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おまえの食費がとんでもない。  作者: 風羽洸海
おまけ・第0話
40/42

5.国と世界と人生の境で

 あたしがニケとラグのおかげで高速かつ割と安楽な旅をしている間に、ウィル達の一行もひとまずの目的地に着いた。

 東方辺境伯ソーン家のお城だ。国境そのものはもっと東で、新しい砦が築かれているんだけど、領主の住まいは安全な位置にある。

 ここで休んでから『客人』を連れた少人数で旧砦へ向かう、って予定で、前もって知らされていたお城ではちゃんと準備がされていたらしい。


 ところが出迎えたのはウィルの知ってる伯爵さんじゃなくて、その息子だった。なんでも、年の変わり目に前伯爵さんが急に寝込んでそのまま亡くなってしまったそうで、すったもんだしていて、新年の儀とやらにも挨拶に来られなかったという。


 事情を聞いたウィルは一応納得はしたけど、道中の襲撃のこともあって完全に信用はできなかった。それならそうと連絡をよこせ、ってわけ。

 二重三重の伝達ミスとか、ここぞとばかり国境近くの無宿無頼どもが暴れ出しちゃったりとか、事情があったようだけど。なまじウィルは有能なもんで、あり得ないだろ、ってなっちゃうんだろうね。


 ともあれ、ついにここまでたどり着けて、そしてやっぱりあたしが合流する見込みはなさそうで。希実と祥子は安心と失望と寂しさで、なんともややこしい気分だったらしい。

 そこへもってセンが、いよいよお別れなのに騙したままではいられないから、って祥子に罪を告白してくれちゃったもんだから、正義感の強い祥子はショックを受けて、その夜は眠れなくなってしまった。

 それが幸いしたんだから、何がどう転ぶかわからない。


 同じ頃、あたしは既に旧国境の砦に着いてしまっていた。

 ラグが代謝を調節してくれたり、ニケがどこからか高カロリーな木の実や何かの卵を見付けてきてくれたりして、野宿続きも苦にならなかった。夜はニケがふかふかベッド代わりになってくれたしね! いやもう贅沢の極みですよ!


 ここまでに過ごした夜の間に、あたしはニケからカレスのたくらみやセンの事情についての情報を補足してもらったり、ラグやニケがどんな生き物なのか教えてもらったりした。

 この夜も、昔の砦跡で塔のてっぺんに登って星を見ながら、とりとめもなくおしゃべりをしていた。


「ニケは壁の中をするする移動したりしてたけど、ラグと同じように実体がないの?」

「否。壁の中を移動したのではなく、影を伝って動いたのだ。我々イズルーは闇に親和性があって自由に影を出入りできるし、姿形を変えられるが、れっきとした動物だ。人間は魔獣と呼ぶがな」

「魔獣と動物は違うの?」

「人間による区別にすぎん。あ奴らは動物の中で目立って『魔』の性質を持つものを魔獣と呼んでいるのだ。だが奴らがただの動物とみなすものでも、この世界に存在する以上は多少なりとも魔を帯びるものだ。奴ら自身を含めてな」

「……ニケ、もしかして人間嫌い?」


 凛々しい口調と言うにはちょっとばかり棘があって、あたしはおずおずと訊いた。そりゃまぁ何年も名前で縛られて上から目線で観察されて雑用させられて、嫌いにならない筈はないけど。

 眉を下げたあたしに、ニケはふっと目元を優しくした。


「総じて好かぬが、おまえは別だ。私を『個』として認め、種名の縛めを解いてくれたのだからな」

「あっ、それ! 気になってたんだけど、あたしが『ニケ』って名前つけちゃったの、不都合ない? 大丈夫?」


 ニケの説明はよくわからない点も多かったけど、とりあえず心配ないと聞いて安心した。あたしには導の異能がないから、個のありようを決めただけで拘束力はないらしい。


「名前が力をもつ、かぁ……本当にファンタジーなんだなぁ」


 星を見上げてあたしはぽつりとつぶやいた。

 ラグのおかげで視力はばっちり、夜通し眩しい街の灯もないこの土地で、暗い空には小さな星もたくさんきれいに見える。けれど、知っている星座はひとつもない。

 そうしていると、夢を見ているような気がした。ものすごく痛い思いも倒れそうな空腹も、確かにこの身で実感したはずなのに、その記憶は簡単に遠くへ去って。ふっと瞬きしたら自分の部屋で目を覚ますんじゃないか……本当のあたしの身体はあっちの世界にあって、ベッドですやすや寝てるんじゃないか、そんな気がしていた。


 ここで待っていれば、明日には希実と祥子が着くはずだ。そうして、お別れが来る。

 胸が痛くなって、目を瞑る。まだだ。まだ、その時じゃない。

 あたしが我慢していると、見えない手が優しく抱きしめてくれるような感覚がした。いかんいかん、あたしが落ち込んでたらラグが困っちゃう。


 気を取り直して、笑顔を作りながら目を開く。すべすべしたニケの毛並みを撫でると、しなやかな身体の凹凸と温もりが伝わって、それだけでなんだか幸せになってきた。うん、やっぱり動物っていいなぁ!

 笑みからこわばりが取れて自然に緩んだ、その直後。


「――あれっ」


 あたしの目が妙なものを捉えた。

 何だあれ。暗い大地の続く眼下、突然ぽつんと点った赤い……


「うそ、火事!?」


 弾かれたように立ち上がり、胸壁に駆け寄って身を乗り出す。その間にも、最初は見間違いかと思った小さな赤は明るさを増して、夜空に煙を上げ始めた。


 よく見ようと意識すると、ぐんと視界が狭まり、火事の現場が目の前に迫ってくる。

 木立の向こう、高い壁に囲まれた広いお城の一角が炎に包まれていた。

 横からニケも目を細めて、あたしの予想を裏付けてくれる。


「ソーン伯の城だな。どうやらカレスは、こちらにも手を回していたらしい」

「ここまでやる!? とか言ってる場合じゃない、助けにいかないと! ラグ、翼出せる?」


 訊いたと同時に無意識の肯定。背中が熱くなり、パキパキ音を立てて骨格が展開した。ぱしん、と銀の薄膜が張る。


「ニケ、あたしの影に入って一緒に来て」

「承知した」


 返事するなりニケの身体が輪郭を失い、黒い影だけになってあたしの翼や服の影に溶け込んだ。よし、あたしだけよりニケも一緒だと心強い。

 急がなきゃ。

 あたしは胸壁に足をかけ、夜空へ舞い上がった。




 燃え盛る城へと一直線に飛ぶ。

 途中であたしは小さな人影を視界の端に捉えた。城の裏手とおぼしき方から逃げ出してきたのだ。二人いたけど、後に続く影はない。城の人が避難してきたわけじゃない。

 外の木立に馬がつながれていて、二人はそれに乗って森の中に消えた。道があるんだろうけど、上からじゃ見えない。


 あからさまに怪しかったけど、そっちを追いかけることはできなかった。火の手が上がっているのは、お城の中でも居館の一棟だったのだ。

 二階の窓から、裂いたシーツを結んだロープを垂らしてる人や、そんなものを用意できず桟に乗って、飛び降りようかどうしようか震えている人もいる。


「ニケ、お願い、手伝って」

「おまえの頼みなら、やむを得まいな」


 どこからか声が答える。鼻を鳴らすような音がしたけど、声音はまんざらでもなさそうだ。頼りにしてます女神様!


 あたしは真っ先に、窓から今にも飛び降りようとしている男の人のところへ滑空していった。当然その人はすごい顔をしたけど、かまってられない。


「はいはい、飛び降りたら骨折しますよ! 掴まって!」


 言うだけ言ってがっしと抱え、羽ばたく。火元から遠そうな場所に下ろして、次の人へ。ニケも変幻自在ぶりを発揮して手伝ってくれた。

 手当たり次第に救出しながらも、あたしはずっと感覚を研ぎ澄ませて、二人の友達を捜していた。


 ややあって、鋭くなった聴覚が、避難した人々のざわめきにまじる希実の声を捉えた。良かった、もう外に出てこられたんだ!

 けど、祥子は……


「祥子! どうしよう、やっぱりいない……っ、誰か見てませんか!?」

「殿下! 殿下は!?」


 希実が泣きそうな声で周りの人に訊いている。しかも肝心のウィルまで、まだ中にいるなんて!

 あたしはつられてパニックを起こしそうになるのをぐっと堪え、建物の方に意識を集中した。炎の音が邪魔して聞き取れない、どこだろう。裏側かな。


 ええいもどかしい! あたしは飛び上がり、煙と火の粉を避けて屋根を越えた。建物の中庭に面した側は各階に回廊がついているけど、こっち側に逃げても蒸し焼きになるだけだから人はいない。……はず、なのに。


 なんでそんな所にいるんですかアナタ達!!


 この緊急時だってのに、センとウィルが互いに刃を向けているじゃありませんかちょっと勘弁してくださいよ!

 三階の回廊、立ち込める煙に隠れてセンが斬りかかったのを、ウィルが察知して回避した。奇襲が失敗したらセンに勝ち目はない。ウィルは日頃から鍛錬を欠かしていないし、得物は立派な長剣。対してセンが持っているのは小さなナイフだ。

 睨み合ったのも束の間、やぶれかぶれにセンが突進する。


 あたしが止めるより早く、奥から祥子が走り出てセンに飛びついた。おぉ、さすがの俊足!

 突き倒されそうになったセンが膝をつく。ウィルは祥子を巻き込まないようにか、剣を引いて一歩離れた。(後から聞いた話では、祥子は寝付けなくてうろうろしてる間に火事になって、逃げ場を探していたら声が聞こえたらしい。そうじゃなかったらセンは腕の一本も落とされていたんじゃなかろうか。怖っ)


 屋根の近くからあたしが見下ろしてるとも知らず、センはナイフを握り締めてむせぶように言った。


「ほんまは……殿下の命なんか、もうどうでも良かったんや。せやけど、ハルカはんまで犠牲にしたのに、今さらそんなん許されへん!」


 そうして強引にナイフを振り上げて、自分に突き立てようとする。もちろん祥子にはっ倒された。ウィルは動かず見てるだけ。死なせてやればどうだ、とかなんとか言ったのが微かに聞こえた。

 両方に対するように、「馬鹿!」と祥子が大声を上げる。


「なに勘違いしてるの!? 死んだ遥の為に自殺するなんて、言い訳にもならないわよ!」

「そのとおーりッ!!」


 堂々と割り込んだのはもちろん、あたしだ。一気に高度を下げて、回廊の手摺に格好良く降り立つ。三人が目を真ん丸にしてあたしを凝視した。

 次いで、三者三様の呼び方であたしの名を叫ぶ。はっはっはっ、驚いたかー。


「やっほー。祥子、元気ぃ?」

「元気って、遥っ……! うわあぁぁ」


 驚きと安堵で腰を抜かしたまま、祥子が言葉に詰まって泣き出してしまう。あたしは廊下に降りて、その肩をぎゅっと抱きしめた。

 ありがとう。本当に、友達でいてくれてありがとう。


「とりあえず説明は後にして、早くここから出よう。もう皆、安全なところまで避難してるよ。しっかり掴まってね。ほら、センも立って!」


 問答無用で祥子とセンを強引に抱え、ウィルはニケに乗せてもらって、なんとか皆のところへ脱出する。

 その頃になってようやく、お城の人達による消火活動が効いてきて、火の勢いがどんどん弱まりだした。魔法か何かよく知らないけど、異能持ちの人達が頑張ってくれたんだね。


 翼をしまったあたしに、希実も駆け寄ってきた。三人揃って無事を喜び、ぎゅうぎゅう抱き合う。しばらくきゃーきゃー騒いでからちょっと落ち着いたところで、ウィルが複雑な顔で話しかけてきた。


「いったい何があった? おまえの世界の人間が空を飛べるとは初耳だ」

「そんなわけないじゃん。これはあたしの力じゃなくて、ラグのおかげなの。テルセアの」

「――!?」


 ぎよっとしたのはウィルだけじゃなかった。周囲の人が軒並みずざっと後ずさったもんで、あたし達三人の異界人はぽっかり空いた場所に取り残された。

 祥子が心配そうに、一歩下がってあたしの様子を一通り眺めて点検する。


「テルセア、って……乗っ取られるとか言ってたアレ? でも、遥だよね?」

「うん。なんか融合が不完全で、あたしとラグの意識が別々に残ってるんだよね。でもとにかく、おかげであたしは命拾いしたし、こうして無事にここまで辿り着いて、皆を助けることもできたってわけ」


 そこまで言い、あたしはくるっとセンを振り向いた。さっきナイフは取り上げたから大丈夫だよね。

 センは明らかに怯えていたけど、同時に観念したような顔でもあった。あたしはわざと誤解されそうな言葉を続ける。


「ところで今あたし、すごくおなか空いてるんだけど」


 ほら。案の定、生贄のつもりらしく神妙な態度で進み出てきた。あたしはいそいそにじり寄って両手を差し出す。


「何か持ってる? ビスケットとか、飴一個でも」

「えっ?」

「えっ、て、何かくれるんじゃないの?」

「いや、あの、せやから……」

「ごはん下さい! 大至急!」

「あっハイ!」


 反射的にセンは動きかけ、数歩で止まってウィルの顔色を窺った。どさくさ紛れに逃亡すると疑われたら、この場で斬られるとでも心配したんだろう。ウィルはいつもの冷ややかな目であたしを一瞥した後、ため息をついて命令した。


「厨房の方には火の手が回っていない。何かあるだろう、取って来てやれ」

「畏まりました」


 センは一瞬声を詰まらせたものの、深く一礼してすぐに走っていった。それを見送ってから、ウィルが用心深くあたしに近付く。


「テルセアが人食いだというのは誤りだったようだな。それに、乗っ取られたようにも見えないが」

「とりあえず今は、ウィルを頭から丸かじりしたいとは思わないかな。ちゃんと自分の記憶もあるし、あたしは高尾遥のまま変わってないつもりだけど……でも、半分人外になっちゃったから、もう元の世界には帰れないみたい」


 苦笑して言い、希実と祥子を振り返る。二人の愕然とした顔が悲しみに変わる前に、あたしは強いて明るい声をつくった。


「だから急いで来たんだよ! ほら、希実と祥子にはあたしの家族に説明してもらわなきゃなんないし! 捜索願とか出されたって絶対見付からないわけだしさ、二人にも迷惑かけたくないし、ちゃんと対策考えないと、って」

「あ、う、うん」

「だよね。異世界なんて言っても信じられないよねぇ」


 祥子が勢いに呑まれてうなずき、希実が真剣に悩む。お別れの事実よりも、やるべき事に意識を向けて、あたし達は寂しさや苦しさを心の隅に追いやった。




 消火の確認や怪我人の手当てで、しばらくごたごたして、その合間にあたしは食料確保して、希実や祥子といっぱい話して。

 翌日には一緒に旧砦まで行って……帰っていく二人を、見送った。


 ――あたしのことは忘れてもいいから、時々あんな奴がいたな、って思い出してよ。


 仲良し三人、抱き合って涙ぐみながら、そんな言葉をかけたのを覚えている。

 だけどきっと、あっちの皆はあたしを思い出すこともないんだろうな。それはもういいんだけど、あたし達を見守っていたセンは、さぞかしつらかったろう。

 家族にどう説明するかとか真剣に話し合って、手帳に家族宛のメッセージまで書いて。全部無駄だって知ってて黙ってるのは、しんどかっただろうなぁ。


 そのセンは、あたしが逃げて行く人影のことを証言したのもあって、放火については無罪になった。カレスに乗せられて協力したのは明白な事実だから、そこはお咎めなしとはいかなかったけど、なんだかんだでほどほどの処罰で済んだみたい。

 カレスについては選抜試験から除外されることになったとか。暗殺をもくろむこと自体は罰せられないんだけど、やり方があまりに杜撰で『客人』を巻き込んだばかりか、国境の守りの要である辺境伯の城に火を放つなんて、もう国に対する反逆に等しい、ってわけ。

 後はお父上の公爵さんが厳しい再教育と監視をおこなうのだそうで、今後はもうウィルにちょっかい出してくる奴もいないだろう、って話だった。

 なんかこの国の価値観とか法律とか、あたしには釈然としないところが沢山あるけど……慣れていくしかないんだろうな。こういうものだ、って。


 ――ばいばい。


 手を振って、泣きそうな笑顔で別れた。友達と、元の世界と、普通の高校生だったあたしの人生と。

 大きな節目、ひとつの終わり。そして始まり。


 ウィルと一緒に王宮に帰ったあたしを出迎えたのは、なんとも複雑な雰囲気だった。

 今ならわかる。あれだ、ローラナさんの迷惑な予言のせい。

 まぁでもとにかく、こうしてあたしはこの世界の住人になった。ローラナさんてば白々しく、残って良かったと思えるぐらい幸せにしてくれる人がいるといいわねぇ、なんて煽ってくれちゃったけど。


 そうじゃない。どこでどんな風に暮らしていても、幸福は他人を当てにして得るものじゃない。

 だからあたしは、ここで、これからも、自分のために歩んでいく。

 皆と一緒に、幸せに生きたい――そんな贅沢な望みを叶えたいから。



(終)


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