3.ぶらり漫遊
「ハルカはん、ほな、行きましょか」
出発の朝、あたしは金髪の兄ちゃんにぽんと肩を叩かれた。ちょい待ち、一人で行けって言ったのはどこのどなたでしたっけ。
見送りのウィルをじろっと睨むと、馬鹿にしたような冷たい視線が返って来た。イケメン君は見下し目線もよくお似合いですことで! 頬っぺた引き伸ばしてやりたい! むにー!
「本当に単独で行かせると思ったのか? 国家予算を文字通り食い潰しかねない人外を野に放つなど、よそに知れたら大問題だ」
「野に放つとか害獣みたいに言うな! ええハイ分かりましたよ、成績優秀な王太子殿下ですからね、失敗やらかして落第するわけにはいきませんよねー」
「そういうことだ。せいぜい慎んでくれ」
ウィルはあっさり厭味を受け流して、あたしの横で苦笑している兄ちゃんに視線を移した。
「セン=ヨルシア、頼むぞ。あまり無茶を言うようなら、殴り倒しても一服盛っても構わない。そいつが常識外れの行動で恥をかくぐらいは放っておいていいが、現地の者に迷惑をかけるようなら容赦するな」
「そない心配しはらんでも、ハルカはんは結構よぉ気ィ付かはりますよ。ちゃんと無事に連れて帰りますよって、お土産楽しみに待っとって下さい」
「お饅頭とか羊羹とかジャムとか山ほど買って帰るからね」
「ハルカはん、いけず言うもんやありまへん。ほな殿下、ちょっと行って参ります」
あたしとウィルの両方に愛想よくにこにこしながら、金髪兄ちゃんことセンが頭を下げる。あたしも一応ぴょこんと会釈っぽいことをしてから、手を振って歩き出した。
センは『客人』の世話係をやってる人で、最初にあたしを見つけてくれた人でもある。元々は、この国――言うの忘れてた。アケイレスっていう名前――に併合されちゃった小さな国の出身。だから言葉が訛って聞こえる。
あたしの名前もセンが呼ぶと一応、ちゃんとハの音が発音されてるみたい。イントネーションは変なんやけどね……って、うつるうつる!
センの外見はウィルと違って、ごくごく普通。気さくでとっつきやすい雰囲気で、一緒にいても緊張しないんだよね。たまたま同じ電車に乗り合わせただけの人と、降りる時にはもう友達になってる、そんなことができちゃうタイプだ。
「なんかごめんね、変な仕事に付き合わせることになっちゃって」
「謝らんといてください、面白いやないですか。ハルカはんがあちこち行って、美味しいもん見つけて報告したら、それが元で産地が潤うかもしれへんのやし。僕もどんなもん食べられるか楽しみですわ」
「ありがとう。よし、一緒に食い倒れだ!」
「いや、倒れんのはちょっと」
素早いツッコミありがとう。関西弁っぽく聞こえるからって気性まで似なくていいんですよ?
あたしは聞こえなかったふりで、センが用意してくれた地図をぺらりと広げた。観光地で配ってる見所マップとか、あんな感じのやつだ。ちゃんと測量した精確なのもあることはあるんだけど、貴重品だからね! とりあえず街道に沿って近場を一巡りするだけの今回の旅行には、これで充分。
「最初はあたし一人だと思ってたから、ニケに乗っけてもらおうかと思ってたんだけどな。そしたら一日で充分この村まで行けるじゃない?」
街道沿いにみっつほど宿屋さんマークがあって、その先に村の名前が書いてある。徒歩ならだいたい三日かかりますよ、ってことだ。馬なら一泊二日ってところ。
そしてニケって言ったのは、あたしの……ちょっと変わった友達、かな。大きな黒豹みたいな姿の美人さん。普通は人を乗せないんだけど、あたしは友達になったから乗せてもらえるんだ。
「そら騎獣をつこたら早いですけど、危ないですやん。おカネ持ってます、て宣伝するようなもんやし」
「あ、そっか。人に見られたら良くないよね」
「それに、途中の宿にも美味しいもんがあるかもしれへんのに、通り過ぎてしもたら勿体ないんとちゃいますか」
「……! そうだね!!」
街道が整備されているところから分かるように、この国では結構、国内を移動する人が多いみたい。だから街道沿いの宿屋さんもたくさんあって、たくさんあるということは競争が起きるわけで、ということは美味しいごはんで勝負する宿屋さんも……!
ぐっ。握り拳を作って意気込みつつ、ヨダレが出そうになったのを我慢する。
「よし、行こう! 早く行こう、今すぐ行こう! 美味しいごはん!!」
「張り切るのはええですけど、あんまり疲れへんぐらいのペースにしとかんと。宿の食事は、王宮みたいにぎょうさん用意してありまへんさかい」
「うぬっ……ぐ、そ、そうだね……」
あたしとセンのやりとりに、頭の中でラグがくすくす笑った。あう、恥ずかしい。
ともあれ。
そんなこんなで、あたしはセンと連れ立って街道を歩きだした。
石畳で舗装されていて、結構幅も広い。あたしたち以外にもちらほら往来する人がいて、ほとんどが徒歩だ。馬とか馬車とか、さっき言ってた騎獣とかは、買うのも維持するのもお金がかかるから。
たまに馬でぽくぽく軽快に走ってく人もいる。……うん、馬。ちょっと駱駝っぽくも見えたりするけど、頭にちびこい角が出てたりするけど、あれは馬です。
そういや、この国に落っこちてから半年、こうして気楽にのんびり旅行するなんて、初めてだなぁ。帰らなきゃ、って必死になってたり、ウィルのせいで魔獣に襲われて死にかけたり、まぁおかげでラグと出会えて人外になっちゃったけど皆を助けることもできて結果オーライっちゃそうなんだけど、うわ思い出したらなんか無性に腹が立ってきた。
「お土産、覚悟しとれよウィル……」
ぼそりと唸ったあたしの横で、センが不思議そうに首を傾げた。
気を取り直して顔を上げ、深呼吸。草葉の香りの爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込む。
街道の両側には、基本、緑色が広がっていた。畑とか田んぼとか牧草地とか、あとぽこぽこと雑木林とか。今は芽の月、その名の通り芽生えの季節なんで、ほんと気持ちいい。
この国を含む大陸は、ゆるやかな四季がある、らしい。あたしはまだ夏は体験してないけど、話を聞く限りでは日本の四季よりも気温や降雨量の変動が小さくて、過ごしやすいみたいだ。実際、冬はそんなに厳しくなかった。
惑星じゃないのにどういう理由で季節があるのかとか、その辺はもう理解できないから諦めた。
というわけだから、あたしはただ無心に、この美しい自然を愛でる。気候と土壌と植生とか、もう一切まったく気にしない。気にしなーいー。ほら悟りの境地。
「ハルカはん、目ぇ開けて歩かんと危ないですよ」
「気にしなーい」
「……それ、そっちの世界の儀式かなんかですのん?」
「うん。禅っていう瞑想法。嫌なこと思い出したらやるといいよ」
適当に答えて、あたしはまた前を向いて歩き出した。
*
日が高くなって、ちょっと疲れたかなーと感じ始めた頃、街道脇に休憩所が見えてきた。
一瞬バス停かと思ったよ。屋根と壁があって、ベンチが置いてあるの。横には湧き水を利用した、ちょろちょろ流れっぱなしの水道まである。中には先客がいて、お弁当を広げていた。
「あたしたちも、あそこでお弁当にしようよ」
「それがええですやろね。すみませーん、お邪魔しますー」
センが愛想よく声をかけると、座っていた二人連れもにこやかに「どうぞ、どうぞ」と応じてくれた。
よっしゃぁ、ごはんだ、ごはんー!
「おっべんとぉー、おっべんとぉー」
うきうき歌いながら、背負っていた荷物を足元に下ろす。
女の子の旅行は大荷物になるものなんだろうけど、あたしのはわりとコンパクトにまとめてある。着替えが一揃えと、櫛と手拭、お財布と筆記用具ぐらい。一番場所を取っているのはもちろん、風呂敷包みのお弁当箱だ。薄い木の皮を継ぎ合わせて出来ている、時代劇に出てきそうなお弁当箱。わっぱ、っていうんだっけ?
あたしとセンが並んで座って、それぞれお弁当を取り出すと、先にいた二人連れが揃ってぎょっとなった。うん、そうだろうね! あたしの方がセンより体格ちいさいのに、お弁当箱は逆に一回り大きいのが二段組とかいう珍現象。まあまあ、気にしないでよ、ね?
膝の上で風呂敷包みを解いて、かぱっと蓋をあけると、行儀良く並んだおにぎりがコンニチハした。
「いただきまーす!」
わーい、おにぎり、おにぎり。まずは塩鮭と胡麻のやつ!
これ、あたしがおばちゃんに教えたんだよね。おにぎり自体は前からあったんだけど、一度食堂のごはんに出てきた焼き魚がどう見ても塩鮭だったから、これのほぐし身と炒り胡麻とまぜて握って、って頼んだの。
胡麻がぷちぷち香ばしくて、鮭の塩味と旨味が御飯とよく合ってね! あたし的にはおにぎりの具のベスト5に入ると思ってる。うまうま。
次点はこれかな、胡瓜と紫蘇の実のお漬物。っぽい何か。白い御飯に緑色が目にも鮮やかです。あーん、もぐもぐ。うん、いい香りだ。紫蘇ともバジルともちょっと違うんだけど、でも、あの仲間だろうなって感じの爽やかさ。時々ぷちっと実を噛み潰すと、一気に香りが強くなる。ふおぉ。
本当はワカメとちりめんじゃことか、塩昆布とかも好きなんだけど、基本的にこの国の人たちは海藻類を食べない文化らしくて、それっぽいものも手に入らないんだよね。残念。
もちろん海苔もないんだ。寂しいけど、まぁしょうがないよね。元の世界でも海藻食べるのは日本人ぐらいだって聞いたっけ。美味しいのになー。
もぐもぐ。あ、これ、高菜っぽい何かのお漬物が入ってた。うまうま。ちょっとピリッとするのがいいよね。
そうそう、おかずも食べよう。おにぎりの段を一旦横に置いて、と。
わぁい、鶏の唐揚だー! おばちゃんありがとー!
元の世界でもチキン好きだったけど、食堂の唐揚はちょっと感動したよあたし! スパイスが違うんだ、スパイスが。例の白鬚眼鏡のおじさんが知ったら悔しがりそうなぐらい、なんとも複雑で奥深い香りで、ちょっと癖はあるんだけど鼻につくほどじゃなくて。これに慣れちゃうと、よその唐揚じゃ物足りなくなっちゃう。
お弁当だからちょっとしけってるのはしょうがないけど、でも外側の薄い衣はまだサックリした食感が残ってる。中からは旨味の凝縮された汁気がじわっと……くー、美味しいー!
あれ。夢中で食べてたら、いつの間にか二人連れがいなくなってた。
顔を上げてきょとんとしたあたしの横で、センが堪え切れなくなったように笑い出した。
「あはは、ハルカはん、相変わらずほんま、よぉ食べはりますねぇ! さっきの二人、目ぇ丸うして見てはりましたけど、何とも言えん顔してそそくさ出て行かはりましたわ」
「ありゃ、悪いことしたかな。まぁでも、向こうはもうほとんど食べ終わってたもんね?」
「ちゃんと食べてから出発しはりましたよ、心配ありまへん。王都の方に行かはりましたよって、ひょっとしたらハルカはんの噂、向こうで聞かはるかも」
「まさかぁ」
あたしは苦笑しながら首を振った。
王宮で半年暮らしている間、時々は街にも出てみた。一箇所で大量に食べたりはしなかったけど、あちこちで買い食いしたりしたから、大男並に食べる女の子、って一部で噂されたこともある。
でも、あくまで一部での話だ。都は広いから、同じところに何度も行かない限り、すぐに噂も消えていく。
さすがにあたしも、大食い女として都市伝説になるのはちょっと遠慮したいからね! いくらほとんど女捨ててるようなのでもね!
〈そんなに自虐的にならなくても、遥はちゃんと女の子ですよ〉
うおっと。不意打ち!
あたしは言葉にして返事ができず、ありがと、という思いだけを向けた。
ラグの声はとっても穏やかで柔らかくて、だからまともに褒められたり優しくされたりすると焦ってしまう。ラグに性別はないし、今は部分的にとは言えあたし自身でもあるんだって分かっていても、やっぱりちょっとそわそわする。
もにょっと変な顔をしているあたしに、センが小首を傾げた。
「何か喉に詰まらはった? お茶、いりますか」
「だ、大丈夫。何でもないよ! ちょっと考えてただけ。その……」
何か適当な話題! 話題!
焦って無意味にその辺を探った指先に、ベンチに置きっぱなしの地図が触れた。
「今回の行き先ってさ、ウィルが決めたの?」
「え? あ、はい」
いきなりの質問に、センの方こそ喉を詰まらせたみたいな顔をした。おや?
一呼吸ほどそのまま固まってから、センは続けて瞬きして、地図をちらっと見やった。
「さいです。この辺やったら、今、王太子はんの治めてはる辺りですさかい、何かあってもすぐに殿下の裁量で対処できますやろ。郡境越えてしもたら、いくら王太子はんやゆうても相手方に気ィ配らなあかんし、それで対応が遅れてしもたら難儀やさかい。せやからひとまず、街道やら宿やらの様子に慣れてもろて、それで大丈夫やったらもっと遠くまで、今度はほんまにお一人ででも、自由に行ってもろたらええんちゃうか、て言わはったんです」
「ふーん。予行演習ってわけか。随分親切になったもんだよねー、ウィルも」
センさんや、あんさん元からようしゃべらはるけど……、なんで急に聞いてもいないことまでべらべら一気に話しちゃってくれますかね! 怪しいなぁ。ウィルが言ったのは全然別の事なんじゃないの?
ちくっと刺してやると、センは苦笑した。いつもと同じ、でもちょっとだけ無理して口元がこわばってる苦笑。へー、ふーん。
「王太子はんは、態度は愛想ありまへんけど、ほんまにハルカはんのこと大事にしてはんのやと思いますで?」
「それは無い。だって『友達? 何それ美味しいの』ってとこから始めた奴だよ? ようやく最近あたしとは友達らしくなってきたけど、まだまだ、大事にするとかそういうレベルじゃないねアレは」
こめかみぐりぐりは本気で痛かった。
まあいいか。何か企んでるにしても、あたしにはラグがついてるしね。せいぜい公費で美味しいもの食べさせてもらおうじゃありませんか。
あたしが話を打ち切ってお弁当に戻ると、センは明らかにほっとした様子で、自分のお弁当箱を片付け始めた。あんたもグルかい!
さすがにウィルは自分の不利になるような危ない事はしないだろうから、あまりピリピリする必要はないかもしれないけど。とりあえず、用心はしておこう。
というわけで、あたしはお弁当のオマケの果物には、手をつけずに残しておくことにした。お土産にまぎらせて非常食も買わなきゃね。
腹が減っては戦はできないんでありますよ!