15.見送りに行こう
魔法師さんが住んでいるのは、王宮のわりと中心に近いところだ。行政府や王族のお住まいとはまた別のこぢんまりした建物なんだけど、決して敷地の隅っことかじゃない。
それだけ魔法師さんの仕事が重要だってこと。
厳密には、必要とされているのは“法”の異能で、これは世界の理を感知する能力なんだって。あたしから見たらかなりデタラメなこの世界を支えるいろんな理の運行を、感知し分析する。季節や気象の移り変わりを予測したり、接点を見つけるのもこの人達の役割だ。
そんな中で一番偉くてすごい人が、ここにいる。
「失礼します。ローラナさん、入ってもいいですか?」
「ハルカね、どうぞ」
ドアを開けると、長い金髪を一本の三つ編みにした、透き通るような雰囲気の女の人が振り返って笑った。見た目は若いし、無邪気な笑顔は幼いと言ってもいいぐらいなんだけど、実は超凄腕。
国内どこでも言葉が通じるのも、この人のワザがあればこそなんだよね。
そして噂によれば……怖くて確かめたことはないけど、このローラナさん、少なくともウィルのお父さんが子供の頃にはもう今の姿で王宮にいたらしい。だもんで王様、おねしょの始末とか秘密基地建設とかあれこれ弱みを握られていて、ローラナさんには逆らえないとか。ウィルは物心ついてじきにそれを知って以来、出来るだけ品行方正を心がけてきたらしい。気の毒に。
「いらっしゃい。ラグも、久しぶりね」
「ご無沙汰しています」
あたしの口を使ってラグが答える。外に姿を現していなくても、ローラナさんにはラグが見えているみたいだ。
部屋にはいろんな器具があっちにもこっちにも置いてあって、理科室みたい。化学とか生物とか限定せず、全部がごっちゃになっている感じ。そのせいか、空気もほかの所とはちょっと違って、水と鉱物の匂いがした。
「アリッサは?」
あたしが訊くのと同時に、当人が両手を広げて抱きついてきた。うわっとっと。
「ハルカ! ワタシ帰れるって! そンなに遠くない所で、三日後につながるって!」
「本当!? 良かったぁ!」
きゃっほう! 思わずあたしもアリッサに抱きつく。ハグ癖がうつっちゃったかな。
「ハルカも一緒に帰らない? 家においでよ!」
「あーごめん、あたしは無理だなぁ」
いきなり無邪気なお招きを受けて、あたしは怯んだ。アリッサってば、あたしが空飛んだりしたの、もう忘れたのかな。それとも、それがどうした、ってことか。うーむ豪胆な。
案の定アリッサは、あたしの正体なんてどうでもいいみたいに食い下がった。
「ええー、そンなぁ、せっかく友達になれたのに! どうせまたこっちと接触するンなら、その時に戻ればいいじゃない。ねェ、一緒においでよ!」
「アリッサ、無理を言うものじゃないわ。向こうに帰ってしまったら言葉も通じないし、いつどこでまた接点が開くと分かっていても、そこに行くのは難しいことも多いでしょう? それに、ハルカにはこっちでやってもらわなければいけない仕事もあるのよ」
ローラナさんにたしなめられて、アリッサは渋々ながら、あたしにしがみついていた手を離した。うぅ、ちょっと罪悪感。
実際問題ラグのことがあるから、たとえ一時的にでも向こうに戻るのは無理だ。ラグはあっちの世界では生きていけないもんね。
けど、こっちでやらなきゃならない仕事がある、なんていうのは方便にすぎない。たった半年、女中さんの手伝いをやってあっさりクビになって、新しい仕事はもらったけどまだ何の成果も出してないありさまだし。アリッサの招待に応じる方がよっぽど有意義なんじゃなかろうか。
……って、いかん、へこむ。いじけてる場合じゃない。
「一緒には行けないけど、その代わり……じゃないな、図々しいけど、手紙を預かってくれる? 向こうに帰ったらエアメールで日本宛に送っておいて欲しいんだ」
「そのぐらい、お安い御用!」
アリッサってば、本当に気前がいいというか、こだわらなさすぎというか。っといけない、そうだ、時代を確かめておかなきゃ。あたしがまだ向こうにいる時点から落ちてきたんなら、おかしなことになっちゃう。
……で、訊いてみたらば、幸いにもあたしがこっちに来てから一年ぐらい後だった。
よし、高尾家宛の手紙を書いて預かってもらおう。三日後に帰っちゃうんだったら、急がなきゃ。どこまで行くのかな、すぐ近くなんだったら今すぐ出発ってことはないよね?
「あの、ローラナさん」
いつ頃出発するのかを訊こうとして振り向いたあたしは、喉まで出かかっていた質問を反射的に飲み込んだ。え、なに、その顔。
あたしがぎくっとした途端、ローラナさんはぱっと表情を取り繕っていつもの微笑を浮かべる。
でも、確かに今のは……なんだろう、すごく……可哀想な子を見るような顔つきだった。あたしにとって不吉な雰囲気の。
飲み込んだ質問が喉の奥で石になったように、息を詰まらせる。
ローラナさんが小首を傾げて、それを溶かすような優しい声をかけてきた。
「そうね、出発するのは明日だから、今日中に書いておけばいいんじゃないかしら。それとも、折角だから見送りに行く? 馬車で一日あれば着く所だし」
「え……と、あの」
「ワァ、いいの!? だったらぎりぎりまで、ハルカと一緒がいいなぁ!」
あたしが戸惑っている間に、アリッサがもう一人決めしてぴょんぴょん飛び跳ねている。部屋の奥からセンが出てきて苦笑した。
「そないなるんちゃうか、て思いましたわ。ハルカはん、すんまへんけど、もうちょっと付き合うてくれまへんか? 殿下には僕の方から、報告書の提出はしばらく待って下さい、て頼んどきますよって」
「そう、それがいいわね」
「さんせーい!」
当のあたしを放って、話が勝手に決まってしまった。いいのかな。そりゃまあ、あと三日、アリッサとモーリーと一緒にいられるんならあたしも嬉しいけど。
……とりあえず、手紙を書こう。
*
翌朝、アリッサのお見送り一行が王宮の門に集合した。
ええ、一行、ですよ。なんでか人数が増えてた!
世話係のセンは当然として、あたしが行くのも昨日勝手に決まって、そこにまぁ護衛のおじさんが一人加わるのは良しとしよう。でも、
「なんでウィルが出てくるわけ?」
分からん。これだけは本っ当ーに、理由が分からん!
不可解な顔をしたあたしに、心持ち距離を取ったままウィルが答える。
「私に訊くな。ローラナの『助言』だ。何かあるんだろう」
「それって、ウィルが行った方がいいような気がする、ってこと?」
あたしは微妙な距離に気付かないふりをして、話を続けた。やっぱりハグはまずかったか。そりゃそうだよね、いくら友好的だと分かってたって、人食い熊にハグされたら慄くよね。ごめん、もうしないから許して。
それはともかく。
ローラナさんの称号についている“魔”の異能っていうのは、精神作用関係の力を指すらしい。テレパシーとか読心術とか、予知とか予感とか、そういうの。ローラナさんも、正確に未来が読めるわけじゃないんだけど、昔から意味不明な助言をすることがあって、後で振り返るとそれが予知に基づいていたってことが多々あったとか。
そういう実績があるもんで、妙なこと言い出しても従う慣例になってるんだよね。特に王様、逆らえないし。
「助言のふりをした悪ふざけでなければいいんだがな。あの人は時々そういうことをする。どちらにしても従うしかないから、ついでに五日前の大雨の後始末を確かめるつもりだ。東に向かって川沿いの道を行くからな」
「ああ、そういえば結構降ったもんね」
用水路がゴバゴバ大騒ぎだったなぁ。王都は『客人』から得た知識や技術をどんどん採用して色々工事しているから、少々雨が降ろうが風が吹こうが被害はないけど、外に出ると整備が行き届いていない所も多い。
「あの程度の雨で崩落しそうな難所はないが……キリ、念のためにロープと楔を」
「用意しております」
護衛のおじさんが馬二頭の手綱を持って答える。この人には以前もお世話になった。エスティアっていう苗字なんだけど、見た目はアジア系だ。お母さんが日本人なんだって。
口を一文字に結んだまま、キリさんがあたしを見てうなずく。会釈なのかなんなのかよく分からないけど、あたしもとりあえず適当にぴょこんと頭を下げた。
「また、お世話になります」
「うむ」
唸るだけの返事をくれて、キリさんは顎で馬車を示した。乗れってことですね、はいはい。相変わらず無愛想な人だなぁ。まぁいいけど。
馬車は二頭立ての幌馬車です。荷台に毛布とか座布団とか敷いて居心地良くしてあるの。ヨーロッパのお貴族様が乗ってるような馬車は、あることはあるけど、悪目立ちしてしまうから『客人』には使わないんだそうな。
治安の良い国ではあるけど、悪い人ってのはどこにでもいる。金持ちだってことを宣伝するような真似は、避けるのが賢いってわけ。
だもんでウィルも今は、庶民的とまではいかないまでも、わりと地味な格好だったりする。
とはいえ幌馬車一台に馬二頭のご一行ともなれば、そこそこ金持ちですってのはごまかせないけどね。そこはもう仕方ない。まさかウィルに、走ってついて来いとも言えないし。
あたしは幌馬車の荷台に乗り込むと、アリッサと二人でモーリーをひたすら撫でまくることに没頭した。うー、ふかふかのもふもふー。いいなぁ。
馬車がガタガタ揺れるのにも構わず、モーリーはでーんとひっくり返ってお腹を出して、すっかりご満悦だ。いつまでも、撫でて撫でてと前足で催促してくれる。可愛いけど番犬にはならないよね、これは。
あたしがそう言うと、アリッサは笑って、家でのモーリーの面白いエピソードを次々に話してくれた。どこの国でも犬好きは同じだなぁ。
「モーリーがいたから、ワタシ、いきなりこンな所に落っこちても正気でいられたンだと思う。もし一人だったら、その場で泣き出して一歩も動けなかったよ」
しみじみとアリッサが言った。まぁその場合はむしろ早々に迎えが見つけてくれて、変態導士に捕まることもなく、すんなり王宮に来られたんだけどね!
もちろん、アリッサが言いたいのはそんな話じゃないってことぐらい、分かってる。
あたしは幸せそうなモーリーを見下ろして苦笑した。
「モーリーの為に頑張ってくれる、頼もしいお姉さんが一緒で良かったねぇ。そういえばこの子、今いくつ? まだ若いよね、元気いっぱいだし」
「ウン、四歳! ワタシが十歳の誕生日に、パパとママが連れてきてくれたの!」
「……えっ」
てことは、つまり。アリッサ、じゅうよんさい……? ええー! 人種差を考慮して同い年ぐらいかと推測してたのに、まさかの中学生! うわぁ。
愕然としているあたしに、アリッサはきょとんと首を傾げてから、やっと察した様子で目をしばたいた。
「あれ、もしかして、ワタシもっと子供だと思ってた?」
「違う違う、逆! 同い年ぐらいかと思ってた」
「えっ? 同い年ぐらい、じゃないの?」
「……あたし、十八歳なんだけど」
「ええー!? そうなンだ! ああでも、道理で。ワタシと同じぐらいなのに、もう働いてるし、強くてしっかりしてて格好イイって思ってたンだぁ。そっか、じゃあハルカは、ワタシたち三姉妹の長女だね!」
うわぁ。か、格好いいとか言われたの、初めてだ……! しかもこんな美少女に。照れるー。えへへ。でもちょっと褒めすぎだわ。
お返しに、アリッサの方こそ度胸があって、優しくておおらかで格好いいよ、って褒めたら、アリッサはびっくりした顔をした後、すぐに笑ってありがとうと受け止めた。自然な自信の備わっているそんな態度に、妹を――本当の妹を、思い出してしまう。
翠、どうしてるかな。
ゆうべ手紙を書いたせいで、ちょっとホームシックになっちゃったみたいだ。ウィルに名前を呼ばれて鮮明に戻って来た記憶もまだ薄れていないから、余計に寂しさが募る。
なんだかなぁ。アワジ村でも大泣きしちゃったし、最近どうも弱ってばかりで情けない。自分がこんなに甘ったれだとは思わなかったよ。家にいる頃は親ウザイとか一人でやっていけるとか自信満々だったくせにね。半年経ってもまだこっちの暮らしに順応出来てないとか、格好悪すぎ。
おっと、いかんいかん。こんなネガティブ思考、アリッサに気付かれたらガッカリされちゃう。
〈遥、無理しなくてもいいんですよ。悲しいのも寂しいのも、自然な感情なんですから〉
〈ん、ありがと。でもやっぱり、どこかで自分でけじめをつけないとね。へこみ始めたらきりがないもん。元気出して行こう!〉
〈……そうですね。私も、遥が元気な方が、嬉しいです〉
あたしの空元気に、ラグがふわんと暖かいものを載せてくれる。
うん、あたしは大丈夫。ラグがいるから、いつでも元気を出せる。
〈これからは、ちゃんと名前を呼んでくれる人もいるわけですしね〉
〈っっ!? お、おおぅ……そ、そうだね……っていうか本当にラグ、隠れて特訓してる間にウィルと何か通じ合っちゃってない? なんでいちいちウィル推しなの! はっ、まさか……ウィルがすっごく美味しそうだから、とか言わないよね!?〉
不意打ちにカウンターを繰り出そうとした直後、あたしは嫌な可能性に思い当たって動揺した。ラグが黙り込んじゃったから余計に!
ちょっと、ちょっとぉぉ!! ラグさーん!?
〈た、食べちゃ駄目だからね! 言うまでもないと思うけど、ウィルは一番食べちゃ駄目な人だからね! 友達なんだし、そうでなくともVIPなんだから! 変な所かじっておかしくなっちゃったら大変だから! 一緒に我慢しなきゃ駄目だよ!!〉
あたしが一人で焦ってわたわたしているもんで、さすがにアリッサとモーリーまでが不審な顔になった。あぅぁ。姫、おくつろぎのところを邪魔してすみませぬ。
言い訳しようとあたしが口を開いたと同時に、ガタンと馬車が揺れて止まった。
「あれ? なンだろう」
「何かあったのかな?」
あたしとアリッサは顔を見合わせ、揃って幌を上げて首を突き出す。
道はいつの間にか、急傾斜の山と、崖の下を走る細い急流とに挟まれていた。アワジ村の方面とはだいぶ景色が違う。ただウィルが言った通り悪路ってわけじゃなくて、川の方も山の方も崖はしっかりした岩盤に支えられているみたいに見えるし、道幅も充分広くて、もし何か落ちてきたり崩れたりしても退避できそうだ。
道に問題はなさそうだけど、倒木でもあったかな?
あたしが荷台から降りようかと身を乗り出したと同時に、御者台からセンが降りて、こっちにやって来た。
「すんまへん、ちょっと止まります。多分そんなに時間はかからんと思いますよって、そのまま待っとって下さい」
「どうしたの? 何か落ちてた?」
「はぁ。人が」
「……へ?」




