9.どこかが噛み合わなくて
ぐるぐるもやもや、一晩中いろいろ考えて、でもまとまらなくて。結局そのまんま翌日、あたしはティナさんのお店までやって来た。
とりあえず、王宮から迎えの騎獣が来たから箱とかどかすの手伝ってもらったけど、緊急だと命令されていたせいで待ってくれなくて連れ戻された、っていう説明は用意したんだけど……ごまかせるかなぁ。
それよりあの人、無事だったんだろうか。もしあたしのせいでとばっちり食ったんだったら、お詫びのしようもない。
まだお昼の時間には随分早くて、お店は準備中だった。表が閉まっていたから、細い路地を入って裏口に回ってみる。お出汁やあれこれのいい匂いを乗せた湯気が、窓からほわほわ漂っていた。
湯気と一緒に話し声が漏れてきた。はぁ、とため息をついたのはティナさんだ。
「……ったら食べてくれるかと思ったのに、手をつけてもくれないなんて」
うん? 好き嫌いの激しいお客さんでもいるのかな。それともティナさんの手料理をソアンさんが食べてくれないとか? なんにしてもちょっと取り込み中みたいだなぁ。
「もう好きにさせておいたら……ともいかないか」
「本人のためにならないもの。困ったわ」
うーん、あたしも困った。いつまでも立ち聞きしてちゃいけないし、出直すのも手間だし。ちゃちゃっと用事だけ済ませて失礼しよう。
コンコン、と裏口をノックして、すみませーん、と声をかける。
途端に中でガシャンと騒々しい音がして、あわただしい足音に続いてティナさんが飛び出してきた。
「ルカちゃん! 良かったあぁ、心配してたのよー!」
「うぐっ、す、すみません」
おぅふ。体当たりで抱きつかれて息が詰まる。やっぱり心配されてたんだ、来て良かった!
むぎゅっと強く抱きしめてから、ティナさんはあたしを離して、ほーっと大きな息をついた。
「どこも怪我してないみたいね。戻ったらいなくなってるから、何があったのかと思ったわ。悪い人にさらわれたんじゃないかって本当心配したのよ。無事で良かったわ」
「黙って帰っちゃって、ごめんなさい。あの、迎えが来ちゃって」
「暗くなっちゃってたものね。その人が崩れた荷箱をどかせてくれたの?」
「あ、はい。えっと、人っていうか」
騎獣で、と用意しておいたシナリオを出そうとしたけど、ティナさんはもうどうでもいいみたいだった。
「おかげですぐに手当てできたから、ひどい怪我だけど命に別状はないみたい。ルカちゃんのおかげで助かったわー。ああいう風に積み上げてある荷物、結構あちこちにあるのよね。ルカちゃんも気をつけてね、狭い路地でごちゃごちゃした所には近付いちゃ駄目よ」
「はい。でもああいう放置荷物、取り締まりされないんですか?」
「もちろん法令では禁止されてるわよ」
ティナさんはしかめっ面になった。この路地はきちんと片付いているから、うちの店はちゃんと守ってるのに、ってことだろう。
戸口から店主さんもちょっと出てきて、あたしと目が合うと、いかめしい顔にほっとした笑みを浮かべた。
「無事で良かった。まだ店を開ける時間じゃないが、わざわざ来てくれたのか」
「心配されてるんじゃないかって気になって……ソアンさんにも、ごめんなさい」
「いや。ティナが心配しすぎだ」
もう謝らなくてていい、と言うようにソアンさんは軽く流してくれたけど、途端にティナさんが憤慨したので、結局またあたしはぺこぺこ頭を下げることになった。
「しすぎってことはないでしょ? 夜中に女の子が一人でいなくなったら最悪のことを想像するわよ!」
「あわわ、ごめんなさいすみませんもうしません気をつけます!」
「ん……まぁ私も動転したとは言え、あの場にルカちゃん一人だけ残してソアンを呼びに行くとか、ちょっと迂闊だったわ。すぐにお迎えが来たのかもしれないけど、怖かったでしょう。ごめんね」
ひとしきり怒って気が済んだらしく、ティナさんは自分の非も認めて頭を下げた。ちゃんとした人だなぁ、こういうところは見習わなきゃ。
「あたしは全然平気ですから、気にしないで下さい。それより、あの怪我してた人、今はお医者さんのところですか? お見舞いに行きたいんですけど」
あたしが用件を切り出すと、ティナさんは目をぱちくりさせ、ソアンさんも変な顔になった。知り合いでも何でもない、たまたま居合わせただけの通りすがりなのに、ってことだろう。えーっと、しまった考えてなかった。
大急ぎであたしはもっともらしく聞こえそうな話をでっち上げる。ああ、口からでまかせ大得意のセンがいてくれたら良かったのに!
「中途半端で放り出して帰っちゃって気になってますし……事故のことをウィルに言ったら、状況と怪我の程度がはっきりすれば荷物の所有者に賠償させられるだろうって話だったんで、そのことも知らせておきたいですし」
「そこまでお嬢さんにしてもらわなくても……ゆうべはあの人も相当酔っぱらっていたからなぁ。無事に帰れるかどうか不安だったんだが、案の定と言うか、本人の過失もあるだろうし、そもそもちゃんと状況を覚えているかどうか。それでは賠償だのなんだのという話に持ち込むのは、ちょっと無理じゃないかな。その気があるなら裁きに持ち込めるかも、ということは、こちらから伝えておくよ」
ぬぐぐ、駄目か。あんまり食い下がっても不審だよなぁ。
「常連のお客さんなんですか?」
「ええ、毎日のように来てくれるわ。しばらくは寂しくなっちゃうわねぇ。あ、ルカちゃん、今日はお昼どうするの? 開店までまだ大分あるけど」
ティナさんが答え、ぽんと手を打ってあたしに質問してきた。ここらが潮時だ、引き上げよう。あたしはぺこりと頭を下げた。
「準備中にお邪魔しちゃってごめんなさい。今日は、ちゃんと無事ですよって知らせに来ただけなんです。帰って勉強しないと」
「あら、勉強で大変なのにわざわざ来てくれたのね。ありがとう、今度はゆっくり食事に来てね! またルカちゃんの好きそうなデザートを用意して待ってるから」
「わ、期待してます」
あたしは笑って、それじゃ、となるべくさりげなくその場を離れた。路地を出て、ちらっと振り返って見送られていたから手を振って。そのまま、路地から見えているだろう橋を渡り、王宮に帰るふりをする。
角を曲がったところで、あたしは建物の壁に寄りかかってしゃがみ、日陰で一休みするように装った。足元にわだかまる暗がりに、そっと小声で呼びかける。
「ニケ。聞こえる?」
一呼吸、二呼吸。ざわり、と影が波立った。声は聞こえないけど、それで充分。
「さっきのお店から、川の上流の方に進んでひとつめの路地に、血の跡が残ってると思うの。その人が今どこにいるか、捜してもらえないかな」
「良かろう」
凛々しい女声がささやき、影がすっと静まる。あたしはほっと息をついた。
うう、ちょっと不機嫌そうだったなぁ。ニケは魔獣だけど、誰に飼い馴らされているわけでもない。自由な存在だから、あんまり便利な助っ人扱いしたくなかったんだけど……仕方ない。
今度何かで埋め合わせしなきゃ。でも何を喜ぶんだろう。
〈少し考え違いをしていますよ、遥〉
〈え、どういうこと?〉
いきなりラグにダメ出しされて、あたしは思わずうろたえる。ラグが苦笑の気配をくれた。
〈自由で対等な関係だからこそ、助けが必要な時には遠慮なく求めて欲しいものではありませんか。もしもウィル殿下があなたと私の力を必要としていて、でも都合よく利用することになるから頼めない、と考えて独力で解決しようと抱え込んでしまったら、不満でしょう?〉
〈……あ。そっか、そうだね。本当そうだ〉
間違いなくそんな状況になったら、あたしはウィルを怒鳴りつけてるな。友達なんだから力を貸すに決まってんでしょ、とか言って。
なんだか気恥ずかしくなって、あたしは一人でちょっと頭を掻いた。
おかげで、じきに影がまた波立った時には、自然に素直にお礼を言うことができて、ニケも機嫌を直してくれたようだった。
怪我したお客さんの家はわりと近くだったけど、ティナさん達に見られると気まずいから、ぐるっと大回りして行くはめになった。歩いてるうちにどんどん陽射しがきつくなって、暑いったらありゃしませんよ! かき氷食べたいなぁ!
川から少し離れて、お店よりも家が集まってる辺り、何軒もあるよく似た長屋の一部屋が怪我人さんの住まいだった。
ゆうべ大怪我したっていうのはご近所さんにも知れ渡っているみたいで、今も大勢の人が出入りして、お見舞いやお世話をしていた。
おばちゃん達が声高に、食事がどうとかおまるがどうとか言ってるところからして、怪我人さんは独り暮らしだな。
動けない時に助けてくれるのはいいけど、ちょっと手加減してあげようよ、おばちゃん……いろいろ赤裸々すぎてお婿にいけなくなっちゃう。
よけいな心配をしつつ、あたしもご近所さんに紛れ込み、開け放しの戸口から中の様子を窺った。
ちょうどお医者さんが、怪我の具合を診ているところだ。野次馬の皆さんも興味津々、でもちょっと怖いわぁ、って感じで、汚れた包帯が外されたりする度に、うへぇうわぁと口々に言いながら見守っている。
そんな中の一人があたしに気付いて、あれっという顔をした。
「あんた誰だい。トヴァの知り合い?」
「あっ、いえ、昨日たまたま居合わせたんです。どうなったか心配でお見舞いに来たんですけど、……一応、お元気そうかな?」
返事の途中で怪我人ことトヴァさんが、「いてぇいてぇやめろギャー! 殺される!」だとか盛大な悲鳴を上げたので、あたしはなんとも微妙な顔になる。質問してきた人も苦笑した。
お医者さんも負けずに、やかましい死にゃせんわ、とか怒鳴り返しながら容赦なく手当をする。荒っぽいなぁ!
そうこうして治療が終わると、お医者さんは、まったく大袈裟な、と憤慨しながら帰っていった。
お布団に横たわったままのトヴァさんが、ぴくりとも動かないんですけど……。あ、でもちゃんと白玉が光ってる。良かった、昨日よりずっと元気そうだ。改めて見ると美味しそうな人だなぁ。
「トヴァ! 可愛いお嬢さんがお見舞いにきてくれたよ、元気出しな!」
あたしの横からさっきの人が大声をかける。それで他の人まで振り向いて、なんだなんだと冷やかすような顔をした。うわーやめてー。
トヴァさんは驚いたようにこっちを振り向いたけど、あたしの姿を確認すると露骨にがっかりした。……怪我したところを踏んでやってもいいですかね先生!
「期待外れですみませんね。昨夜あの場に居合わせた者なんですけど、ちょっとだけお邪魔しても大丈夫ですか?」
「ああ、こりゃすまんね、わざわざどうも」
ばつが悪そうに謝って、トヴァさんは首だけちょっと上げて会釈する。うんまぁ、普通に義理堅い人みたいだ。
あたしは靴を脱がず上がり框に腰を下ろした。六畳ぐらいの板間に押入がついてるだけの、本当に最小限の住まいだ。
「災難でしたね。何があったか覚えてますか?」
「いやー面目ない。ティナさんが励ましてくれたのは覚えてるんだが……あんたも助けてくれたんだよな?」
恥ずかしそうに言って、トヴァさんはあたしの顔色を窺う。ふーん。
「なるほど。ティナさんがお見舞いに来てくれたかと思ったんですね。ぬか喜びさせてすみませんね~」
「ま、待ってくれ、俺は何も言ってないぞ!?」
「おっとりした美人さんですもんねー。だけどソアンさん一筋みたいですよ?」
「知ってるよ! じゃなくて、ああもう……いてて……うぅ」
〈あたしのことは何も覚えてないみたいで一安心だけど、微妙にむっとしちゃうね!〉
〈不満でしたら、今からでも顔立ちをいじりますか?〉
〈そういう話じゃないんだけど〉
って言うまでもなくラグは承知の上だよね。ため息出ちゃう。
融合したばかりの頃に、ラグの力で身体能力を上げたり視力矯正までできると知って驚いたけど、その時に美容整形もできますよ、どうしますか、って真面目に訊かれたんだよねー。
あたしはもう自分の顔に馴染みきってるし、目元をこうしたいとか具体的な望みがなかったから、断ったんだけど。だってそうやっていじったら、絶対その内やっぱり気に入らなくなって、四六時中顔をいじくることになるって気がするんだもん。
でもこうやって自分が平凡だって思い知らされると、やっぱりもうちょっと何とかしとけばもっとまわりの態度も違ったのかなぁ、なんて考えてしまう。浅ましいなー、駄目だなー。
って、そんなこと考えてる場合じゃなくて。
「何がどうしてあんな事故になっちゃったんですか。荷車にぶつかったら崩れたとか?」
「いやー……本当にあんまり覚えてないんだよ。いつもと同じように晩飯を食ってたのは確かなんだ。そんなに飲みすぎたわけでもないと思うんだが、昨日は酔いの回りが早かったなぁ。それで、ちょっと気持ち悪くなって……ソアンが連れ出してくれたんだが」
「……?」
あたしは首を傾げた。ソアンさんが連れ出した? でも、ちゃんと帰れるか心配してた、ってさっき言ってたのに。あ、戸口から外へ連れ出してその場で見送ったのかな。営業中だもんね、お店を離れられないよね。
なんとなくどこかが噛み合わないようで、すっきりしない。でも何がどうおかしいのか分からない。うーん。
「あとは気が付いたら荷物の下敷きになってて、ティナさんに見付けてもらって、いつの間にか助けられていた、って感じですか」
「……面目ない」
トヴァさんはまた縮こまる。いや別に責めてはいないんですけどね!
「あー、覚えてないんだったら仕方ないです。もし、ちょっとぶつかっただけで崩れてきたとか、荷物の積み方が原因だとはっきりしていたら、持ち主に治療費払わせられるかも……って言われたから、訊きに来たんですけど」
「いやもう命が助かったんだからいいよ。飲み過ぎたのが悪かったんだし、近所同士でお裁きだなんだってなったら住みづらくていけねえや」
「そうですか。トヴァさんがいいのなら、これ以上は訊きません。体がつらい時にお邪魔して、すみませんでした」
もういいよ、ってうやむやに片付けるにはかなりの大怪我だと思うんだけど……でも本人がいいって言ってるのに、しつこくしちゃ悪いよね。釈然としないけど、仕方ない。
お大事に、といたわって、あたしは長屋を後にした。




