6.ありていに白状いたせ
食事が済んだ後、あたし達はあまり引きとめられずに客室へ戻ることができた。大泣きした後だから、皆、気遣ってくれたみたい。正直、助かった。
助かったんだけど。
「――で、これは一体どういうことかな?」
客室は、いつでも寝られるように整えられていた。一台のベッドに枕二つで。
いや、えっとね。最初に通された時、ベッドが一台しかないのは気付いてたんだよ。セミダブルぐらいのが一台。でも、簡易寝台になりそうな長椅子があったから、これにお布団敷いて貰えるかなって思って。
だって部屋は衝立でさりげなく仕切ってあったんだよ、一部屋だけど男女別にって配慮がされてたんだよ! 寝台も分けてくれるものだと思うじゃない!?
それがアナタ、晩ごはん済んで戻ってみたら、あったはずの衝立まで無いとか! あたしとセンの関係についての認識が変わったとしか思えない!
「人が寂しく涙に暮れてる間に、何をどうでっち上げてくれやがりましたかね兄さん!」
「ちょ、ハルカはん、絞まる絞まるしま……っっ、ちがっ、僕のせいやあらへんて!」
センが真っ赤になってバシバシあたしの腕を叩く。さすがに窒息死させたら後始末が大変なので、仕方なくあたしは手を緩めてやった。
「はー、死ぬかと……。僕はなんも変なこと言うてまへんで。ハルカはんのご両親が半年ぐらい前に亡くならはって、他に身寄りがあらへんから、王都で働いとる僕んとこを頼ってきたんや、ていう感じに」
「それだけで向こうが勝手に誤解したって?」
「いやまぁその、僕も早うに家族と死に別れたし、血のつながりがあるんは二人だけになってしもたんで、みたいな話は」
「へーえ?」
「……すんまへん、調子に乗ってやりすぎました」
とうとうセンは抵抗を諦めて、白旗を振った。つるつるおしゃべりできすぎるのも考えものだね! 本当にもう!
「けどほんまに、夫婦やとも恋人やとも言うてまへんで!」
「当たり前だ! そんな設定にしちゃったら、明日から変な演技しなきゃいけなくなって、即行ボロが出るでしょうが!」
あたしはセンの頭を平手ではたいてから、枕ひとつと上掛け一枚を取った。衝立がなくなったのはちょっと嫌だけど、こんな夜更けに出してくれとも言い難い。やれやれ。ため息をついて長椅子に座る。
「まあ、変な設定つけてないんなら、もういいよ。あたし、こっちで寝るから」
「そらあきまへん、僕がそっちで寝ますさかい、ハルカはんがベッド使っとくんなはれ。余計なこと喋りすぎたんは僕なんやし」
「体格考えてよ。夜中にセンが寝返り打って転がり落ちたりしたら、目が覚めちゃうじゃない」
「せやけど……」
「いいってば。あんまりしつこいと、面倒くさいから一緒に寝ようか、とか言い出しちゃうよ?」
そろそろ眠くなってきていたあたしは、半眼になって不機嫌に唸った。途端にセンがぎょっとなって飛び退く。何もそこまで怖がらなくてもいいんじゃないの、失礼な!
あたしが怒り顔を作ると、センは慌てて両手を振って否定した。
「あかん、あきまへん! そんなん王太子はんにばれたら首が飛ぶ!!」
「は? ウィルがなんで関係あるの。……あふ。もういい加減に寝ようよー」
今日は色々あったから疲れたよ。
大あくびしたあたしに、センはまだ何か言いたそうな顔をしたけれど、結局折れてベッドの方に腰を下ろした。そうそう、最初から聞き分けて下さい。
あたしは靴を脱ぐと長椅子に上がり、上掛けをかぶってその下で服を脱いだ。余計な荷物を極力減らした結果、パジャマなんて持ってきてないから、肌着一枚で寝るってわけ。
もそもそやってるあたしに、センが靴を脱ぎながら曖昧な声をかけてきた。
「前も言いましたけど、王太子はんは本気でハルカはんのこと、大事にしてはるんやと思いますで。ちょっとは気持ちを汲んで差し上げんと」
「だから、それは無いって」
「友達としてやのうて。特別に」
あり得ない。
よもやまさかの人からあり得ない言葉を聞かされて、あたしは思いっきり胡乱な顔をしてやった。
「それ、本気で言ってる?」
「ハルカはん……」
「あたし、今までにも何回も言ってきたよね。ウィルは友達だ、って。向こうだって、妙な噂が立つ度に徹底的に否定してたじゃない。ひそひそ無責任な噂してる人達と同じ事、センには言って欲しくないんだけど」
そう、友達のいなかったウィルのそばに、いきなり『客人』のあたしが現れて馴れ馴れしくするもんで、色恋絡みだと邪推する人は後を絶たないんだよね。消えたと思ったらまた噂が立つ。
ああいう人達って、どうして誰も彼も色恋沙汰にしちゃうのかなぁ? 噂してる自分はどうなのよ、って訊きたい。そんなに見境なしに、関りあった異性に片っ端から恋愛感情持つの? どうなの?
ほんっと、あり得ない。お櫃抱えてごはん食べる人外に惚れるなんて、まともな思考の持ち主なら、絶対に無いでしょ。しかもあの冷血が、とか!
いちいちこんな事を説明しなくても、センなら分かってるはずだと思ってたのに。
あたしがじとっと睨んでいると、センはちょっと頭を掻いて言った。
「そら僕かて、単純に惚れた腫れたの話やないとは思うとります。せやけど王太子はんは、ハルカはんのこと話しはる時は表情が全然違いますさかい。友達の情だけやとは、僕には到底思えまへん」
「そんな優しさがあるんならあたしに直接向けてもらいたいもんですネー」
つーか誰の話をしてるんですかね。本当に同じ人物についての会話なんでしょうか先生。
……待て。なんか今、引っかかった。
「さすがに正面から本人に心配してるとか言うんは、照れくさいんとちゃいますか」
心配? ウィルが、あたしを?
全然違う表情とやらで話し込むほど、あたしの何を心配していたって?
「ハルカはん? ……って、うわ、何やっとるんですか女の子がはしたない!」
あたしがガバッと上掛けをはねのけて起き上がったもんで、センが慌てて両手を振り回した。ええい、あんたはオカンか!
あたしは構わず長椅子を降りて、ずいっとセンの前に迫った。慎みとか言ってる場合じゃない、ここで手を緩めたらうやむやにされちゃう。がっしと両肩に手を置いて、センの目を覗き込む。
「ちょ、ハルカはん、近い近い近い! ぎゃー!」
「センさんや。あたしに何を隠しているのかなー。そろそろ白状した方が身のためだと思うよ?」
「えっ」
赤くなって騒いでいたセンの顔から、いきなり血の気が引いた。ほほう、図星だね。
あたしはわざとラグの力を意識して引き出し、緑金色の目でにっこり笑って見せる。
「冷血王太子殿下がそんなにご心配下さるほど、美味いもの食べ歩きの旅って、危険なものなんですかネー? 行き先を決めたのはウィル本人のくせに、何がそんなに心配だったのかなぁー?」
「や、あの、その」
「うらッ、ありていに白状いたせ!」
「あだだだだ! 堪忍! 堪忍や、こめかみはアカン急所や堪忍してー!」
えぇい堪え性のない奴め、ぴーぴー泣くな! とはいえあんまり悲鳴を上げさせて、家の人にますます妙な誤解をされても困る。しょうがない、このぐらいで許してやるか。
あたしが手を離すと、センはぐりぐりされたこめかみをさすりながら、涙目になって恨めしそうにぼやいた。
「せやから、ハルカはんは結構よぉ気ィ付かはります、て言うたのに……」
「恨むならウィルを恨みたまえ。最初から正直に、あたしにも相談してくれたら良かったんだよ。で、センはいったい何を言われたの。なんでアワジ村なわけ?」
「はー……かなんなぁ。ここで白状したら、後でまた王太子はんから僕が怒られるわけですやろ。理不尽や……僕ばっかりいじめんといてぇな」
ぐすぐす、なんてわざとらしく泣き真似するセン。あんたは幾つだ。しょうがないなぁ、もう。あたしは手を伸ばして、ヒヨコみたいな頭をぽんぽんと撫でた。
「はいはい、悪かった悪かった。帰ったらあたしがウィルに直談判するからさ。センに火の粉がかからないように締めとくし。って言うか、締めなきゃいけないのはウィルだけじゃない気がしてきたな……もしかして」
この旅行が最初から別の目的で仕組まれていたのなら。
この家に泊まることまでが計算されていたのだとしたら。
「ニケ。その辺にいるでしょ」
部屋の隅、ランプの明かりが届かない暗がりに向かって漠然と呼びかける。
すぐには何の反応もなかった。けれど、微かに空気が揺らいだのが分かり、あたしはじっとそこを睨みつける。
案の定、渋々といった風情で、影がぐにゃりと動いた。一点に向かってひときわ濃く集まり、黒い塊に変わっていく。そうして凝った闇から、のそりと一頭の獣が起き上がった。
真っ黒な頭部にぱちりと菫色の瞳が開く。しなやかな動きで何の物音も立てず、大きな黒豹があたしの足元までやって来た。軽く頭をあたしの膝にこすりつけてから、ニケは静かに言った。
「久しぶりだな、ハルカ。それに、テルセア・ウルスラグナ」
「あなたまで陰謀に加担していたんですか」
呼びかけられたラグが、あたしの口を使って答える。えー、はい、痛々しいラグの正式名はあたしが名付けました。そしてお察しの通りニケも同様です! うおぉ半年前のあたしを蹴り倒したい!
当の二人は気に入ってくれてるみたいだから、いいんだけどね。あたしが恥ずかしいだけで!
「王太子のもくろみはどうでも良いが、ハルカの為だというのでな。いささか協力した。うまく荷馬車を捕まえてくれて良かったよ」
「やっぱりあれ、ニケだったんだ……」
がくり。うなだれたあたしに、ニケはふふっと笑った。ニケの声は凛々しくて格好いい、大人の女性って感じ。まさに女神様。ラグが言うには、あたしが命名によって『ニケ』という『個』を確立させたから、あたしのイメージがちょっと影響しているらしい。その辺の事情は説明されたけどややこしくて、結局何が何やらよく分からないままだ。
おっと、今はそんなことより、ウィルの陰謀を暴かねば。
「陰謀やなんて、大袈裟なもんやありまへんで」
「だったら、こそこそ隠さなくてもいいんじゃないの?」
「せやから、そこは王太子はんの思いやりていうか……。あくまでハルカはんには、のんびり楽しく食べ歩きしてもろたらええんや、て言わはって」
「うわ、逆にむかつく」
何も知らせずにあたしだけのほほんとさせておいて、陰で自分の目的を達しようとか、人を馬鹿にするにもほどがある。帰ったら絶対締める。キュッて首が鳴るぐらい締める。
本当にあいつは! 友達の何たるかを分かっとらん!!
……とはいえ、センが白状した内容を聞いた時は、やっぱりちょっとだけ後悔した。
聞かなきゃ良かった、って。
ちょっとだけだよ! 本当にちょっとだけ!!
でもね。
「脱税、かぁ……はあぁぁぁ」
でっかいため息をついたあたしの肩に、センがさりげなく上掛けをかぶせて、ぽんぽんと背中を叩いた。くっ、子供扱いで慰められてるのが悔しい。
だから聞かせたくなかったんだ、とか言われるのが嫌で、あたしは皺の寄った眉間を指先でこすった。憂鬱な顔をできる立場じゃない。聞かせろって言ったのはあたしなんだから。
「普通にいい人達だと思ったんだけどなぁ。金勘定はまた別ってことなのかな」
「そら、悪い事すんのが皆あからさまに悪人やったら、世の中簡単ですがな」
「にしても、セコくない? オレストさんちが脱税してるから、あたしを送り込んで食い荒らさせようとか、ウィルにしては手ぬるい気がするんだけど」
「いやいやいや、そこまでは言うてまへん」
「え、違うの?」
あたしにはそう聞こえましたけど! ウィルのあのひんやり冷たい口調まで脳内再生されましたよ! 脱税するような不届き者の食糧庫には害獣を放り込め、とかなんとかね!
一人勝手に膨れっ面をしたあたしに、センが苦笑しながら補足説明してくれた。
「脱税しとる、て告発があったんは確かなんやけど、証拠まで揃えた上でのことやなかったんですわ。せやから、ハルカはんにきっかけ作ってもろて、あー……ええと、食べっぷりで注目を集めてもろて、その隙にちょこちょこっと僕が調べ物をする、ちゅうわけで」
「あたしは煙幕代わりの見世物ですかい」
そりゃ、注目は集めやすいだろう。吹っ飛ばされた荷馬車をキャッチできるような魔獣を飼っているってだけでも噂になりそうだし、それが大の男の三人前ぐらいぺろっと平らげたりした日にはね! あいにく非常食のおかげで、そこまで食べずに済みましたけど!
「ありていに言うたら、そうなります。せやけど、その為だけにハルカはんを連れ出したわけとちゃいますよ。ハルカはんに外の空気を吸わせたらなあかん、ていう判断もあったんです。王宮の狭苦しい人間関係の中で縮こまらせとくんは、ハルカはんの為にならへんし、せっかくのテセアの能力も持ち腐れや、て言うて」
「……まあ、それはあたしも同感だけど」
人間関係云々はともかく、テセアの能力が持ち腐れ、っていうのは同感だ。
あたしとラグは中途半端な融合で止まってしまっているから、どんな事をどこまでできるかは未知数だけれど。それでも、大っぴらに力を使って良いのなら、重機一台分ぐらいの働きはできる。クレーンがなくたって、柱の一本ぐらいほいっと運べるよ! 後でめちゃくちゃおなか空くけどね!
「もちろん、目立ちすぎて危ない目に遭わんように、ニケはんにもこっそりついて来てもろたわけですし。調べ物の方は僕がやりますよって、ハルカはんは当初の予定通り、色々美味しいもん食べて楽しんでくれはったらええんです」
「ぬぅ。なんか納得いかない。あたしだけ遊んでろって言われても」
「何言うてはるんですか、後でちゃんと報告書は出さなあきまへんで。それはそれできちっとせな、王太子はんがどない言わはることか」
「うぐっ。そ、そうだね……分かった。美味しいもの食べて、オレストさん達の関心をこっちに引きつけておいて、後で特産品についての報告書を出す、と。それがあたしのお仕事ってわけだね」
「さいです」
いい子いい子、とばかりに頭を撫でられた。うぬぬぬぬ。やっぱり『職場体験』レベルじゃないかぁ! 悔しいぃぃ!
……けど、実際問題あたしには、与えられた事をこなす以外の選択肢はない。皆に守ってもらって、色々気配り手回ししてもらって、その上でちょっとだけ実働する、それが精一杯。
なら、その精一杯を、きちんとやり遂げよう。
あたしは決意を固めてベッドから降りると、ぺたぺた裸足で長椅子に戻った。
「ふぁ……おやすみなさい」
明日はちょっと、真面目にお仕事しよう。
センには悪いけど、脱税なんて何かの間違いだといいなぁ……。