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おまえの食費がとんでもない。  作者: 風羽洸海
おまけ・第0話
41/42

番外.ナンキョクオキアミ美味しいです

「ウィル~、ちょっといいかな?」

 我ながら曖昧な声が出た。あたしの変な態度に、ウィルも不審げに眉をひそめる。

「ちょうど休憩するところだから、構わないが……どうした」

 言いながら、応接用のソファを視線で示す。あたしは落ち着く気分じゃなかったから、ちょこんと浅く腰掛けた。


 ウィルが向かいに座ると同時に、控えの部屋から侍従さんが出てきて紅茶を二人分、用意してくれた。いつもながら本当にこの人、魔法使いじゃなかろうか。あっ、干し果物まで! ありがとうございます!


 ころっと用事を忘れて一切れモグモグ。上品な甘さで美味しいなぁ。

 ……じゃなくって。えーと。

 紅茶を一口飲んでから、あたしは用件を切り出した。


「あのね、さっきまで読解の勉強を兼ねて、こっちの世界の歴史とか地理とかの本を読んでたんだけど」


 図書室にお籠りしていたら、たまたま用事でセンが来たもんで、気になっていたことをちょっと訊いてみたのだ。

 センの国がアケイレスに併合されたのが何年前のことなのか。でもって、それでどうしてセンがウィル個人を憎むことになったのか。


「征服された国の人が相手の国を憎むのは、わかるんだけど。でも、昔のことなんだとしたらウィルはまだ王太子じゃないし、政治にかかわってもいないでしょ? なのにどうしてなのかなぁって。もちろん無理に訊くつもりはなかったんだよ、ただほら、あたしがのんきにウィルの友達してて、気付かずにセンの地雷を踏んでたら嫌だし」


 できれば確執は水に流して、センとウィルの間にも信頼関係を結べたらいい、それが無理でもせめて刺さったままの棘は抜いてしまいたい。そう思ったんだよね。

 そしたらセンは、困ったように苦笑して、お世話係相手にそない気ぃ遣うことありまへんのに、って言ったんだけど。ちょっと泣きそうな目をしたのは、やっぱり何か痛い思いを抱えてるんだろうなぁ。


「センはね、心配しなくてももう平気だし、ウィルに対しては一切わだかまりとか持ってない、って言って。だから別に秘密にする気はないけど、話すにはウィルの許可がいるって言ったの。どういうこと?」

「……」


 首を傾げたあたしの前で、ウィルは横を向いてごく小さく舌打ちした。あいつ、とかなんとか唸ったりして。あらら、機嫌損ねちゃったか。


「さっきも言ったけど、無理にも聞きたいわけじゃないからね? ちょっとモヤッとしてるだけで……二人がお互いもう解決済みで、全然本当に心配ないって言うんなら、あたしもこれ以上は首を突っ込まないから」


 退散しなきゃならなくなる前に、急いで干し果物食べちゃおう。実は朝から図書室に籠ってお勉強に集中していたせいでお昼ごはんすっかり忘れてて、腹へりなのだ。極上白玉の誘惑を退けるには早急な燃料補給が望まれますモグモグ。

 あたしがせっせと口を動かしていると、ウィルがはぁっとため息をついた。眉間に皺を寄せたまま紅茶をひと口、ふた口。せっかくのお茶なんだから美味しく飲もうよー、もったいない。


「……当時、センは王女の小姓をしていた。身寄りがない子供を城に住み込みで雇うのが伝統で、貧しい暮らしから救われたセンは王女を崇拝していたらしい」


 ふんふん、とあたしは相槌を打つ。まさか併合のゴタゴタでその王女様が殺されちゃったとか言わないよね? き、聞かない方が良かったかなぁ……?


「八年前、併合に伴い王女はアケイレスへ『留学』を要請……いや、強制された。こちらの制度を学んで今後の統治の仲介に役立ってもらうためだ」

「その時にセンも一緒にこっちに来たの?」

「そうだ。残念ながら王女はあまり身体が丈夫でなくてな。王宮に来てひと月ほどで臥せってしまい、一年も経たない内に亡くなった」

「あぁ……」


 嘆息がこぼれた。それはつらい。八年前って言ったら、多分センは十二歳ぐらいだよね。まだ純真な子供で、優しい王女様をそれこそ女神のように慕っていたんだろうに。

 あたしがしょんぼりしていると、ウィルが眉間を押さえて瞑目し、それからすごく気が重そうに続けた。


「他にも人はいるだろうに身体の弱い王女を留学させたのは、私の愛人にするのが目的だったんだ」

「はいぃ!?」


 素っ頓狂な声を上げてしまい、慌てて口を手で覆う。向かいのイケメン君はとっても渋い顔ですけど今なんておっしゃいましたかね!?


「えっ、ちょ、待って八年前ってウィル、十五か十六歳ぐらいだったんじゃ」

「王族ならとっくに婚約している歳だ。だがローラナの予言があったおかげで、私については何も決まっていなくてな。父が余計な気を回し、周囲がそれに便乗した。そうした内情をセンは知らされていなかったが、カレスが暴露し、王女は私への『生贄』にされたのだ、と吹き込んだ」

「…………」


 なんてこったい。

 言葉が出て来なくて、あたしはただまじまじとウィルを見つめる。なんか……なんていうか、意外すぎた。愛人、って。ああうん、これは確かにウィル本人の了承なしには話せないね。納得。


「びっくりした……ウィルにそういう生々しい話って結びつかなくって」

「言っておくが、私自身もそんな目的があったと知ったのは王女が亡くなった後だぞ」

「あれっ、そうなの?」

「下世話な邪推をしている連中がいるのは勘付いていたが、そもそも留学ではなくそちらが目的だった、とは考えなかった」


 ぶはっ。

 つい失笑してしまったあたしに、ウィルがしかめっ面をする。


「ごめん、ごめん。それでこそウィルだよね」

「どういう意味か深くは追及しないでおくが、とにかく、そういういきさつだ。カレスが余計な脚色で煽らなければ、センも要らざる傷を負わずに済んだものを」

「……そうだね」


 大事な王女様の清らかな思い出を、よこしまな思惑や大人の事情で穢されて、気の毒だったなぁ。ちょっと考えたら、そもそもウィル本人はそんなことに関与するタイプじゃないって分かりそうなものなんだけど。

 八年もウィルのことを、身近ではないけど同じ王宮で目にしてきたのに。きっと、仇の国の王太子を一人の人間として見られるほど、心に余裕がなかったんだろうな。


 ふっと息をついて、色んな思いを胸にしまいこむ。今後はセンが女の子に調子良いこと言ってても、そっと見守ってよう。きっと胸中複雑なんだろうし。

 そこまで考えて、あたしは向かいの様子を窺った。相変わらずむっつりしてます。頭下げとこう。


「言いにくいこと、教えてくれてありがとう」

「……いや」


 ウィルが気まずそうなので、あたしはソファにちゃんと座り直して、明るい口調で言った。


「だけど安心したなぁ、ウィルってば本当に恋愛に興味ないよね」

「ないな」


 すっぱり即答。一呼吸置いてから、ウィルはあたしに視線を向けた。何か問いかけたそうな表情に、あたしは軽くうなずきを返す。


「恋愛を否定するわけじゃないけどさ、元の世界ではなんかもう、人類皆すべからく恋愛すべし! みたいな空気があって、息苦しかったんだー。寄ると触ると、好きな人いるのか彼氏できたのかって、そればっかで」


 思春期未満の幼稚な恋愛ゲームに巻き込まれて、自滅したのを笑い物にされたトラウマがよみがえる。うぐぐ、再生するんじゃないあたしの脳みそ! 強制終了!

 勢いよくため息をついて鬱屈を吹き飛ばし、気を取り直す。


「無理しなくていいのって、本っ当、助かる。こっちの世界ではどうなのか知らないけど、少なくともウィルのそばだと羽を伸ばせるから……ありがとう」

「お互い様だ」


 ウィルも珍しく、ふっと柔らかい微笑を浮かべた。

 うん、最近この顔にもだいぶ慣れてきたぞ。耐性ついた。あんまり美形なもんで正視できなくて逃げてばっかりしてたけど、失礼だもんね。顔のつくりは自分で選んだわけじゃないんだし、超絶美形だろうと凡庸だろうと、ウィルはウィルだ。

 ……やっぱりちょっと気恥ずかしいけど!


 あたしはごまかすように、干し果物の最後の一切れに手を伸ばす。いつものことだけど、一応お伺い。


「食べちゃっていいかな」

「ああ。……そんなに空腹になるほど頭を使ったのか?」


 ぎくっ。一瞬手が止まる。嫌だなぁこの鋭さ! あたしはわざと憤慨した口調で言い返した。


「微妙に遠回しな皮肉を感じたのは穿ちすぎですかね! そんなにおなか空いてないよ、勉強頑張ったのは確かにそうだけど、それは普通の人間としての範囲だもん。でも食べられる時に食べておかないとね。あとこれ美味しいし」


 もぐもぐ。ごちそうさま!

 残っていた紅茶を飲み干して、立ち上がる。すっかりお邪魔しちゃった。


「そろそろ戻るね。休憩時間、潰しちゃってごめん。いつもありがとう」

「気にするな。もし図書室の本で難解なところがあれば、持ってくるといい」

「えっ、いいの?」

「時間が空いていればな。最近ほとんど読書する暇がないが、たまには書物に触れたい」


 しゃべりながら、ウィルは扉のところまで送ってくれる。あたしが改めてお礼を言おうと向き直ると、その瞬間。


「――!?」


 ぎゃあぁぁ!?

 い、いきなり顔を近づけられて、あわわわ!! わー!!


 ふわり、と柔らかい甘さが舌に触れて喉を滑り落ちる。

 仄かな苦さと微かな涙の味が余韻を引いて、すうっと身体に染み込んで。

 あまりの美味しさに堪え切れず、ウィルの肩に額を押し付けてしがみつく。くぅっ、沁みる……!

 本当に、なんでこんなに美味しいかなぁ! もっと欲しくなっちゃうから危ないのに!

 歯を食いしばって未練を断ち、ぐいとウィルを突き放す。


「何すんのよ食べちゃったでしょ!? ごちそうさま!! おなか空いたら自分で食べるんだからほっといて!」

「自分がどれほど空腹か、自覚していないように見えたが?」

「ちゃんとわかってたよ、確かにおなか空いてました! でも普通の腹へりで、わざわざ白玉食べるほどじゃなかったもん!」


 抗議したあたしに、ウィルはじっと冷ややかな目をくれる。えぇー……。


「……そんなに飢えてるように見えた?」

「菓子皿があの勢いで空になれば、さすがにな」

「うぐっっ」


 くっ、今回もあたしの負けか……っっ!

 悔しさに握り拳を固めつつ、いやでもここで引き下がれない、と顔を上げる。


「だとしても、本当に白玉食べなきゃって時はちゃんと言うから! こういうのやめて!」

「嫌か?」


 訊いたウィルの声はちょっぴり不満げだ。まさか導の人よろしく餌やり大好きっ子になったんじゃないでしょうね止めて下さいよ!


「嫌じゃないけど! ウィルはとっておきのご馳走なんだから、ほいほい気軽に食べちゃ駄目なの!! それでもって、ちゃんといただきますして自分で丁寧に食べるから!」

「……光栄だが、それは遠慮したい」

「なんで!? 鳥の雛じゃないんだから、クチバシ突っ込んでもらわなくても自力で食べられるよ!」


 って言ってるのに、また唇を塞がれた。あたしはペンギンの雛か! ギュヴェーって鳴くぞ!!

 今度はごく軽く、ほんの一瞬の接触だったから、ほんのり風味が伝わった程度で済んだ。ああもう、ナンキョクオキアミごちそうさまです!


 あたしが口に手を当てて、目を瞑って余韻を味わっていると、軽くこつんと額を小突かれた。ウィルの声が降ってくる。


「自ら望んで差し出すのはいいが、なすがままにただ食われるのは尊厳が傷つく。おまえにとって私がただの『ご馳走』ではなく『友人』であるなら、憶えておいてくれ」

「――!」


 一気に背筋が冷えた。思わず恐怖に目を見開く。けれどウィルの眼差しは、『人食い』に対するものではなく、ちゃんと『友人』に向ける温かさを帯びていた。

 ああ、本当にもう、この人にはかなわない。


「うん。ごめん……って、ちょっと待って。いや、うん、確かにあたしが悪かったけど、ごめんだけど、ってことはウィルの白玉食べたい時は毎回ギュヴェーってなるの!?」


 錯乱して脳内の連想をそのまま口にするあたし。途端にウィルは、いつもの冷たい目になった。寝ぼけてんのかコイツ、ですね! はいすみません!


「おまえは何が言いたいんだ……」

「だからつまり! それだと雛扱いされるあたしの尊厳が傷つくんだけど!」

「食われるよりも傷つくか?」

「うっ。そりゃ、相対的に傷は小さいだろうけど、けど……っっ」

「嫌なら可能な限り通常の食事で賄えるように、常時気を配れ」

「……はーい……」


 手も足も出ずフルボッコされてリングに沈みました。がくり……。

 うなだれたあたしの肩をぽんと叩き、ウィルがドアを開けてくれる。くそぅ、今日のところは大人しく引き上げてやりますよ覚えてろぉー。


 しおしおと廊下を歩いてから、そっと振り返る。もうウィルは次の予定に頭を切り替えたらしく、何やら衛兵さんと打ち合わせしていた。『友達』の間はすごく近いのに、『王太子様』になった途端にものすごく遠い人になるよね……はぁ。

 あたしが立ち止まっているのに気付いたらしく、ウィルがふとこっちを見た。そして、一瞬だけれど確かに笑みを見せてくれる。

 それだけで、さっき食べた白い光が胸の奥で熱い力を放つのがわかった。


 こんなにも力をくれるのは、きっとウィルがただの『ご馳走』じゃなくて、本当に大切な『友達』だからだ。

 美味しいだけじゃない、ちゃんとあたしに命を与えてくれる、特別な……だからこそ、無駄にしちゃいけないよね。よし、頑張ろう!


 ――ありがとう、ごちそうさま!



(終)


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