7.噂の的も楽じゃない
あたしが起きだした頃には、家の人達はもう一仕事片付けた後だった。
そういや農業やってる友達んちも、こんな感じだって言ってたなぁ。朝の五時や六時には畑に向かって、少し作業をしてから朝食なんだって。早起き苦手なあたしにはとても無理だ。
朝ごはんは、オレストさん夫婦と息子さん一家、それにあたし達だけだった。昨夜みたいに大人数じゃないけど、それでも十人近いから、用意するのは大変。もちろんあたしも手伝ったよ! ……起きるの遅かったから、配膳ぐらいしかできなかったけど。
「いただきまーす!」
ほかほか御飯とお味噌汁の朝ごはんですよー! 御飯は精白米じゃなくて、ちょっとだけ……なんだろうこれ、粟かな、つぶつぶした雑穀がまじってます。白米も美味しいけど、栄養を考えたら分づき米とか雑穀入りとかの方がいいよね。風味も色々楽しめるし。
お味噌汁の具は当然ネギ。玉ネギと、葉っぱの青いところと両方入ってる。紫蘇っぽいのもちょっと入れてあって、いい香り。家ではお味噌汁に玉ネギ入れたことないから、ちょっとびっくりしたけど、意外といける。美味しいなー。
おかずにはメザシみたいな小さい干し魚の焼いたのと、炒り卵、常備菜っぽい煮豆とお漬物。うーん完璧に和風だ。異世界に来てここまで見事な日本の家庭の朝ごはんを食べられるなんて、本当に奇蹟的。炒り卵の火の通り加減が絶妙でありますよ。ふわふわー。
「ごはんと言えば、ちょっと思い出したんだけど」
「何です?」
向かいでセンが目をしばたたく。あたしはこんがり焦げた魚の尻尾をポリポリかじってから、ほかの人に聞かれないように少し声を小さくして続けた。
「ここに来る前に読んでた本でね、異星人……異世界人が、あたしの世界に遭難してくるっていうのがあって」
「まさか、こっちの者がそっちに行った、ていう話ですか」
「違う違う。事実じゃなくて、作り話だよ。でね、その人達、なんとか元の世界に戻ろうとしながら、現地で生きていくんだけど。問題は食事だったんだよね」
「はァ。食べ物があらへんかったんですか」
「ううん、現地の人と同じものを食べることはできたの。でも、必須アミノ酸……つまり生きていくのに必要だけど体内で合成できない、食事として外から摂るしかない栄養っていうのがあってね。そのうちの一つだけが、現地には無かった。おなかは満たせるんだけど、その栄養だけが摂れないせいで、だんだん衰弱していっちゃうの」
「それはキツイ……」
「残った人はどうにか少しでも生き延びるために、この世界で唯一その栄養を含んでいるモノ……つまり死んだ仲間の体を」
「うわぁ! やめとくんなはれ!」
センが悲鳴を上げたもんで、物語の筋を思い出すのに夢中だったあたしは、我に返って目をぱちくりさせた。次いでうっかり失笑する。センが涙目になってぷるぷるしていた。あらら。
「なんで朝っぱらから、そない惨うてエグうて悲しい話を……」
「ごめんごめん! いや、こうして美味しくごはんを食べられるのって幸せだなーって言いたかっただけなんだけど! 小説だから、作り話だから!」
「ハルカはんの世界の物語は刺激が強すぎますわ。あかん、僕もう食べられへん」
ぐすぐす、と演技なのか本気なのかべそをかきつつ、センはご馳走様をする。もう食べられへんも何も、食器全部空っぽじゃん。
苦笑しながら、あたしも食べ終えて器を台所に運び、片付けを手伝った。
「ごはん足りた? センさんから、魔獣にも食べさせるから多めに用意して欲しいって聞いたんだけど」
「あっハイ! ありがとうございます、たくさん頂きました!」
奥さんが昨日と同じ、優しい口調で尋ねてくれた。本当はまだおなか空いてるんだけど、この後、村の中をうろうろしてお店めぐりをするつもりだからね!
奥さんの横で洗い物をしていたお嫁さんが、ひょこっとこっちを覗いて興味津々の目つきをした。
「ねえねえ、すっごい魔獣なんだって? 後で見せてくれない? お義父さんが言ってたけど、なんかぶわーって紐みたいなのがいっぱい飛んできて、荷馬車ごと受け止めてくれたって」
「あー……すみません、ちょっと人見知りなんで」
曖昧に答えて、あたしは苦笑でごまかす。袖から触手の先だけちょろっと出せなくもないけど、やるならあたしの目を見られないようにしなきゃいけない。危なすぎる。
残念そうなお嫁さんを、奥さんが軽くたしなめる。あたしはもう一度謝ってから、そそくさとその場を離れた。
お茶を飲んで一服してから、あたしとセンはオレストさんちに荷物を置かせてもらったまま、仕事に取り掛かることにした。
「ほなハルカはん、手分けして村の中、周りましょか」
「りょうかーい!」
他の人の耳があるので、わざとはっきり聞こえるように会話する。センが一人で“調べ物”をしていても、不審に思われないように。
あたしはお財布と筆記具だけを小さな巾着袋に入れて持ち、センと拳をごつんとぶつけ合った。健闘を祈る!
そのまま別方向に歩き出しかけたところで、「あ、そうや」と慌ててセンが駆け寄ってきた。
「どしたの?」
「言い忘れとったんやけど……」
そこでセンはちょっと屈んで、ひそひそ声になった。
「この村に来たんは、もうひとつ理由がありましてん。ちょっと前に、この近くに『客人』が出て来たはずなんやけど、見付からへんかって」
「えっ! それ、大変じゃない!」
「そない大事やありまへんよ。時々ありますねん、一瞬出て来たように見えて実際は接点が閉じる前に帰ってしもてたりするんですわ。けど、たまに乗り物に乗ったままこっち来てしもて、僕らが見付ける前にすごい移動してしもてたりとか、そういうこともありますさかい」
「あー……ナルホド」
車みたいにでかいのは逆に身動き取れなくなるにしても、自転車とか、場合によっては馬に乗ってることもあるわけか。
「まあ、『客人』は保護して届け出たら褒賞が貰えますさかい、よっぽどその『客人』に問題があらへん限り、はぐれたんやとしてもじきに見付かるし、あんまり心配することあらへんのやけどね。一応、それらしい噂がないか、さりげなく聞いとってくんなはれ」
「了解でっす」
あたしはおどけて敬礼すると、今度こそ食べ物屋さんを探して歩き出した。
*
そうは言っても、アワジ村は観光地じゃないから、飲食店の数は多くない。
農村なもんで、食べ物はほとんど自分達で調理しちゃうみたいだ。保存食も自家製。レストラン開いてもお客さんがいないんじゃしょうがないよね。
村に一軒だけある宿屋さんは、農産物とかの買い付けに来る人達が使ってるみたいだった。昔から宿屋さんやってるみたいで、構えがだいぶ古びてる。
隣は食堂を兼ねた酒屋さんだった。ありゃ、外の席でもう一杯やってる人がいるよ。早朝から働いて、さっさと一日分の仕事を終わらせちゃったのかな? どんなもの食べてるんだろう。
「こんにちはー」
「おぉ。オレストさんちのお客さんか。瓦版屋なんだって?」
ほろ酔い加減でおじさんが陽気に答える。もう噂が広まってるのか、早いな!
「はい、美味しいもの探しの取材してるんです。ここのオススメって何ですか?」
「そりゃあもちろん、この揚げ玉ネギとビールだろ! ……って言いたいとこだが、あんたまだ子供だしなぁ」
むっ。そりゃ確かに未成年ですがっ。でも子供とか言われるほど幼くはないつもりですがっっ!
顔をしかめたあたしに、おじさんは楽しそうな笑い声を立てた。出来上がってますか、そうですか。いいもん、ビール飲めなくてもおつまみは美味しいもん。
ちなみにおじさんが飲んでいるのは、陶器のコップに入った泡立つシロモノ。ビールって聞こえているから多分それっぽいお酒なんだろう。コップの隣には、揚げ物が盛られたお皿。こんがりキツネ色で、いい匂いが漂ってる。……じゅるり。
「ひとつ食ってみるか、ほれ」
「ありがとうございます、いただきます!」
おじさんが玉ネギの輪を一切れつまんで渡してくれたので、あたしは遠慮なく頂戴した。ここで断るのはむしろ失礼ってもんでしょう!
ぱくりと一口に食べると、外側は薄い衣がついていてサックリしてた。中の玉ネギは、歯ごたえを残しつつも柔らかくて甘い。その甘味も、スープと違って玉ネギの癖があんまり気にならなくて、ギュッと濃縮されてる感じ。香ばしくて美味しいー!
うぬぬ、こういうのがビールに合う味っていうやつなのか。ごくり……いやいや、世界が違うとは言っても一応未成年だし。法律が無いからこそ自制しなければっ。
〈あのー、遥。すごく言いづらいんですが〉
〈う? どしたの?〉
〈テセアの私達には、お酒はまるっきりその、効果がないんです〉
〈えっ――て、つまり、アルコール摂っても酔わないってこと?〉
〈はい。毒物の分解能力が人間とは桁違いですから、酔いを感じられないと思います。蒸留酒を樽で飲んだら別かもしれませんけど〉
…………。
えー。何それ。つまりあたし、この先一生、このおじさんみたいにほろ酔いでご機嫌にはなれないってことですか。
いやその、別にお酒飲むの楽しみにしてたわけじゃないけど! むしろ迷惑な酔っ払いは大嫌いだから酔えなくてもいいんだけどっ! ちょっとだけショック……。
〈ま、まぁいいよ! ほら、飲めない人でも雰囲気で楽しめるとか言うし、酔っ払わないんだったら味がよく分かるってことだし〉
〈すみません〉
〈ラグが謝ることないって!〉
心の中でやりとりしている間、よっぽどあたしは未練がましい顔をしていたらしい。おじさんが、しょうがないなぁ、って苦笑しながら、もうひとつお皿からつまんでくれた。
「こっちのも味見するかい?」
「えっ、あ、ありがとうございます」
あちゃー。は、恥ずかしい……。でも貰う。
「これはさっきのと違って、カリカリなんですね」
「ああ、二種類あってなぁ。甲乙つけがたいから、つい毎回盛り合わせを頼んじまうんだ」
ははは、とおじさんが笑う。うん、確かに、こっちも美味しい。さっきのと違って、薄くスライスした玉ネギをカリッと素揚げしてある。ちょっと揚げすぎな感じがするけど、歯ざわりが良くて、これは食べだしたら止まらないだろうなぁ。
うーん、あたしも注文しようかな。でも油ものだから、やっぱり後回しにしようか。
おじさんにお礼を言って、味とか値段とか情報をメモしてから、お店を離れた。美味しそうなメニューは他にも色々あったんだけど、基本的に持ち帰れないものばかりだったからね。何かレポートと一緒に現物を渡せるような、日持ちするお土産を見つけたいのですよ。
しばらく村をうろうろする内に、あたしは村の情報伝達網のすごさを思い知った。
行く先々で「あぁオレストさんちの」とか「すごい魔獣飼ってるって?」とか「美味いもんなら、うちの漬物もあるよ!」とか、とにかくやたらと声をかけられまくるのだ。
昨日の夕方、ここに着いたばっかりですよ? なんでこんな知れ渡ってんの。恐ろしい。
そんな状態だったから、たまたま通りがかった路地裏で声をかけられた時も、変だとは思わなかった。
「おまえ、導士だって?」
「え? あ、ハイ」
振り返りながら答えたあたしは、あれっ、と瞬きした。確かに声をかけられたと思ったのに、誰もいない。
その直後、
〈遥!〉
鋭い警告の声と同時に、足が勝手に動いた。強く地面を蹴って、大きく前へ跳ぶ。体をぱっと反転させると、あたしの背後を取ろうとした奴が、びっくりしたように、片手を伸ばしたまま突っ立っていた。建物の陰になってよく見えないけど、たぶん中年の男だ。
と見たのも、ほんの一呼吸の間。
「勘がいいな。それも魔獣の力か?」
妙に嬉しそうにそいつは言って、あたしに飛びかかってきた。でも残念、一瞬早くあたしの影がいきなり立ち上がって壁になる。
弾き飛ばされた男は地面に倒れ、そのまま一回転して素早く起き上がった。え、何こいつ、ちょっと身軽すぎない!?
黒い壁になっていたニケが豹の姿に変わる。男がヒュッと小さく口笛を吹いた。
「イズルーか、珍しいな。おまえが飼っているとかいうのは、そいつか?」
言いながら男は手を宙に伸ばし、何かを掴むような仕草をした。イズルーっていうのは、ニケの種族の名前だ。ニケが不快そうに頭を振り、低く唸る。男が首を傾げて同じ仕草を繰り返すと、ニケは我慢できなくなったように怒りの声を上げて襲いかかった。
「ちッ、なんだこいつ!」
「危ないニケ!」
男がナイフを取り出したように見えて、あたしは思わず悲鳴を上げた。そんな必要はなかったのに。
ニケの爪が男の顔に振り下ろされる寸前、
「伏せろ、『ニケ』」
男が勝ち誇って命じた。途端、見えない手に押しつぶされたように、ニケの体が地面に落ちる。
しまった! 名前を知られちゃいけなかったんだ!
男がサッとしゃがんで手を伸ばす。さすがにニケは素早く影に溶け込んで、姿を消した。捕まえ損ねた男は舌打ちして、すぐに体勢を立て直す。
「あれだけじゃないな。おまえ――何を連れている」
男が探るように目を細めてささやいた。まずいなぁ、こいつ、きっと本物の導士だ。あたしの噂を聞きつけて、珍しい魔獣を自分のものにしようと考えたんだろう。なんでこんな長閑な農村に、こんな物騒な奴がいるんだか! 間が悪いったら!
「生憎だけど、あんたには渡せないから」
「それはおまえが決める事じゃない」
いや本当に渡せるもんじゃありませんからね! 一心同体で分離不可能ですから!
どうしよう、大声出したら誰かに聞こえるかな。それとも、もうニケがセンに知らせてくれたか……。
そんなことを考えた時、天の助けか、人の声と足音がこっちに近付いて来た。良かった、誰か気付いてくれた!
思わずちらっと路地の向こうに目をやる。
ほんの一瞬のはずだったのに、それが間違いだった。
「うぐっ!!」
ドスッ、と全身に重い衝撃が加わる。目の前に火花が散った。黒い地面が迫って、
「小娘は要らんのだがな……しょうがない」
失敬なつぶやきを聞くか聞かないか、意識がどこかへ飛び去ってしまった。
遥が話している小説は『異星人の郷』(マイクル・フリン)。
ファーストコンタクトものSFの傑作です。かなり泣けますがオススメ。