16.たまには人助け
びっくりした拍子に荷台から転げ落ちかけて、あたしは慌てて乗り出していた体を戻した。それから急いで、ちゃんと足から降りる。アリッサも興味津々やって来た。
センは困り顔で、前に行こうとするあたし達を止める。
「あー、どっちか言うたら、出て来んとって欲しいんやけど」
「それってつまり……スプラッタ?」
アリッサに聞こえないように声をひそめてささやいたあたしに、センは何とも言い難い顔をする。うわ、そういうことか。
「道に倒れてるの?」
「ちゃいます。川の方に」
「そうなんだ」
ひそひそ話していると、前からウィルの声が飛んできた。
「遥!」
「うわっひゃい!」
びっくりしたぁ! いきなり大声で呼ばないでよ、奇声上げちゃったじゃん!
火照った頬を押さえてセンの肩越しに前を見ると、ウィルがあからさまに「貴様はケダモノか」って目でこっちを見ていた。くぬぅ、誰のせいだと思っとんじゃあぁ!
しかも、来い来い、とか指先だけで呼ばれた。おのれVIP様め、後で締める! っていうかあたし結局一度もウィルを締めてないじゃん、ツケ溜まってるよ!
ゴリラ歩きで近付いたあたしに、ウィルは冷たい目をくれてから、道の端に歩いて行った。あたしもお供して横に並び、ずっと下を走る川を見下ろす。岩ばかりでゴツゴツして痛そうな河原に、人が倒れているのが見えた。あー……。
「ローラナが予見したのはこれだったのかも知れんな」
「ん? どういうこと?」
「私がいなくても、人が倒れているのを見つけたら救助しようとするだろう。少なくとも、降りて生死を確かめるだろうな。一番手っ取り早く安全に済ませようとして、おまえが出しゃばるのは容易に想像がつく」
「出しゃばる言うな!」
人助け精神って普通は褒められるもんじゃなかったんですか先生!
まぁね、ウィルが言いたいことは分かりますよ。ええ、厭味抜きで説明してもらえたら一番嬉しいんですけどね!
「あたしが触手なり翼なり出してあの人をここまで引き上げて、結果腹ペコになって見境なくしたら大変だから、名前をちゃんと呼べるウィルも一緒に行くように言ったんじゃないか、……ってことですかね」
「恐らくな。今回は悪ふざけではなかったようだ」
ほっ、とウィルが小さく安堵の息をつく。あたしは思わず笑いそうになったのをぐっと堪え、どうにか表情を取り繕った。
詳しい事は誰も教えてくれないんだけど、ウィルがまだ独身どころか婚約者も恋人もいないのって、ローラナさんの“悪ふざけ”が原因らしいんだよね。身分と年齢(たしか二十四歳)を考えたら、とっくにお相手が決まってそうなものだけど。一生独身予言とか、結婚生活破綻予言とか、されちゃったんだろうなぁ。
試験の成果で次の王様を決めるようなお国柄だから、何が何でも王家の血筋を絶やすなとか、そういう血統主義じゃないのは救いだけど。本人も、恋愛だとか面倒事にかまけてる暇があるか、なんて言ってたし。でも、自分で選んでぼっちなのと、他人のせいで否応無くぼっちなのとでは違うよね。いやぁ、ご愁傷様!
「笑うな」
「笑ってませんヨ? 言いがかりはやめて下さーい。とにかく、そういう理由なんだったら、あたしがあの人を引き上げたらいいんだよね。腹ペコになるほどの大仕事じゃないから大丈夫だと思うけど」
「必要ない」
「……は?」
すっぱり拒否されてぽかんとする。その間に、ロープとハーケンみたいな道具を持ったキリさんが、黙々と降りる準備をしちゃった。え、ちょっと、あのー。
「せっかく便利なあたしがいるのに、危ないことしなくても」
「よく考えろ、おまえが触手を伸ばして持ち上げた途端に手足がもげたりしたら、どうするんだ」
「うわあ! やめてよそういうグロい話!」
「おまえがそうやって慄いて遺体を振り落としてさらにむごい有様にしてしまったら、遺族に顔向けできんだろうが」
「待ってよ、まだ生きてるかも知れないじゃん」
「だったら尚のこと、慎重にすべきだ」
「うぐ……」
また負けた。くそぅ……。
言い合っている間に早くもキリさんが崖を降りている。うわーレスキュー隊員みたい、格好いい!
倒れてる人はまったく反応がないけど、目を凝らすと、小さな白い炎がその背中に見えた。
「あ、生きてる」
「なに?」
「あの人、生きてるよ。白いもやっとした光が、小さいけど、見えてる」
「そうか。キリ! 聞こえたか、まだ息があるらしい。状態を確認してくれ」
「御意」
ちょうど河原に足をつけたキリさんが、こちらを見上げて返事する。そのままキリさんは倒れてる人のそばに行って膝をつき、あちこち触って調べだした。骨折ぐらいはしてそうだなぁ。
あたしは視力を強化したまま、近くの河原をじっくり観察した。荷物が落ちてるかもと思ったんだけど、何もない。この辺りに住んでる人なのかな?
「殿下、どうやら擦過傷と左腕骨折のほかに大きな傷はないようです。意識はありませんが、脈はしっかりしていますし、アルカに引き上げてもらっても?」
「……仕方ないな」
「ほーらやっぱりあたしの出番! 大丈夫、人ひとり持ち上げるぐらい軽いもんだって」
苦い顔でこっちを睨んだウィルに、あたしは笑ってひらひら手を振ると、仕事にかかった。
念のため、道路に腹這いになって低い縁石に寄りかかってから、崖の下へ手を伸ばす。ガードレールがあるわけじゃないから、引きずられないように気をつけないと。
〈よし、行くよ〉
〈はい〉
深呼吸をひとつ。もうすっかり馴染みになった感覚がして、腕の皮膚に穴が空く。シュルッと飛び出した灰銀色の鞭が滑るように降りて、倒れ伏したままの人に絡みついた。
……?
なんだろう。一瞬、ぞわりと嫌な感覚が背筋を走った。何か汚いものに触ってしまったような。
〈ラグ、今の何かな?〉
〈私にもよく分かりません。この人は弱っているので、そのせいかも〉
〈ああ……血も出てるしね〉
触手の感覚はどちらかというと鈍いんだけど、それでも、抱えた体のあちこちから、じくじくと血が滲んでいるのが分かる。それが不快なのかも知れない。
あたしはこれ以上怪我人を傷つけないように、そっと何重にもくるむようにして引き上げた。ゆっくり慎重に石畳に横たえながら触手をほどく。
ウィルがあたしの横に片膝をつき、怪我人の様子を見ると難しい顔でつぶやいた。
「裕福な方ではないな。追い剥ぎにやられて落とされたというわけではないか……」
「あ、そうなの? じゃあやっぱり近所に住んでる人かもね。下に荷物は落ちてないみたいだし」
あたしはさっき河原をざっと探した結果を報告がてら、適当な推測を述べる。
自力で崖を登ってきたキリさんが、てきぱきとロープを片付けて、馬車に積んでた薬箱を取ってきて、怪我人の手当てを始めた。その間まったくの無言。なんかもう、実はゴーレムですって言われても信じちゃいそう。
それにしても手際がいいなぁ。護衛士って単に武力がすごいだけじゃなくて、応急手当とか、さっきみたいな救助のための技能も修めてるんだね。プロフェッショナル!……あたしも何か、もうちょっと役に立てたらいいのに。
王宮に帰ったら、あたしにも受けられそうな訓練メニューがないか、相談してみよう。このままウィルのお情けで、“美味いもの食べ歩きの旅”が許されるんだとしても、出先で何か困ったことになったら、その手の技能はあるに越した事はないもんね。
医者や看護師の真似事なんて、半端な気持ちでできるものじゃないってことぐらいは分かってるけど。人の命を食べ物として頂戴するのなら、ケアする方も少しはできるようになっておきたい。
〈遥は真面目ですね〉
〈えぇ? そうかなぁ。単に食い意地が張ってるだけって気がするけど。どうせ食べるなら、万全の状態の美味しいのを頂きたいじゃん〉
褒められたのが恥ずかしくて、あたしは冗談でごまかした。のに。
〈ああ、それはその通りですね!〉
深く同意されて、路面に両手をつきましたよ……。ラグさんアナタ、そんな嬉しそうに。
ま、まぁ、いいか……しょうがないよね、そういう生き物なんだから。ね。
そうこうしている間に、キリさんがちゃっちゃと手当てを終わらせてしまった。骨折してるっていう左腕には副え木と三角巾。あちこちの擦り傷や切り傷は、きれいに拭いて塗り薬。
処置が済んだのを改めて見ると、痩せ気味の男の人だった。歳はよく分からない。三十代なのか四十代なのか、その辺りだろうとは思うけど。
しかしこのおじさん、起きる気配ないね。どうしよう。うーん……あ、そうだ。
「ねえウィル、ちょうどいいから、お弁当にしない? もうちょっと待ってたらこの人も気が付くかも知れないし」
「おまえは本当に食べることしか頭にないのか」
「むっ、失礼な! ちゃんと他のことも考えてるよ! このまま置き去りにして出発するわけにもいかないよねとか、一緒に馬車に乗せてって実は家が反対方向でしたとかだと困るしな、とか!」
「……そうだな。キリ、セン、このまま小休止だ。昼食にする」
ウィルが指示を出して、センとキリさんが用意を始めた。あたしも馬車に向かう前に、もう一度だけ怪我人さんの様子を確かめる。息はちゃんとしてるよね。
「そっちを食べたいのか?」
「違う! 大丈夫かなって確認しただけ! せっかく助けた人を食べたりしないよ」
ウィルに言い返して、あたしは怒ったふりで立ち上がった。第一この人、美味しそうじゃないもん――と思ったんだけど、それを口にしたら変な顔をされるのは目に見えている。
せっかく助けたのに、っていう以上に、この人は全然食欲をそそられないんだよね。白いモヤモヤは見えても、食べたい、って気にならない。
これってやっぱり、さっき冗談のつもりで言ったことが真実なのかな。どうせ食べるなら健康なのを、っていう。それでいくと、ウィルがやたら美味しそうなのもうなずける。毎日いいもの食べて、きちんと剣術馬術その他諸々の鍛錬までしちゃって、そりゃ申し分ないコンディションでしょうよ。
おっといかん。今ウィルを振り返ったらヨダレが出そう。ダメダメ、ちゃんとお弁当、用意してあるんだから。
「アリッサ、お弁当にするよー!」
「イエス、マム!」
おどけてアリッサが敬礼し、荷台の奥に引っ込んでごそごそする。二人分のバスケットを引っ張り出すと、あたし達は荷台の端に並んで腰掛けた。後ろから肩越しに、モーリーが覗き込んでくる。
「こぉら、モーリー!」
「駄目だよ、これは人間用!」
軽くたしなめると、モーリーは残念そうな顔をしながらも首をひっこめて行儀良くお座りした。いい子だなー。
さてさて、今日のお弁当は……じゃーん、サンドイッチです! わぁい、美味しそう! いただきまーす!
パンは薄い皮がパリッと香ばしくて、中はふわふわ。ちょっと胚芽も入ってるのかな。麦の味がしっかりしますよ。具はゆで卵の輪切りとアスパラとスライスオニオンとチーズ。むぐむぐ。甘酸っぱいソースが程良く絡んで全体がまとまってます。人助けに働いた後だから、ますます美味しいや。
アリッサも嬉しそうだ。見た目も味も、かなり元の世界のものに近いもんね。
*
結局、おじさんが意識を取り戻したのは、お昼が終わって休憩するのも飽きて、もうこのままおじさんを馬車に乗せて連れてっちゃおうか、それともひとっ走り近隣の集落から人を呼んで来ようか、とか相談を始めた頃になってからだった。
「うっ……」
「あ、気が付いたみたい。大丈夫ですか?」
たまたまそばにいたあたしが声をかけると、男の人はぴくぴくまぶたを痙攣させてから、ゆっくり目を開けた。あー、痛そう。思わずあたしまでしかめっ面になっちゃう。
男の人は最初ぎょっとした様子だったけど、起き上がろうとするのにキリさんが手を貸すと、少しホッとした様子で、もごもごお礼を言った。とりあえず上体だけ起こして、やや茫然としたまま、手当てされている左腕をそろそろとさすってみたりする。うわ、ほら、痛いから触っちゃ駄目だってば。
「あんた方が、助けてくれたのかい」
「そうだ。河原に倒れているのが見えたからな」
ウィルが素っ気なく答えた。本当に愛想ないなぁ。ちょっとはセンを見習えばいいのに。ほら、もうにこにこ話しかけて、おじさんの気分をほぐしてくれちゃったよ。
ともあれ。行き倒れかけていたおじさんは、推測通り、この近所の人らしい。ちょっと山菜採りに行こうとしたんだけど、風で飛ばされた手拭を取ろうとして足を滑らせたんだって。まともに落ちたわけじゃなくて、一回途中の岩を掴んで止まったから、片腕骨折だけで済んだみたい。
やっぱりガードレールあった方が良くない? 全部の道路につけるのは無理にしても、こういう危ない場所だけでもさ。後で、そういうの作れないのか訊いてみようかな。
と思ってちらっと見たと同時に、ウィルがひどいことを言った。
「自力で歩いて帰れるか」
「あんたは鬼か!」
思わず全力でツッコんだよ! 左右見渡してみなよ、どこにも家なんかないじゃん! 近所とは言っても結構な距離がありそうなのに、歩けるにしても大怪我してる人に向かってそれはあんまりだ。
あたしが睨むと、ウィルは面倒くさそうなまなざしを返してくれた。うぬぬ、またあたしのこと馬鹿にしてるな、この目は。
そりゃ、ここでもしおじさんの家が王都の方にあって、送っていくには逆戻りしなきゃならないとなったら、アリッサの帰還に間に合わなくなるから、助けられなくても仕方ないけど。訊いてみもしないで、一人で帰れ、はひどい。
睨み合うあたしとウィルに、おじさんの方が恐縮しちゃった。
「あの、あんたら、馬車の向きからしてあっちに行くんだよな? だったら少し先に橋があるから、そこまで乗せてってくれねえか。後は一人で帰れるよ」
「なんだ、同じ方に行くんなら全然問題ないですよ。いいよね、ウィル?」
「仕方ないな。セン、御者台の隣に座らせてやれ」
うわ、嫌そうなため息。しかも御者台とかケチなこと……って、あっ。
もしかして、幌の中は女の子専用、って配慮なのかな? そっか、だったら仕方ないか。御者台に乗せてくれるってだけでも、良しとしよう。
あたしはウィルに「ありがと」とお礼を言うと、センと二人して、怪我したおじさんが御者台に上がるのに手を貸した。
それからようやく、再出発。あたし達は街道を先へと進んで行った。御者台でセンとおじさんが時々世間話をしているみたいだったけど、中にいるあたしとアリッサには、その内容までは聞こえない。
結局、おじさんの名前も知らないまま、橋に着いてしまった。
「ほな、ここでええですやろか」
「ああ、世話んなったな、ありがとう」
そんなやりとりが聞こえて、あたしは幌の端からひょこっと首を出す。降りるのに手がいるかと思ったんだけど、どうやらセンだけでなんとかなるみたいだ。
あたしの上からアリッサもどれどれと顔を出し、あたしの下からはモーリーが鼻先を出した。あはは、外から見たらおかしな光景だね!
案の定、御者台から降りたおじさんが何気なくこっちを見て、うわっ、ってのけぞった。あたしとアリッサは揃って笑い、ひらひら手を振る。
「気をつけて帰ってくださいねー」
「バイバーイ!」
「あ、ああ……あんたらも、道中気をつけてな」
おじさんは曖昧に手を振り返すと、ちらちらこっちを見ながら、橋のたもとから山の方に入っていく細い道を、慎重な足取りでゆっくり登って行った。
外はもうすっかり黄昏時で、どこもかしこも茜色に染まっている。きれいな夕焼けだなぁ。
おじさん、暗くなる前に家にたどり着けるといいんだけど……。




