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おまえの食費がとんでもない。  作者: 風羽洸海
おまけ・第0話
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4.どうぶつ王国の主

 一方のあたしは、ようやく人里に出られてほっとしていた。早朝の陽射しが燦々と降り注ぐのどかな農村で、おばさんが畑仕事しているのを見付けて畦道から「すみませーん」と声をかける。

 ところが、振り返った途端におばさんがすごい悲鳴を上げた。

 えっ、えっえっ、なんで!?


 騒ぎを聞きつけて、ちょっと離れた畑にいたおじさんが走って来る。ええぇ何この展開! まさか一目でテセアだってばれちゃったの!?

 と焦ってたらもちろんそんな理由じゃなくて。


「うわっ、あんたどうしたんだ! 大丈夫なのか!? 怪我は!」

「……あっ」


 そうでした。地面転がったり怪我したり鷲掴みされたりで、あたしはすっかりズタボロだったのだ。顔だけは小川で洗ったけど、怪我が治ったもんでほかのところについてはすっかり忘れてた。びっくりさせてごめんなさい。


 あたしは二人に謝って、魔獣に襲われて仲間とはぐれたことを話した。

 服が元の世界のものだったし、名前もこっちの人が発音しにくい「ハ」音が入ってるしで、『客人』だってことはすぐに信用してもらえた。


 おばさんはあたしの身の上にいたく同情してくれて、びっくりするほど親切にしてくれた。

 お風呂はさすがにないけど、水で身体を洗わせてくれて、血と土埃でコテコテに固まった髪を切って整えてくれて。これしかないけど、って息子さんのお古の服まで着せてくれたのだ。しかもその上、あたしが腹ペコなのに気付くと自分達の朝食のお粥を譲ってくれちゃって!

 これもう、日本昔話だったら笠地蔵がどっさり米俵届けに来る流れですよ!


「怖かったろうねぇ、いきなり見知らぬ遠いとこへ飛ばされて、しかも魔獣に襲われて独りぼっちだなんて。ああ、そんな遠慮しなくていいんだよ、どうせ『客人』の世話したって言ったら後でたんとご褒美をもらえるんだからさ!」


 恐縮するあたしに、おばさんはそんな風に気前よく笑ったけど、実際ご褒美なんてどうでもいいんだろうな、ってのがわかった。だからあたしも、心を込めてお礼を言った。


「本当に、ありがとうございます。こんなに良くしてもらって、本当にすごくすごく助かりました」


 板敷の床に正座して、深々と頭を下げて。よしとくれよ、っておばさんが苦笑したけど、ごめんなさいこれから失礼なこと言うんだ……。あたしは顔を上げて続けた。


「それなのに申し訳ないんですけど、あたし、急いで東にある旧国境の砦って所まで行かなきゃいけないんです。帰り道が七日後にそこで開くらしくって」

「東の国境!?」

「はい。あの、一番近い役所を教えてもらえませんか。役所なら何か、砦に行く方法があると思うんです。もちろん、おばさんに色々良くして頂いたこともちゃんと伝えておきます。本当は自分で恩返しさせてほしいんですけど、今は時間がないから……ごめんなさい!」


 床に頭ぶつける勢いで、また土下座。おばさんは難しい顔で唸っていたけど、あたしがどうしても行くつもりだと確かめると、またすごい親切かつパワフルに行動した。

 農作物を運ぶための荷馬車にあたしを乗せて、集落の中心にある役場まで全速力で送ってくれたのだ。


 しかもそのまま、役場の人を相手に押しまくる押しまくる。

 役人さんは、さすがにここから砦まで馬を飛ばしても七日で着くのは無理だ、って渋った。騎獣もここでは飼ってないし、強行軍で落馬など事故があったら大変だから、砦に行くのは諦めて都へ帰れ、ってまぁそれが常識的かつ合理的なんだけど、譲らなくて。

 そこへおばさんが、若い娘の人生の一大事に何言ってんだ、みたいに人情を盾に押すこと押すこと。あたしの出る幕、全然ないです。


 口を挟めなくて手持無沙汰してたあたしは、なんとなくまわりを眺めて――その鳥を見付けた。

 建物の屋根に留まったツァヒールを。


〈ラグ、あれ!〉

〈あの時の個体です、間違いありません〉


 同時にツァヒールが翼を広げたので、あたしは反射的にそれを追って走り出した。おばさんと役人さんに、ごめんなさいとか何とか大急ぎで挨拶した気がするけど覚えてない。

 あたしはツァヒールの行方を突き止めることしか頭になかった。

 ラグのおかげでしばらくは全力疾走で追いかけられたけど、それでもどんどん引き離される。集落から離れるとツァヒールもぐんと高度と速度を上げた。


 ――駄目だ、逃げられる! 追わなくちゃ……!


 強く、強く念じたその時、あたしとラグの意識が重なり合った。

 身体の芯がカッと熱くなって、背中がめりめり音を立てる。前屈みになった直後、服を突き破って骨格が展開し、ピンと張った薄い膜が大気の力を吸い込んだ。


 膝を曲げて、ぐんっ、と伸ばす。そのまま宙へ。

 一度の跳躍であたしは空に浮かんでいた。ツァヒールよりも高いところに。

 初めての飛翔にも驚きはなく、あたしはラグと一緒に、魔鳥を追っていった。


 そうして着いた先は、立派なお城の敷地内、中心から外れたところにある塔のてっぺんだった。ツァヒールが翼を畳んだのを確認し、あたしも同じところへ降りる。

 あたしに気付いたツァヒールが騒ぎそうになったけど、緑金の目でじっと見ただけでおとなしくなった。テセアってこの世界の動物界では結構上位の生き物らしい。


 ここに、魔獣を操ってウィルを襲わせた奴がいる。

 あたしは気を引き締めて、屋上から塔の中へと階段を下りた。




 その城が例の異母兄の家だったのは予想通りだろう。

 正確には、異母兄カレスの父、ウォード公爵のお城。ここら辺の関係がちょっとややこしい。


 実はこのカレスさん、異母兄と言いつつウィルとは血が繋がってない可能性が高いらしいのだ。そもそもこの人のお母上は、今の王様つまりウィルのお父さんがまだ王様じゃなかった頃の結婚相手だったそうな。

 で、カレスを産んだんだけど、同じ頃に浮気が発覚して離婚。浮気相手の公爵さんと再婚したのだとか。カレスの父親がどっちかは断定できないけど、身体的特徴からして公爵さんでもおかしくないし、そのまんまカレス君も公爵家の息子になった。

 その後で、当時の王様が急死して、ウィルのお父さんが王様になったのだ。


 今の王様よりも、選抜試験の成績で言えばウォード公の方が上だったんだけど、なんせ既に立派な領地を持ってるもんで王位を辞退した。まぁ当然予想された成り行きだったんだけど、公爵夫人は激怒したらしい。

 公爵さんが奥さんの憤懣を相手にしなかったもんで、それは息子のカレスに向かった。

 彼は幼い頃から何かにつけウィルと比較され、あんな奴よりあなたの方が偉いのよ賢いのよ立派なのよ、と呪文のように言い聞かされて育ったらしい。

 その結果、ウィルがとんだとばっちりをくうはめになったという……。ご愁傷様、っていうか巻き添え食ったあたしも大迷惑でした!


 ……とまぁ、そんな事情は後から聞いたわけで。

 当時のあたしはただ、警戒と緊張にピリピリしながら、人の声が漏れてくる扉のそばへ忍び寄っていった。




「ですから再三申し上げました! そもそも負担が大きすぎると……」


 男の人が大声で文句を言っている。返事はなんだかくぐもっていて、よく聞き取れない。

 どうもここの人が魔獣を貸してたみたいだけど、襲撃が失敗したことを責められて、そもそも無理だっつっただろ、みたいに文句返してるところみたい。ってことは、話し相手が異母兄さんか。でも、そっちの声はよく聞こえないなぁ……?


 言い合いが終わっても誰も出て来ないし、もしかして部屋の中にはいないのかな。電話じゃないだろうけど、もしかしてその手の魔法道具があるとか?

 あたしが扉の隙間に顔をくっつけて中を見ようとするのと同時に、男がため息をついて、別の相手に話しかけた。


「セン=ヨルシア」


 ――えっ?

 あれ、なんでここであのセンの名前が出てくるの?


「恨みを抱くのは勝手だが、晴らしたければ一人でやれ。カレス殿の尻馬に乗るな。こっちはとんだ迷惑だ」


 どういうこと。それってつまり、センがあの襲撃に加担してたっていう……あ、れ?

 頭の中の混乱に呑まれたように、視界がぐらんぐらん揺れだした。身体から急激に力が抜けて、立っていられず、扉に寄りかかってしまう。

 ガタン、と音を立ててしまったけど、竦むことさえできなかった。そのままズルズルと、扉に縋るようにして座りこむ。

 最後の瞬間に扉が開いたもんで、あたしはべたんと敷居の上に倒れ込んでしまった。頭の際で、人の足が慌てて引っ込む。踏まれなくて良かった!


「おまえは何だ?」


 頭上から降ってきたのは、さっきから聞こえていたのと同じ男の声。不思議とそこには危険な感じがしない。だから、言うべきことはひとつしか思いつかなかった。


「おなか空いた……」


 泣きそう。ていうか今すぐ何か食べられなかったら死ぬ。ほんと無理。もう指一本動かせない。

 男はしゃがんであたしのこめかみに軽く触れると、ふむ、と興味深げな声を漏らした。




 今だからわかるけど、この時あたしが警戒を解いたのも、曲者だとか騒ぎ立てられなかったのも、彼が導師だったからだ。

 公爵お抱えの魔導師ザラ=ロゴス。長い赤毛をひとつに括った、ちょっと剽軽な印象のおじさん。彼はあたしを見てすぐに、普通の人間じゃないってことはわかったらしい。

 あたしを部屋に運び入れて、取り急ぎキャラメルみたいなお菓子を口に押し込んだ後で、黒い影のような生き物に命じて食事を運ばせてくれた。つくづく導の人って、食べさせるのが好きだよね! 太らないからいいけど!




 糖分のおかげで意識ははっきりしたものの、相変わらず身体はろくに動かせない。ソファの上に色々ごちゃごちゃ載ってて、その間に埋もれるようにして座らされたけど、文句言う元気もないよぅ……って萎れてたら、目の前ににゅっと食事のトレイが出現しました!

 びっくりしてよく見ると、床から黒い影が伸びてトレイを支えてる。うわぁ謎生物。でもここは何より、


「ありがとう!」


 お礼を言って、あたしはすぐさま食べ物を確保した。バターの香りも芳しいトーストにコンソメスープ、ウインナーとポテトサラダに汁気たっぷりのオレンジ! パン以外は全部「っぽい何か」がつくけど正体は気にしない!


「いただきます!」


 手を合わせるのもそこそこに、あたしはトーストに噛みついた。サクッとした歯ざわり、ふわっと鼻に抜けるバターと小麦の芳香、そして滴る甘さ……うわぁ! 蜂蜜まで塗ってあった! 甘い美味しい幸せー!

 ううっ。カロリーが、とか気にしていつも朝食のパンには何も塗らなかったけど、こんなに美味しいものだったなんて……涙出そう。


 美味しい美味しいってぱくぱく食べながら、ふと、ラグも味がわかるのかな、と考えた途端に、優しく笑う気配がした。


〈はい、あなたが美味しいと感じたら私にも伝わります。だからもうちょっとゆっくり味わいませんか?〉


 恥ずかしいのと慌てたのとでむせそうになり、スープで喉を落ち着かせる。


〈ごめん、でもちょっと緊急事態な感じで。やっぱり空を飛んだりしたからかなぁ? 朝にお粥食べたきりだけど、それにしてもおなか減りすぎだよね〉

〈ええ。人間の範疇を外れない活動なら、それほどエネルギーを消費しないのですが〉


 心で会話しながらの食事は自然とゆっくりになる。それを見計らって、おじさんが面白そうに話しかけてきた。


「そんなに美味いか?」

「はいっ、もうとっても!」


 つい握り拳で答えてしまったあたしに、おじさんは声を立てて笑い、良かった良かった、と満足そうにうなずいてから――改めて、あたしの方に身を乗り出してきた。

 腹が満ちたところで質問に答えてもらおうか、って。




 で、あたし達はお互いの名前と立場を明かしたわけなんだけど、当時のあたしはまだ導の皆さんの奇人ぶりを知らなかったもんだから、驚き呆れてばかりだった。


 公爵のおかげで塔をひとつ好きに使って魔獣の飼育観察に明け暮れていられるから、子息カレスのわがままにも多少は付き合わざるを得ない、なんて理由で王太子の暗殺計画に魔獣を貸したとか、けろっと罪悪感のかけらもなく言うんだからなぁ。

 センはカレスが引き込んだらしくて、ザラさんはあからさまに無関心だった。王太子一行が今どこにいるか、どんな隊列か、といった情報を伝えて襲撃の手引きをしたのだそうだけど、別になくても支障なかったんだ、むしろあいつがしゃしゃり出て来なければ私も魔獣達も巻き込まれずにすんだのに、とか言い捨てる始末。

 今でこそ「あー、導師だからね」って納得しちゃうけど、本当びっくりだった。


 あたしが半融合のテセアだと知った時の食いつきもすごかった……。

 さすがに「師」で公爵さんのお抱えになってるぐらいだから、ゴン太ほどぶっ飛んではいなかったけど、なんとかしてあたしを手元に留めようと、脅したりなだめたり餌をちらつかせたり。


 負けないように頑張るのは大変だったけど、相手が“極めて稀なサンプル”つまりあたしとラグに夢中になるあまり、ほかへの注意を怠ったおかげで、あたしは謎生物ことイズルーに「ニケ」という名前を勝手につけて、友達にしてしまうことができたのだ。


 長年、イズルーという種名で縛られてきたニケはザラさんに随分腹を立てていて、ザラさんが取引材料としてちらつかせていた「騎獣に砦まで送らせる」案を、自発的に無償で申し出てくれた。つまりニケ自身もここからサヨナラします、ってことなんだけど。


 あの時のザラさんの悲壮な顔ったら! 思い出しただけで笑えちゃう。

 それでようやくあたしも、あぁこの人って価値観ぶっ飛んだ変人だけど悪人じゃないんだな、って悟ったんだよね。


 そんなこんなで、またの機会にお話してもいいよ、ごはん食べさせてもらったし、ってことで折り合いをつけて。

 黒豹の姿に変化したニケに乗せてもらい、あたしは一路東の旧国境砦を目指して走り出したのだった。


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