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9.ほんとうの食べ物


 食べ終わった食器を載せたお盆を持って、あたしは用心しながら部屋を出た。いやまあ、手ぶらの方が安全なのかもしれないけど、ほら、見つかった時の言い訳にね?

 台所、台所、っと。

 きょろきょろしながら、廊下を適当に歩く。


 建物は古い木造の漆喰壁で、元々普通の民家だったんじゃないかな。今は導士が住み着いているとはいえ、最初から魔獣を集める目的で建てられた訳じゃないみたい。

 あっちこっちにいろんなものが放置されているけど、足の踏み場もないゴミ屋敷というのでもないから、アリッサがせっせと片付けたのかも。


 なんとなくこっち、と思った方に行くと、案の定、台所に出た。土間になっていて、竈とか流し台とかが並んでる。時代劇にまでさかのぼらなくても、田舎の古い農家に今でもありそうな感じ。

 水は蛇口から普通に出てきた。どうなってるんだろう?

 とりあえず洗い物だけ片付けて、水切りかごに伏せておく。なんていうかね、初めて使う台所なんだけど、勝手が分かりやすいんだ。普段から人が使っている痕跡があるから。実際、竈にはまだ温かい寸胴鍋が置いてあって、あの美味しい煮込みの匂いが漂ってくる。


「ゴン太が毎日お料理してるんだろうなぁ。意外とマメなのかな」

〈導士は基本的に世話好きですからね〉


 魔獣と言ってもニケみたいに知能が高いものばかりじゃないから、飼うなら世話が必要だ。餌やりとか、排泄の後始末もしなきゃいけない。

 そこまで考えてあたしはふと首を傾げ、物音に耳を澄ませた。


 ざわざわ。木の葉がざわめく風の音。遠くの空で鳥が鳴いている。

 それとは別に、様々な生き物の気配が感じ取れた。小さな鳴き声、かさこそ動く音、何か食べている音。

 そういう音に混じって、誰かが動いている音も聞こえる。時々何か話しかけているみたいだ。でも、人間の気配はそれだけ。もしここが集落だったら聞こえるはずの、隣近所の挨拶や話し声、通りがかった人の足音、子供のはしゃぐ声なんかは、いっさい拾えない。


 予想はしていたけど、どうやらやっぱりここ、人里から相当離れているみたいだ。うーむ困った。

 あたしを連れ去ったのが普通の人間だったら、アワジ村からそんなに離れていないはずだけど。何しろゴン太は導士なわけで、あたしを運ぶのに魔獣を使った可能性が高い。移動距離が一気に桁違いになってしまう。救出隊を呼んでも、普通の手段では通れない場所だってあるかもしれない。

 …………。


「あーもう、なんでこんな事になってんの!? ただの美味いもの巡りだったはずなのに! ウィルの馬鹿ー!」

〈彼のせいではないと思いますが……〉

「今んとこ、この辺の土地の責任者はウィルなんでしょ。だったら全部ウィルのせいだ!」


 強引にこじつけたあたしに、ラグが苦笑する。何ですかその寛大な気配は! むー。なんか気に食わない。


「最近ラグってば、ウィルと仲良しだよね。あたしに内緒で相談しちゃったりしてさっ」

〈あ……それは、あの……すみません〉


 あたしが拗ねると、罪悪感がじわっと伝わってきた。本当に申し訳ないという気持ちと、でも実はそんなに深刻なことではないというような、安心と信頼のまじった温かい気持ちと。

 そりゃね、分かってますよ。ラグとあたしはお互いを見捨てるとか裏切るとか、そんなこと絶対にできないし、考えるだけ馬鹿らしいってことは! でもでも、やっぱりちょっとは寂しいんだよ!


〈帰ったら、色々、ちゃんと説明しますから〉

「え、まだ何か隠してることがあるの?」

〈はい。でも私の秘密ではなくて、ウィル殿下のことですから。今、私が勝手に話してしまうことはできないんです〉

「うぬぅ。それじゃ仕方ないか」


 諦めてため息をついたあたしに、ラグが嬉しそうな気配をくれた。ちょ、いやいや、照れるからやめて!

 いやだってさ、そんなの当たり前じゃない! いくらあたしとラグが半身だって言っても、他人は別々のものとして内緒話をするんだから、勝手にばらしちゃうわけにはいかないでしょうよ。

 あたしだって、ウィルから「ラグには言うな」ってことを聞かされたら、よっぽど差し迫った事情がない限り、秘密は守る。

 だから今の場合あたしが選べるのは、ラグを問い詰めるという選択肢を除いた、ふたつだけだ。すなわち――ウィルが自分から話してくれるのを待つか、ウィルを締め上げて吐かせるか。


「よし、帰ったらこの件についても締める」


 握り拳でつぶやいたあたしに、ラグは何も言わなかった。


     *


 気を取り直して偵察の続きに戻ったあたしは、じきに魔獣さん部屋に行き当たった。

 元々広い部屋だったのを、押入れとかちょっとした仕切りを取り払って大部屋にして、テラスから庭までつなげちゃってる。耐震強度とか大丈夫なのかな。いや待て、地球じゃないから地震もないのか? うむ、わからん。

 ペットホテルか何かみたいにケージが並んでいるのを想像したんだけど、意外なことに皆、自由にされていた。その辺で寝そべっている灰色の大型犬みたいなのもいれば、小型の鳥とかネズミっぽい動物も適当に気に入った場所に陣取って、餌をつついたり箪笥の残骸をかじったりしている。


 モーリーは……いないか。ちぇっ。

 どの子も好き勝手にしてはいるけど、なんとなくそれぞれの領域を侵さずに秩序を保っているのは、導士の力の影響下にあるからだろう。部屋に入った時から、あたしにもうっすらそれが感じられている。意思や感情を少し抑制されるような力。

 この程度なら、不快ってほどじゃないんだけどな。導士の強制力だってことを意識しなければ、むしろ落ち着いて安心してしまいそう。


 あ、ゴン太がいた。テラスで巨大な鳥さんに餌やってる。あれは確かツァヒールっていう種類の魔獣だ。鳥だから魔鳥?

 普通の鳥よりだいぶ知能が高くて温厚だから、導士さんの間でも人気があるんだよね。たぶんあの子が立派な肢であたしを掴んで、村からここまで運んで来たんだろう。そのぐらいの力がある鳥さんだから。

 ふかふかの羽毛を撫でているゴン太は、あたしに全く気付いていない。めろめろのデレッデレだ。

 うう、なんかもう、本当に反応に困るなぁ。あんな無邪気な顔で動物相手にしてるのを見てると、怒るに怒れないよ。


 あたしがゆっくり部屋を横切っていくと、動物さんたちは次々に顔を上げてこっちを見た。弱い警戒と好奇心が向けられるのが分かる。

 ゴン太もようやく気が付き、表情を引き締めてこっちを向いた。直後、あたしは思わずふきだしてしまう。


「ついさっきまで顔面崩壊してたくせに、いきなり真面目な顔したって……。それに、頭に羽根がいっぱいついてるし」


 ぶくくくく。笑いながらあたしは、ゴン太の頭を指して教えてやる。ふわふわした小さな羽毛が、くしゃくしゃの髪にくっついて、まさに鳥の巣頭だ。

 当のゴン太はあたしの反応なんかどうでもいいらしく、じーっと探るようにあたしを見つめてから、唐突に言った。


「そろそろ昼寝したくならんか?」

「なりません。残念でしたー。そろそろあたしとアリッサとモーリーを自由にしてくれる気になりません?」

「おかしいな……」

「無視かい」


 難しい顔で唸り、ゴン太は腕組みして、ずいっとあたしに近付いた。うお、怖っ。

 重圧感が強まる。まずいな。あたしは無意識に後ずさろうとしたけれど、一瞬早く、ゴン太に腕を掴まれてしまった。ちょ、痛いよ! 仮にも女の子の腕を力任せに掴むんじゃないっ!

 振り払おうとそちらに気を取られた隙に、今度は顎をがっきと掴まれた。あだだだ!! 痛い!

 無理やり前を向かされ、まともに目を覗き込まれる。


「おまえ、本当に人間か?」


 疑いの声と共に、ひやりと冷たい感覚が背筋を走った。濡れた氷を服の中にぶちまけられたみたいに。


「うわあぁぁ!!」


 あまりの嫌悪感に耐えきれず、あたしは喚いて無茶苦茶に暴れた。ゴン太の手を振り払い、闇雲に蹴りを繰り出して、とにかく離れようとする。

 ぞわぞわした悪寒が止まらない。隙間の無い氷柱に閉じ込められて、圧し潰されていくようだ。身じろぎひとつできないまま、じわじわ潰されて、体の中に冷たい水が染みこんでくるみたいな。

 気持ち悪い。気持ち悪い!

 駄目だ。水がどんどん染み込んでくる。皮膚を押し破り、筋肉の隙間をくぐって、心臓に迫ってくる。

 金色の光、あたしの半身が宿るところへと。


(触るな!)

〈来るな!〉


 あたしとラグの意識が重なり、共鳴する。

 触らせない。触らせるものか。あたしの――私の――大切な、半身を。

 ほかの者になど触れさせてなるものか。決して、決して!


 光が弾け、黄金の奔流となって、侵入者を瞬く間に駆逐する。見えない氷柱が砕け散り、輝く光に撃ち抜かれて蒸発する。

 力に弾き飛ばされた人間が、目の前で無様に腰を抜かしていた。驚きと恐怖のさざなみを立てながら、抵抗する意志を失ってただ呆然としている。

 死を予期したがゆえの麻痺状態。なんとたやすい獲物だろう。


 私はゆっくりと人間のかたわらに膝をついた。肉の器の中に明滅する、頼りなく不確かな光。

 ああ、あの味わいを知っている。

 弱々しくも複雑に絡み合って奥行きのある味、舌に残る甘露。喉を湿らせ心身の隅々まで行き渡る、豊かな潤い。

 食べたい。目の前のこれは、どの程度の味わいを楽しめるだろう。ああ、食べたい。


(ラグ)


 違う。私に名は無い。


(駄目だよ)


 なぜ止めるのだ。私は――わたし――は――


「……っ!! あ、っぶな……っ」


 がくん、と体が前のめりになって、あたしはゴン太の肩に両手をついた。勢いそのまま、押し倒してしまう。ゴツンと後頭部をぶつけた音がしたけど、食べちゃうよりマシだよね!?

 うあー、うわぁうわぁうわあぁぁぁ、危なかった危なかった! 本気で今ちょっと危なかった!

 まさかテルセアやテセアが、本当に人間を食べちゃうとか思ってなかったよ! まだ心臓ばくばく言ってる! ひー!

 ……あ、ゴン太が白目剥いてる。自業自得だ、バーカ。


「だから、いつか手を噛まれるぞ、って言ったでしょ……」


 ぼそっと独りごちてみたものの、どうにも言い訳がましくて気が晴れない。あーあ、もう。踏んだり蹴ったり。


〈……遥?〉

「あ、ラグ、お目覚め? 今は正気?」

〈何をもって正気というのか、自信がなくなってきました。本来の私達の食物は、ああいうものだったんですね。私と遥が完全な融合を果たしていたら、ああやって人の……精神か生命かを〉

「食べてたみたいだねぇ。むちゃくちゃ美味しそうだったから本当、やばかったわ」


 まさか、何気なく思い出したSF小説ばりの食人ネタを自分で実践しかけるとは。いやー恐ろしい。まぁでもあの小説みたいに肉体そのものを摂取するんじゃないから、グロ度はマシ……ってそういう問題でもないのか。


 ラグと融合した時は、喰われる、って感じじゃなかったからなぁ。あくまで、体が必要なんだったらシェアしてもいいよ、ってぐらいの気分だったし。ラグ自身も、あたしを乗っ取るとか吸収するとかいった意識じゃなかったし。だから本来の食物が何かなんて、考えたことなかった。

 でも今から思えば多分、あたしが『客人』で、喰われる前提の意識じゃなかったから、ラグは本能的に別の方向からアプローチして融合しようとしたんだろう。とにかく一度孵化しないことには、捕食もままならないわけで。


〈あの……すみません、遥〉

「え? あぁ、えーと、いや、ラグが謝ることないよ! だって、そういう生き物なんだってことでしょ。テセアですみません、とか、人間ですみません、とか、そんなの意味ないじゃない」

〈……そうですね〉


 ほっ、と安堵した気配が温かく広がる。可愛いなもう! こんなに健気で優しい半身を、ちょっと人間食べちゃうからって、非難したり嫌ったり出来るはずが無い。ってあたしも大概これ、おかしいのか。まあいいや。

 とりあえず、ゴン太が白目剥いてる間に、モーリーを探そう。魔獣さんたちも、さっきあたしが何か放散しちゃったのにあてられたみたいで、ぐたっとしてて大人しいし。ごめんねー。恨むなら飼い主を恨んでちょうだいな。

 あー。

 おなかすいた。

 あれ、食べ損ねたのは惜しかったなぁ……。


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