13.偽者の正体は
ウィルの部屋の前にいる衛兵さんは、あたしの姿を見てちょっと困惑した顔をした。
まあね、サンドイッチ片手にすごい真剣な顔でずんずん廊下をやってくる女子ってなんだそれとあたしも思いますよ!
でも大至急だってのは伝わったらしく、あたしが着くより早く中のウィルにお伺い立てて、ドアを開けて待っててくれた。ありがとうございます!
「ごめんウィル、緊急事態!」
言いながら部屋に入り、ありゃ、と足を止める。そっか、夕食の時間だったか。
ウィルは執務机じゃなくて応接用のテーブルの方で、御膳に載った夕飯を食べてる途中だった。王族様のお食事にしては随分簡素なメニューだけど、まぁ部屋に運ばせて仕事の合間に食べるんなら、こんなものだろう。
ってそんな場合じゃなくてだね。
ウィルが箸を止めて無言であたしを見上げ、視線で向かいのソファを示したので、遠慮なく対面に座らせてもらう。そうしながら室内を見回したけど、特に変わった様子はない。あのテセアは、あたしを置いて飛び去った後、すぐにこっちへ向かったわけじゃないみたいだ。良かった。
「あのね、ウィル、当分王宮から出ないでくれるかな。完全体のテセアがいて、ウィルのこと殺そうとしてるから。姿は何にでも変えられるから、外で出くわしたら見た目じゃ分からないの。ニケがそいつを探してるから、居所を突き止めた後、捕まえるのに兵士さんを貸して欲しい、って学院の導師さんから伝言。あと、もし見付からなかった時のために、こないだ言ってた都じゅう調べるっていうのも急いで欲しい」
決死の思いで告げたのに、当人ときたら涼しい顔のままで一言「そうか」って。そうか、って!!
「そうかじゃないでしょ、大変なんだよ! 間に合わなくてもうウィルが襲われてたらどうしようってすごい焦って帰って来たのに!!」
「命を狙われるのは初めてではないし、王宮の警備は厳重だ。知らせてくれたことは感謝するが、とりあえずその手に持っているものを食べて落ち着いてから事情を話せ」
「おなか空いてイライラしてるわけじゃないよ! 食べるけど! いただきます!」
っとにもうこいつは! ええそうですよこういう奴ですよ! まかり間違ってもくすくす笑うような奴じゃございませんですよ!!
紙包みをばりっと開いてサンドイッチにかぶりつく。イングリッシュマフィンみたいなパンに、スモークチキンとチーズとなんか野菜が色々入ってた。むぐ、美味しい……! でもこれ、なんか余りもの適当に挟んだ感がすごいする。特に野菜のあれこれ。
ゴン太の手作りなのかな。以前のごった煮と言い、こういうの得意そう。悪いことしたなぁ、今度何か差し入れ持って行こう。もぐもぐ。
例によって素早い侍従さんが、あたしのために飲み物を持ってきてくれた。程良い冷たさのラッシーみたいなやつだ。なんというベストチョイス。爽やかですっとする!
ぷは、と満足の息をつくと、見計らってウィルが口を開いた。
「それで?」
「……食べたら本当に落ち着いたのが悔しい……くそぅ。えーっとね」
あたしは考えを整理しながら、さっきウィルの姿に化けたテセアに出くわし、誘導され、色々話したことを告げた。
ウィルがあたしを『遥』って呼んでくれるおかげで、あたしは人間でいられるけど、それは同時にあたしがラグと完全に融合してしまうのを防いでいるわけで、テセアにとっては不自由な枷だ、ということ。だから彼はウィルを殺そうとしている。
自分の命が狙われているっていうのに、話を聞いてもウィルは相変わらずの平静さだった。
「つまりそいつの目的は、おまえを完全なテセアにすることか」
「うん。そのテセアはラグと同時に生まれたきょうだいでね、こんな不自由で苦しくてつらい状態、見てられないんだってさ。だから、あたしが自分の意志でラグと融合してしまわないのなら、人間としての存在を弱めるためには誰にも名前を呼ばせないことしかない、って考えてるみたい」
「……ラグはどう言っているんだ」
ウィルが箸を置く音が、妙に響く。侍従さんがスッと出てきて、テーブルの上を片付けて食後のお茶だけ置いて去る。目の前でおこなわれているのに、まるで現実じゃないような気配のなさだ。
それでもあたしは、侍従さんに聞かれないように配慮しているふりをして、答える時間を稼いだ。……結局は、言うしかないんだけど。
「ラグはね、あっちの主張に何も言い返せない、って。あたしとラグがそれぞれお互いを認めて、名を呼びあって言葉で話すのを嬉しいとは思ってるけど、でも、完全に融合するべきだ、ちゃんと食事をするべきだ、って言われたら」
ため息をついて首を振る。胸の奥で金色の光が怯えたように竦むのが感じられた。ごめん、違うよ。ラグが悪いわけじゃない。だってそういう生き物なんだもん。分かってる。
「あたしは、あたしのままでいたい。日本のこと、忘れたくないし、元の世界にもこっちの世界にも、高尾遥って人間が存在しなくなるのは、……嫌だよ。それに、テセアの食べ物が人間なのはさ、そういう生き物だから仕方ないって思うけど、常備食を伴侶だとか言って、食べられる人間も幸せになるんだなんてごまかすのは絶対やだ」
「……伴侶?」
ウィルが眉を寄せて聞き返したけど、あたしはすぐに答えられなかった。日本のこととか思い出して、それ全部含めて自分が消えちゃうかもって思ったら怖くて悲しくて、泣けてきてたから。
唇に拳を押し当てて、涙が出そうになるのをぐっと堪える。と、ふわんと目の前に黄金の光が浮かび上がった。
「伴侶というのは、テセアにとって生涯の食餌となる人間のことです。自ら命を差し出してくれる人間と添うことで、テセアは飢えることがなくなり、持てる力を十全にふるえるようになる。伴侶もその恩恵を受けます。テセアに食べられることによって魂を……いわば共有することになり、人を苛む孤独から永遠に解放される」
最後の一言に、あたしはどきりとして身じろぎした。
ラグの口調はできるだけ感情を抑えて淡々としていたけれど、テセアにとってそれが本当に素晴らしい幸福なんだという証拠に、光の球が震えていた。
たぶん、一面の真実ではあるんだろう。人間であるあたし、消えたくないと望むあたしでも、孤独の一言には確実に急所を突かれたから。
ウィルも――本当に何事にも動じない冷血に思える彼でさえも、小さく息をついて目を伏せた。
「……孤独からの解放、か。耳に甘い言葉だな」
「嘘でも詐欺でもありません、本当なんです」
信じて下さい、とラグが悲しそうに訴える。一生困らない食べ物を確保しておくための詭弁だとか、そんなことではないのだ、と。
そう、そこが問題なんだよラグ。
「本当だっていうのは分かってるよ。ただそれが、テセアにとっての『本当』なんだってこと。人間にとってどうかは……ましてや、大事な友達をそういうのにするって」
うっかりそこまで言ってしまい、あたしは自分の口を叩くようにして押さえた。
向かいでウィルがしかめっ面になり、すごーく剣呑な声で「なんだと?」とか聞き返してくれちゃっていや今のナシ何でもないです議事録から削除してくださいプリーズ!
あわわわ。目を泳がせて凝視から逃れようとするも身動き取れず絶体絶命ですおまわりさーん!
やばい死ぬ。恐怖と動転で変な笑いが出そうになった寸前、ラグが身代わりになってくれた。
「伴侶になり得る人間がすぐ身近にいるのに、と言われたんです。あなたを食べて、完全融合を果たすと同時にあなたを伴侶にすれば、それこそが至上の幸福であるのに」
うわああぁぁぁやめてー!! 変なプロポーズみたいじゃないですかラグさん!! しかもよく聞いたらすごい手前勝手な食欲一辺倒の言い分!
ウィルの目が怖い痛い冷たい刺さる!!
「……まさか、あいつか」
「はい?」
いきなりウィルが、険しい顔でつぶやいた。どんな痛烈な皮肉や罵倒がくるかと身構えていたあたしは、拍子抜けしてぽかんとなる。
「そのテセアの正体は、あの食堂の女か店主のどちらかだ。片方がテセアで他方が伴侶なんだろう」
「ええっ!? ちょっ、それってティナさんとソアンさん!?」
まさか! あたしは素っ頓狂な声を上げた。
知っている二人の姿や言動が、あのウィルの偽者、あるいはツァヒールと、どうしたって結びつかない。だって二人とも普通の人で、街で真面目にお店やってて美味しいごはん作ってくれる人で、親切で……人間、なのに。その筈なのに。
「おまえが元『客人』で現在も王宮に暮らしていることは、都の住民なら知っていてもおかしくない。だが私と友人だなどとは――それも、命をくれてやってもいいと言うほどの関係だと知っているのは、王宮にいる一握りの人間だけだ。伴侶になり得るなどと判断できるとしたら、あの女しかいない。あの時の言葉はまさに『失言』だったんだ」
立て板に水の勢いで論じられて、あたしは思考が追いつかずにおたおたしていたけど、失言、の一言でハッと気が付いた。
――素敵だわ、まるで伴侶みたい。
ティナさんの声が脳裏にこだまする。それだけじゃない。
――おなか空いてるのね、可哀想に。
――遠慮してないで、ちゃんと食べなきゃだめよ?
――食べてくれるかと思ったのに……
全部。全部、あれは。そういう意味で。
だったら、初対面からあたしがティナさんに感じていた親近感も。
「そんな、まさか……ああ、でも」
無意識に否定しようと首をふる。でも、一度ピースがはまりだすと、一気に何もかもが見えてきてしまった。
あの事故の時も、暗い路地、何がどうなってるのか見えない筈なのに、ティナさんはまっすぐトヴァさんに駆け寄った。迷いなく、どこに何があるか知っているかのように。
「……――っ」
涙が出そうになって、歯を食いしばる。ルカちゃん、と呼んでくれたティナさんの声が、笑顔が、全部……『きょうだい』だったから、なんて。
ただの遥の、ただの友達。そうなれるといいね、ってラグと話してたのに。
唇を噛んでうつむき、膝の上で拳を握り締める。
悔しい。
分かってる、ティナさんは悪くない。だってテセアなんだから、きょうだいなんだから、たまたま出会って酷いざまだったら心配するのは当たり前で、あたしの幸福のために心を砕いてあれこれ手を回して、……それは、親切で、優しさ、なんだけど。
でも。
あたしの、大事な友達を。
たった一人、あたしを『遥』として認め、呼んでくれる友達を、あの人は……!
怒りと悔しさと切なさで絶叫しそうになった直前、ソファの影がゆらっと動いた。あたしはびくっと竦み、次いで張りつめた感情がほどけて大きな息をついた。拳がゆるみ、肩の力が抜ける。
「ニケ……もう、見付かったの? ティナさん、だった?」
つっかえながら訊くと、ニケは尻尾をちょっと揺らして答えた。
「学院の裏手、川の対岸の店にいる女のことなら、その通りだ。こちらの追跡に勘付いたようだ、店主の男と二人でひとまず逃げる算段をしていた。マイアが追っている」
「人を集めている時間はないな。ニケ、私と遥を彼らのもとへ連れて行ってくれ。話をつける」
言うなりウィルは立ち上がり、執務机の方へ行くと剣を取って腰に吊るした。
って、待って待って!
「危ないよ! ウィルは来ないで、あたしが何とかするから! 完全体のテセアって本当に何してくるか分からないんだよ!?」
「おまえが一人で行けば相手の言い分に屈しかねないだろう。ラグはこの問題においては完全にテセアの立場だ。人間の味方がいなくて、おまえ一人で勝てる相手か」
「っ……それは、そうかもだけど」
「第一、なぜ私が黙って引っ込んでいなければならない」
唸るようにウィルが言った。その声に、珍しくもあらわな怒りが感じられて、あたしは目を丸くする。表情の乏しい顔に、はっきりと、強い戦意があった。
「友人を消し去ろうとした相手に、一太刀浴びせる権利ぐらいはある。行くぞ」
決然と言って、ウィルは窓を大きく開ける。
行く先を照らすように、あたし達を助けるように、黄色い満月が浮かんでいた。




