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17/42

17.雨の夜もある

 その日は橋からいくらも行かず、野宿になった。

 予定ではもう少し先にある宿屋さんまで行って、そこに泊まって接点が開くのを待つことになっていたんだよね。

 開く場所は街道から外れた山の中だけど、宿屋さんからちょっと歩けばすぐ着くらしい。

 でも、途中で予定外のことがあった場合のために、ちゃんと野宿もできる装備は用意してあった。

 多少の遅れはよくあることらしくて、センも慣れた様子だ。


 街道脇に設けられた待避所みたいなスペースには、例によってバス停ぐらいの簡単な囲いとベンチがあった。焚き火用の穴も掘られている。

 あたし達は小さな火を焚いて、お弁当よりもぐっと質素になった夕食を済ませると、早々に眠りについた。

 男性陣は待避所のベンチとか、地面で。

 あたしとアリッサとモーリーは、馬車で。

 月が煌々と明るくて、雨が降る気配がないのは幸運だった。


 ――幸運だと、思っていた。




 モーリーの吠え声で飛び起きたあたしは、何がどうなっているのか、すぐには理解できなかった。

 布越しに差し込む月光の薄明かりの下、人影がもつれあっている。モーリーが殴られたか蹴られたか、ギャンッと悲鳴を上げた。


「モーリー、アリッサ!」

「むー! んぅー!」


 口をふさがれてくぐもった、けれど痛みに切り裂かれるような声。あたしの頭にカッと血が上った。


「このッ、離せ!!」


 怒鳴ると同時に、人影に掴みかかる。直後、力任せに振られた腕がまともに顔に当たって吹っ飛ばされた。いったぁ!!

 目の前が一瞬真っ暗になって、鼻と頬骨がじぃんと痺れる。


〈遥!〉


 警告の声が響く。体が勝手に転がって、踏みつけられそうになったのをかわした。膝をついて上体を起こした時には、視界が鮮明になって相手の姿がはっきり見えていた。

 知らない男。その太い腕がアリッサの腰を脇に抱えている。口が自由になったアリッサが泣き叫びだした。


「助けて! いやっ、パパ、マ――」

「うるさい!!」


 途端に男が手酷くアリッサを締め付け、言葉は絶叫に呑まれた。

 許せない。

 怒りが理性を焦がし、意識の境を熔かす。

 ――許せない。この外道め!


 腕を振ると十本の触手が矢のように飛び出し、男に絡みついた。

 男が動転した声を上げる。振りほどこうと暴れるのに構わず、腕をちぎれるほどに締め上げ、アリッサの体から引き剥がした。悲鳴がうるさい。

 軽く手を振って触手をしならせると、そのまま男を外へ放り出してやった。

 アリッサが泣いている。可哀想に、傷ついて、怯えて。こんないとけない命になんてことを。

 私は馬車を降りて、地面にうずくまっている男に近付いていく。清浄な月光の下で、そのものだけが酷く醜い。


「ひっ……ば、化け物ッ! 来るな、うわあぁぁ!!」


 ぶざまに逃げだそうとする足に触手が絡みつき、引き倒す。ああ、汚い。この生き物は汚い。

 腐っている。食べられたものじゃない。白い光であるはずのものが、まるで蛆虫の塊だ。ぐずぐずに崩れ、意地汚くうごめく醜いもの。

 こんなものは、いらない。

 潰してしまおう。腰を抜かしている男の傍らに膝をつき、腹の辺りでのたうっている白いものに手を伸ばす。

 腐った脳髄のようなそれに指を差し込む。ああ嫌だ気持ち悪い。でもすぐ済む、ほら、この芯を引き抜けば、もう――


「遥! やめろ!」


 刹那、冷水を浴びせられたように全身が竦んだ。

 白い塊に突っ込んだままの手を引く間もなく、駆けつけたウィルが銀色の一閃を放つ。

 指に絡みついていた白い糸が、ぐしゃりと崩れ、液化して滴り落ちた。男の体も、それと一緒に倒れ伏す。


「……ウィル? あ、あた、し……」


 力が抜けて座り込みながら、あたしは呆然とウィルを見上げた。

 今、あたしは、何を。

 頭が痺れて何も考えられない。

 そんなあたしのそばに、ウィルが膝をついた。血のついた剣を地面に置くと、ゆっくりと手を伸ばして、あたしを抱き寄せる。ぎゅっと、痛いほど強く、しっかりと。


「こんな奴の命で、おまえを穢すな」

「……え?」

「必要なら、私の命を食べていい。だから、……罪人の命など奪うな。そんなことで、おまえが咎を負うな」

「…………」


 ああ、この人は。

 あたしが、襲ってきた奴に反撃して、そのまま丸呑みしてしまうと思ったんだ。たとえ悪人のものでも命を奪ったことで、あたしが咎を負うと思ったから。

 だから、――だから、代わりに。


「ふっ……ぅ、」


 堪えきれなかった嗚咽が漏れる。あたしはそれを押し殺すように、ウィルにしがみついて肩に顔を埋めた。


 こんなに大切にしてもらうだけのことを、あたしは何かしただろうか。

 ちょっと助けたことはある、ウィルにとって人生初の友達になったってのもある。でも、でも。そんなのは、この半年で本当に色々と支えてもらったんだから、全部チャラだ。


「ありがとう」


 これ以上泣かないように、必死で堪えながら絞り出した声は、情けないほど弱々しかった。


     *


 酷い話もあるもんだ。

 昼間、河原に倒れていたあの人は、実は追い剥ぎの仲間だったらしい。襲撃に失敗したか仲間割れしたかで、道から落とされたんだろう。

 ウィルやキリさんは、手ぶらであんな場所に倒れていたことからその可能性を警戒して、夜も交代で不寝番をしていたんだって。


 そうしたら案の定、人が忍び寄ってくる気配がして。

 キリさんとウィルが行ってみたら、左腕骨折したあの人がいて、慌てて逃げ出した。いかにも怪しいそれにつられてうっかり追った隙に、別の場所に潜んでいた仲間が、馬車を襲ったんだ。

 狙いはもちろん美少女のアリッサ。連れ去るつもりだったらしい。囮役の男をつかまえてそれを聞き出した後、急いで戻ってきたら、センが追い剥ぎに組み伏せられていて、幌の中からもう一人が投げ出されるところだったとか。


 というわけで、地面には都合三人の追い剥ぎが、冷たくなって並んでいた。

 ……人助けをしたと思ったのは、何だったんだろう。情けなくて空しくて、泣けてくる。

 それ以上につらいのが、アリッサの具合だ。

 錯乱して、帰りたい帰りたいって泣きながら、モーリーを抱きしめて離さない。男の人には怯えるし、あたしももうアウトだ。そりゃ、暗くて狭い幌馬車の中で、目が緑金色に光ってる触手うねうねな化け物が怒り狂ったら、恐怖に襲われるだろう。そうでなくともパニックだったのに、あたしが止めを刺したようなものだ。あーあ……惨め。


 センも取っ組み合いになった時に負傷して、格好悪いなぁ、って苦笑いした顔には赤黒い痣が出来ている。痛々しい。

 あたし達はそのまま眠らず、月がゆっくりと傾いていくのを眺めながら過ごした。馬車からはすすり泣きが聞こえていたけれど、しばらく止む時もあったから、疲れてまどろむぐらいはしたんだろう。少しでも眠れるといい。きつい夜だったから。

 あたしは待避所のベンチで膝を抱えて、焚き火の小さな炎をじっと見つめていた。ウィルが隣に座って、何も言わずにいてくれる。軽く触れ合った肩がとても温かくて、優しくて、いつの間にかあたしはそれに寄りかかって眠ってしまったようだった。


     *


 ……って経緯をですね、ちょっと眠っただけで、きれいさっぱり過去の記憶として片付けてしまうあたしの脳ミソってどうなの! 目が覚めたらいきなり至近距離にきれいな顔があって死ぬかと思ったよ!!

 危うく悲鳴を上げかけたのを飲み込んで、そのままあたしはギシッと固まってしまった。


〈お早うございます、遥。気分はどうですか〉

〈あ、お早うラグ……っていうかこの状況は何!? いや覚えてるけど、何があったか思い出したけど!! もしかしてあたしが寝てる間にラグが色々メンタル整えてくれちゃった!?〉

〈? はい、もちろんです。悲しんだり落ち込んだりするのは自然な感情ですが、だからと言って、いつまでも遥につらい思いをさせておきたくはありませんから〉

〈そこはいっそ放置しといて欲しかった!!〉


 落ち込んだままだったら、こんな状況にも恥ずかしさを感じなくて済んだのに!

 あたしは全身岩になった気分で、ぎこちなくもできるだけそーっと、ウィルから離れようと試みた。けどもちろん、お互い寄りかかって寝ていたから、あたしが動けばウィルも目が覚める。

 いーやーだー。合わせる顔がないぃぃ!

 小さく呻いてウィルが頭を起こしたのを見計らって、あたしは素早く立ち上がった。

 ああもう、なんで昨日の今日で平常運転なの!


 あたしが道の端まで行って白々しく体操のふりをしていると、街道の王都方面から物音が近付いてきた。旅の人かな? 朝も早くから、どこに行くんだろう。

 間の抜けた事を考えながらぼーっと見ていると、ウィルとキリさんがそっちへ迎えに出て行った。やって来たのは、騎獣に乗った五人ほどの兵士さんだった。あの制服は王宮の近衛兵じゃないのかな。


「殿下、ご無事で」

「ご苦労。私は無傷だ、それより『客人』を」


 どうやら昨夜のうちに、王宮に連絡したらしい。温和そうな顔立ちの女性が一人同行していて、ウィルの言葉にうなずくと幌馬車へ向かった。……アリッサも心配だけど、モーリーは大丈夫かな。昨日蹴られたみたいだったけど。

 あたしが何もできず突っ立っている間に、近衛兵の皆さんは追い剥ぎの遺体を持参した大きな布でぐるぐる包んで、慣れた様子で一体ずつ騎獣の背に載せた。そうして三人が、来た道をすぐに引き返していく。どうするのかな、あれ。どこかに埋葬するのかな。


「ハルカはん、大丈夫ですか」

「あ、セン、お早う。あたしは何ともないよ、センの方がすごく痛そうなんだけど」


 昨夜赤黒かった痣は、なんだかもっとすごい色になっていた。うわぁ迫力……。


「ちょっとズキズキ響くんやけど、大したことありまへん。ゆうべは全然役に立てへんかったさかい、罰やと思うて我慢しますわ。それより、お湯沸かすん手伝うてくれまへんか?」

「お湯?」

「アリッサはんに、温かい飲み物を用意したらええんちゃうかと思うて」


 痛々しい顔に、いつもと同じくにこにこ愛想のいい笑みを浮かべて、センはあたしを手招きした。あぁ、これは……あたしが何もできることがないからってへこんでるの、見抜かれてるっぽい。すごく些細なことだけど役に立てるんだよ、って教えてくれようとしてるのが分かる。本当に、センはそういうところ、細やかなんだよね。

 落ち込んでいても仕方ない。あたしは気を取り直すと、センを手伝って皆の朝ごはんを用意した。


 お湯は確かに役に立った。王宮から来た女性兵士さんが持って来た粉をお湯に溶いて甘い飲み物を作り、アリッサに飲ませてくれたんだ。おかげでアリッサは少し落ち着いたみたいで、目の下に隈が出来ていたけど、どうにかあたし達にも微笑を見せてくれた。

 心底あたしはホッとして、思わず涙ぐんでしまったぐらいだ。そうしたら、優しいアリッサはそれに気が付いて、あたしを軽くハグしてくれた。

 ああもう、怖かっただろうに。それとも、お日様の下で外側は完全に人間そのもののあたしを見て、昨夜のあれは悪夢だったとでも思うことにしたんだろうか。


 ……ごめんね。怖がらせて、ごめん。


 早く帰らせてあげたい。こんな怖い生き物がいる世界から、一刻も早く、安全で安心な世界へ。

 軽い朝食の後で馬車が動き出した後、荷台の隅で丸まって眠るアリッサとモーリーを、あたしはじっと見守っていた。


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