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街外れの塾にて  作者:
24/34

番外1.咲きたての笑顔

タイトル通り、番外編になります。

過去のお話。本編『お似合いの二人』、そして閑話休題『揺れる心』に登場した、奈月の友人こと東雲くるみ視点でお送りいたします。

ちなみに最後ちょろっと現代に戻りますが、時系列は……とりあえず夏祭りの前ぐらいということで。


 あたし――東雲くるみが、藤野奈月という少女のことを知ったのは中学校の時だった。

 入学してすぐに同じクラスになった彼女は、今時の女子には珍しいほど飾り気がなく、そのうえ無口で無愛想。とてもじゃないが周りに馴染めるようなタイプではなかった。当然友人と呼べる人もいないらしく、休み時間はいつも勉強しているか本を読んでいるような子だった。


 彼女の小学校からの同級生であるという友人達に、彼女のことについて聞いてみた。

「あぁ、藤野さん? あの人ね、昔からそうだよ。そこらへんにいるような無邪気な子供とは全然違うの。なんていうかな……根っからの優等生って感じ」

「時間があれば勉強してるか小難しい本読んでるような子だよ。外で遊んでる姿すら、誰も見たことないし」

「聞いた話じゃ、保育園にも行ってなかったんだって。きっと小さい頃から勉強させられてきたんだね」

「だから友達の作り方も、愛想の振り撒き方も知らないんだよ」

「なんだかちょっと可哀想。でも、友達にはなりたくないタイプかな」

「分かる~。なんか近寄りがたいもんね」

 盛り上がりだした友人達をよそに、あたしは彼女の方を見た。彼女は今も自分の席で一人、数学か何かの勉強をしている。『友達にはなりたくない』と友人たちは言っていたけど、あたしは何故か彼女に大きな興味を抱いた。


 自分の席から手頃な教科書を取り出し、彼女にそっと近づく。

 席の前に立つと、彼女はとっさに顔を上げた。その姿はまるで敵に対して敏感に反応する小動物のようだ。あたしは教科書のページを開き彼女に示すと、にっこり笑いかけた。

「藤野さん、成績よかったよね。勉強の邪魔して悪いんだけど、ちょっと分からない所があるんだ。教えてもらってもいいかな」

 彼女は少し眉をしかめた。怒っているかのように見えるが、どうもいきなりのことで困惑しているだけらしい。幾度か目を泳がせて、口を開閉させて……やがて、ぶっきらぼうに言った。

「……どこがわかんないの? 見せて」

 瞬間、あたしは思わず心の中でガッツポーズをした。緩む頬を悟られないように引き締め、

「ここが分からないんだけど……」

 とか言いながら、適当な問題を指差す。彼女は実に分かりやすく、丁寧にあたしの質問に答えてくれた。

「ありがと!」

 明るい声で言うと、彼女は目を逸らしながら呟いた。

「人に教えるのも、勉強のうちだから」

 一見冷たい言動だったけど……あたしはちゃんと気付いた。彼女の頬が、ほんのりと染まっていることに。

 その瞬間、あたしは心から思った。彼女と、友達になりたいと。


 次の日も、あたしは彼女に勉強を教えてもらいに行った。その次の日も、そのまた次の日も。気付けば毎日あたしは彼女のもとへ通っていた。

 最初は勉強を教えてもらうだけの関係だったけど、だんだんとそれ以外でも一緒に過ごすことが多くなった。移動教室で一緒に移動したり、授業でペアを組んだり、一緒にお弁当を食べたり……そうしているうちにあたし達はいつしか、下の名前で呼び合うほどの関係になっていた。

 彼女は基本無口で、あたしが一方的に話すことがほとんどだった。それでも彼女は文句一つ言わず、ちゃんと聞いてくれる。

 彼女からあたしに話し掛けてくれることも増えた。あたしは本当は喋る方が好きなんだけど……彼女が話している時は、しっかり耳を傾けるように心がけた。彼女がいつも、あたしにそうしてくれているように。


 彼女自身のことも、段々分かってきた。

 無口で無愛想だけど、案外照れ屋なこと。しっかりしているようで実は方向音痴なこと。大人びて見える雰囲気のせいであまり気にならないけれど、よく見ると小柄で、小動物のように可愛いこと。

 「よくあんな子と付き合えるね」なんて周りからは言われるけど、付き合うとこんなにいろいろな面を見ることができる。逆に、こんないい子と友達じゃないなんてみんな損しているよ! と叫びたいくらい。

 最初は興味本位で近づいたけれど、今では彼女と知り合い友人になれたことに、心から感謝している。


 あたしと彼女の関係は、それからずっと続いた。

 本当は高校も同じ所に行く予定だったのだけど、それは叶わなかった。

 中学を卒業する直前、彼女の父親が突然亡くなったのだ。それで彼女は、父親と離婚して実家で暮らす母親に引き取られることになり、進学先もそこの高校に変えることになったのだという。

「くるみちゃん……ごめんね。一緒に同じ高校に行こうって言ったのに。約束、守れなかったね」

 引っ越す日、奈月は半泣きであたしに謝ってきた。

 あたしも泣きそうだった。これまでのように毎日奈月と一緒に過ごせなくなることは、胸が張り裂けそうなほど悲しかった。『行かないで!』と叫びながら、今すぐ彼女を思い切り抱き締めたかった。

 だけど……仕方ないのだと一生懸命我慢した。あたしには、彼女の家庭の事情に首を突っ込む権利なんてなかったから。

 その代わり、あたしは壊れ物を扱うようにそっと、奈月を抱き締めた。

「大丈夫。そんなに遠い距離じゃないでしょ? 会おうと思えばすぐに会える。休みの日とか、会いに行くよ。奈月も、たまにはこっちに戻ってきてね」

「うん……」

 奈月はそれ以上、何も言えないみたいだった。

 あたしは奈月を離すと、初めて話した日と同じようににっこり笑った。

「元気でね、奈月。また会おうね」

「うん」

 奈月は目を細め、口の端をゆっくり吊り上げた。他の人が見たら表情を変えたことすら気付かないかもしれない……それぐらい、不器用でかすかな表情の変化。

 その笑顔の作り方は、まだまだだった。


    ◆◆◆


 あの日の言葉どおり、高校に進学してからもあたし達は連絡を取り合っているし、ちょくちょく会っている。関係性は中学時代とほとんど変わっていない。だけど、一つだけ変わったことがある。

 会うたびに彼女は、笑顔の作り方が上手になってきているのだ。

 心を開いてくれたあたしの前でさえ、こんなに上手な笑顔を見せてくれたことはなかったのに……一体何が彼女をこんなにも変えたのだろう。


「奈月って、笑うの上手になったよね」

 喫茶店のテーブルで向かい合って飲み物を飲んでいるとき、あたしは唐突に奈月にそんなことを言った。

「え?」

 カップの中のミルクティーを口に運んでいた奈月は、カップを傾けたまま動きを止めた。ことり、とテーブルにカップを置き、照れたように笑う。

「そ、そうかな」

「ほら、その顔! 昔から可愛かったけど、笑ったほうがすっっっっっごく可愛いよ。なんかあった?」

「そんなことないってば」

「例えば、彼氏が出来たとか」

「いやいやいやいや」

 奈月は即行で首を振った。だけどその顔が真っ赤に染まっていることを、あたしは見逃さなかった。

「出来たの? 彼氏」

「そんなんじゃないって! ただ……」

 真っ赤な顔のままそっぽを向くと、もごもごと口篭もる。

「今通ってる塾の先生が、明るくてよく笑う人でさ。それで……その人に、影響されてるんだと思う」

 そう語る奈月の頬は、嬉しそうに綻んでいた。

 きっとその人は彼女にとって、本当に大きな存在なんだろうな……。あんなに無表情だった彼女を、こんなに魅力的な笑顔を見せる子に変えてしまったのだもの。

「きっと、素敵な人なんだね」

「……まぁ、ね」

 落ち着くためか、奈月は残っていたミルクティーを一気飲みした。まだ熱かったらしく、びっくりしたように目を白黒させている。

 あたしはそんな彼女を微笑ましく見つめながら、自分のカップに入った温かいココアを啜った。


 奈月を変えたその人が、あたしのよく知っている人――あたしの通う学校に勤務する、桜井健人先生だってこと。その事実を、この時のあたしはまだ知らなかった。

本編とは毛色がちょっと違う番外編でした。

奈月の中学時代はこんな風だったんですよ、というようなお話です。


タイトルはサフィニアの花言葉。

サフィニアというのはペチュニアの一種で、サントリーフラワーズという企業さんの登録商標名です。原産地はブラジルで、サントリーの駐在員さんが原種を持ち帰り、品種改良を加えたことでサフィニアが誕生したのだとか。

花言葉は民間から応募されたものを厳正に審査し、最終的に決定されたものなのだそうです。『咲きたての笑顔』…まさにこのお話にぴったりだと思ったので、使わせていただきました。


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