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14.満月よりも明るい黄金


 ニケの背に乗って、夜の都を駆け抜ける。屋根から屋根へ、風を切って通りを跳び越え、軽やかに舞うように。

 かなりの速さだけど、跳躍と着地の衝撃はあまり感じない。ウィルも一緒だから、ニケが配慮してくれてるんだろう。足元を見ると、猫のような丸い爪先が一瞬だけ屋根や塀に沈み込んで浮かび上がるのが見えた。


 まっすぐに都を突っ切って行く。どんどん寂れた方へ、人のいない方へ。やがて古い市壁を越えて、人家がまばらになっていく。

 そのさらに先、あまり使われていない街道が荒野へ向かう途中に、小さく人影が見えた。行く手を阻む、大きな虎の姿も。


 いつもは小さくしまっている翼をいっぱいに広げ、マイアちゃんが二人を逃がすまいと立ちふさがっている。牙を剥き出して威嚇している様は、いつもの従順な姿を知っていても怖い。

 そんな猛獣を前に立ち竦んでいるのは……ティナさんと、ソアンさんだった。


 あたし達の接近に気付いてティナさんが振り返り、少し困ったような、諦めたような笑みを見せる。用心のため充分な間合いを取って、ニケが止まった。飛び出そうとしたあたしの腕を、ウィルが掴んで引き戻す。


 剣に手をかけて前に立つウィル。冷たい怒りと敵意が背中に漲っていて、あたしはその後ろに留まるしかなかった。そもそも、出て行って何を言うつもりだったんだろう。大人しく捕まってくれ? それとも、逃げろ?

 ああ、誰にも傷ついて欲しくないのに。ウィルはもちろん、ティナさんだってソアンさんだって、叶うなら……一緒に生きようよ。


「何か申し開きがあるか、女」


 うわ。駄目だこれ、完全にぶった斬る気満々な声じゃないですか!

 思わずあたしは後ろからウィルの袖をぎゅっと握った。話をつけに来たんでしょ、処刑しに来たんじゃないんでしょ、ねえ!


 無言の訴えが届いたのか、ウィルは一呼吸置いて、剣の柄からひとまず手を離した。

 ティナさんの方は何も言わず、あたしに微笑を向けたまま逃げようともしない。


「……ひとつ訊いておきたい。どうやって私に毒を盛った?」


 ウィルが問いかけると、ティナさんの横でソアンさんが身じろぎした。ティナさんはちょっと眉を上げ、ウィルに視線を転じる。怖がっても、警戒してさえもいないような、無頓着な態度。


「教えられません、殿下。テセアの秘伝ですから」


 おどけた風に答えて、ティナさんは肩を竦めて見せた。それからあたしに、意味深長なまなざしをくれる。


「知りたければ、彼女が完全体になった後でお尋ねになればよろしいかと」

「貴様の一方的な望みを遥に押し付けるな」

「一方的ではありませんよ、殿下。私には分かるのです。私のきょうだいは彼女の中にあって窮屈な枷をはめられ、自由になりたがっている。きょうだいと彼女の根幹が融合しているのだから、その望みは彼女の望みでもあるのです」

「詭弁を弄したところで、つまるところテセアの都合のみで遥の人生を潰そうとしていることに変わりはない。遥は私の友人だ。それを消し去ろうとするなら、先に私が貴様を殺す」


 ウィルは何を言われても動じない。ティナさんがテセアの正しさを信じているように、ウィルも人間としての正しさを力強く掲げて一歩も譲らない。あたしは――あたしとラグは、両方の言い分がどちらも真実だと知っていて、どちらにも共感できてしまって、動けない。

 でも。でも、このままじゃ……。


 チャリッ、と金具の触れ合う音がした。ウィルが剣の柄を握ったから。


「このまま都を去り、その男と共に人間として暮らせ。既に『伴侶』を得ているのなら、新たな獲物を狙う必要もあるまい。そして二度と遥に近付くな。その限りにおいてのみ、見逃してやる」

「無理をおっしゃらないで下さいな、殿下」


 ティナさんは苦笑して首を振った。怒りも悲しみもしない。まるで何もかも諦めたみたいに。嫌だ、嫌だよティナさん……!


「立場が逆なら、あなたは同胞を見捨てて安穏と生きられますか。異種族の頑なな思い込みによって自由を奪われ、常に飢えに苛まれている同胞を、一度は助けようとしたのに手を引いて、平気で暮らしてゆけますか」

「何がなんでも遥とラグを、不幸なのだと決めつけたいようだな」

「だって事実そうですもの」


 あなたには分からないでしょうけれど、と表情で語り、ティナさんはあたしに慈しむ目を向ける。あたしは悔しくて苦しくて、歯を食いしばって胸を押さえた。

 誰が不幸なもんか、と怒鳴りたいのに、力が出ない。

 だって知っているから。確かにあたしはラグに不自由させているし、しょっちゅうおなかが空いて、どれだけごはんを食べても、たまに糸くずを口にした時の満足には全然届かない。

 半年以上、今のこの状態でやってきて、慣れて当たり前のように感じられてきて、このまま半融合でもやっていけるって思い込んでいるけれど。そうじゃないのは、本能で――テセアの本能で知っている。

 それでも。

 あたしは気力を振り絞って声を上げた。


「ティナさん。確かにあたしは、あたしとラグは、毎日つらいことがいっぱいあるし不自由もしてる。だけど、不幸じゃないんだよ。ちゃんとお互いに名前を呼び合って、他の人とは分かり合えない事もこっそり心で話をしたりして、仲良くやってる。友達だって、いる。不自由だけど、不幸じゃないから、助けてくれなくたって大丈夫なんだよ!」


 ――あ、駄目だ。あたしが訴えかけている間に、ティナさん、どんどん悲しそうな顔になっていく。そうだよね、つらいよね。こんな泣きそうな声で、不幸じゃない、大丈夫、って叫んだところで、説得力なんかないよね。でも本当なんだよティナさん、解ってよ!


 ティナさんがため息をついて、つらそうに首を振った。


「ごめんね、ルカちゃん。やっぱり駄目、可哀想で見ていられないわ。……ねえ、どうして食べないの? ちゃんと食べて、一人前にならなきゃ。すぐそばに、一生あなたを満たしてくれる人がいるのに、伴侶にすればあなたも彼も幸せになれるのに、どうして?」

「違う、ウィルは違うの! 言ったじゃない、友達だって! 人間には人間の、充分幸せな関係があるんだってば!」

「おなかが空いて倒れそうで、目の前にご馳走があるのに食べられなくて、それで幸せだなんて、嘘が下手すぎるわよ。……殿下、私からも条件を出していいかしら。ルカちゃんに、ちゃんと食べさせてあげて。伴侶になってあげて。そうしたら、私はあなたを殺さないし、彼女にあなた以外の人間を食べさせようとしなくても済むのよ」

「……話にならないな」


 ウィルが冷ややかに言って剣を抜いた。マイアちゃんが戦いを予期して身構え、低く唸りだす。ニケがすっと闇に溶け込んで、どこから何をされても対抗できるように備える。向こうでは、ソアンさんがティナさんに寄り添った。

 なんでこうなっちゃうのかなぁ! こんなの嫌だ、でもウィルが殺されるなんて絶対に駄目だからあたしが守らないと。王太子様がテセアに殺されたなんてことになったら、国じゅう大騒ぎで大変なんだよ分かってるのかなティナさんもウィルも!!


「やっぱり、こうなってしまうわね」


 ふっ、とティナさんが諦めの苦笑をこぼした。分かってるならどうして、避ける方法を考えなかったの。どこかで妥協して、この展開を避けようとしなかったの。

 あたしのことは見なかったふりをすれば良かったじゃない。あるいはもっと早くに、テセアだってことを明かして、あたしの状態がどういうことか、テセアが何を幸福とするか、きちんと話し合って導師さんとかもまじえて、半融合のまま幸せになる方法を探っていくことも、できたかもしれないじゃない。どうして。


「泣かないで、ルカちゃん。あなたに幸せになって欲しいの」

「……っ、ティナさんも、一緒がいい、です。なんで、なんで一緒に生きられないんですか!」

「優しいのね。ルカちゃんなら解ってくれると信じているわ」


 ティナさんが微笑んで、ソアンさんと目を合わせた。ウィルの背中が緊張する。でも、攻撃してくるわけじゃなかった。

 何か、ごくごく小声でささやき交わす。聞き取れない。たぶん他人が聞いていい言葉じゃないんだ。ソアンさんがとっても優しい表情をして、ちょっと身を屈めた。

 二人の身体が寄り添い、顔が近付く。束の間、あたしもウィルも当惑した。けれど、


 ――まさか。


 電撃のような予感にびくりと身を震わせた直後、それが始まった。

 重ね合わせられた唇と唇。その間を通じて、ソアンさんの白い光が一気に吸い取られていく。

 悲鳴を上げそうになって直前で飲みこみ、あたしは息を詰まらせて喘いだ。うぁ、あ……っ、あんなこと、したら、ああ、消える……っ!!


 白い光が渦巻いて、すっかりティナさんの中へと吸い上げられて消えても、まだ二人は離れなかった。ソアンさんの顔は恍惚として幸せそうで、痛みも苦しみも、恐れの欠片さえもない。しかも、白い光を吸い取られて死んでしまうどころか、全身うっすらと金色に光り始めていた。

 ソアンさんだけじゃない。ティナさんの身体も、端からどんどん金色の光に覆われていく。


 とんでもない光景に、あたしは無意識にウィルの左腕にしがみついていた。怖くて、魂が揺さぶられるようで、立っていられないほどの衝撃に襲われて。


 あたし達の目の前で、二人の姿はひとつに融け合っていく。人間のかたちさえない、満月よりも眩しい、まるい黄金の光になって。

 そうして、大きく一度震えたかと思うと――音もなく、弾け飛んだ。


「あ……っ!」


 驚きの声を上げたのは、あたしか、ラグか、それともウィルだったのか。

 細かく砕けて、無数の小さな金の粒が夜空高く舞い上がり散らばっていく。あれが何なのか、あたしとラグは知っている。


「たまご……」

「何?」

「あれ、卵だよ、ウィル。あたしが出会った時のラグもあんな形だった」


 つぶやくように説明しながら、あたしはウィルの腕にしがみついたまま、世界へ旅立っていくたまごたちを見送っていた。

 伴侶と出会い、その命と精神と経験を少しずつ取り込んで。そうして最後には、自分と相手の経験と知識を本能の情報に書き加えた新たな世代を送り出す。それこそがテセアの幸福なんだと、身をもって教えてくれたんだ。


 ――ああ、どうしよう。涙が止まらない。

 ティナさん。わたしのきょうだい。もっと、もっとあなたと話したかった。あなたはこうして一番大切なことを教えてくれたけれど。

 もっと、話したかったよ。

 普通の姉妹みたいに、お店に行ってごはん食べながらおしゃべりして、いろんなことを分かち合いたかった。


 ウィルが右手に持っていた剣をそっと地面に落とし、ぎこちなく、あたしの頭を撫でてくれた。ありがとう、でも、ごめんね。

 あたしが悲しくて泣いてると思ってるんだよね。

 ――ごめん。ごめんね、ウィル。今のあたしは……


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