18.おまえの食費がとんでもない。
てのひらに収まるほどの方位磁石に似た道具が、ポゥッと赤い光を放つ。草を踏み分けつつ歩き回っていたセンは足を止め、うん、とうなずいた。
「アリッサはん、わんこ連れてこっち来とくんなはれ。ここから……ここまでの間。そう、その辺におってくれはったらええですよって」
センの指示に、アリッサがおずおずと従う。今まで着ていたこっちの服から、タンクトップにショートパンツのジョギングスタイルに着替えた姿は、確かにアメリカ人の十四歳の女の子、って印象だ。
アリッサはモーリーの胴体に片手を回し、念のため地面に膝をつく。移動の際は軽い衝撃があって、立っていたら倒れるかもしれないからね。
まだ痛手が癒えていないのが表情にはっきり出ていたけれど、それでもアリッサは、自分を取り囲む面々に笑みを見せた。本当に良い子だなぁ。
「ここまで送ってくれて、ありがとうございました」
お世話になりました、と礼儀正しくセンやウィルに向かって頭を下げる。それから彼女はあたしを見て、ちょっと泣きそうな顔になった。
「ハルカ。色々、ホントにありがとう。帰っても絶対、忘れないからね。手紙もちゃンと出すよ」
「うん。ありがとう」
アリッサが片手に持った封書を確かめるように掲げてから、胸に押し抱く。あたしは声が出てこなくて、短いお礼の言葉だけをやっとの思いで押し出した。
「ハルカは、ワタシのお姉ちゃん。頼りになる、強くて格好いいお姉ちゃんだから。ずっと――」
時々声を詰まらせながらも、アリッサが懸命に思いを伝えてくれる。あたしはただ、無理に作った笑みを壊さないよう我慢しながら、じっとその姿を見つめていた。
ざわ、と、えも言われぬ予感が走る。ぶつかる、という本能的な警告。
そして、息を小さく吸うだけの僅かな間に……アリッサとモーリーは、そこから消え失せていた。
小さなものをひとつだけ、その場に残して。
持ち手を失った封書が一瞬だけ宙に留まり、ひらり、と風に吹かれて草の上に落ちる。
……ああ、やっぱりね。そうじゃないかと思ったんだ。
皆があたしを気遣ってくれちゃったせいで、やたら沈黙が重い。あたしはセンを振り向くと、小首を傾げて問うた。
「もう接点、閉じた?」
「え、あ……」
面食らったようにセンは道具を取り出し、光を確かめてうなずく。あたしはアリッサとモーリーがいた場所にゆっくり近づくと、しゃがんで封書を拾いあげた。
指が触れた途端、封書はパサッと軽い音を立てて塵になり、崩れ落ちる。あらら。
あたしがため息をつくと、皆が落ち着かない様子で身じろぎした。優しいなぁ、もう。
「そんなに心配してくれなくても、大丈夫だよ。なんとなく、そうじゃないかと思ってたんだ。ローラナさんの態度がおかしかったからね」
立ち上がって苦笑したあたしに、センが困り顔で笑った。
「ほんまにハルカはんは、よぉ見てはるなぁ」
「察する文化の日本人ですから」
あたしはおどけて応じると、手に残った塵を払って歩きだした。帰ろう。ここにいても、もう何もない。
地元の人もあまり入らない山道をがさがさ歩きながら、あたしは前を行くセンに話しかけた。
「センは知ってたの? こっちの世界のものをあっちには持ち込めない、って」
「退職した先輩に教え込まれましてん。可能な限り『客人』には最初と同じ服装で帰ってもらえ、無理なら少々おかしかろうと必ず他の『客人』が残した衣服を着せろ、こっちの世界の服を着たままで接点に立たせるな、て。そらもう必死な顔で」
「ぶはっ! そ、そうだね、大惨事になっちゃうよね」
「ですやろ? 理由を聞いた時にはもう、笑えるやら泣けるやら。こっちの記念にお土産欲しいて言わはる『客人』もちらほらいやはるんやけど、説明して諦めて貰うたんびに心苦しゅうてかないまへんわ」
「手紙は塵になっちゃったけど、接点に巻き込まれたこっちの物が皆、ああなるわけじゃないよね」
「さいです。向こうに戻る人が持ったり身に着けとったりして一緒に引っぱられた物は、消えてまうみたいですけど。たまたま接点におった人や物が消えてまうわけやありまへん。せやから多分、こっちから向こうに行った人もおらんのとちゃいますか」
「だろうね。そういう話は、向こうでは聞いたことないし」
あたしが笑ったからセンも気が楽になったらしく、いつもの軽い口調で教えてくれる。あたしはそこにつけ込んで、もうひとつ質問をした。
「向こうに戻ったら、記憶も消えちゃうの?」
あ、さすがにまずかったか。前でセンがつんのめった。危ない危ない、平坦な道に出てからにしたら良かったな。
センは心配そうな顔で振り向いて様子を確かめたけど、あたしが平気な態度で「知ってる?」と答えを促すと、ちょっとうつむいてから、また前を向いて歩きだした。
「ローラナはんが言うには、多分ふたつの世界の間には圧力の差みたいなもんがあって、元々向こうのもんはそのまま戻れるんやけど、こっちのことは情報だけでもあっちには渡らへんのとちゃうか、て考えられとるそうです。忘れへんように手のひらに向こうの道具で色々書き付けた『客人』も、やっぱり接点を通る寸前でその文字が消えてしもた、ていう話ですわ」
「そっか。……だよね。そうじゃないとおかしいもん」
「おかしい?」
「だってこれだけ頻繁に接触してて、こっちの国はものすごく影響を受けてるのに、あたし達の世界では『異世界なんてマンガでしょ』だもん。向こうに戻った人が皆、こっちでの事を覚えていたら、もっと知れ渡っているはずだよ」
大昔ならともかく、今は個人的で些細な経験さえ簡単に世界へ発信できる時代だ。眉唾もののネタとしてであっても、この国の存在が広く知られていなきゃおかしい。
「だから薄々、そんなことじゃないかとは思ってたんだよね。……というか、そうだったらいいな、って」
山道が終わり、街道に降り立つ。すぐそこに宿屋さんが見えた。やれやれ一安心。
あ、虫に噛まれてる。かゆかゆ。
あたしが腕や足をぽりぽり掻いていると、ウィルがそばまでやって来て、複雑な顔で訊いた。
「そうだったらいい、とはどういう意味だ」
「んー。こっちの人は、誰かが神隠しとか意味不明な出来事に遭遇したって言っても、嘘だとか妄想だとか決めつけないでしょ。嘘かもしれないけど、本当かもしれない、それがこっちの普通の反応だと思うんだけど……あっちは、違うからね」
あたしと一緒に落ちてきて、元の世界に帰った二人の友達。見送った時はただ寂しくて悲しいばかりで深く考えていなかったんだけど、後から冷静になって、心配してたんだ。
持っていたメモ帳に家族宛のメッセージを書いて、二人に預けた。帰れなくなったけど元気でやってるから心配しないで、って。
でも、あたしが失踪したって事実は変わらないし、最後に待ち合わせしていたのがあの二人ってことは、予定を知っていた家族には明らかなわけで。
もし、警察に捜索願いを出されて、二人が色々質問されたら。二人は賢いから、異世界なんてこと言い出しはしないだろうけど、あたしが一緒にいたことはごまかしきれないだろう。あのメモ帳がかえって二人の立場を悪くするかもしれない。
そんなことを色々考えて、どうしようもないことにやきもきして、たまに眠れない夜もあったんだ。
けどもう、心配ない。
あたしがいなくなったことで、家族には迷惑をかけちゃっただろうけど、少なくとも……異世界だなんていう戯言を聞かされた家族が、あたしの友達を嘘つき呼ばわりして責め立てるとか、そういう修羅場にはならない。
だから、ちょっと安心した。
もし、もしも、あたしという人間が存在したことさえ忘れられてしまうんだとしても。それで皆が平穏なら、その方がいい。
「アリッサも、あんな目に遭ったこと、忘れてしまえるんでしょ。だったらそれが一番いいよ」
「……それでいいのか?」
「良くない理由がある? 寂しくないわけじゃないけど、そんなの、忘れることのメリットに比べたら本当、どうでもいいことだよ。あたしは平気だから」
「おまえの『平気』は信用ならないからな。宿の備蓄食糧まで食べ尽くすんじゃないぞ」
「しないよ! ぬぐぐ……前科があるから説得力ないのか。ラグもなんとか言ってよー」
あたしが助けを求めると、すぐにふわりと金色の光が現れた。さすが頼れる相棒! というかむしろもう、お助け妖精さんかも。
「ウィル殿下、今回は本当に遥の言う通りです。私が何もしなくても、精神状態は安定していますよ」
「そうなのか」
ラグが請け合ってもまだ、ウィルはちょっと腑に落ちないような顔だ。疑り深いのか心配性なのか。っとにもう。
「当たり前でしょ! あのねぇ、ウィルはあたしを何だと思ってるわけ? 現に今、すぐそばに大事な友達がいて、いろんな人にいっぱい支えてもらって、なのにもういない人との思い出をいつまでも惜しんでめそめそするような奴だって言いたいの? 本気でそう思ってるんなら小一時間説教するよ!」
ここまではっきり言ってやると、やっとウィルも理解したみたいだった。何も言い返せずに、ただ黙って目をそらす。やれやれ、世話が焼けるったら。
自分がどれだけすごい恩を売ったか、自覚ないんですかねこの王子様は。ゴン太じゃあるまいし、食べてもいい、なんて普通は言えるものじゃない。しかも自分の立場とか義務とか価値とかを、客観的に理解している人なら尚更。
それをああまで言っておいて、あたしが何の感銘も受けないと思っているんだろうか。本当にこいつは、友達の何たるかをわかっとらん!
いつも馬鹿にされる仕返しとばかり、あたしは心底呆れた深ぁいため息をついてやった。
「あたしにはウィルがいるから、それでいいんだよ」
ぶほっ。って、センがいきなりむせた。何なのもう、真面目な話の途中で! 何も飲み食いしてないはずなのに一人でゲホゲホ苦しんで、いったい何やってるんだか。
あたしが不審な顔をしてセンを見ていると、ウィルもちょっと妙な顔をしてから、小さなため息をついた。
「……そうか」
「うん。だから余計な気を回さなくても大丈夫。ごはんも普通に一人前で足りるし」
「そうか。なら良かった」
珍しく苦笑をこぼし、ウィルがうなずく。あたしもしっかりとうなずき返してから、ふといたずら心を出して付け足した。
「デザートにちょこっとかじらせてくれたらもう最高なんですけど」
「却下」
「瞬殺!? ひどいっ。食べていいって言ったのにー」
「必要なら、と言ったんだ。非常時でもないのに、むやみにかじられてたまるか」
「けち」
「意地汚いぞ」
「うぐっ……」
ま、また負けた……っっ。
ていうかセンさん、なに道路に両手ついちゃってるんですか。そんな所にいたら、ほら、ウィルに蹴られた。
「はー、色々あったけど、これで一段落だね!」
あたしは空を仰ぎ、うんと伸びをした。いい天気だ。風が清々しくて気持ちいい。両腕をいっぱいに広げて深呼吸する。胸の奥から体の芯まで、空の青が染みわたる気がした。
すっきりしたところで、前を行くウィルが振り返って言った。
「気を抜くのは早いぞ。帰ったら報告書の作成を忘れるなよ」
台無しだよ、鬼!!
*
苦悶と絶望と艱難辛苦にまみれた地獄の五日間。
どうにか乗り越えたあたしが血と汗と涙の結晶を差し出すと、受け取った氷の女王……もとい、王太子様は、一目見て仰せられました。
「ああ……おまえが今まで一度もまともに働いたことがないのを、忘れていた」
「がふっっ」
もはやこれまでか、無念。
あたしがテーブルに突っ伏してこときれるふりをしても、ウィルは知らん顔だ。ひどいや。
「やっぱり駄目? 一応センに手伝ってもらいながら書いたんだけど」
「かろうじて様式だけは守っているというところだな」
うう……。
考えてみたら、あたし、今まで報告書って作ったことなかったんだよね。学校の課題のレポートは山ほど書いたけど、そういうのじゃないって気付いて途方に暮れた。
それでセンに泣きついて、普通こういう場合に出す報告書ってどんな体裁なのか、何を書くのか、色々教えてもらいながら四苦八苦して書き上げたんだけど。
ここでさらに難点がもうひとつ。
あたしはこの国の言葉の読み書きができない。
翻訳魔法があるから、あたしが日本語で書いた物を渡しても、だいたいの要旨は伝わる。でもそれじゃ、ちゃんとした仕事をしたとは言えない。
そこで、あたしが作成した報告書を読み上げて、センに書き取ってもらうという手間をかけなくちゃならなかった。声に出すとかなり恥ずかしかったよ!
その時にも多分センは、細かいところを手直ししてくれたんだと思う。時々こっそり苦笑してたからね。
「まあ、今回は充分な調査期間もなかったし、おまえも初めてのことで何を調べるべきか考えがまとまっていなかったのもある。この程度の内容でもやむを得んだろう」
「ないようがないよう……」
「平たく言えばそういうことだ」
駄洒落が通じなかったのか、ウィルはいたって平静にすっぱり切り捨ててくれた。あたしの苦労は何だったのか。
とほほ……。テーブルに突っ伏したまま涙に暮れるあたし。何やっても満足に出来ないとか、本当にもう文字通りの『客人』だよ。めげそう。
へしゃげているあたしの頭上から、ウィルが淡々と託宣を下さった。
「いきなり一度に何もかも出来るようになろうとして焦るな。ひとつずつ学んでいけば良い」
「って言ってもさ……」
「今回でおまえも、報告書の様式と書くべき内容について学んだろう。次の時はそれを念頭に置いて、どのような報告書を作成するか考えながら調査に当たれば、効率よく必要な情報を得られるはずだ」
「なるほど」
あたしは身を起こして、ぽんと手を打った。そっか。どういうものを提出するか、完成形が頭にあれば、それに向かって必要なデータを集められるってことだ。今回はそれがイメージできてなかったから散漫な情報しか集められなくて、結果、水で10倍希釈したみたいなうっすい報告書しか作れなかったってことか。合点。
「って、次もまたお仕事くれるの?」
「女中の仕事に戻りたいのか」
「とんでもない! あ、いやその、女中さんの仕事が嫌だっていうんじゃなくて、ただその」
反射的に否定してから、あたしは慌てて言い訳した。
そう、仕事の内容自体は意外と苦じゃなかったんだよね。掃除とか雑用とか、わりと好きな方だから。ただ……ただ、女中さんの仲間に入れないのが、そんでもって入れないと仕事もやりづらいのが、今さら思い返すと非常につらかったというわけで。
たどたどしく説明したあたしに、ウィルは表情を変えないまま小さくうなずいた。
「それなら今後も、この仕事を続けてくれ。センが旅行本だとか余計な企画をでっちあげてくれたせいで、その作業も必要になってきたからな。また追って指示を出す」
「ふへー……ウィルも大変だねぇ」
「まったくだ」
全然大変そうに思えない声と態度で応じて、ウィルはもう一度あたしの下手な報告書に目を通すと、よしというようにうなずいた。今回はこれで、ギリギリ赤点を回避したってことだろう。次はもっと頑張ります。
とりあえず仕事の話が一段落ついたので、あたしは静かにひとつ呼吸してから、慎重に切り出した。
「あのさ、ウィル」
「なんだ?」
「……食べていい、って言ったの、本気?」
ささやくように尋ねる。ウィルは報告書を置いて、あたしに向き直った。
「空腹なのか」
「あ、ううん、今食べたいって意味じゃなくて。本当に本気なのかなぁ、って」
センと一緒に報告書を作りながら、テセアの食べ物について打ち明けたら、意外とあっさり受け入れられたんだよね。
元々テルセアやテセアが人食いだっていう認識があったせいなのかもしれないけど、センはわざとらしく怖がって見せてから、どうしてもおなかが空いたら端っこかじってもええですよ、って気前良く言ってくれちゃったのだ。
「センは、そもそも自分は『客人』の世話係でいわば生贄なんだから、ちょっとかじられるぐらい仕事の内だと思って我慢する、とか言ったんだけど……ウィルは、そういうわけじゃないしさ。迂闊にかじって変なことになったら、立場上困るでしょ」
「……むろん、できれば死んだり気が狂ったりしない範囲にとどめてもらいたいがな。だがもし、どうしても、おまえが飢えに苛まれて耐え難くなれば……全部、食べてしまっても構わない」
静かな答えには、強がりも自暴自棄の気配も、嘘やごまかしの気配もなかった。あたしは愕然として、言葉もなく目の前の人を見つめる。
――暖かい、白い光。なんて美味しそうな。
「どうして」
唇がわななき、声がふるえた。どうしてそんな事が言えるの。
あたしの凝視に、ウィルは何か言いかけて、一旦口をつぐんだ。もう一度考えを確かめるように目を伏せて、それから、まっすぐにあたしを見つめる。
「友人が飢えて死にそうな時に、差し出せるものを自分が持っていると分かっていて、出し惜しみするか?」
「っ……ちょ、ウィル、いきなり成長しすぎ! 友達なんかいないとか言ってたくせに、もう命懸けとか!」
うわ、泣きそう。あたしはわざとおどけて笑い、ウィルの肩を軽く叩いた。
そうか。そうだね。お友達第一号になる、なんて宣言しておいて、あたしの方こそ覚悟が足りなかったんだ。友達になるっていうのは、一緒にお弁当食べるとか遊びに行くとか、そういうことじゃない。日本でなら、学校でなら、それでも良かったかもしれないけど。
もうここは日本じゃない。ウィルもあたしも、高校生じゃない。
あたしは手の甲で涙を拭い、うん、とうなずいた。
「分かった。ウィルがそのつもりなら、あたしも……必要な時には、命まで差し出す覚悟をしとくよ」
「そこまで深刻に捉えなくてもいい。センの言ではないが、どうせ『客人』の衣食住を負担するのは国の責任、ひいては私の仕事の一部でもある。おまえに充分な食事を与えることを考えれば、時々かじられる方が経済的ではないかと考えたまでだ」
あれっ。
えー。何それ。やだもう、感動的な良い場面だったのに!
思わず半笑いになったあたしに、ウィルもちょっとだけ皮肉っぽい笑みを浮かべて応じた。
「まったく、おまえの食費はとんでもなく高くつくな。五人分の出費を覚悟するか、さもなくば命を削るか、とくる」
「誇張しないでよ、毎日五人分食べてるわけじゃないでしょ! それにその、かじったって端っこ少しなら自然に回復するんだし、むしろ普通より安上がりじゃない!」
「どうだか」
「むっ、疑うなら本当に端っこかじるよ?」
大袈裟に身構えたあたしに、ウィルは苦笑するだけで、防ぐふりも、逃げるふりもしない。
うわぁ。駄目だこれは。
ものすごく、ものすっっっ……ごく、美味しそうなんだけど! 食べられやしない!!
「ああもう! こんな話してたらおなか空いちゃったよ、食堂行って来る!」
あたしは勢いをつけて立ち上がると、未練と羞恥を振り切るように、大股でドアに向かった。
部屋を出る前に、ついちらっと振り返って後悔する。
ウィルがなんだか……えーとそのなんだ、うん。
すごく、優しい目であたしを見ていた。
ごめん無理。
あたしは意味不明の叫びを上げて部屋を飛び出し、廊下を突っ走った。
だから! なんで!! あんなイケメン君なんですか神様!!
同じ美形でも女の子だったらガチ親友になれただろうし端っこかじるのだって抵抗なくってひょっとしたら今頃あの超絶美味しそうなのをほんの一口でも味わえていたかもしれないのにウィルのあほんだらぁぁぁ!! 食べられないご馳走を目の前にぶら下げるんじゃないや鬼ー!!
「おばちゃん、ごはんちょうだい!!」
「あぁルカちゃんか、久しぶりだねぇ! 帰って来たって聞いて、たくさん用意しといたよ!」
まずはお櫃の御飯から。
あったかいスープの具はササミと胡瓜と茸、もちろん丼で。
野菜と果物たっぷりのソースがかかった豚肉のソテーが三枚。
それから、それから。
ああもう、とにかく、
「いただきます!」
(第一話・終)