11.本来業務も忘れずに
とりあえずアリッサのところへ戻ると、まだ長椅子でお休み中だった。力が抜けたのは、その足下に黄金色のでっかい毛むくじゃらがいたことですよ……。
「モーリー。あんた最初っからここにいたの? それとも、探してる間に入れ違いになったのかな」
思わずしゃがみこんで声をかける。ゴールデンレトリバーはつぶらな目であたしを見上げて、ことんと首を傾げた。う、可愛い。撫でてもいいかな。怖がってる様子もないし……撫でちゃえ。
「いかにゴン太が動物マスターでも、やっぱりアリッサのそばがいいんだよねぇ。家族だもんねー」
話しかけながら、わしわしと首周りを掻いてやる。モーリーは気持ちよさそうに目をつむって、あたしの手に頭を押し付けてきた。
はー、やっぱり大型犬はいいなー、撫で甲斐があるよ。ふかふか。もふー。うっとり……。
「ルカ」
「うおっ! びっくりした」
いきなり声をかけられて竦み上がる。ゴン太が面白そうな顔で戸口に立っていた。うぐぐ、顔面溶けてるの、見られたか。
「王都の学院とやらは、ツァヒールで通える距離なのか? とりあえず元々この近くにいた奴らは外に放してやったが、しばらく家に戻れないとなったら他の連中もどうにかしなきゃならん」
「あ、そうか。うーん、あたしも詳しくは知らないんだよね。王都には住んでるけど、学院に通った訳じゃないから。一度行くだけ行って、話を聞いてみたらどうかな」
「おまえは王都住まいなのか。なら、向こうに引っ越せば毎日おまえに会えるんだな!」
ちょ、食いつくな! あたしは後ずさって距離を空けると、せいぜい気の毒そうに首を竦めた。
「それは無理なんじゃないかな」
「なぜだ!?」
「いやそんな悲痛な声を出されましても。えーっとね。あたし一応、元『客人』だから、王宮のすみっこで暮らしてるの。たいした用のない一般の人は入れてもらえないし、あんたみたいなのがツァヒールで塀飛び越えて侵入したら、即、不審者扱いで叩き出されるよ」
本来、王宮はすごく出入りの制限が厳しいんだよね。あたしは特殊な立場だから、どこに行っても滅多に怒られないけど。ウィルの部屋なんて、普通ならド庶民のあたしが近付ける場所じゃない。
中で働いている人でも、無用の出入りは禁じられている。休みの日に街へ遊びに行くってだけでも、事前に申請して許可貰って、その通りの人数と時間を守らなきゃいけない。
……そうか、あたしが女中さん達に煙たがられてたのって、そういう待遇の違いもあるんだろうなぁ。帰ったら、皆の買い物のご用聞きでもすれば、少しは打ち解けてくれるかなぁ。余計に嫌味だって思われるかな。
仲間外れされていたのを思い出してちょっぴり萎れたあたしに、ゴン太は相変わらずのマイペースで話の方向を変えた。
「そうか、言いにくい名前だと思ったら『客人』だったのか。……『客人』でもテルセアに見込まれることがあるのに、どうして俺は駄目だったんだ?」
台詞の後半は独り言だった。口をへの字にして、拗ねた子供みたいな表情でうつむく。ん? そう言うってことは……
「あんたもテルセアに出会ったことがあるんだ?」
「ああ。子供の頃に一度、村外れの沢でな。金色のふわふわした光の塊が、水辺の石の上に落ちていて……あれは本当に美しかった、こんな生き物がいるのかと感動したぞ。しかもそれが、探したところで滅多に出会えないという、幻の人喰いテルセアだというんだからな! だが随分、弱っていた。俺は喜んでこの身を差し出すつもりだったさ、むしろ食え食ってくれと頼んだとも!」
話しながら興奮してきたゴン太は、頬を紅潮させて握り拳をつくる。おまわりさーん、変態がいますー。
と思ったら、すぐにゴン太はしゅんと肩を落とした。
「だが俺では駄目だというんだ。何がいけないのかと訊いても、とにかく俺では融合者になれないと。孵化せぬまま死ぬのも珍しくはないと、そのテルセアは諦めているようだった。だから俺は……俺が駄目なら、村に連れていけば一人ぐらい相手になれる人間がいるだろうと」
「阿呆か!」
思わず全力で叫んでしまい、次の瞬間、あたしは後悔した。ゴン太は暗い顔に歪んだ笑みを浮かべていた。
そんな事をしたらどんな目に遭うかなんて、普通の人間なら分かりきっている。村中の人に袋叩きにされても文句は言えない。でも導士である彼にとって、それは“当たり前”なんかじゃなかったんだ。
むしろ彼にとって当然だったのは、弱った生き物を救うこと。なのに、そう行動した結果は……。
ごめん、と慌てて謝ったけれど、ゴン太は聞こえなかったのか、聞こえたけど無視したのか、答えなかった。小さくため息をついて頭を振ると、もういつもの顔に戻る。
「今こうしてテセアに、しかも半分人間のままの奴に出会えたのは、まさに運命だな! 天が俺にテセアの謎を解明せよと告げている!」
「せんでいい!」
「おまえもやはり人を食うのか、なんなら俺を食ってもいいんだぞ。死なない程度になら指一本でも腕一本でも、遠慮せずに食え!」
「いらないよ! っていうかテルセアやテセアが人を食べるっていうのは、そういうグロいんじゃないから! 生命力っぽいのを直接貰うから、肉とか血とかいらないの!」
「だったらなおさら遠慮するな! ほらほら、食え!」
「だぁっ、寄るな触るな変態ぃぃ! 押し売りすんなー!」
実はもう端っこちょっぴり頂きました、なんて言ったらとんでもないことになりそうだ。うをあぁぁ。
〈少し大人しくなったと思ったのに、ほんの束の間でしたね……〉
〈放っておいたら自然回復するってこと? それにしたって早すぎるよ、いっそもっと思い切って沢山かじっとけば良かった!〉
〈これからは加減を学習しましょう〉
うぐぐぐぐ。おかーさん、昔あれこれ好き嫌い言ってた罰ですかこれ。もうやだ帰りたい。
ぎゃいぎゃい騒いでいたせいで、ちょうど薬が切れてきたらしいアリッサが、うーんと唸って伸びをした。
「あれぇ……ここ、どこ……あ」
寝ぼけ眼で辺りを見回してから、現状を思い出したらしく切なげな顔になる。そうだよね、帰りたいよね。あたしはアリッサの肩をぽんぽんと叩いて、にっこり笑って見せた。
「アリッサ、聞いて! こいつとは話をつけたから、王都に連れてってあげる。帰りの接点があったら、絶対にそこまで送り届けてあげるからね!」
「ホント!? ウワァ、ありがとー!」
途端にアリッサは感激して、がばっと抱きついてきた。はいハグですね、ぎゅー。最初はちょっとびっくりしたけど、もう慣れちゃった。何しろ美少女だからね! 頭もっさもさの怪しい兄ちゃんに迫られるのとは違うんですー。そんな恨みがましい目で見たって駄目ですよーだ。
*
とは言っても、いつまでも友情を深めていられる状況でもない。
あたしは脱線しがちなゴン太の手綱を取りつつ相談し、まずは一旦、アワジ村に戻ることに決めた。
ここに連れてこられてまだ一日も経ってないけど、攫われた現場にはニケがいたから、センにも事態が知らされているだろう。あたしを探そうとして大騒ぎになっていたりしたら、色々申し訳ないもんね。
それにゴン太の方にも、ちょっと都合があった。
「引っ越すか通うかは未定にしても、こっちを留守にするとなったらこれも売れなくなるからな。今ある分だけでも金に換えておきたい」
「うわー、空気があまーい」
「オイシそう!」
あたしとアリッサはゴン太に連れられて、元は果樹園だった場所に来ていた。それぞれ手に籠を持って、収穫態勢ですよ。
今はもう廃村になっちゃってるけど、昔この辺りに集落があった頃は、あちこちで果樹栽培をやっていたらしい。ゴン太はまだ生き残っている樹から適当に実を採って、自分と魔獣さん達で食べたり、一番近いアワジ村まで売りに行ってお金に換えたりしてたんだって。意外と堅気の商売だった!
ゴン太は魔獣さんの世話で手一杯だし、植物相手の異能は持たないから、果樹園は放ったらかしだ。それでも虫食いや病気を逃れた実がぽつぽつあって、三人で集めると結構な量になった。
なんだろうこれ、桃みたいな香りがしているんだけど、桃よりだいぶ固くてしっかりしてる。それに、桃って確か夏の果物だよね。温室とか何もなしで放置されているんだから、季節無視して採れるわけじゃないし。
虫が食って半分傷んでる実を取って、じーっと観察する。無事な部分の皮をごしごし手でこすってから、用心しつつ噛み付いた。
カリッ、と心地良い歯ごたえがあって、甘酸っぱい汁気と香りが口の中に広がる。おお、爽やか!
あたしが夢中で食べている横で、アリッサも我慢できずにかじりつく。美味しいねー、とうなずき合っていると、ゴン太がよく熟れたのをひとつずつ渡してくれた。……えーと。
そうか、ゴン太ってば導士なもんだから、基本的に生き物にエサやるのが好きなんだな。うん。きっとそうだ。
「これ、なんていう果物?」
「カリンだ。ちゃんと手入れして育てたら、もっと大きな実になるんだがな」
「へぇー」
花梨ならあたしの世界にもあるけど、明らかに別物だし、頭の中で漢字変換もされない。ということは、たまたま音が同じなだけか。ゴン太が恵んでくれたきれいな実を手の中で転がしていると、横でアリッサが首を傾げた。
「これ、変なンだね。ここの木は実が成ってるのに、あっちの方のは葉っぱだけだし、向こうは花が咲いてるよ?」
「あ、本当だ。別の木……には見えないし」
どういうこと? 首を傾げてゴン太を見る。と、何でもないことのように返事があった。
「そいつは木によって時期がまちまちなんだ。だからたくさん植えておけば、年中どれかは実が採れる。まぁ年中食ってりゃ飽きるから、そこまでやるのはカリン農家ぐらいだがな。俺も大概これには飽いた」
「……なんつーデタラメな」
地理も物理も化学も、果ては生物までも役に立たんのか。唯一通用しそうなのはもう、数学だけかも。しかし数学はあたしの天敵なのだっ。滅びろ!
脳裏をよぎった諸々の恨みを込めて、カリンの実に歯を立てる。アリッサは相変わらず不思議そうな顔をしていた。
「なンで皆、ここを放り出しちゃったンだろうね? 年中採れるってことは、年中オカネも入ってくるし、大雨とか災害があってもワンシーズン全滅って心配もないのに」
「うーん。それはそうだけど、木によってステージがまちまちってことは、作業がまとめてできないっていうデメリットもあるんじゃない? 人が大勢いて作業ごとに手分けできるならいいけど、何かの理由で住んでる人が減ったらすぐ維持できなくなりそうだよ」
「あっ、ソウかー」
あたしとアリッサの学生らしい会話に、ゴン太が正直に驚きを表した。
「おまえたち、実は頭がいいのか?」
「実は、は余計だよ! ゴン太はここがなんで廃村になっちゃったのか知ってる?」
「知らん。俺が見つけた時にはこのざまだったからな。だが麓に通じる道は全部崩れているし、何か災害があったんだろう。ここで暮らしづらくなった奴らが出て行けば、おまえの推測通り、カリン栽培が成り立たなくなって他の住民も去らざるを得なくなる……そんなところじゃないのか」
「そっか、やっぱりまともな道は通じてないんだ」
そんなこったろうと思ったよ。にしても勿体ないなぁ、これだけたくさん木が残ってるのに。報告書にここのこと、書いておこうかな。ちゃんと道を直せば、また農業できるよね? ゴン太が学院に行くことになったら、ここの魔獣さん達もどこかに引き取ってもらったりするわけだから、人が大勢戻ってきても問題にはならないだろうし。
ええハイ、ちゃんとお仕事のことも忘れてませんよ、あたし偉い!
そんなこんなで、収穫したりおしゃべりしたりしてる間に、だいぶ日が傾いてきちゃった。急いでアワジ村に戻らないと。
「ゴン太はツァヒールで行くの?」
「ああ。二、三回往復すれば良いだろう」
カリンの実をでっかい袋にまとめながら、ゴン太が答える。ふむ。ツァヒールが背中に乗せられるのはゴン太一人、同時に肢で掴んで運べるのが人間一人ぐらいってことか。
ここからアワジ村まで、ツァヒールの翼ならそんなに遠くないにしても、何往復もしてたら日が暮れちゃう。それに最初にあたしが戻らないと、ゴン太だけ村に行ったらセンに捕まるかも知れない。
どう考えても、センがぶっ倒されて余計な騒ぎになる展開しか予想できないけどね!
〈どうかな、ラグ。行けそう?〉
〈私の方は問題ありませんよ。ツァヒールの方が大きいので村の人の注意もそちらに向くでしょうし、位置を工夫すれば見られずに済むと思います〉
〈モーリーはゴン太に任せた方がいいかな。あたしが抱えたら怖がって暴れそうだし〉
〈そうですね。アリッサにしっかり掴まってもらって、カリンの袋は触手で持てば〉
〈OK、じゃ、それで行こう〉
あたしはラグと手早く打ち合わせると、何はともあれまず、ゴン太に向かって厳しい顔を見せた。
「先に言っとくけど、触らないでよ」
「……? 何の話だ」
「触らせろとか見せろとか言うの、無しだからね。もし言い出したら、アリッサとモーリーだけ連れて逃げるから。追いかけてきても二度と口もきかないし近くにも寄らないからね」
「だから、何の」
「とにかく、無し!」
「……良く分からんが、分かった」
ゴン太が変な顔でうなずくのを確かめてから、今度はアリッサに歩み寄る。こっちはちょっと慎重にやらなきゃ。
「あのね、アリッサ。これから村に戻るけど、あんまりぐずぐずしてて暗くなったら危ないから、手っ取り早い方法をとろうと思うんだ」
「うン?」
「でね、かなり常識外れだからびっくりすると思うんだけど、怖がらないでくれるかな。安全は保証するよ」
「良く分からないけど、ハルカに任せておけばいいンだよね?」
「うん。任せてくれる?」
「もちろン!」
アリッサは無邪気に笑って、またあたしに抱きついた。ハグ癖があるのかな、この子。まぁ抱きつくのに抵抗ないなら、今は助かるけど。
ともあれ一旦離れてもらって、あたしはおもむろに上着を脱いだ。それから前後逆にして袖を通し、強引に帯で結ぶ。格好悪いけど、こうして背中を空けておかないと後で困るからね。
アリッサもゴン太も、何も言わずにただじっと見守っている。
〈それじゃ、ラグ〉
〈はい〉
――意志を重ね、意識を溶け合わせる。体の芯から熱がほとばしり、背中にむかって突き抜けた。
ミリッ、と骨の軋む音。皮膚が裂けて、肩甲骨の辺りから一気に細く硬い骨が飛び出した。肌着に穴があいたのは仕方ない。骨格が展開し、間に薄い銀色の膜が張る。
翼を出すのは久しぶりだ。翼、というよりは昆虫の翅の方が近い外観なのだけど。これを広げると、大気に満ちている力を集められるのが感覚として分かって、とても気持ちがいい。
「アリッサ?」
振り返って声をかける。さすがに少女は驚いていたけれど、事前に念を押したのが良かったみたいだ。おずおずながらも歩み寄ってきてくれた。
「ウワー……すごい。これ、本物?」
「本物です。だから私は元の世界に戻れなくなった。アリッサは何も問題はないから、大丈夫。私にしっかり掴まっていてください」
「え? あれ? ハルカ……だよね?」
「はい。半分は。あまり気にしないで」
私は微笑んでから、導士の方に向き直った。案の定、もの凄く葛藤しているのが分かる様子で、一人悶え苦しんでいる。あの好奇心だけはまったくいただけない。
「ゴンタ。私がアリッサと、カリンの袋を運びます。あなたはモーリーを落ち着かせながら運んであげてください」
「っ……わ、わかっ……た。っく!」
「アワジ村への先導を頼みます」
言うだけ言って、私はアリッサを手招きした。少女が私の首に腕を回し、恐る恐る抱きつく。その背中をしっかり支えてから、私はもうひとつの腕を伸ばした。
灰銀色のしなやかな触手がするりと走り、果実の袋を絡め取る。
「では、行きましょう」
同行者たちに声をかけると、私は軽く地面を蹴り、一気に空へ舞い上がった。




