3.肩揉みマイスター
王宮の門をくぐりだだっ広い敷地をひたすら歩いて、ようやく建物に辿り着いてからさらに歩く。もう慣れたけど遠いよこれ本当に。
奥まった安全な場所にある王太子殿下のお部屋は、いつも衛兵さんが何人か交替で警護してるんだけど、今日の人は顔見知りだった。廊下の端に現れたあたしを見て、気の毒そうに両手で大きく×印を作る。
ありゃ、取り込み中か。
と思った直後にドアが開いたもんで、衛兵さん大慌て。ぶっは! いや笑っちゃ悪いんだけどごめんありがとうすみません!
あたしが壁際に寄って笑いを堪えてる間に、立派な身なりの人が三人ぐらいウィルの部屋から出てきて、廊下を反対方向に去って行った。良かった、すれ違ったら絶対変な目で見られてた。
しばらく待ってから、あたしはニヤニヤしたまま部屋に近付いた。衛兵さんは照れ隠しの渋面に苦笑いの気配をまじえた変な顔で、うむ、とかうなずく。お仕事お疲れ様です。……ぷぷ。
表情を取り繕って、おもむろにドアをノック。
「ウィル、あたしだけど今ちょっといいかな?」
「込み入った話でなければ」
ひんやり低温で抑揚の乏しい返事。平常運転ですね!
お邪魔しまーす、と形式的に声をかけながら中に入ると、侍従さんがてきぱき動いていた。お客さんに出したお茶を片付け、ソファを整えて、どうぞ、とあたしに会釈して奥のドアから出て行く。すごい早業。
ウィルは自分のソファに座ったまま、あれこれ書類を見比べて整理していた。
「ごめん、なんか忙しそうだね」
「たいしたことはない、通常の仕事の範囲だ。少し待て」
目も上げずにそれだけ言い、時々書類に何か書きこんでからまとめて書類挟みに片付けていく。なんでこんな大層な人が、あたしみたいな降ってわいた役立たずに仕事を回してやろうとか、時間を割いて相手してくれるんですかねぇ。
あたしが『客人』だからっていう理由はわかってるけど、つくづく巡り合わせって妙なものだ。
ウィルは書類を片付けてしまうと、軽くこめかみを揉んで息を吐いてから、改めてあたしの顔を見た。あー、お疲れみたいだなぁ。
あたしは立ち上がってウィルの後ろに回ると、肩に手をかけた。
「おい、何をする気だ」
「肩凝ってるでしょ。たいした話じゃないから、肩揉みながらするよ。はいはい、前向いてて」
自慢じゃないが、家ではお母さんの肩揉み係として結構な高評価をちょうだいしていたのだよ! ……って、固ッ!?
「めちゃくちゃ凝ってる……っていうか筋肉の違いか」
若い男性の肩だもんなぁ、そりゃ違うよね。これは無理に揉みほぐそうとすると危ないな。親指でじんわり指圧してやると、ウィルが珍しく無防備な吐息をこぼした。ふっふっふっ、どうだ気持ち良かろう!
「今日は学院でゴン太に出くわしちゃったけど、なんとかやってるみたい。導師さんがちゃんと面倒見てくれてたよ」
「そうか」
「で、導師さんにテセアの食べ物のこと、秘密厳守でって約束した上で話しておいたから。危なそうな時は導師さんが名前を呼んでくれたら、『遥』じゃなくてルカでもそここそ効き目あるし、よろしくお願いしといた」
「……ああ、そうだな。あちらとも情報を共有しておくべきだった」
受け答えにいつもの切れがございませんよー、冷血王太子サマ。くっくっくっ。悪役っぽい笑いが込み上げてくる。
「読み書きの方はまぁまぁかな。読む方は翻訳呪文の助けがあるから、わりとどんどん進むんだけど……肝心の書く方が難しくって。いつになったらちゃんと報告書作れるようになるかなぁ」
「当分その必要はないから、焦らず勉強していろ」
「うんまぁ、仕方ないんだけどさ。食べ歩きの野望が潰えたのが寂しいなーって」
「……いずれ領内の視察には行かねばならん。その折におまえも同行すればいい」
「あ、そっか。ウィルが長期間ここを離れる場合もあるんだよね」
大体いつもウィルは王宮にいるけど、試験的に統治運営を任されている領地があるから、必ず様子を見に行かなきゃならない。遠くの偉い人と会談とかだったら、騎獣であっという間に往復するとか、魔法の道具でテレビ会議的なこともできるらしいけど、領地見回りはそうはいかないもんね。
「ウィルのいない王宮にあたしだけ残しとくより、連れてく方が安全かな」
「帰ってきたら王宮の食糧庫が空になっていた、などという事態は避けたいからな」
「ちょ!? 今のは冗談なんですけど! 自虐ネタの冗談なんですけどぉ!?」
思わず背中をべしべし叩く。いつもならこんな事したら即、迷惑そうに振り払われるのに、今日のウィルは大人しい。銀髪の頭が、叩かれるがままにゆらゆら揺れる。ありゃ。
こそっと横から覗き込むと、ウィルはうつむいたまま目を瞑っていた。
〈お疲れのようですね。こんな無防備な姿は珍しいです〉
〈だねー。ふふふ、あたしの肩揉みテクは健在であった! しっかし、こうして見ると本当にきれいな顔してるよねぇ、本当に人類かと疑うわ〉
耳がとんがってても違和感ないよ、映画の中でしか見られないような美形なんだもん。この国の人はいろんな血が混じってるからか容貌もすごく多様だけど、見惚れるほどの美形ってのはさすがにそう多くない。ウィルとローラナさんぐらいかな。世界は違えど、天は二物も三物も偏って与えるのは同じ……ちぇー。
ひがみながらも、起こさないようにそっと背中や肩を圧したりさすったりする。あたしでもちょっとは役に立てるんだなぁ。本当に些細なことだけど……良かった。
あたしは、ただのウィルの、ただの友達。
そう思ってるし、だからあんまり恩とか義理とか立場とか考えないようにしてるけど。でも、友達だからこそ、少しは相手の喜ぶことをしたいのだ。
あたしって健気―!
〈遥、自分に照れ隠ししなくてもいいんですよ?〉
〈そこはスルーしてよ!〉
心の中で裏手ツッコミしたのがばれたのか、ウィルが小さく息を吐いて顔を上げた。
「……ああ、すまない。半分眠りかかっていた」
「いいよ、気持ちよーく寝落ちてくれたら肩揉みマイスターの面目躍如だし。どこまで話聞いてた?」
「おまえが笑えない冗談を飛ばしたところまでは覚えているが」
永眠させてやろうかこんにゃろう。
一瞬殺意を抱いたあたしは悪くない。ノットギルティ。苦笑いで、軽く肩をぱしんと叩いておしまいにする。
「そこまでしか話してないよ。はい、終了」
「はあ……一気に肩から頭まで楽になったな。羽でも生えたようだ」
「凝ってる自覚なかったんだねぇ。時々肩とか首とか回してストレッチするといいよー」
「そうだな、気を付けよう。……ありがとう」
ぐ は ッ。
思わず奇声が出そうになって、あたしは口を押さえて回れ右した。
ええい、イケメンがそういう不意打ちをするんじゃない! 本当に神様は不公平だな!
あたしの反応のせいでウィル本人も慣れないお礼を言った照れが出たらしい。わざとらしく咳払いして、白々しく話題を変えてきた。
「空腹感の方はどうだ。日常生活に支障はないか」
「今のところはなんとかなってるよ。でもだんだん白玉が見えることが増えてきて、ちょっと誘惑されるのがしんどいなぁ。おなか減ってなくても目についちゃうの。誰にでも見えるわけじゃないんだけど」
やれやれ助かった。あたしは気分を切り替えて、ウィルの正面に回って来客用のソファに座ると、じっと目を据えた。うん。今も見えてる。
白くて暖かくて美味しそうな光の球。ふわっとしてそうなんだけど、頼りない柔らかさじゃなくて、しなやかな口当たりなんだろうなって分かる。きっと甘くて、でも甘すぎなくて、喉に心地よくて……はっ、いかんいかん! ヨダレ出る!
慌てて口をぎゅっと引き結び、ぶんぶん頭を振った。食べちゃ駄目、食べちゃ駄目! 今はおなか空いてないんだから! 真面目な話の途中でしょ、しっかりしろあたし!
「ラグが言うには『食べやすい』人ほどよく見えるんだって。でも、どういう状態の人が『食べやすい』のかは分からないって。前に、健康な人ほど美味しそうなのかなぁとは話してたんだけど、どうもそれだけじゃないみたい。健康のバロメーターだったら良かったんだけど」
「良かった?」
ウィルが訝しげな顔をする。あたしはやたら美味しそうな白い光をまた一瞥して、補足した。
「ほら、見るだけで健康かどうかとか、もっと詳しくどこが具合悪いとか、わかったらすごく便利じゃない。人食いってだけで怖がられなくて済むかもと思ったの」
ちょびっと端っこかじらせてもらうけど、かわりに悪いとこ見つけてあげますよ、とか。食べるのは命や健康に支障のないところですよ、とか。
それってほら、血液検査するようなものじゃない? 注射でちょっと血を採られるけど、じきに自然回復する量だし、それで身体の具合がわかる。
そんな風に考えてもらえたら、テセアって存在も受け入れやすくなるんじゃないかな……なんて楽天的なことを考えたのだ。
昔からあたし、吸血鬼もののお話とか見る度に、いやそんな怖いだの退治だのって殺伐としないで、皆でちょっとずつ献血したり、何か住み分ける方法考えようよ、って思ってたんだよね。
化け物だから敵、ってのじゃなくて。
一緒に生きようよ。
……もしかしたら、あたしのこういう感覚が、ラグを引き寄せたのかもしれない。
もちろん、そんな余裕な発言できるのは本当に危ない目に遭ったことがないからで、現実には異種どころか人間同士でさえ共存共栄はすごく難しいってことは理解してるけど。
それでも、やっぱり。半分「人類の敵」側になってしまった身としては諦めきれなくて。
とか感傷的になってたら、氷の王子様が現実的なお言葉を賜りました。
「何を考えたかはおよそ分かったが、理由を探ろうとして意図的に見ようとするな。止められる人間がそばにいない時に、食欲に引きずられたら、テセアに対する理解がどうのという話など消し飛ぶぞ」
「……了解」
「試したければ学院で導師立ち会いのもとおこなうか、私が近くにいる時に限っておけ」
ごもっともですハイ。
あたしはうなだれるのと同時にうなずいて、やれやれと腰を上げた。
「分かった、ありがと。んじゃ今日はこれで……っと、そうだ! ウィル、たまには外でお昼ご飯しない?」
「は?」
「学院の近くに美味しいごはんのお店があってね、このところよく行くんだけど。そこのお姉さんが親切でね! あたしがもりもり食べるからってお茶菓子おまけしてくれて、今度お友達も連れてらっしゃい、って言われたの」
「…………」
頭痛が痛いですか、そうですか。そんなに眉間に皺寄せてこめかみ揉まなくてもいいでしょー、失敬な。せっかくほぐしたのにまた肩凝るよ!
「そりゃ王太子殿下がほいっとそこらでランチしてくるーってわけにいかないだろうけどさ、たまには気分転換してみたらどうかな。学院の裏の川を渡ってちょっと左に行ったとこにあるの。赤紫の日除けが目印。次はしあさってに学院に行く予定だから、良かったらウィルもお昼食べにおいでよ」
言うだけ言って、じゃあねー、と部屋を出る。本当に来るとは思わないけど、誘うだけは誘ってみないとね。
さて、宿題にとりかかる前に食堂に行って、軽くおやつ食べて腹ごしらえしよう!




