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イタリアから来た兵士

作者: 瀧河 愁

額から滴った冷たい汗が、頬の辺りを通過し始めたのが分かる。

狂気を詰め込んだその水は、俺の肌に嫌な感触を残しながらゆっくりとあご先に向かうと、やがて、その先端部分に最後の痕跡を残し 小さな音と共にくすんだテーブルの上へ散った。


 俺は静かに目をとじ、こぶしを握り締める

───今、俺の目の前にあるのは何だろうか? たしかに俺はピザ屋にやってきている。そして、目の前にあるのは文字どうりのピザだ。しかしなんだ?この胸に針の刺さったような感覚は…ピザだぞ?たかがピザなのだぞ? 外国映画じゃデブの主食のピザだぞ?

凶悪なハイジャック犯が注文すれば確実に盗聴器が仕込まれたり、山積みにしてその箱を持ち運べば、慌てたヒロインのドジっぷりを演出する為になんのタメライも無くぶちまけられるただのピザだ!…ええい、落ち着け俺!前を見ろ!逃げずに現実を見据えれば必ず活路が!───


 俺は、反射的に自分のひざを強くにぎしりめる。そして、突き立てた爪の痛みを踏み台にして、ゆっくりと、おそるおそる目をあけた。


 …そこにあったのは、たしかにピザだった。しかし、それは4人がけのテーブルを埋め尽くさんばかりに広がりすでにピザと言うよりは、少し派手なテーブルクロスだと言って過言で無い程の迫力を誇っている。

 その数、およそ10人前……目下に広がった恐るべき物量を前にし、俺は再び首をうなだれると力なく両手を脱力させ、ため息をついた。


 事の始まりは、些細な空腹感からだった。

朝から何も食べず、ただ部屋の中で横になり続けた俺は、やがて、背中に痛みが走りだした頃になってようやく体を起こした。時計を見るとすでに夕方の5時を指している、そして、同時に腹部から聞こえる猛々しいストライキの声。それに耐えかねた俺は、財布とタバコをジーンズのポケットにねじ込んで町へと繰り出したのだった。

 狭い路地浦を、空腹感に苛まされながら歩いた時、、向こうからやってきた元気な学生の群れを避けたとたん、膝の部分になにかが固いものが当たった。みれば、それはどうやら店の置き看板だったらしい、ピザ屋らしきイタイリア色の装飾でピザやらスパゲッティなどの単語がならんでいる。何気なくその店のメニュをを目で追っていた俺は、やがて、メニューの終わりに近づいた辺りで一気に体が熱くなるのを感じた。看板の下、自然と食べ物の名前

に目が行っていた為に後回しにしてしまったが、そこには大きな太文字で『食べ放題』とイタリア料理屋には似つかわしくない豪快な筆文字が描かれている。看板から目を離した俺は、自然と店のドアへ急ぎだした自分の足を抑えきれず、そのまま勢いよく店のドアを開け。案内に現れた店員を無視して店の奥の席に座るやいなや。出された食べ放題用のメニューから本能のなすがままにアレコレと注文し、シメのデザートピザまで注文してしまった。

 ひきつった笑顔でそれを聞いていた店員が、言いにくそうな口調で

「あの、食べのこされますと追加料金が…」と言いかけたのを、俺は眉間に皺をよせ、腕組みをし「がんばります」の一言で強引に制止したのだった。



 ……そして、その結果がこれである

ちなみに、一番最初に登場したのはなぜかデザートピザ。いきなり甘いものを運び、食欲を抑えた所でさらに駄目押しのピザ一個師団による総攻撃である。なんの恨みが在るかは知らないが、どうやらここの店長は本気で俺を潰すつもりのようだ。  

 弱々しく、老人のように丸まった俺の背中に先ほどの店員が声を掛ける。

「お客様、タバスコはお使いになりますか?」

 まるで?これを掛けてもピザは減らないぞ?”と聞こえてきそうなその口調に、俺は、うなだれた頭を起こして、だるそうに答えた。

「いや、タバスコは嫌いなんだ。だから…」

 そう言いかけて、ふと、俺は目の前に広がるピザの海に目をむけた。色とりどりのその海は、平然と俺をみつめそして、俺の後ろに立つ店員同様、静かな嘲笑を俺に向けているように見えた。

 その時だった、突然、体中に熱いものが駆け巡り、膝が小さな痙攣をしはじめる。 何が起こったのかわからないまま、俺の思考がしばらく 停止した後。

顔を覆った手の平の下で、俺の唇が序々にいびつな形にひきつり始めると、 やがて、実に不気味な笑みを作り上げ。己の思考にもその黒い笑みが入り込んできた

 

 ──いいだろう、やってやろうじゃないか、上等だ、この俺を満足させてみろ。楽しませろ、喜ばせろ、狂気させろ。一喜一憂の果てに待つ絶望に身を悶えさせろ!…そして想像しろ、満身創痍の体になったあとですら貴様(ピザ)に食らいつく俺の姿を! ───食ってやる、食らい尽くしてやる、そして、全てが終わったら言ってやろう。この戦争に、貴様に、全ての同胞に……「こんなつもりじゃなかった」と!!


 そう心の中で叫ぶと、俺は血走った視線の先にあったピザを取るや否や、店員の手からタバスコをひったくった。

俺の行動を唖然とした表情で店員が見つめるなか、俺はビンの蓋を弾くように開け、その血のように赤い液体を敵に浴びせかけた後、口を開き、噛み砕き、唾液と共に食道を通過させこのピザ戦争の火蓋を勢い良く切ったのであった。


 それは、まさに泥沼の戦争であった

当初、その圧倒的なまでの物量で俺の精神を蹂躙し続けたピザ達だったが、この戦い最大の強敵と思われたデザートピザの甘さを逆手に取り、脂っこいピザの小休止にそれを利用する事によってそれを克服。まるでノルマンディに上陸する連合兵士のように、怒涛の勢いで押し寄せていたピザ達を冷静沈着に水際で撃破していった。

 そして、自分の胃袋のスペックを遥かに凌駕したピザを残り10分というところで、ついに最後の一枚にまで食べ尽くしたのであった。すでに胃袋に敵を封じ込める事で手一杯のこの体にとって 残る最後の一枚が戦車か装甲車に見えて仕方がない。そんな極限状態の中、俺は必死に手を伸ばし 最後に残ったピザを手に取ると、食欲増進のため

残り少なくなったタバスコをたっぷりと掛けた。

 その時、胸に湧き上がった感情は敵を貫こうとする、どす黒いモノなどではなく、長く親しんだ友を思うような、どこか暖かいソレだった

 ───お前、ただのピザだったんだよな。誰かに美味しいと思われる為に生まれて、誰かの舌を満足させるために作られたピザなんだよな。悪いな、こんな事に付き合わせちまって……けど、俺をここまで苦しめて、ここまで熱くならせた、そんなピザは今まで居なかったぜ…

 

 俺は手にしたピザを眺めるのを止め、震える手で口元に運ぶ。

 そして、顎が外れんばかりに口を開き、心の中で叫んだ


 ───あばよ、戦友


 一撃だった、俺の奥歯が、無常にも友を八つ裂きにした。その音は俺の顎を伝わり、骨を伝わり、俺の心に鈍い痛みを走らせた。


 その瞬間、緊張の糸が切れたかのように、タバスコを握りしめた俺の腕は急に力を失い、派手な音と友にテーブルの上へと放り出された。その音を聞いてか、先ほどの店員が足早に俺の元へやって来る。

「すごいですねー、全部食べきっちゃったんですか」

そう言って、白い皿と残りかすが広がるテーブルの上を見ながら、店員は感嘆のため息を漏らした。

そんな店員へ俺は振り返らず、ただ黙って空になった大皿達を見つめていた。

 長い戦いだった、俺を苦しめ、いためつけたピザたち、誰かの舌を満たし、幸福をもたらすために生まれたピザたち、それらと俺は、ここまで戦い続け、そして、最後には、そんなピザに友情すら芽生えたのだ。

 だが、結局俺はそんな彼らを、ただ胃に詰め込み続け、彼らの目的を遂げさせる事はできなかった。

 しかし、俺にとっては彼らはすでに友であり、舌を満たす以上の存在になったのだ───


 その時、急に満腹感とは違う激しい感情が俺の胸にこみ上げてきた。今おもえば、それはようやく築き上げた友情を、自らの手で壊した悲しみだったのかもしれない。


 店員は、静かな俺と、空皿の広がるテーブルを不思議そうに見比べたあと、おずおずと口を開いた

 「あの…何かお気に召しませんでしたか?」

 背中から投げかけられたその言葉を無視し、握りしめていたタバスコをテーブルの上へ転がすと、その先に置かれたナプキンを手にとり、顔を拭く。そして、不安げな店員が見守る中 やがて、俺は細かく肩を震わせた。

 「──だから言ったろ」

そう言って、涙でふやけたナプキンを鼻にあてがい、下品な音を立てながら鼻をかみ終えると、くぐもった声で、ぼそりと呟いた。

 「嫌いなんだよ……タバスコは」 


初投稿です。勢いだけで書きました。どうかお許しを(笑)

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