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1.学院にて


 ちりーん……


 風鈴の音がいい風情です。つまり暑いです皆さんこんにちは。

 異世界におっこちて初めての夏、日本の夏よりはたぶん相当しのぎやすいはずだとは思うけどやっぱり暑いものは暑いぃー!

 通りに面したお店の軒先、日除けの下に設えられたベンチに座っているんでありますが、そろそろ溶けて蒸発しそうですよ!


「はい、お待たせしました」

「待ってましたー!!!」


 わーい! お店の人が運んできてくれたのは、ふんわり冷たいかき氷。雪みたいにうすーく削った氷が真っ白ふんわり、添えられた甘い蜜をかけて、いっただきまーす!


 しゃくっ。

 ……ひんやりさらっと口の中で氷が溶けて、生き返るぅぅー! 真夏に氷が食べられる魔法文明万歳!

 はー、美味しいなぁ。しゃくしゃく。


 半分ほど一心に食べて、口の中が冷たくなったので一息。日差しの照りつける通りを眺め、あたしはちょっとぼんやりした。

 都の中を走る小川、というか水路の縁には柳が植えられていて、わずかな風にもゆらゆらそよいで涼しそうな雰囲気をつくる。そこだけ見ると日本の古い城下町とかアジア風なんだけど、行き交う人は金銀赤茶黒と色とりどりの髪で体格もまちまち、人種のるつぼだ。柳の間にはヨーロッパ風の街灯がぽつぽつと立っていたりもするし、建物の外観も和洋折衷。

 荷車を牽く馬っぽい生き物は頭にこぶみたいな角があるし、塀の上を優雅に歩く猫をよく見たら尻尾が二股だったりするし。

 ほんとに、異世界なんだなぁ。


 今さらしみじみしながら、あたしは自分がさっき出てきた、川の向こうの立派な建物を眺めた。国立総合大学院、略して学院。文化や技術の研究から、魔獣の飼育研究までやってるところだ。

 このところあたしは、そこでお世話になっている。

 もちろん、実験観察の対象としてではなくて――


     ※


 おっべんきょうー、お勉強ー。

 いえ別に嬉しいわけでも楽しいわけでもないんですけどね。どうせやらなきゃならないのなら、鼻歌まじりにやっつけたいじゃないですか。

 それにまともな勉強なんて半年ぶりだし、そもそも受験勉強よりもはるかに基本的かつ生活に密着した切実なことだから、前向きにもなるってもんですよ。


 というわけであたしはせっせと王都の学院まで、読み書きを学ぶために通っている。単に手習いってことなら学院にまで来なくてもいいんだけど、あたしの場合は教師が日本語を記録研究したいとか、ついでに導師さんに近況報告とか、色々都合がありまして。


 目標は自力でアケイレス語の文書作成!

 旅行本の企画は結局外部委託になって、あたしが報告書を作る差し迫った必要はなくなったんだけど。というのも、あたしが自力で食欲をコントロールできるようにならない限り、危なすぎて遠出はさせられない、って判断されたから。……ぐうの音も出ませんよエエ。

 どっちにしろ、これからもウィルから直接色々お仕事を貰うんなら、ソレ無理できません、とか言いたくないし。あの冷たーい目で「ああ、おまえには無理だったな」とか言われたくないし! あと王宮の図書室にすんごく面白そうな小説もあるらしいから原文で読みたいし!

 握り拳を作って気合を入れると、あたしは受付でゲスト名札を貰って……って、


「ルカ! ルカじゃないか、俺に会いに来たのか!!」

「うわぁ出たぁ!! ちょ、ゴン太っ、落ちつ……ぶぎゅっ」


 潰れる潰れる! 大の男に全力で抱きつかれて、あたしは窒息しそうになった。体格差を考えろぉ! ついでにケモノ臭いわ、何と戯れてきたんだあんたは!


「元気だったか、具合はどうだ、腹は減ってないか」

「今まさに絞め殺されかかってるよ! はーなーせー!」


 べしべしべし! 手当たり次第に腕やら肩やら背中やら、叩きまくってやる。ゴン太はまるで堪えた様子がない。頑丈だなオイィ!

 ラグの力を借りて無理やり突き放すと、ようやくゴン太は少し落ち着いて腕を下ろした。なんですか、その期待に満ちた目は! 待っても何も出ないよ! 鳩も花も触手も出ないからね!

 あたしが睨んで低く唸ると、ゴン太は見る見るしゅんと萎れた。やれやれ。

 相変わらず髪はくしゃくしゃのぼさぼさだけど、服は一応、ちゃんとした格好をしている。前は汚れてよれよれの、いかにも部屋着か作業着かって感じだったけど。


「勉強、どう?」

「つまらん!」


 あたしが一応訊いてみると、ゴン太は偉そうに鼻を鳴らして答えた。あんたは何様だ。


「そんなことはとっくに知っている、というようなことを、いちいち小難しく回りくどく言葉にする。こんな面倒臭いことをするぐらいなら、おまえに一日中ひっついている方がずっといい」

「やめんか粘着! っていうか、その面倒なことをちゃんとするからこその勉強でしょ。ゴン太だけが感覚で分かってたって、他人に説明できなきゃ色々困るじゃん」

「……なるほど。そういうことか」


 なんであたしがこんな事を言わなきゃならんのだ。素直に感心してる場合じゃないでしょ、小娘に説教されるなんて情けない。

 呆れたあたしにお構いなく、ゴン太は独り合点して深くうなずくと、目を輝かせてずいっと迫ってきた。


「俺がいかにテセアについて知りたがっているか、何をどう知りたいのか、説明してくれと言うんだな!」

「違うッ! なんでそうなるの!!」


 あたしは叫びつつ裏手ツッコミを入れた。ううっ、ハリセン欲しい。特大サイズのやつ。

 げんなりしつつ睨みつけた視線の先で、白いものがちらっと光った。……あれ?

 思わずあたしはまじまじとそれを見つめた。おかしいな、今は特におなか空いてるわけじゃないんだけど。意識して見ようとしたわけでもないのに、あの白い光がはっきり見えている。それどころか、毛糸玉から親切にひょこっと飛び出ている糸口みたいに、端っこがひらひらしてるじゃないですか。何ソレ。アタシを食べてー、ってアピール?


「……ゴン太、何かあたしに押し付けようとしてる?」

「うん? 何か欲しいのか、何でも言ってみろ、腹が減ってるなら食っていいぞ。むしろ食うところを見せてくれ!」

「いやいやいや要らない、要らないから! いちいち迫らないでよ!」


 ああもう! ぐいぐい押し返しながらも、つい気になって、ひらひらしてる端っこに視線をやってしまう。ゴン太も気がついて一歩離れ、不思議そうに自分の体を見下ろした。


「何か見えるのか?」

「え。いや、何でもアリマセンヨー」


 棒読みで否定して、あたしは目を逸らす。ここで下手なこと言ったらどうなることか。それにしても、気になるなぁ……食べたいわけじゃないんだけど、ほら、服の裾から糸くずが出てたら引っ張って取りたくなるじゃない。あれですよ。むずむず。あぁでもここであれをつまんで取ったら負けのような気がする!


「見つけたぞ、ゴンタ。休憩時間はとっくに終わっているのに、いつまで油を売っているんだ」


 重々しい声がしてゴン太が思いっきり渋い顔になり、あたしは逆に喜びのあまり飛び跳ねそうになった。導師さんだー! 助かった!


「つまらん講義を受けるより、生のテセアと共に過ごす方が百倍有意義だろうが! もうちょっとで何か面白いものが見られそうだったのに」

「知性あるものには節度と礼儀を保って接しろと、何回言えば分かる。そら、戻るぞ」


 導師さんがやれやれとため息をつき、手振りでうながす。もちろん素直に従うゴン太じゃないんだけど、導師さんの手振りはお供の騎獣に向けたものだった。

 人の背丈よりもでっかい、翼のある虎みたいな動物が、なんだか嬉しそうに進み出る。


「やめろ、おい、来るな、待て!」

「そいつを連れて行け、マイア」


 導師さんが命令すると、はーい、って可愛い声が聞こえそうな顔と仕草で、虎さんはひょいっとひと跳び。逃げようとしたゴン太を軽く押さえつけると、


 かぷっっ。


 大きな口でゴン太を頭からくわえて、たしたし軽い足音を立てながら廊下を戻っていった。楽しそうだね、マイアちゃん……。でもそれ玩具じゃないから、振り回して壊したりしないであげてね。

 あたしは微妙な気分で拉致されたゴン太を見送りつつ、導師さんに問いかけた。


「ゴン太、どうですか? なんか問題児を押し付けちゃったみたいですみません」

「問題の無い導士なぞおらんよ、あれはまだ可愛いものだ。ルカ殿が名前をつけてやったおかげで、人の心を失う前に戻って来られた。ところでルカ殿、ゴンタから聞いたのだが、テセアの食事が分かったとか」

「あー……ハイ。ええと、ちょっと難しい問題があるので、後で話しますけど、内緒にしておいてもらえますか。ゴン太が吹聴しちゃってるんだったら今更ですけど」


 げっそりした顔で言ったあたしに、導師さんは苦笑をこぼした。なんだかんだでこの人も“導”の人だから、平静な態度を装いつつも好奇心でうずうずしてるのが、全身から漂っている。まあ、もう、しょうがない。


「今から読み書きの勉強しに行くんで、終わったらそちらの部屋に伺います」

「そうか、楽しみだ。茶菓子をたっぷり用意しておこう」

「ありがとうございます!」


 反射的に弾んだ声でお礼を言ってしまった。あぅ……は、恥ずかしい。導師さんがくすくす笑って、あたしの頭を軽く撫でてから歩いていく。今のは無意識ですね。どうぶつ大好きっ子め。

 おっといけない、遅刻、遅刻。あたしはテキストを抱え、ゴン太のせいで明後日に行っちゃった名札の位置を直す。


「あぇ?」


 変な声がこぼれた。あれ、なんで。

 指先に絡みつく、小さな白い糸くず。これって……あ、やば。

 と思った時には遅かった。風もないのにふわりと指から離れた白い糸が、スルッ、と唇の間に滑り込む。

 ――うわぁ。やっぱり美味しい。

 じぃんと頭の芯まで痺れるような幸福感が広がる。雨に濡れた森の気配がほんの数秒だけ意識に広がって、消えた。くぅ、たまらん最高。


〈あー、食べちゃったよぉ……ごちそうさま〉

〈すみません、私のせいだと思います。遥の意識が導師さんに向いている間に、あの……端がどうしても、気になってしまって〉

〈うん、あたしもすごい気になってた。だからラグだけのせいじゃないよ。っていうか、いつの間に取ったんだろう? 全然気が付かなかったんだけど〉


 手を伸ばしたり、指でつまんで引っ張ったり、そんなことをした記憶がない。じっと手を見る……。


〈私もです。もしかしたら、勝手に取れたのではないかと思うんですが〉

〈ふぇ!?〉

〈今、関連付けで引き出せた記憶があるんですが……なるべく捕食対象は数を絞って、新しい相手を狙うのは避けた方がいい、一度食べた人間の方が簡単だ、と。恐らく、取れやすくなっているのだと思います〉

〈そ、そうなんだ……悪いことしちゃったなぁ〉

〈ゴン太さんはあんなに期待しているのに、黙って頂いてしまって罪悪感がありますね〉

〈そっちですか〉


 食べたこと自体は罪悪感ないんだ……。まぁそうだよね、うん、テセアにとっては当たり前の食事なんだもんね。言われてみれば確かに、ゴン太自身はむしろ食べろ食べてくれ、って望んでいるんだから、黙って頂戴したってことの方が良くないんだ。


〈っていっても、頂きました、とか言おうもんなら〉

〈考えるだに恐ろしいです。申し訳ありませんが、もう少し彼が落ち着くまで黙っていましょう〉

〈そうだね。ちゃんと“師”の称号もらってから、とか言ってたらいつになるか分からないから、様子を見て〉

〈はい〉


 内緒の相談を済ませると、あたしはふっと小さく息を吐いた。

 あぁ、やっぱり全然感覚が違う。本当に糸くずぐらいのものだったのに、何もかもが快調だ。頭すっきり、元気いっぱい。

 これで勉強も、ぐっとはかどるかも知れない!


 ――という見込みが甘かったのは、その後であたしが導師さんに用意してもらったお茶菓子をもりもり食べ尽くした辺りからして、お察し下さい……。


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