Act.14:ムコの条件 その1
ジュストが目を開けると、腕の中にルーチェがいて少し驚いた。
「……あれ?」
思わず自分の手のひらをまじまじと見てしまった。
人間だ。ジュストは人間のまま一晩を過ごしたらしい。
昨日、デボラ先生のパーティから帰る途中、ルーチェはたくさん泣いて……心配になったジュストはルーチェを抱きしめて眠った。ルーチェは最初嫌がったけれど、ジュストが離さずにいると大人しく一緒にベッドに入ってくれた。
そういえば、昨夜も寝るまで人間のままだった。
確かにここ1ヶ月ほどは、調子が良ければ朝起きて1つ瓶を開けるだけで夜まで過ごせていた。だが、眠る時間にはネコになっていて……ルーチェと一緒に眠ることが出来ていたのもそのおかげだったのだ。それなのに、今日は朝になってもまだネコに戻っていない。
ジュストはそっとルーチェの髪を梳いた。すやすやと眠るルーチェはとても可愛い。
ルーチェの髪をよけて印を確認すると、ルーチェの白い肌にジュストが毎朝残す痕がついている。
ジュストはそこにそっと唇を寄せて今日の印を刻んだ。
ふわりと香る優しいルーチェの匂い。
トクン、と自分の心臓の音が聞こえた気がした。
柔らかくて滑らかな肌はとても気持ちいい。ジュストとは違う身体つきはルーチェが女の子だからなのだと、もう随分前から知っている。
触りたいと思うのは、変なのだろうか。サラもダメだと言っていた。でも、サラはいっぱいユベールに触られていたのに……
ジュストはそっとキスマークに指先で触れた。
「ん……」
「ルーチェ?」
ルーチェがピクッとしてもぞもぞと身体を捩った。ジュストの方へと身体が近づいて、柔らかいルーチェの身体がピタリとジュストにくっついた。
ドキドキ、する……
ジュストはルーチェの背中に手を回した。
触りたい。
その衝動のまま、ジュストはゆっくりとルーチェの背中を撫でた。温かい体温がパジャマ越しに手のひらへ伝わってくる。
「ルーチェ……好き」
ジュストはルーチェの首筋に顔を埋めて熱に浮かされ、囁いた。
以前、ルーチェが頭を撫でてくれたときに感じたのと同じ心地よい感覚が全身に広がっていく。
もっと、触りたい。
ジュストはルーチェのパジャマの裾からスッと手を差し込んだ――
しかし、ルーチェの素肌に触れることができたのは一瞬だった。
「……」
ルーチェの腰には回せなくなった短い手――いや、足?
やっぱり小さくなった顔はルーチェの身体の……おそらく1番柔らかい場所に埋まっている。
ジュストは布団の中でもがいてベッドを降りた。
ルーチェの机に飛び乗って、薬瓶を取り出す。そこで、ふと机の上に開いたままのノートに目が留まった。
『変化の呪文 ×
薬の効果 ○:持続時間について原因不明
1/27 リトルノの量を少なく調合、持続時間に変化なし(長くなっている?)
2/6 オーメンタール減、持続時間に変化なし(また長くなっている?)
2/15 リトルノのオーメンタール漬けを止める、以下同文
2/23 ――…』
中間試験が終わってから、ルーチェはジュストの薬の調合について研究していた。その記録が丁寧に書き込まれている。
空いたスペースにも材料の比率計算などが細かく書き込まれていた。
ジュストはページを1枚捲ってみる。
『ルミエール王国の呪文
政権交代で王族の力の質が変化、呪文もその都度廃れ、開発されてきた
・レフレクシオン:光の反射率を調整、見た目を変える→ジュストの症例とは一致しない
古代呪文のため使える者がいるかは不明
・その他、姿を変える呪文:存在不明、資料不足』
ルーチェは魔法についても調べてくれているらしい。
光属性の魔法はルミエール国民が使うものだから、マーレ王国には資料が少ないのだろう。
ジュストはページを元に戻して薬を飲んだ。
***
朝ごはんのオムレツを焼きながら、ジュストは少しぼんやりしていた。
料理は慣れてきて手になじんでいるので、何回か作ったことのあるものであれば考え事だってできるのだ。
フライパンをトントン、と軽く叩きながら昨日のルーチェの涙を思い出す。
ルーチェはどうして泣いたのだろう。泣き止んで欲しくて、頭を撫でて抱きしめたら……ルーチェはギュッとジュストに抱きついてくれた。それは、とても珍しいことだ。
嬉しいのと同時に戸惑いもあって……結局、ジュストはルーチェの背中を撫でてあげることしかできなかった。
泣き止んだルーチェは理由を聞いても「何でもない」の一点張りだった。ジュストには、話せないこと?
それとも、ジュストは頼りない?
ルーチェは……今朝覗いたノートからもわかるように、いっぱいジュストのことを助けてくれていて、ジュストもルーチェのためにいろいろなことをしてあげたいと思ってる。でも、ルーチェはどこかジュストとは距離を置いている気がする。
ジュストはため息をついて、オムレツをお皿に移した。ちょっと固くなってしまったかもしれない。やっぱり考え事をしながら料理をしてはいけないのかも。
――朝食を終えると、アリーチェは学校へ行き、ルーチェたちも診療所へと出て行った。
すでに日課となった洗濯や掃除を済ませたジュストは、リビングのソファに身体を沈めて息を吐いた。
今日のお昼ご飯は何にしよう。ブリジッタの料理の本を取ろうとマガジンラックに手を伸ばしたところで、ふと彼女がよく読んでいる雑誌が目に留まった。
ルーチェが読んではいけないと怒る、ブリジッタの愛読誌。
だが、ジュストはその表紙の文字に釣られてそれを取り出し、目当てのページを開いた。
『結婚相手に求める条件』
ルーチェがなかなかジュストを婿にしてくれないのは、自分にその条件が揃っていないからかもしれない。
「高身長、高学歴、高収入……?」
ジュストは、背は高いほうだと思う。昨日のパーティでも、テオや会場のほとんどの男性より少し目線が高かった。
体重もブリジッタが最近「やっと標準に戻った」と喜んでいたし、アリーチェはいつも「ジュストはアイドルっぽい」と言ってくれる。
アイドルというのは、女の子が好きな人のことだそうだ。
ということは、ジュストの外見は婿の条件に当てはまっていると思っていいだろう。
問題は、学歴と収入。
勉強はグラートとしているけれど、学校には行っていないし、働いていないからもちろん収入もない。
これは……大問題だ!
ジュストは雑誌をソファにバン、と置いて立ち上がった。
ルーチェの婿になるためには学校に行って、お金を稼げるようにならなければならない。料理や掃除ではダメなのだ。
「っ、ルーチェ!」
ジュストは急いで階段を駆け下りて、ルーチェの診察室へと走る。
「ルーチェ! 僕ね、学校に行く!」
「わぁっ!?」
ジュストがルーチェのいる診察室に入ると、ルーチェはジュストも知っている市場のおばさんを診ているところだった。
そういえば、数日前に会ったときに腰が痛いと言っていた。
「あら、ジュストくん。そんなに慌てて……でも、ここは診療所だから静かにしないとダメよ?」
クスクス笑ったおばさんは、ちょうど診察が終わったところのようでルーチェにお礼を言って診察室を出て行った。
「ジュスト、どうした? 学校に行くって……?」
ルーチェの監督をしていたグラートがジュストを診察椅子に促して、ジュストは素直に従った。
「うん。あのね、婿になるには高学歴と高収入が必要なんだ。だから、僕、学校に行きたい。あと、いっぱいお金をもらえるところってどこ?」
ジュストが聞くと、グラートは「うーん」と少し唸った。
「あのねぇ……いくらお父さんと勉強してるからって、義務教育を受けてないジュストが“学歴”にカウントされる学校に行くのは無理よ」
ルーチェがカルテを書きながら呆れた声を出す。
「でも、それじゃあ僕はルーチェの婿になれないよ!」
「だって、別に……それは…………っ、もう、いいでしょ?今は診療時間だよ。ジュスト、出て行って」
ルーチェはジュストに視線を向けないまま、次の患者さんを呼んでしまい、ジュストは肩を落として診察室を出た。
***
その日の夜。
「ジュスト、学校のことだが……」
「うん! 僕、学校、行ける?」
夕食の後、グラートとソファに座って勉強をしていたジュストは、学校という言葉に胸が弾んだ。
「いや……あのな、ジュスト、籍がないだろう? 本国のルミエール王国でも死んだことになっているんだろう?」
「セキ? 僕は風邪も引いてないし、生きてるから学校にも行けるよ」
クラドールであるグラートがそんなことをわからないはずがないのに、変なことを聞く。
「咳じゃなくて、籍。ジュストがどこの人間かを証明するようなものだな」
「僕はルミエール王国からきた、ルーチェの婿だよ?」
いや、学歴と収入がないからまだ婿にはなれないのだった。そう考えたら思わずため息が漏れた。
「それは、俺たちはわかるが……他の人には理解するのが難しいことなんだ。本当なら、お前がマーレ王国にいることだっておかしいんだから。わかるか?」
それは、わかる。
ジュストは……普通に生きていたらルミエール王国で王子として暮らしていただろう。たとえ、それがジュストの望んだことではないにしても、だ。
望んだことではない――その考えに、なんだか頭の中でチカッと光が弾けた気がした。
「……?」
なんだろう?
「勉強がしたいなら、俺が教えるから。家庭教師を雇ってもいい」
「でも……それじゃ、僕はルーチェの婿になれないってこと?」
ジュストの気分はどんどん落ち込んでいく。
「別に、学校へ行っていなくても、お金がなくても、ルーチェの婿にはなれる。ジュストがルーチェのことを好きならな」
グラートはジュストの頭を撫でてそう言った。
「でもっ、女の人は条件を重視するんだって書いてあった! 僕、ルーチェの条件をクリアしなきゃ、いつまでもネコのままだ」
肉体的にではない。ルーチェは今でもどこかジュストをネコだと思っている節があって……ジュストはもう、どうしたらそれを乗り越えられるのかわからなくなってきた。
何度「好き」と言っても、「違う」と言われている。
一体、何が違うのだろう?
ジュストが条件を揃えていないから?
だから、ルーチェの婿ではない――違う、なのか。
「ジュスト。お前は男だろう? ネコじゃないって、ルーチェもちゃんとわかっているから」
「……」
わかっていない、とはグラートに言えなかった。これ以上、困らせてはいけないだろう。
「わかった。僕、もう寝るよ……」
「ああ、おやすみ」
ジュストも小さく「おやすみ」と返してルーチェの部屋へと向かった。
部屋ではルーチェが魔法の本を熱心に読んでいて、ジュストはそれをチラリと見てからベッドに身体を沈めた。
ルーチェの甘い匂いが鼻をくすぐる。
「ルーチェ」
「ん、何?」
呼びかけても、ルーチェは本に釘付けでジュストの方を見ようとしない。今日は朝からこんな調子だ。
「ルーチェ!」
ジュストはなんだかもやもやした気持ちになって、ベッドから降りるとルーチェの腕を掴んだ。
ルーチェが驚いたように顔を上げるが、目が合うとすぐに顔を背けた。
「僕を婿にしたくないの?」
だから、ジュストを見ようとしないのか。
「ジュスト、あのね、婿は別に私の婿じゃなくても――」
「嫌!」
ルーチェじゃない、誰かの婿? そんなの嫌だ。
ジュストはルーチェと一緒にいたいのに。どうしてわかってくれないのだろう。
ジュストが腕を掴む手に力を入れたのが痛かったのか、ルーチェは顔を歪めた。だが、ジュストはその力を緩めなかった。離したりするものか。
「ルーチェ、僕、好きなの。ルーチェのことが好き」
「だからね、その好きは違うでしょ?」
ルーチェはジュストの腕を掴んで引き離そうとする。ジュストはそれが気に食わなくて、グッとルーチェを引き寄せた。
バランスを崩したルーチェはジュストの胸に手をついたけれど、ふらりとベッドの方へ倒れこむ。
ジュストもそれを追いかけて、ベッドに膝をついた。
「ちょ、っと」
ルーチェは慌てて身を引き、しかし、ジュストがそのまま距離を縮めると体重が後ろへかかったのかボスッとベッドに沈んだ。
「LikeとLoveのことを言ってるなら、僕、知ってる」
そんなこと、とっくに勉強した。経験もしている。
「――っ」
ルーチェの頬に手を当てると、ルーチェはビクッとして肩を竦めた。
「ルーチェの笑顔が好き。泣いてる顔も、怒ってる顔も、笑ってる顔よりは好きじゃないけど、好き」
ルーチェが笑うと、ジュストの心臓はキュッとして……
「ルーチェに触りたい」
ルーチェの体温を感じたくなる。印をつけたくなる。
ジュストは今朝つけたばかりのそれに触れた。
「ジュスト、やだ……」
ルーチェが震えているのが指先から伝わってくる。
嫌なのは、ジュストだ。ルーチェはわかってない。
「僕の印、1個じゃ足りない? 1個じゃ僕の気持ちが伝わらないの?」
「ジュストっ!?」
その苛立ちをぶつけるが如く、ジュストはルーチェの印に唇を押し付けた。ルーチェがジュストの肩を掴む。
1つ、上書きして。それからルーチェの鎖骨の辺りにもう1つ。それでも足りなくて、ジュストはルーチェの胸元に唇を滑らせた。
「やっ、ジュスト! わかった、わかったよ! だから――っ」
それが、ジュストを宥めるための「わかった」なのだと……ジュストが理解できることもルーチェはわかっていない!
ジュストはルーチェの抵抗を押さえつけてパジャマのボタンを1つ外した。
「お姉ちゃーん、あ――」
そこでアリーチェが勢い良くドアを開けた。
ジュストが顔を上げてアリーチェを見ると、アリーチェは少し驚いた顔をしてから眉を下げて笑った。
「ごめん。お取り込み中だったんだ。新婚さんなんだし、鍵かけた方がいいわよ」
「違うっ!」
ルーチェが大きな声を出して、身体を起こした。
思いきり否定したルーチェにジュストがムッとして見ると、ボタンの外れたパジャマの隙間から花柄が見えた。
「あ、ルーチェ、お花のやつ着てる!」
ルーチェの留守中にジュストが洗った服だ。
「見せて!」
絶対似合うと思っていたのだ。もっと良く見てみたい。
ジュストがパジャマの合わせを開くと、ルーチェの白い肌が露わになった。
「ちょっ――バカジュスト!」
「痛い!」
ゴツッと思いきりグーで頭を殴られて、ジュストの視界がぼやけた。
なんだか心臓がものすごい速さで打ち付けている。死ぬのかもしれない。
この場合、ルーチェに殺されたことになるのかも……
素早くボタンをかけ直してしまったルーチェ。彼女は真っ赤な顔をして、アリーチェの立っているドアの方へ歩いて行ってしまった。
「何か用なの?」
「あ、うん。ここの問題がわからなくて――…」
アリーチェは宿題の分からない箇所を聞きに来たようだった。
だんだんとドキドキも収まってきたジュストは、まだ痛む頭を擦りながらフッと息を吐いてベッドに寝転んだ。
ルーチェは……
ルーチェが「違う」というのは、ジュストの好きではなくてルーチェの好きなのかもしれない。
どうしてなのか、ジュストはルーチェが自分のことを好きだと思ってくれていると思っていた。
イジワルをするから――ユベールに言われてそう思っていたけれど、最近はそれがユベールにしか当てはまらないのではないかと思っている。
ルーチェの好きはLikeなのかも。そう思ったら、苦しくなった。
「ルーチェ……」
こんなに好きなのに。これが、片想いというやつなのだ。
ジュストは枕に顔を埋めた。ルーチェを抱きしめるときと同じ匂い――安心する。
アリーチェに一生懸命勉強を教えているルーチェの声がだんだんと遠ざかっていって、ジュストは眠りに落ちた。




