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余話・迷惑な予言


 うら若き乙女のものとは思われない叫び声と、王宮には到底ふさわしからぬ騒々しい足音が、廊下を遠ざかっていく。

 入れ違いにやってきたのは、『客人』係の青年だった。入室の許可を得てドアを開けながらも、その目は廊下の向こうを不審げに見ている。

 王太子の部屋に入るにしては無礼な態度なのだが、ウィルも咎めはしなかった。


「今の、ハルカはんでっしゃろ? えらい声でしたけど」

「いつもの事だ。気にするな」

「はァ」


 釈然としない顔でセンは首を傾げたが、それ以上は訊かず、持参した書類を差し出した。脱税の告発についての調査報告書と、今回の『客人』アリッサに関する報告書だ。

 さすがに様式も内容もまともなものである。ウィルはその場で目を通しながら、立ったままのセンを見もせずに話しかけた。


「遥の仕事を手伝ったそうだな」

「はい。様式とか文言とかいった範囲だけで、内容には手を加えとりまへんけど」

「見れば分かる」


 素っ気ない言葉にセンは苦笑する。遥が聞いたら泣くかいじけるだろう。

 ウィルの方は嫌味のつもりはないらしく、いつもと同じ無表情で続けた。


「手数をかけるが、今後も指導してやってくれ」

「もちろんです。旅行本の企画をでっち上げた責任もありますし、そうでなくとも、お世話係ですよって」

「生贄、か?」


 短くさりげない問いかけは、しかし凍りつくほど冷たい。センは体を硬直させ、いつもの愛想笑いを消した。


 ――かつて一度、センはウィルを裏切り、暗殺者に手を貸した。

 母国が併合された時の遺恨が胸にくすぶっていたのを、ウィルの敵が嗅ぎつけ、煽って利用したのだ。センが仕えていた王女はウィルへの“生贄”にされたのだ、と吹き込んで。

 そんなセンを、遥が救った。彼女の証言があったおかげで、彼はウィルに許され、今も変わらず世話係の仕事についていられるのだ。


 迂闊な一言で過去を掘り返してしまい、センは返事も出来ずに立ち尽くす。

 ウィルが報告書を置いて顔を上げ、一切の感情を消した視線を向けた。痛いほどの重みをもった凝視に刺され、センはごまかすように身じろぎし、無理に苦笑を浮かべる。


「ちょっとした言葉の綾です。温情かけてもろたんは忘れとりまへんし、世話係を続けることに不満なんか微塵もありまへん。ただその……イケニエて言うたらハルカはんも、遠慮せんとってくれるんやないかと思うて」

「遠慮?」

「命の恩人なんやから遠慮せんと食べてくんなはれ、て言うても、逆に断らはるやろうと」


 センの言葉に、ウィルは目を伏せ、ああ、と同意した。最前彼が言いかけたのも、まさにそれだったのだ。


(おまえに助けられた命だからな)


 どうして、と問いかけられて、反射的に口から出かかった答え。だが直後、それは間違いだと気付いて飲み込んだ。

 ――助けた命ならば奪っても良いのか。恩を売るために助けたわけではない。

 遥なら、きっとそう言うだろう。そんな理由で命を差し出すな、とも怒るだろう。ウィル自身も、それはもっともだと納得できる。

 だからこそ、自分が彼女に命をくれてやってもいいと思うのは、別の理由によるのだと気がついたのだ。 

 ウィルがそんな考えに耽っていると、センが用心深い声音で問いかけてきた。


「殿下も、ハルカはんに言わはったんですやろ。必要なら食べてもええ、て」

「…………」

「そない無茶言わはってええんですか」

「稀少な半人間のテセアで、しかも『客人』だ。飢え死にさせるわけにはいかない」

「せやったら、それこそ生贄を用意しはったらええんです。なんも殿下が命をかける必要ありまへん」

「仮に用意したとして、あいつがそれを食べると思うのか? 余計な口出しは無用だ」


 冷ややかに突き放され、センは怯んで口をつぐむ。だが一呼吸の後、彼はつくづくと感に堪えないような声を漏らした。


「殿下……そこまでハルカはんのことをごふぅッ!」


 言い終えるより早く、腹に拳が打ち込まれた。まともにくらったセンは半泣きで後ずさって距離をとり、己の迂闊な口を呪いつつ性懲りもなく抗議する。


「あ、あんまりや殿下、照れ隠しにしてもひどい! 下手したら今の一撃は死にまっせ!?」

「一度は捨てた命だろう」

「殺生な! だいたい殿下もハルカはんも、そないむきになって否定せんかてええやないですか。どうせローラナはんの予言通りにな……んでもありまへん気の迷いでしたすんまへん!」


 ウィルがゆらりと立ち上がり、センは青くなって大慌てで発言を撤回する。ウィルは殺気のこもった一瞥をくれた後、頭を振って深いため息をついた。


「まったく、どいつもこいつも……私の方こそおまえ達の正気を疑うぞ。おまえはあいつに女の魅力とやらをほんのわずかでも感じるのか?」

「えっ……」

「よく聞く話のように、あいつを着飾らせて化粧をさせて、花と菓子でもくれてやったり、手を取り合って踊ったり、そんなことをしたいと思うのか」


 明らかに“訊くまでもないだろう馬鹿馬鹿しい”という口調でウィルが問う。センは呆気にとられていたが、具体的な場面を列挙されるにつれてぽうっとした顔になっていき、最後には夢見るような微笑になって答えた。


「そんなハルカはんも可愛らしいんとちゃいますか」

「…………」


 ウィルは信じ難いという顔をしてセンを凝視し、次いでがくりとうなだれた。こめかみを揉みながら、片手で退室を促す。


「そうか。世間の大勢は私が思うよりも頭に花が咲いているらしいな。もういい、下がれ」


 疲れた様子の王太子殿下に、センは首を竦めて一礼する。おとなしく退散するふりでドアに手をかけてから、彼は苦笑で振り返った。


「心配しはらんでも、僕かて『可愛らしいなぁ』て思うだけで、それ以上どうこうていう気はありまへん。そういう意味では、殿下が言わはる通り、女性の魅力、ゆうもんは感じられまへんね」


 そこで一旦言葉を切り、ウィルが少しホッとした様子で小さくうなずくのを確認してから、意地悪く余計な一言を付け足す。


「あと二、三年したら分かりまへんけど」


 それだけ言い捨てて、センは素早く廊下に撤退した。

 取り残されたウィルは頭を抱え、またしても深いため息をつく。いっそ遥を恨みたくなってきた。


(いや……あいつも迷惑しているはずだ。恨むならローラナをこそだ)


 今度、ローラナの“悪ふざけ”の内容を教えてやった方がいいかもしれない。まわりがやたらと噂を立てるのも、妙な挑発や勘ぐりをするのも、全部ローラナのせいなのだ。


 ――この子は異界の娘と結ばれるだろう。


 まだ乳飲み子だったウィルに、そんな無慈悲な託宣を下してくれたローラナは、後にウィル本人になじられてぬけぬけとこう言い訳した。


「だって、そうでも言わないとあなたは恋愛結婚出来そうにないって予感がしたから、可哀想だと思って」


 余計なお世話である。

 恋愛なんて面倒で不合理で無駄ばかり多いことにかまけるぐらいなら、見合い結婚で充分なのだ。あるいはいっそ独身のままだって構いはしない。王位継承が血筋を重視しないのだから結婚と子作りの義務もないし、女に時間と金と心を費やす余裕があるなら仕事に回したい。

 なのに妙な予言もどきの悪ふざけをしてくれたせいで、かえって事態がややこしくなった。

 遥に教えたら、どんな反応をするだろうか。

 ちょっと考えて、彼は我知らずふっと小さく笑った。


 ――はァ!? 何それひどい! ローラナさん、ウィルの人生を何だと思ってるわけ? あたしまで大迷惑だよ! それどころか女の子の『客人』が皆、そういう目で見られるってことでしょ、冗談じゃないよ!


 憤慨する遥の姿が目に浮かぶ。二人でローラナに撤回を迫れば、少しは効くかもしれない。

 彼は愉快な想像で気を取り直すと、報告書の束を取って棚に片付けた。その口元に浮かぶ、微かながらも楽しそうな笑みは、邪推されても仕方のないものではあったのだが……もちろん、当人にそんな自覚は微塵もなかった。


(終)


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