表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
街外れの塾にて  作者:
32/34

おまけ3.心を休める

やぁ、戻ってきたよ!(某ネズミ声)

…ちょ、石投げないで。痛いって、やめて←


というわけで(どういうわけだ)、おまけその3です。

今回は初の…本当に初の、桜井先生視点です。

 彼女――藤野奈月がまだ高校生で、俺の教え子だった頃から、俺は彼女の声が好きだった。

 小さな鈴が静かにリン、と鳴るような、一点の穢れもなく澄んだ綺麗な声。高音ながらも決して耳障りではなく、聞いていてほっと気持ちが落ち着いてしまうような、心が清水のように清らかになっていくような……。

 遠くから聞いてもそれと分かる特徴的なその声が、俺はたまらなく好きだった。

 まぁ、もちろん彼女のすべてを好きで、愛おしいと思う気持ちは、有り余るほど持っているのだけれど……特にどこが好きかと聞かれれば、俺は迷わず声と答えるだろう。

 それほどまでに好きと言えるその声で、彼女に名を呼ばれる……それだけで俺は、心が弾むような感覚を覚えていた。


 彼女が大学生になってからというもの、塾で会うこともなくなり……最近は彼女も俺も忙しく、必然的にお互い時間のある日――例えば日曜日や、早く用事が済んだ日――ぐらいしか会える日がない。目に見えて確実に、それは前より格段に減っていた。

 だからこそ、というべきか。

 会えない日が長くなると、どうしてもあの声が聞きたくなってしまう。特に仕事が忙しく、疲れて帰ってきた日などは、なおさらに。

 本当は直接会いたいのだけれど、それは叶わないから。

 だからそんな時、俺は携帯電話を取り出す。電話帳を開き、その名前を探す。そして……出てくれますように、と祈りながら、ほんの少し緊張気味に通話ボタンを押すのだ。


 プルルルル……と無機質なコール音が幾度か鳴るのを、ドキドキしながら待つ。年甲斐もなく阿呆らしい、とは思うのだけれど、その気持ちを抑えずにはいられない。

 やがてブッ、というほんの少し耳障りな音がして、直後に彼女の声が耳に届いた。

『――はい、もしもし』

 電話向こうからも際立つ、特徴的なあの声。神社などの神聖な場所で控えめに鈴が鳴り響いたかのような、不思議な感覚を覚える。

 頬が緩むのを抑えつつ、俺は声を出した。

「もしもし、俺だけど」

『あぁ、お久しぶりです』

 そっけない言葉。けれどもその澄んだ声は、親しげに柔らかくほころんでいた――……ような気がした。

 彼女が俺に対して敬語を使っているのは、彼女が高校生の時からの名残だ。

 もう先生と生徒という関係ではないのだから、直させればいいと思うのだが……俺はあえて、それをしていない。何故なら、彼女が紡ぐ敬語はとても美しいと思うから。決してひいき目――いや、正確にはひいき耳、とでも言うべきだろうか――ではなく、本当に俺は心からそう思っているのだ。

 直接彼女にそれを言うと、照れながら不機嫌そうにそっぽを向かれてしまうのだけれど。

『ところで今日は、どうかなされましたか』

 不思議そうにそう尋ねられた。何か緊急の用事があって掛けてきたとでも思っているのだろうか。特別なことなど何もなくても、俺はただ単に君と話がしたかっただけなのに。

 そんなことを思いながら、俺はあっさりと答えた。

「いや、別に。特に用事があるとか、そういうわけじゃないけどさ……もしかして、都合悪かったかい?」

『そ、そんなこと』

 彼女は慌てたようだった。いつも落ち着いているその声が、焦ったように乱れている。

 ――やがて彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、ポツリとつぶやいた。

『わたしも、あなたの声が聴きたいと……思っていたところなので』

 あまりの可愛らしさと破壊力に、俺は思わずクスッと笑ってしまった。

『……っ、笑わないでくださいっ!』

 彼女が珍しく声を荒げる。きっと今、電話向こうの彼女はリンゴのように真っ赤な顔をしていることだろう。

 その姿を想像して、また頬が緩んだ。

「ごめんごめん」

 彼女の機嫌を損ねないうちに、言葉だけの謝罪を贈る。

 それからできるだけ優しい声色で、電話向こうの小さな耳元にこの気持ちが届くように、こう囁いた。

「俺さ……君の声が聴きたくて、電話したんだよ」

『――……っ』

 不意を突かれて驚愕したのか、彼女の息をのむような音が聞こえた。もしかしたら真っ赤な顔のまま、口をぱくぱくさせているかもしれない。

 声も出ない様子の彼女の、時折漏れる甘い吐息に耳を傾けながら、俺はそのままゆっくりと目を閉じた。

奈月の声を表すのに『鈴がリンと鳴るような』とか『鈴の音のように澄んだ』などという描写をよく使うのですが、今回はそれをふんだんに使って書いてみました。

結果、桜井先生がただただのろけるだけの話になってしまいましたが…←


さて、最後…とならなかった今回の題名は、ツリフネソウの花言葉。

ツリフネソウ(釣船草、吊舟草)とはツリフネソウ科ツリフネソウ属の一年草で、紫釣船とも呼ばれているのだとか。

東アジアに分布し、日本にもわりと全国に…主に低山から産地の、やや湿った薄暗い場所に分布しているようです。皆さんももしかしたら、一度はお目にかかったことがあるかもしれませんね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ