困ってるんだから助け合いましょうよ!
「実は、話はそう簡単じゃないんだ」
「どういう意味?」
「オレたち一族と、この鳥一族は、『食うもの』と『食われるもの』の関係なんだよ」
食うものと、食われるもの? ・・・あっ。
あたしは、ふと思い至った。あたしとブランの結婚式に出たごちそう。たしか鳥の死がいがあった。ここの鳥とは違う鳥だったけど。
でもつまり・・・それって、まさか・・・!
「ここの鳥たちって、今までずっとタヌキ一族のエサになってたの!?」
「まあ、そーゆーことになるな」
「ことになるって、あのねぇ・・・!!」
あたしは呆れて、モノが言えなくなってしまった。
信じらんない! 今まで散々ここの仲間を食い散らかしておきながら、ケロッと忘れたように頼み事!?
魚の数匹で水に流せって!?
「どこまでタヌキ頭なの!? そんなの聞いてもらえるわけがないじゃない!」
「タヌキ頭ってなんだよ! じゃあ他になにか方法があるのか!?」
そりゃ、ないけどさ! だからって、せめてもうちょっと、こう・・・。
深刻さ、みたいなものがあっても良かったんじゃないのぉ!? 深い反省の態度とか。
その、めっぽう明るいタヌキ頭っぷりが、あちら様にしてみれば腹が立ってしかたないんじゃないのぉ?
「ちちっ」
「あ? それに今はそれどころじゃないんだ、って? どういう事だよ?」
「ちっ」
「話す気はない、だって? いいから教えろ。こっちだって一族の存亡がかかってるんだ」
「ちちちっ」
「自業自得だと!? 勝手なこと言うなよ! 黙って聞いてりゃ調子に乗って!」
「ちょっとちょっとブラン!」
あたしは慌てて止めようとした。あんたがケンカ腰になってどうすんのよ。こっちは頭を下げて頼んでる立場なのに。
それに、向こうの言い分はもっともだよ。こっちは反論なんてできないよ。
「だからさ、ここはひとつ一族を代表して、心からの謝罪を・・・」
ブランはキッと振り返り、叫んだ。
「オレたちは、なにも悪いことなんかしていない! 謝罪する必要などない!」
「うわわ、だからそんな事を大声で・・・」
「オレたちはすべて、自然の一部なんだ!」
弱きものは強きものに食われ。
強きものは、さらに強きものに食われ。
そしてその強きものが、いずれ死を迎えた時・・・
その体は弱きものの糧となる。
そうして自然は回っている。
この世の生き物すべて、その輪の中で生きている。
それは、謝るべきことなのか?
この輪の中で生きていくことを
世の命は皆、だれかに謝罪しなければならないのか?
「それは絶対に違う。それは、命に対する侮辱だ。そうだろう?」
「ブラン・・・」
あたしは、言葉に詰まってしまった。ブランの言った言葉が胸にズシリと重く響いた。
この重みは、「生きる」ということの重みと同じだ。生き物は、みんな戦って生きている。タヌキも、鳥も、人間も、みんなそう。それは確かに、ゴメンと謝る問題とは違う気がする。
戦いを止めることは、生きることを放棄することだ。
タヌキは自分が生きるために、いま精一杯戦っている。そしてあたしも自分が生きるために、精一杯戦っている。
それを責められる筋合いは、どこにもない、けれど・・・。
「ちちっ、ち」
「・・・・・・」
「いま、なんて言われたの? ブラン」
「ならば、オレたちが人間に捕食されて滅びるのも受け入れろ、とさ」
「そんな・・・」
「それが運命なんだから当然だ、とさ」
「・・・・・・!」
「もういい諦めよう。当然、鳥たちにも拒否する権利はあるんだ。帰るぞミアン」
ブランは踵を返し、入り口へ向かって歩き出した。鳥たちはその後ろ姿を黙って見送っている。
ブランと鳥たちの間には、明確に断絶された空気が存在している。ブランが歩むごとにその断絶は広がっていた。
・・・・・・・・・・・・。
「・・・ちがう」
あたしはポツリとつぶやいた。
ブランの足が止まり、こちらを振り返る。
「え?」
「違う。それは違うよ」
「ミアン?」
あたしは鳥の代表に顔を向けた。そして、まっすぐに言い切った。
「違う。運命でもないし、当然でもない。今あんたがブランに言ったこと、取り消して」
確かに、弱いものは強いものの犠牲になるのが運命かもしれない。
でもそれは『本人が受け入れたら』の話だ。
あたしも以前は受け入れていた。自分の人生なんてこんなもんだ。これがあたしの、決められた運命なんだって。
でもバカだんなに襲われそうになった時、冗談じゃないって思った。
こんなの誰が受け入れるもんかって、バカだんなを殴り飛ばして、必死で抗った。
当然だと思っていた世界を飛び出し、走り続けたんだ。
だからあたしは今、ここにいる。
あの時、受け入れずに戦った証として、ここにいるんだ。
バカだんなの言いなりになる運命じゃない道が、目の前に開けている。
タヌキたちだってそうだ。戦っている。
人間に滅ぼされる運命に抗い、受け入れずに戦っている。
全力で、一生懸命に、自分たちの道をつくろうと頑張っているんだ。
だから、運命なんかじゃない。当然でもない。
バカだんなの好き勝手にされるのが、あたしの運命で当然だなんて。
人間に狩られ毛皮にされて、絶滅するのがタヌキの運命で、それが当然だなんて。
「そんなこと言わせない。誰にも、絶対に言わせないからね」
「ミアン・・・」
ブランは、しばらく沈黙した後・・・ゆっくりと戻ってきた。
「鳥の代表よ、ミアンがいま言った言葉は、お前には聞き取れないだろう」
そしてあたしの足元に立つ。
「だが、伝わらなかったか? 世界の輪の中で、戦い生きようとするものの意思を」
鳥たちは黙っていた。ピタリと止まって身動きもせず、さえずりもしない。
でもあたしとブラン、そして鳥たちの間に、さっきの拒絶とは違う空気が流れ始めていた。
鳥の代表が、小首を傾げて何かを言おうとした瞬間・・・
――シャアアアァァッ!!
空気を切り裂くような音が入り口の方向から聞こえた。
そして、とても長く大きな影が、あたしたちに向かって一直線に襲い掛かってきた。




