2.行きは一瞬、帰りは怖い
東部の旧国境砦まで行くのに、ちょうど領主の動向を探らなければならないのもあって、王太子様が視察に出向くことになった。『客人』三人を送り届けるついで、という形を取ったのだ。
この国では『客人』への対応が優先されるから、何も理由なしに視察に行くより、送還のついでということにすれば先方も難癖つけて拒むことはできないだろう、ってわけ。
総勢十五名ほどの視察隊と一緒に、あたし達は馬車に乗せてもらって旅を始めた。馬車と言っても豪華な王族用のじゃなく幌馬車で、御者はセンだ。皆の野営道具とかも積んである荷台で、せいぜい厚めの座布団とか毛布とかを使って座り心地を良くしてある。
ガタゴト揺られてドナドナ気分を味わいながら、あたしはセンに話しかけた。
「ここって本当に異界人が優遇されてるんですねぇ。恩恵どころか迷惑ふりまく人達だっていたでしょ?」
「数で言うたら確かに、すごい知識や技術をもたらした人ばっかりやないです。右も左もおぼつかんお子さんやったり、偉い学者さんでも大急ぎで帰らなあかんかったりね。せやけど、アケイレスが他の国々をしのいで繁栄してこれたんは、間違いなく『客人』のおかげですよって」
「ふぅん……、ん? あれ、じゃあこの世界で『客人』が落ちてくるのってこの国だけ? 世界と世界が接触事故ってるんなら、どこに落っこちてきても不思議じゃなくない?」
あたしが気付いて疑問をそのまま口にすると、御者台のセンの背中がこわばった。ミステリマニアの希実が鋭い一言を追加する。
「異世界からの恩恵を一国で独占するために、何か仕組んであるとか?」
「ちょ、めったなこと言わんとってくださいや。怖いお嬢はんらやなぁもう」
センが慌てたふりでおどけた。声音も苦笑も不自然で、あたしは不審を抱いたけど、追及するより早く彼はぺらぺらと話を続けた。
「そんな仕組みがある、ていう話は聞きまへんけど、恩恵を独占してきたんは事実やね。ゆうても人の行き来はありますさかい、見聞きしたものが他国に広まっていくのんまでは止められまへんけど。『客人』が持ち込んだ現物や図面、あるいは特別な材料の製法とか、そういうんは門外不出ですわ」
「えー……なんかそれって」
ズルくない? と口には出さないものの、あたし達は同じ気分で顔を見合わせた。そこへ、荷馬車の横に馬をつけていたキリさんが不機嫌そうに割り込む。
「当然のことだ。持ち込まれた知識や技術、動植物をそのままこの国に定着させられるものではない。大勢による創意工夫と研究がなされてこそであり、そこに注力している国が利益を得る。成果を掠め取るだけの盗人に与えるなど、民に対する裏切りにほかならん」
あまりにきっぱり言い切られたもので、あたし達はそのまんま何も言えなくなった。どうせすぐ帰るだけのよそ者が、自分達の価値観であれこれ言える立場じゃないよね、と思って。
しばらく気まずいままガタゴト揺られて、お昼休憩になった。
出遅れて手伝うことがなくなったあたしは、皆が軽食の準備やお馬さんの世話をしている間、王太子様の話し相手をすることになってしまった。
馬車の荷台の端に座って、荷物番という名目で所在なくぼやっとしていたところへ、いけ好かない冷たい目つきの王太子サマがいらっしゃったもんだから、嫌な予感しかしませんでしたよ!
「移動中に政治の話をしていたようだな」
「……いや、政治ってほど高度な話じゃないですけど」
あっち行ってくんないかなオーラを思いっきり漂わせてみたけど、駄目だった。
しょうがなく先刻のやりとりを話すと、腕組みして聞いてたウィルは「そうか」とつぶやいた。それから意外なことに、あたしのややこしい顔に気付いてか、淡々と補足説明してくれたのだ。
センは元々、アケイレスに併合された小国の出身だったから、今でもこの国に対する見方はちょっと冷ややかなところがある。反してキリさんは代々王族に仕えるガチガチの武臣家系出身、しかもお母上が元『客人』だから、この国や『客人』に関して批判めいたことを聞かされるのは我慢ならない。
だからあの二人が揃っているところで、政治の話はしない方が賢明だ……と、そんな言葉で説明をしめくくったウィルは、最初ほど冷血には見えなくなっていた。
だもんで。つい、うっかりと。あたしは調子に乗ってしまったのだ。
「キリさんの主張もわからなくはないけど、あんまり自分とこだけ良ければいい、って態度ばっか取ってたら、良くないんじゃないかなぁ」
今のアケイレスのこの状態を作りだしたのが『客人』達であるなら、それじゃ良くないよ、って意見を伝えるのも同じ『客人』の役目だ。そんな謎の使命感に衝き動かされて、あたしは遠慮も敬語も忘れて熱弁をふるってしまった。
国際的な信用ってものがどうとか、知的財産の保護と科学の発展がどうとか。
幸いウィルは途中で遮ったり、馬鹿にしたりもせず、黙って無表情に最後まで聞いていてくれた。そして、あたしが言いたいだけ言ってしまうと、それについては何ら批判や反論をせず、ただ「そうか」とうなずいた。
「少しは実のある話ができるようで良かった」
一言だけ口にした感想らしい言葉がこれ。あたしは反射的にムカッとした。わずかな表情と声音から、ウィルが心中で「実のある話ができない奴」を見下しているのがわかったから。
「なんでそういう見方するのかなぁ。役に立つことだけが人間の価値だと思ってんの?」
苦々しく唸ったあたしに、ウィルは虚を突かれた顔をした。相手を評価採点して、見下している自覚さえないんだろう。
もっとも、自覚のなさはあたしも同様ではあったんだけど。自分が役立たずだと思われるのが悔しかった、ちょっと立場や人生が違えば今ここで自分は邪魔な荷物扱いされていただろうことが怖かった。そんな怒りを理不尽にぶつけたのだ。
「そういうの、やめて。好きでこっちに来たわけでもないのに、雑談さえ実があるとかないとか勝手に評価しないでよ。もしかして、『客人』だけじゃなく誰に対してもそうなの? こいつは役に立つから良い、こいつは駄目、って道具みたいに選別してる?」
「……人の能力を見極め、適切な対処待遇を決めることが最重要だからな」
「仕事ではそうだろうけど! いちいち言動チェックして格付けするだけが人間関係じゃないでしょ? 家族とか友達とか! たとえ仕事だとしたって、毎日そばで働いてる人とは能力云々を抜きにした部分の関係も大事なんじゃないの?」
仕事したことないけど! 新聞やウェブや親戚から聞きかじった知識しかないけどさ、上司部下の関係って能力評価だけじゃ円滑に動かないでしょうよ!
……なんてことを考えて、あたしは一方的に怒った。どう見てもだいぶ年下の小娘から理不尽な文句を付けられたのに、ウィルはまるで初めて背中の汚れを指摘されたかのように、困惑気味の声音でつぶやいた。
「そんなことが本当に必要か?」
「うわぁ……必要か不要か、って辺りが既に……友達いないでしょ殿下」
呆れて付け足した一言は、嫌味と冗談が半々のつもりで、まったく全然本気ではなかったのに、返ってきたのはいたって真面目で本気な一言。
「ああ、いない。そもそも友人の定義すら不明確だ」
ここまで来てやっとあたしは、自分がひどい地雷を踏んだことに気が付いた。
うあぁぁ、あたしってば! 無遠慮に無神経に人のプライベートに土足で踏み込んで挙句に地雷とか何やってんだ馬鹿―!!!
ごめんなさいと謝るのも余計に傷を抉りそうで、でも何と言えばいいのかわからなくて。
あたしは真っ赤になって頭を抱えてしまった。荷台に引っくり返って悶え転がりたいけど、それやると変な病気の発作かと勘違いされそうだし必死で我慢!
だけど、だけどああもう、いたたまれない……っっ!
「うぁぁもう、ああ! 仕方ないなぁ、それじゃあたしがお友達一号になるよ!」
何がどうして「それじゃ」なのか。
我ながら思い返すと顔面火災で焼け死にそうに恥ずかしいのだけど、とにかくその時あたしにできたのは、「互いに評価しない関係」を身をもって示すだけで。っていうかそこまで考えてもいなかったな。
まぁとにかく、動揺と混乱から飛び出した提案を、こちらも混乱していたウィルは拒否できず、なんともややこしい顔で受諾してくれたのだった。どうせ十日後にはいなくなるんだ、という思いもあったかもしれないけど。
「それじゃ今から、身分肩書とか言いっこなしね」
「なに?」
「だって『王太子様』の友達、って言ったらあからさまに利益とか役に立つかどうかって話になるじゃない。それじゃ意味ないでしょ。あたしは、王太子じゃない、ただの『ウィル』の友達、って決めたから」
「…………」
それがどういう意味を持つのか、正直お互いあんまりわかってなかったと思う。照れ隠しもあって押し切ったあたしに、ウィルはほぼ全面的に譲歩してくれた。
おかげで敬語免除してもらって、今、とっても助かってるのは怪我の功名。自分が居残り組になるとは、夢にも思っていなかったけど。
そんな事があった後、ローラナさんが言っていた「一部森を突っ切る」ところに差し掛かった。最初に出て来た場所とよく似た、下生えの少ない乾いた森だ。
なんでこんな植生なんだろうね、今の季節っていつだろう。荷台で揺られるだけでやることのないあたし達は、そんなことを話し合っていた。ここの気候はケッペンの気候区分で何になるんだろうと、復習がてらあーでもないこーでもないと言っていたら。
「無駄な議論をしているな」
いつの間にか近くに来た新しいお友達君が冷ややかにのたまったもんで、空気が凍りましたとも氷雪気候EF!
何が無駄か失敬な! ってもはや遠慮の欠片もなく噛み付いたあたしに、ウィルはご親切にも衝撃の事実を教えてくれたのだった。
「おまえ達の概念は通用しない。この世界は平面だ」
「……へ?」
「平面」
「いやあの、待ってそれ、平らな世界を太陽とか天体が取り巻いて動いてるっていう」
「天動説ではない」
「あ、知ってるんだ」
天動説と地動説とか、大地が球体である根拠となる観測・測量技術とか、とっくにこの世界に伝わっていたらしい。んで、調査の結果やっぱりここは球体じゃないと明らかになったそうで。……なんだそれ!
でたらめ世界にもほどがある、なんて失敬にも呆れかえっているあたし達を置いてウィルがまた隊列の前の方に戻っていくと、御者台のセンがつくづく感心して言った。
「ハルカはん、ほんまに殿下と『友達』になってしもうたんですか。すごいなぁ」
「いやまぁ成り行きというか勢いというか……あんまり突っ込まないで下さい。とりあえずほんの一週間ぐらいでも一緒に行動するんだから、打ち解けた方がいいかなーって」
ごまかし笑いで言ったあたしに、センも調子を合わせるようにちょっと笑ってから、ふっと声のトーンを落とした。
「打ち解けようって思てほんまにすっと心を開けるんは、美徳やと思いますけど……こっちの世界におる間は、用心した方がええです。そういう人間はテルセアに見込まれやすい、て言いますよって」
「てるせあ?」
「シーっ! そない普通に口にしたらあきまへん!」
聞き返すと、その声で悪魔が呼び出されるとでも言うみたいにセンが怯えた。あたし達が当惑していると、彼はひそひそと早口に続けた。
「この国には、人食い、て呼ばれる生き物がおりますねん。そいつに見込まれたら魂を食われて身体を乗っ取られてしまう、ていうて……とにかく、ハルカはんは何にでも心を許さんように、気ぃ引き締めとって下さいや」
そんな人をたるみっぱなしみたいに、とあたしは不満だったものの、センの口調が真剣だったから余計な口答えはできなくて、はーい、と素直に返事しておいた。
噂をすれば影が差す、だったのかどうか。
その日の内に、状況が急転した。
魔獣の襲撃に遭遇したのだ。
狼みたいな獣の群が、いきなり隊列を襲った。馬車も体当たりを受けて横転し、あたし達は荷台から放り出されて転がった。
前の方では護衛の兵士さん達がウィルを守ろうとしていたけど、魔獣の方が数が多い上に一頭一頭が大きくて強い。ウィル自身も剣を抜いて戦っていて、傷を負ってもいた。
あたしはたまたま、皆と離れた場所に飛ばされてしまっていた。荷台から一緒に転がってきた野営道具の中から片手鍋を引っ掴み、それを武器か盾みたいに構えながら走りだす。馬車の陰に避難した祥子達に合流したかったのだ。
けれど。
見てしまった。狼の群に押されて、木々の梢がぽっかり空いた場所へと追い込まれたウィル。上空から急降下して来る、とんでもなく大きな鳥を。
「ウィル、上っ!」
怒鳴ってあたしはそちらへ突っ走った。今にも転びそうな勢いで走りながら腕を振りかぶり、大鳥目がけて鍋を思いっきり投げつける。
命中! ――したけど、追い払うどころか逆効果だった。邪魔された鳥は凶悪な怒りの声を上げて、あたしに襲いかかってきたのだ。
逃げる隙もなく、あたしは巨大な鉤爪にがっちり掴まれ、上空に連れ去られてしまった。
それが魔鳥ツァヒールだと知ったのは、この少し後のこと。
ツァヒールには下位の魔獣を従わせる力があって、狼みたいな魔獣を操っていたらしい。ツァヒールがあたしを掴んで飛び去った後、魔獣の群は統率を失い、すぐさま散り散りに逃げ出したのだそうだ。
ちなみにその時ウィルは、これが異母兄の差し金だと確信していて、よりによって『客人』がいる時にここまでしたことに怒っていたけれど、同じぐらいショックを受けてもいたのだと、後日、本人から聞いた。
だって本来最優先で守らなきゃならないはずの『客人』を、犠牲にしてしまったのだ。それも、見るからにまだ稚気が抜けない(失敬な!)、世間知らずの子供のような少女が、“ウィル”を助けるために駆けつけた結果として。
王太子として守られること、誰かを犠牲にするだろうことは、常に想定していたけれど、この事態はウィルにとって衝撃だったらしい。
だから彼は、センの様子がおかしいことを見逃していた。
空の彼方を見上げて、血の気の引いた泣きそうな顔で、まさかこんな、とつぶやいたのを耳聡く聞いていたのは、あたしの友達、希実だけだった。




