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再起動のクリック音

作者: カズ

 自動ドアが開くと、少し淀んだ空気が鼻をついた。梅雨入り前の湿気と、ここに集まる人々の吐き出すため息が混ざり合っているような、独特の匂い。

 ハローワークの待合室。整理番号札「108」を握りしめ、島田健次郎(50)はパイプ椅子に浅く腰掛けていた。

 先月末、二十五年勤めた中堅家電メーカーを解雇された。

 理由は「事業縮小に伴う人員整理」。聞こえはいいが、要は「アナログな設計しかできないオジサンは、もうデジタル家電の時代にいらない」と肩を叩かれたのだ。

「……はあ」

 無意識に漏れた溜息を、誰かに聞かれた気がして顔を上げる。

 視線の先、三列前の席に見覚えのある後ろ姿があった。明るい茶色のボブカット。背筋をピンと伸ばして座るその姿は、ついこの間まで同じ設計部のフロアにいた、入社三年目の女性社員に似ていた。

「牧野……さん?」

 思わず声が出た。彼女が振り返る。目が合うと、彼女は驚くどころか、花が咲くようにパッと表情を明るくした。

「島田さん! やっぱり島田さんだ」

 牧野里香(24)だった。彼女は島田が解雇を通告されたのとほぼ同時期に、自ら依願退職していた。優秀な若手だったはずだ。なぜこんなところに。

「奇遇ですねえ。まさかハローワークデートすることになるとは」

「デートって場所じゃないだろう」

 島田は苦笑した。気まずさが少し和らぐ。

 結局、二人の順番が来るまでの小一時間と、求職登録を終えた後、近くの喫茶店に入ることになった。

「へえ、島田さん、まだあの『トースターのダイヤル』にこだわってたんですね」

 アイスコーヒーのストローを回しながら、里香が言った。

 島田はバツが悪そうに頭をかく。

「ああ。パンが焼けるまでの時間をどう楽しむか、あの『チッチッチ』というタイマーの音色と、焼き上がりの『チン』の余韻。あれこそが家電の愛嬌だと俺は思うんだが……今の会社じゃ、全部タッチパネルと電子音だ」

「だから、『コストの無駄』って言われて喧嘩したんですよね、部長と」

「……よく知ってるな」

「見てましたもん。私、島田さんのそういうところ、好きでしたよ」

 ドキリとした。恋愛的な意味ではないと分かっていても、五十歳の自信喪失した男には染みる言葉だった。

「でも、牧野さんはなんで辞めたんだ? プログラミングもできるし、これからの部署のエースだったじゃないか」

「つまんなくなっちゃって」

 里香は頬杖をついた。

「私、IoTとかスマート家電とか得意ですけど、結局スマホで操作するだけじゃないですか。なんというか、『物』としての手触りがないんです。島田さんが設計した扇風機みたいに、ボタンを押した時の『カチッ』て感触だけで風の涼しさを予感させるような……そういうワクワク感がなくて」

 島田は目を丸くした。自分が時代遅れだと思って捨ててきたこだわりを、この若い世代が「ワクワク」と呼んでくれるとは。

「ねえ、島田さん」

 里香が身を乗り出した。

「私、退職金と貯金で、ちっちゃいガレージみたいな作業場を借りようと思ってるんです」

「作業場?」

「はい。そこで、自分の作りたいものを作って、クラウドファンディングで売ってみようかなって。でも、私にはソフトは組めるけど、ハードウェアの、特に『愛される筐体』を作る技術がないんです」

 彼女の瞳が、真剣な光を帯びる。

「島田さん、一緒にやりませんか? おじさんの『こだわり』と、私の『技術』。合わせたら、結構いい勝負できると思うんです」

 島田は呆気にとられた。

「おいおい、俺は五十だぞ。再就職先を探さないと、家のローンも……」

「再就職して、また『コストカット』って言われて、プラスチックの塊を作るんですか?」

 痛いところを突かれた。

 島田は手元のコーヒーカップを見る。陶器の厚み、ハンドルのカーブ。手に馴染む形。自分が作りたかったのは、こういう「生活に馴染む道具」だったはずだ。

「……退職金、少しは残ってるな」

「でしょ? 失業手当ももらいながら、半年。半年だけ勝負しましょうよ」

 里香が右手を差し出した。その手は小さかったが、迷いがなかった。

 島田は震える手で、その手を握り返した。

 

 ハローワークの帰り道、どんよりしていた空の雲間から、薄日が差し込んでいた。

 それから半年後。

 二人が立ち上げた合同会社「リブート(再起動)」のウェブサイトには、『SOLD OUT』の文字が躍っていた。

 第一弾商品は、トースター。

 機能は最新鋭。スマホで焼き加減を完璧に制御できる。しかし、操作部はあえて重厚なアナログレバーとダイヤルを採用した。

 レバーを下げる時の「ガチャン」という心地よい抵抗感。タイマーが刻む、ゼンマイ時計のような有機的なリズム音。

 島田が何百回も試作を重ねて調整した「最高の感触」と、里香が完璧に制御した「最高の焼き上がり」が融合したその製品は、SNSを中心に爆発的な話題を呼んでいた。

『懐かしいのに、新しい』

『毎朝、このレバーを下げるのが楽しみになった』

 届いたレビューを読みながら、島田は目頭が熱くなるのを抑えていた。狭い事務所兼作業場で、里香がコーヒーを淹れて持ってくる。

「言った通りでしょ、島田さん。いい勝負できた」

「ああ……まさか、こんな歳になって、徹夜でハンダごて握るのがこんなに楽しいとはな」

「ふふ、次はどうします? お客さんから『この感触のコーヒーメーカーが欲しい』ってリクエスト来てますよ」

 島田はニヤリと笑った。設計者の顔に戻っていた。

「コーヒーメーカーか。お湯が沸く時のコポコポいう音、あれを最高に美しく響かせる構造、アイデアがあるんだ」

「いいですね! じゃあ私は、その音に合わせて抽出温度を変えるプログラム組みます」

 二人は顔を見合わせ、笑い合った。

 窓の外には、突き抜けるような青空が広がっている。

 人生のスイッチは、いつだって、誰とだって、押し直すことができるのだ。

 心地よいクリック音と共に、彼らの第二章はまだ始まったばかりだ。


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― 新着の感想 ―
わたしはガラスが好きです けれど。 好みのガラスに出会うことは、ほとんどない。 手に馴染む。そんなガラス。憧れます。  この話を読んで。 また、探してみようかな。 って、思えました。 ありがとう。
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